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DESIGNSOUND

毎日がアマルコルド
FIAT 500eのソニック・アイデンティティ

テクノロジー、デザイン思想ともに個性際立つ『500e』にはもうひとつ、他のEV(電気自動車)とは一線を画した標準装備がある。それは、イタリアン・センスあふれるアラートのメロディだ。

今日、ヨーロッパ連合(EU)では、電動車両にAVAS(Acoustic Vehicle Alerting System [車両接近通報装置])の装着が義務づけられている。AVASとは、静粛性が高いEVが近づいたとき、歩行者が確実に気づくよう、低速走行時のみ連続的にアラートを鳴らすデバイスである。そのため、近年自動車ブランドは、さまざまなアラート音を開発してきた。

フィアットブランドのオリヴィエ・フランソワCEO。「他社EVとは異なるAVASサウンド」をクリエイターに強く求めた。

アラート音の誕生秘話

『500e』もEVである以上、もちろんAVASの装着が必須である。その開発にあたり、当時のフィアットブランドのチーフ・マーケティング・オフィサーで、現CEOのオリヴィエ・フランソワが協力を仰いだのは、ロサンゼルスや東京など世界4拠点で展開する音楽制作会社「Syn(シン)」である。
同スタジオの創立メンバーは錚々たる顔ぶれだ。1993年の映画「Coo 遠い海から来たクー」のサウンドトラックなどで知られるニック・ウッド、1980年・1990年代に世界的にブレイクしたバンド「デュラン・デュラン」のボーカリストであるサイモン・ル・ボン、そして彼の妻でモデルのヤスミン・ル・ボンである。社名のSynは、彼らの名前の頭文字をとったもの。
彼らは、この過去四半世紀の間に、さまざまな映画のサウンドトラックや著名ブランドのCMにおけるサウンドデザインを担当してきた。

EVである『500e』には、AVAS(車両接近通報装置)が装着されている。そのメロディ誕生には、何人ものクリエイターの思いが込められている。

フランソワはSynに「サウンドデザインを他のクルマと同じようにすることは、けっしてできない」と強く訴えた。それは、既存EVのように、たとえ未来的であっても無機質な警告音にはしたくない、という意味が込められていた。
そうしたフランソワの思いを受けたニック・ウッドが辿り着いたのは、なんと京都の「建仁寺 両足院」。祇園にある座禅修行の寺院である。「わび・さび」を支える思想「不完全の中に息づく美しさ」に感銘を受けたウッドは「人の声は美しく、不完全かつ個性を秘めている」という結論に到達する。

そして、ニックの頭にコラボレーターとして浮かんだのは、ヘルシンキを拠点とするボイスアーティスト、ルディ・ロックだった。すでに、ディズニーのプロジェクトで共に仕事をしたことがあった彼らは、エンジンを模したサウンドに人間の声をプラスしてソウル(魂)を吹き込むことで、独特のソニック・アイデンティティを構築しようとした。メイキングを記録した映像では、実際にスタジオのロックがマイクに向かって「ウーン」「ブーン」といった見事な擬音を発しているのがわかる。「ユニークで刺激的なサウンドと、周囲の人々の安全を守るという目標の両立だった」とルディは制作時を振り返る。

やがて、さらなるクリエイターが加わる。ミラノの「レッドローズ・プロダクションズ」のファウンダー、そして作曲家でもあるフラヴィオ・イッバだ。ちなみに、彼とチームが手掛けたさまざまなCMミュージックを、イタリアで耳にしない日はないといっていい。イッバは、ニックとルディが作ったソニック・アイデンティティに、イタリアの象徴的な楽曲をブレンドすることを提案した。

「アマルコルドのテーマ」は低速走行時のAVASだけでなく、スタート・ストップボタンをプッシュしたときにも、メーター点灯とともに奏でられる。

そうして選ばれたのは「アマルコルドのテーマ」であった。アマルコルド(邦題:フェリーニのアマルコルド)とは、フェデリコ・フェリーニ(1920-1993)監督による1973年のコメディ・ドラマ映画である。舞台は、フェリーニの故郷でもあるロマーニャ地方リミニの田舎町。1930年代初頭、大人の女性に淡い恋心を寄せる少年をコミカルに描いた作品である。主人公が住む町を伝説のレース「第7回ミッレミリア」が通過し、少年たちがドライバーを夢みるシーンも描かれている。AmarcordとはIo mi ricordo(私は覚えている)という言葉のロマーニャ方言で、実際に多くの人々の共感を呼び、アカデミー賞外国映画賞をはじめ、数々のアワードを獲得した。

街行く人と共有するサウンドトラック

アマルコルドのテーマのオリジナルは、イタリア映画音楽の巨匠ニーノ・ロータ(1911-1979)による作曲である。「道」「太陽がいっぱい」などの名作で知られる彼は、3作にわたる交響曲など、純粋芸術としての音楽でも多くの作品を残している。ドイツ音名で「B」「A」「C」「H」 の音を中心に構成した「バッハの名前による2つのワルツ」は、歴史的にさまざまな作曲家が手掛けた同じ試みを、20世紀的解釈で書き上げた。

『500e』のAVASでは、アマルコルドのテーマの冒頭3小節を半音だけ転調し、アレンジして用いている。さらに、スタート・ストップボタンをプッシュしたときは、AVASとは異なったアレンジで2小節ずつ流れる。
こうして完成した『500e』のソニック・アイデンティティを、フランソワCEOは「これはコンピューターサウンドではない。イタリア式クリエイティビティだ」と誇らしげに説明している。

20世紀イタリア映画を代表する名フレーズとともに『500e』は走り出す。

筆者は初めて『500e』に乗ったとき、それを聴きたいばかりにスタート・ストップボタンの無用なプッシュを繰り返してしまった。同時に、名作サウンドトラックの象徴的な主題を街行く人と共有するという、従来の自動車になかった楽しみがあることに気づいた。

サウンドといえば、1957年に発売された『Nuova 500』の「ルルルル〜」と歌うようなエンジン音に郷愁をいだくイタリア人は少なくない。実際に時代を表す効果音として、この音はイタリアの映画でたびたび使われてきた。
『500e』のAVASも、21世紀を象徴するサウンドとして、これからもさまざまな街で奏でられてゆくことになるだろう。

AVASサウンドメイキング映像はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=FnLrbxcuvVg&t=3s

文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 Stellantis / Akio Lorenzo OYA

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