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イタリアが誇る美しい街をゆったり巡る旅へ。今回ご紹介するのは、美しい湖で知られるコモ。世界中のセレブリティがヴィラを構えるこのエリアで、伝統工芸に携わる人々に彼らが考える「Dolce Vita(ドルチェヴィータ=甘い生活)」や「Bella Vita(ベッラヴィータ=美しい生活)」について語ってもらいました。
「Dolce Vita」をテーマに制作された「フィアット オリジナル 2025年カレンダー」では、フィアット各モデルと、イタリア人が愛してやまないスポットを厳選して紹介しています。
7月・8月の主役は、コモ湖畔の美しい村、トレメッツォにたたずむ『500X(チンクエチェント・エックス)』。『500』のかわいらしいテイストを受け継ぎつつ、SUVならではの走行性と高い機能性を備えたモデルです。その魅力的なハーモニーはイタリア本国でも高く評価され、大ヒットを記録しました。
現在、1月から8月までのカレンダーをダウンロードできます。ダウンロード方法は記事の最後に掲載しているので、ぜひチェックしてみてください。
歴史と文化が息づくコモ湖エリアの魅力
コモ湖の面積は146平方キロメートル。イタリアで3番目に大きな湖です。この一帯は古代から、ガリア人、ローマ人、そしてロンゴバルド族に支配されてきました。また、ふたつの峠を控える戦略的拠点として、幾度も侵略の対象となってきた歴史があります。
湖畔の中心地であるコモの町は、紀元1000年頃に自治都市となりましたが、その後ミラノ公国のヴィスコンティ家、スフォルツァ家の支配下に置かれます。さらに、公国がスペイン、オーストリア、フランスの支配を経験したことで、それぞれの文化的影響も受けました。

コモの大聖堂は、14世紀末から18世紀にかけて建てられました。そのため、後期ゴシック様式、ルネッサンス様式、そしてロココ様式が混ざり合った独特の建築となっています。
ナポレオン時代の1745年には、イタリア人が今も誇る科学者、アレッサンドロ・ボルタがコモで誕生しました。彼は後に、世界初の化学電池を発明することになります。また1837年には、作曲家フランツ・リストの娘であり、のちにリヒャルト・ワーグナーの妻となるコジマ・リストがコモの町で生まれています。

湖畔に建つアレッサンドロ・ボルタの記念館「テンピオ・ヴォルティアーノ(ボルタ神殿)」。彼の没後100年にあたる1927年の翌年に完成しました。
さらに、コモ湖の南東端に位置するレッコの町は、アレッサンドロ・マンゾーニが1827年に発表した小説『いいなづけ』の舞台でもあります。この作品は、イタリア文学を代表する最高傑作のひとつとされています。
セレブを魅了するリゾート地としてのコモ湖
もうひとつ忘れてはいけない、コモの大きな魅力がリゾートとしての顔です。何世紀にもわたり、この湖畔は貴族や富裕層、さらには聖職者たちの避暑地として愛されてきました。イタリア屈指の高級グランドホテルとして知られる「ヴィラ・デステ」も、もともとは1567年に地元の枢機卿のために建てられた夏の別荘が始まりです。

グランドホテル・ヴィラ・デステ。

市内には20世紀合理主義建築の傑作もあります。「パラッツォ・デル・ファッショ」は1936年の落成。現在は財務警察の県本部として使用されています。
20世紀に入ると、大西洋の向こう側からも注目を集めるようになります。ハリウッドのジェットセットたちがこぞって訪れるようになり、コモは世界的なリゾート地として知られるようになりました。そして21世紀に入ってからも、その人気は衰えません。2014年には『ザ・ハフィントン・ポスト(現ハフポスト)』によって「世界で最高の湖」に選ばれています。2002年にアメリカの俳優ジョージ・クルーニーが別荘を購入した際には、多くの見物客がボートで押しかけて話題となりました。

コモ市内で見つけたFIATのスナップ。パオロ・カルカーノ通りにたたずむ『500(チンクエチェント)』。

大司教館前に馴染む『Panda(パンダ)』。
湖面から飛び立つ水上機、目眩がするほどに甘いジャスミンの香り、水面を滑るように疾走する流麗な木製ボート…。往年のセレブリティたちが愛したこの光景は、今も変わらず、夏のコモ湖畔に広がっています。

