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SUSTAINABILITYX1/23

見た目より、とっても真面目。
48年前のフィアット製EV

『X1/23』は、かつてフィアットが製作した2人乗りEV(電気自動車)のスタディである。
ネーミングから往年の2シータースポーツ『X1/9』を思い出させるこの車は、実際に同じ1972年にコンセプトモデルとして制作。そして、2年後の1974年10月のトリノ・モーターショーで、今度はEVのパワートレインが搭載されて披露された。

特徴的なルーフラインは、小さくも強固なイメージを視覚的に訴える。タイヤは10インチ。

全長2642mm✕全幅1340mm✕全高1510mmは、いずれも今日の日本における軽自動車よりもコンパクト。しかも、重量は820kgである。
このユニークなフォルムのデザイン開発を主導したのは、チェントロ・スティーレ・フィアット(フィアット・スタイリングセンター)を当時率いていたジャンパオロ・ボアーノである。ちなみに彼の父親マリオ・ボアーノは、かつてトリノで自身のカロッツェリアを主宰したあと、フィアットのデザイン力強化のためスカウトされた人物だった。ジャンパオロもそうした父の跡を継ぎ、ブランド独自のデザイン言語を確立するのに貢献した。

シンメトリックなサイド・シルエットは、前部のモーターと後部のバッテリーの釣り合いを示唆する。

『X1/23』は前部に最高出力14kWのモーター、後部にはフィアット中央研究所と米国ヤードネイ社が共同開発した鉛電池を搭載していた。スペック上の最高速度は75km/h、満充電からの航続可能距離は50km/hだった。

『X1/23』の開発経験は、1990年に市販されたEV車『PANDA ELETTRA』に繋がった。

開発の背景にあったのは、1960年代末から世界中で問題となっていた公害問題。そして、都市の環境をよりクリーンなものにするための切り札としてEVに脚光が浴びせられた。

前部のモーター下には、フィアットお得意の不等長ドライブシャフトが見える。

当時の自動車業界は、別の大きな課題にも直面していた。主にアメリカから起こった安全問題である。その解決手段として、他メーカー同様フィアットは1971年から「ESV (Experimental Safety Vehicle)」と呼ばれる安全実験車を発表していた。それは、巨大な衝撃吸収パッドを前後左右に備えたものだったが『X1/23』ではより違和感がない形でそれが提案されている。
また、1973年に世界を襲った第一次石油危機は、コンパクトな都市向けモビリティの必要性を、さらに加速させた。

2021年10月、イタリア北部パドヴァで開催された古典車イベント「アウトモト・デポカ」に出展された『X1/23』。

実は、こうしたモノボリューム形状の都市用EVコンセプトは、けっしてX1/23が最初ではなかった。1970年代初頭から日本ブランドも含め、数社がショーカーとして試みている。
しかし、今日フィアット歴史部門が大切に保存している『X1/23』を仔細に観察すると、違いがわかってくる。

2007年誕生の『500』などのデザイナーであり、今日の歴史部門「フィアット・ヘリティッジ」を率いるロベルト・ジョリートが描いた会場レイアウト図。左奥にX1/23が見える。

大胆に隆起したルーフラインは、小さな車体にもかかわらず、見る者に強固さをイメージさせる。真横から見ると、モーターが搭載されたフロントと、バッテリーが積まれた後部それぞれの重量が、あたかもバランスをとっているようである。
そうした革新的フォルムを実現しつつ、各ガラスは他社製ショーカーの非現実的な広さではなく、量産可能である面積だ。フィアット製既存モデルのパーツが各所に流用されているほか、ショー展示モデルでは省略されがちなドリップモールさえもきちんと設けられている。室内には、限られた窓の開口部の解決手段であったものの、当時としては先進的なエアコンが装着されていた。欧州で小型車にエアコンが標準装備されるのは、それから30年近く後のことであった。

『X1/23』は『500e』の特別仕様『500(RED)』とともに展示された。

他車とまったく似ていないスタイリッシュなデザイン、そして極めて現実的な条件をクリアしながらこのようなモデルを生み出すとは。コンパクトカーづくりに長けたフィアットの底力を、半世紀近く前のコンセプトカーに感じるのである。

文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 Stellantis/Padova Auto Moto d’Epoca

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