Benvenuti(ようこそ)! イタリア各地の魅力を、ゆったりと巡る旅へご案内します。
夏の足音が聞こえ始めるこの季節、今回皆さんをいざなうのは、シチリア島に次ぐイタリア第2の大きさの島「サルデーニャ島」。イタリア半島の西に位置し、地中海の風が吹き抜けるこの地で出会うのは、現地ならではのドルチェヴィータ(Dolce Vita=甘い生活)、そしてベッラ・ヴィータ(Bella vita=美しい生活)。そんなサルデーニャの素顔を、じっくりと紹介します。
「Dolce Vita」をテーマにした「フィアット オリジナル 2025年カレンダー」では、フィアットの各モデルと、イタリア人に愛される各スポットを厳選して紹介しています。5月・6月は、ブランドが未来へ向けて送り出した『500e(チンクエチェント・イー)』と、サルデーニャ屈指の美しい町・ボーザが登場。最新モデルでありながら、伝統的な街並みに自然と溶け込むデザインは、さすが「デザイン・イン・イタリー」です。
現在、1月〜6月のカレンダーを配信中。ダウンロード方法は記事の最後に掲載していますので、ぜひチェックしてください!
グラビア撮影の定番スポットにも
サルデーニャ島の面積は2万4千平方キロメートル。四国(約1万8800平方キロメートル)のおよそ1.3倍です。
島の内陸部をドライブしていると、必ず目に飛び込んでくるのが「ヌラーゲ」です。これは先史時代の人々が石を積み上げて築いた建築物で、史跡エリアに限らず、丘や山のあちこちに無数に残っています。砦だったのか、住居だったのか、それとも宗教施設だったのか。その目的が今も明らかになっていないことが、訪れる人々の想像力とロマンをかき立てます。
ヌーオロ県オリエーナのレストランホテル「スー・オリエーナ」。世界的シンガー、マドンナも映画撮影のため滞在したことで知られています。
サルデーニャ島は紀元前238年にローマ人に征服されて以来、さまざまな民族の支配を受けてきました。13世紀後半にはイベリア半島のアラゴン=カタルーニャ王国の統治下に入り、その後オーストリアの支配を経験しています。
1720年には、現在のイタリア北部ピエモンテ一帯を支配していたサヴォイア家が中心的な役割を果たすようになります。彼らはシチリアをオーストリアに譲り、代わりにサルデーニャを獲得。首都をトリノに置きながらも、「サルデーニャ王国」を名乗りました。さらに後年、本土の領土を一時的に失った際には、サルデーニャ島を本拠とすることになります。その後1861年にイタリア統一が達成されると、サヴォイア家のヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世が初代イタリア国王に即位し、サルデーニャ王国はイタリア王国の一部となりました。
サルデーニャで見掛けたフィアットのある風景。往年の小型ハッチバック車「127」です。1971年から87年まで生産されたロングセラーゆえ、このようにペアで見かけることも。
サルデーニャが国際的に注目されるようになったのは、イタリアが共和国となった第二次大戦後のこと。1960年代に北東部のポルト・ロトンドやコスタ・スメラルダを中心にリゾート開発が進められたことが契機となりました。そうしたエリアで、セレブリティたちがひと足早く休暇を楽しむ様子は、今ではヨーロッパの週刊誌における初夏の風物詩となっています。毎年、まるで絵に描いたような「ドルチェヴィータ」の世界が繰り広げられるのです。
2024年、ポルト・ロトンドのマリーナで開催されたボートショーにフィアットも参加しました。リゾートでの移動手段として、マイクロカー「トポリーノ・ドルチェヴィータ」が提案されました(日本未発売です)。
ショーでは、VIP送迎車としてBEVの フィアット「600e(セイチェントイー)」も活躍しました。
一点もののボート「500オフショア」は、ショー来場者の注目を一気に集めました。
>>>次ページ 現地の暮らしを通じて見えた「もうひとつの豊かさ」
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