湖畔のプロムナード、ルンゴ・ラリオ・トレントを颯爽と流す『500X(チンクエチェント・エックス)』。青い湖面とのコントラストが印象的です。

鮮やかな赤と黄の壁。コンポジション絵画のような色の中に『500e(チンクエチェントイー)』が、オブジェのごとく収まっていました。
100年以上続くシルク店
コモを代表する特産品といえば、シルク、すなわち絹織物です。その歴史は、レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンとしても知られるミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァ(1452-1508)の治世まで遡ります。地域振興の一環として、蚕の餌となる桑の木が一帯に植えられたことが始まりでした。19世紀には織物産業の専門学校が創設され、コモのシルク産業はさらに発展。20世紀にはイタリアの繊維産業を支える重要な存在となりました。
現在では、糸こそ海外から輸入されていますが、長年培われた高度な技術により、イタリア国内で生産される絹織物の95%がコモで作られています。国内外の一流ブランドのタグに「コモ製シルク使用」と記されることが多いのも、その高いプレスティージ性の証です。

A.ピッチの店主ファビオ・ピッチさんと(右)と夫人のエリザベッタさん(左)。2人が手にしているのは、彼らの店舗のファサードをプリントしたスカーフです。
コモ市内随一のショッピングストリート、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りにある「A.ピッチ」は、100年以上続く老舗のシルク製品専門店です。現店主のファビオ・ピッチさんはこう説明してくれました。
「祖母が店を営んでいたことを示す最古の記録は1919年ですが、実際には1912年にはもう仕事を始めていたようです」
創業当初、店内には織機を備え、生地の製造と販売を行っていましたが、やがてオリジナル商品の開発に特化するようになり、今に至っています。
昔ながらの什器が並ぶ店内には、スカーフ、ストール、ネクタイなど、色とりどりのシルク製品が美しく並んでいます。
「デザインは外部のデザイナーが制作したものの中から厳選して、地元の工房で染めてもらっているんです」と、夫人のエリザベッタさんは話してくれました。

A.ピッチは、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通り54番から街ゆく人を長年見守ってきました。近年は著名旅行ガイド『ロンリープラネット』にも掲載されたほか、ロンバルディア州の歴史的商店にも選定されました。
また、郷土の偉人であるアレッサンドロ・ボルタが2027年に没後200年を迎えることを記念して、新たなコレクションも展開し始めています。

ボルタ生誕200年を記念したスカーフやネクタイ。
店主の意外な素顔
「あなたにとってのドルチェヴィータ、そしてベッラヴィータとは何ですか?」そう尋ねると、まもなく69歳を迎えるファビオさんは、自身のストーリーを語り始めました。
「私はもともと整形外科医だったんです」とファビオさん。エリザベッタさんとは、公立病院で勤務医をしていた時代に知り合ったそう。「でも、2代目だった父が亡くなったとき、私の人生は大きく変わりました」。20年間続けてきた医師の仕事を辞め、3代目店主となることを決意。以来、エリザベッタさんと二人三脚で、店を守り続けてきました。
「私にとってのベッラヴィータは、何よりもこの40年間、妻と毎日一緒に働けたこと、それに尽きます」
「イタリアでも最近は、高級ブランドでも大衆ブランドでも、チェーン店がどんどん増えています。実際、どの町へ行っても同じような店ばかりが並ぶようになりました」と、ファビオさんは現状を語ってくれました。対してピッチ夫妻の店では、伝統的なシルク製品を扱いながらも、決して気取らず、奢らず、顧客との会話を大切にする昔ながらの接客が感じられます。そうした、見せかけではない本物のクオリティがあるからこそ、湖畔のリゾートでお洒落を楽しむファッショニスタたちに愛され、リピーターが絶えないのでしょう。

