今回お話を伺ったのは『500』にお乗りの藤原孝子(ふじはら・たかこ)さん。陶壁作家だけでなく、日本画家でもある藤原郁三(ふじはら・いくぞう)さんの奥さまであり、ご自身もアートを学ばれた才女です。その彼女がなぜ『500』を選んだのでしょう。そこから見えてきたのは、所有して10年経っても色あせないイタリアが誇るデザインの魅力でした。 ファニーフェイスに一目惚れ 孝子さんが『500』に出会ったのは偶然でした。 「前のクルマが壊れてしまったので、次のクルマを探そうと主人(郁三さん)がお付き合いのあるクルマ屋さんのところに見に行ったのです。そこには色々なクルマがあって、その中に『500』がありました」 それまで孝子さんは多くのクルマを乗り継いできていましたが『500』は知らなかったそうです。 「(見た瞬間に)かわいい!さすがイタリア車だなという感じのデザインでした」とのこと。 ▲藤原孝子さん 旦那さまの郁三さんも「曲線が綺麗ですよね。日本車にも似たようなフォルムのクルマはありますが、ちょっとしたところが違うんです。 遠くから見ても違いがわかる 。この差別化は凄いです。クルマの原点みたいな、そういう強さに惹き付けられる魅力があるんでしょうね」というご意見。 それに対し孝子さんも「やっぱりデザイン力ですよね」と一目惚れしたご様子です。「私はあんまり迷わないんです。選ぶ時はこれっていう直感で、どっちにしようかというタイプではないんです」と話します。 ▲『500』 ▲陶壁作家・藤原郁三さん 「どこに一目惚れしたのでしょうか?」そう聞いてみると「まずフロント周りが気に入りました。ヘッドライトが丸目ですしね。それからインテリアのヘッドレストも丸、メーター周りも丸と全部丸ですよね。そういったところが良いねという話になって、これにしようとディーラーにすぐにいって決めました」とそのときを振り返って教えてくれました。 その丸みの良さについて孝子さんは「それこそ子供が描いたようなクルマみたい。優しいというか、可愛いというか。お!ハンサムというんじゃないけれど、ファニーフェイスなところが良いんです」 インテリアカラーも、初めに見た赤に白のコーディネートがとても魅力的に映った様子で、同じ仕様を購入されました。 もうひとつ『500』を気に入った点として、元々孝子さんはコンパクトなクルマが好きだったことが挙げられます。「運転していて一体感がありますよね。大きなクルマは乗せられている感があるんです。でも“ちっちゃなクルマ”って自分が運転している感覚がすごく伝わりますよね。そこも『500』を選ぶ要因になりました」とのこと。 緑の中を走る『500』 『500』が孝子さんの愛車となって間もなく10年が経とうとしています。「納車された最初は、嬉しくって、それでお買い物に行くと、周りとちょっと違うじゃないという感じがありました」と孝子さん。いまでこそ多く走っている『500』ですが、当時の栃木県益子周辺ではまだあまり見かけなかったそうで「『500』を駐車場に停めていたら見ている人もいましたね。ちょっと珍しいというところがあったんでしょう。そのときの気分ですか?なんとなく嬉しいですよね。『500』を見て、良いなって思っているのかなって」 郁三さんによると「(孝子さんは)『500』に乗るようになってから、あまり他のクルマに目移りするようなことはなくなったみたいですね。普通は、あれは何だろうとか、いろいろ言うんですが、そういうのがなくなりました」と変化を感じられている様子。孝子さんも「最後まで乗ろうかなと思っています。とても魅力的なクルマですからね」と心から気に入っていることを明かしてくれました。 孝子さんは、雪の日以外は『500』を陶房やお買い物などのお出かけにいつも乗られているそうです。 「周りのお知り合いや友人に、『この前、あそこを車で走っていたでしょう』とかいわれていますね。どこにいるのか全部ばれちゃうので変なことはできないね」と郁三さんがいうと、孝子さんは「変なことはしないからさ!」