fiat magazine ciao!

インフィニート

LIFESTYLE

イタリアの優雅なるオープンエア文化

ビーチカーという粋 オープンエア文化といえば、ビーチカーと呼ばれる往年のイタリアにおけるリゾート車だ。 このモデルを見て思いを馳せるのは、ビーチカーと呼ばれる往年のイタリアにおけるリゾート車だ。本来クローズド・ボディであるモデルをベースに、ルーフを切り取ったカスタムメイド車である。1950年代から1960年代のイタリアを象徴する一自動車文化だ。1958年のサンレモ音楽祭で優勝し、今日まで続く伝説的カンツォーネ「ヴォラーレ」が世の中に流れ、人々がその甘い歌声に酔いしれていた時代である。 ビーチカーの主たるオーナーは富裕層だった。リヴィエラ海岸などで夏を楽しむ彼らは、別荘からヨットを停泊させている港や、ゴルフ場への足を欲した。彼らは市販のスパイダーを使う代わりに、カロッツェリア(車体製造工房)にオープンモデルを造らせた。やがてそうしたトレンドにより、カロッツェリア「ギア」が製造したフィアットの『600』や『500』をベースにした『ジョリー』や、1968年にジョヴァンニ・ミケロッティがヨット・デザイナーのフィリップ・シェルと共作した『フィアット850シェレッテ・スピアジェッタ』のような、数十台〜数百台規模の量産モデルが誕生することになる。   ▲フィアット『500ジョリー・カプリ(レプリカ)』。シートは涼しげな藤製。   ▲カロッツェリア・ヴィニャーレによる1968年製の『フィアット500ガルミネ』。リアエンジンにもかかわらず、前部にダミーのラジエターグリルを加えて、レトロ風にしている。   閉められるルーフをもたないばかりか、ドアさえも取り払ってしまったビーチカーは、夏の余暇を楽しむ以外には使いにくい。そうした実用性を無視した造形は、カタログモデルのスパイダーや高級車を乗り回す以上の豊かさの表現であった。小さな大衆車がベースであったのは、イタリアの海岸独特の狭い路地を移動しやすいためであったことは明らかだ。だが、同時にファッションの世界にたとえれば、もともと作業着に多用されていた麻やジーンズをフォーマルな装いにも使うようになったことと共通する玄人の粋とみることもできる。 やがて、そうしたクルマたちは、高級ホテルの上顧客用にもレンタルされるようになっていった。南部のカプリ島ではゲストの送迎用にも導入されるようになり、その名残として、現在でもフィアット車の屋根を取り払った車両を見ることができる。   ▲伝説のデザイナー、ジョヴァンニ・ミケロッティがフィアット『850』をベースに手掛けた1968年製の『シェレッテ・スピアジェッタ』。   ▲『シェレッテ・スピアジェッタ』は、ダッシュボードまで籐という徹底ぶり。     セレブが感じていた風 ビーチカーとセレブリティにまつわる話題は少なくない。 ユル・ブリンナー、ジョン・ウェインといったスター俳優たちも、ギアの『ジョリー』をガレージに収めていた。モナコ公国のレーニエ大公とグレース王妃は、1959年のローマでフィアット『500ギア ジョリー』とともに写真に収まり、それは同年に雑誌の表紙写真を飾っている。大公はビーチカーの虜になってしまったようで、のちにフィアット『600ギア ジョリー』をみずからの自動車コレクションに加えている。 実はフィアットブランドの創業家3代目である“ジャンニ”ことジョヴァンニ・アニェッリ(1921-2003)もビーチカーの熱心なファンで、いくつものカロッツェリアに製作を発注している。 かのジャクリーン・ケネディとも交流があった彼は、彼女が1962年にイタリア南部のアマルフィ海岸でバカンスを過ごす際、フィアット『600』のビーチカーをトリノから送っている。 1965年には、今日まで続くイタリアの名門カロッツェリア「ピニンファリーナ」に『エデン・ロック』と名づけられたビーチカーを発注している。   ▲ジョヴァンニ・アニェッリのためにピニンファリーナがカスタムメイドした1956年製の『エデン・ロック』。ベースは当時のフィアットにおける多目的車『600ムルティプラ』であった。   アニェッリのビーチカーといえば、カロッツェリア「ボアーノ」に依頼した『スピアッジーナ』についても記しておくべきだろう。彼は1台を自分用に、もう1台を以前交流があったジャクリーンの2番目の夫であるギリシアの海運王アリストテレス・オナシスにプレゼントしている。   ▲アニェッリがカロッツェリア・ボアーノに依頼して誕生した1958年製の『スピアッジーナ』。車体を取り巻くバンパーとサイドモールは木製である。写真はイタリア・コモで2018年に開催された「コンコルソ・ヴィラ・デステ」にて。   さらに2001年、彼が80歳の誕生日には、1998年にデビューした新ムルティプラを基にしたビーチカーを、再びピニンファリーナに依頼している。 そうした“アニェッリ・スペシャル”たちは今日、コレクターによってたびたびアメリカやヨーロッパの古典車エレガンス・コンクールに登場。彼の高い自動車センスをいまに伝えている。   ▲2001年製のフィアット『ムルティプラ スパイダー』。ドア代わりのバーを受ける支柱は、ヨットのボーディング・ラダー(階段)を想起させる。フィアット歴史資料館蔵。   朝、村のベーカリーやバールから漂う焼きたてパンやエスプレッソの香り。潮風、海岸の松や果実が発する匂い、そして夕刻は町のリストランテから流れてくる料理の芳香。BGMは、地元の人々の陽気な方言だ。セレブリティにとって、そうした香りや音こそが本当の安らぎであり、真のドルチェ・ヴィータ(甘い生活)だったのである。 イタリア車の歴史を感じ、いまも変わらぬ町の風や香りを感じながら走る。イタリアのカブリオレには、異次元の豊かさがある。   Text : 大矢アキオ (Akio Lorenzo OYA) Photos : Akio Lorenzo OYA/Pininfarina […]