夫妻はデイリーユースに『500』をお供にしています。ちなみに自邸にはアルファ ロメオ ステルヴィオのスペシャルエディション『6Cヴィラ・デステ』も。
家具の町カントゥで輝く親子の職人魂
コモ周辺の町、カントゥは「家具の町」として知られています。その始まりは19世紀前半、大都市ミラノの人口増加で高まる家具需要に応え、木工産業が発展したことでした。1882年には、イタリア国内でもいち早く家具専門の芸術学校が設立され、カントゥの産業はさらに成長していきます。しかし、第二次世界大戦後の経済成長が落ち着くと、海外製品との価格競争で優位性を保てなくなり、一帯は大きな危機に直面しました。その後、国外の富裕層向けのスー・ミズーラ(注文生産)や、大手高級家具ブランドからの受託生産へと活路を見出すことで再生。現在も200以上の工場や工房が稼働しています。

カントゥの家具工房「ビーエッセチー1956」の2代目、レナートさん(中央)と、長男チェーザレさん(左)、そして次男シモーネさん(右)。
『ビーエッセチー1956』は、その名の通り1956年創業の家具工房です。
「1980年に父から家業を引き継ぎました」と語るのは、現オーナーのレナート・ボナチーナさん。彼らの主な仕事は、建築家やデザイナーからの依頼を受け、そのデザインに基づいて邸宅用の特注家具や高級ホテル向けのファニチャーを製作すること。ファンタジーあふれるスケッチをもとに、プロトタイプを重ね、完成へと導くその作業は、想像を絶するほど困難で緻密なものです。
家族と共に働く喜びが紡ぐ「ドルチェヴィータ」
レナートさんにとってのドルチェヴィータ、そしてベッラヴィータとは何か。そう尋ねると、彼はこう答えてくれました。
「息子たちと一緒に働けることです」。
兄のチェーザレさんは1988年生まれ、弟のシモーネさんは2000年生まれ。職人の後継者不足が深刻化する中、親子三人で仕事ができることは、レナートさんにとって大きな喜びです。ちなみに、毎年11月に町中で開催される「材木祭り」の期間中には工房を開放し、地域の子どもたちに家具づくりの魅力を伝えています。

レナートさんは父から受け継いだ工具を今も大切に手入れしながら使い続けています。
父の言葉を受けて、チェーザレさんは話します。
「IKEAの家具は品質的にも満足できる製品だと思います。実際、僕と妻の家でも使っています。でも、自分が手がける家具には、一生もののクオリティを求めたいのです」
チェーザレさんとシモーネさんが今挑戦しているのは、自分たちでデザインし、自分たちで販売する家具づくり。CNC(コンピューター数値制御)技術を駆使するチェーザレさんと、高級家具ブランドでの経験を持つシモーネさんの感性が、そのプロジェクトに活かされています。
「もちろん、ビジネス規模で見れば、ベッドを100台受注する仕事とは比べものになりません。でも、自分たちで創造したものへの満足感は、お金では得られないんです」

チェーザレさんとシモーネさんは技術とアイディアを駆使し、オリジナルデザインのファニチャーに日々挑戦しています。

兄弟の夢は、自分たちのブランドを発展させ、マーケットで勝負すること。
白衣を脱ぎ、夫人と共にシルクの魅力を伝えるファビオさん。クリエイターたちのアイディアを形にするボナチーナ親子。先行きが不透明な高級品市場の中で奮闘しながらも、彼らが何よりも大切にしているのは、家族と共に日々働く喜び。イタリアの人々にとって、真のドルチェヴィータは、毎日の中にこそある。そう確信させてくれる夏のコモでした。
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7月・8月のオリジナルカレンダーの舞台は、コモ湖畔。エリアの美しい村、トレメッツォを背景にたたずむのは『500X(チンクエチェントエックス)』です。『500』と同じく、FIATのデザイナー ロベルト・ジョリートが手がけたキュートなデザインに、SUVならではの走行性と高い機能性が調和した『500X』。これらの魅力が評価され、ブランドの故郷イタリアでも11年にわたるロングセラーに。湖畔に吹く心地よい涼風を思い浮かべながら、カレンダーのイラストレーションをぜひお楽しみください。
ダウンロード方法はこちら
Report 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA
Photo/ Coordination 大矢麻里Mari OYA/Akio Lorenzo OYA
取材協力
A. PICCI 1919
BIESSECI 1956

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