と返していました。 お二人がお住まいの栃木県益子周辺は、田園地帯で緑が広がる美しい景色の中を走る機会が多くあります。「街中をくるくる走るのも得意ですが、その景色の中を走っていると気持ちが良いですね」と普段のドライブを楽しんでいるご様子です。10年経ったいまでも「乗るたびにいまだにワクワク感があります」と孝子さん。「(乗りやすさゆえの)リラックス感とともに、内装の色ですね。少しアイボリーがかったメーター周りやボディカラーのインストルメントパネル周りが素敵だなと思います」と、いまだにあせない魅力があるようです。 体の一部 孝子さんにとってもう一つ『500』の大きな魅力がありました。孝子さんはお着物を着て少し遠くのお茶会に出席されることもあるそうです。そういったところへ行くと、周りのクルマは比較的大きな輸入車が多いといいます。「大きいクルマの中に“ちょりん”とね『500』を停めておいても見劣りしなくて可愛いんです。やはり何が大事かというと、“デザイン力”ですよ」と力説されていました。 最後に孝子さんにとって『500』はどんな存在なのかを伺ってみました。しばらく考えてから「必要不可欠であることはもちろんです。相棒でもありますし。また、この辺りには公共の乗り物があまりないので、とにかく“足”です。いまは体の一部ということでしょうか」そして「やはりそばにいるものは好きなものが嬉しいですよね」と孝子さん。 そこまで聞いていた郁三さんは「(この『500』は)孝子さんの顔になっているような気がします。ご近所はもちろん、あまり知らないようなところに行ったとしても『500』を見ると、周りの方は“孝子さん”と思っているようです」と話します。孝子さんは最初否定しながらも「本人が意識してなくても、そう思ってくださってるのかもしれないですね」と少し嬉しそうでした。そして郁三さんは「自分が普段乗っているクルマが自分の顔みたいに周りに認識されていくというのは、やはりクルマとの一体感なのでしょうね。いい乗り方ではないかなと思います。無理をしないで乗っているようです」ととても優しく語ってくださいました。 今回お二人にお話を伺いながら『500』がとても愛されていることをひしひしと感じました。それともうひとつ、いまの孝子さんのライフスタイルと生活のテンポが『500』にすごくあっているようです。だからこそ、周りの人たちが『500』を見かけると孝子さんだと思い、ご自身も『500』に乗ることを楽しんでいるのでしょう。そうして、孝子さんにとって『500』は大切な相棒になり、一体感が増していっているのです。 FIAT 500の詳細はこちら 【INFORMATION】 藤原陶房 住所:栃木県芳賀郡益子町大字芦沼字中70 TEL:0285-72-6373
イタリアの日常が味わえるクルマ パスタやピッツアといったイタリアの日常食は、日本のみならず世界中でもほぼほぼ日常食の一部になっています。 毎日でも楽しめる気軽さと美味しさ、でもちょっとオシャレで楽しい。 そんなイタリアンな感覚こそが、世界で愛される理由、つまりイタリアの真骨頂といえるのではないでしょうか? クルマにおけるイタリアの日常を存分に楽しめるのがFIATのクルマたちですが、実は最も長い期間連続して生産されている定番こそパンダなのです。 デビューから40年近くが経過し三世代目となった現行モデルも、イタリアを中心にヨーロッパの多くの国々で大活躍しています。2ドア、パーソナルカーとしてイメージが強い500に対し、パンダは家族や荷物をたっぷり載せ、狭い道も厳しい坂もグングン走る。汚れたって気にしない、どこでもいつでも活躍するまさに「日常のアシ」。 現在も年20万台近くの生産量を誇り、500とならぶFIATのアイコン車種として活躍しています。 日々の生活でもオシャレ心を忘れない、イタリア人らしいエッセンスが存分に注がれた、ある意味で「リアルなイタリア」が感じられるクルマといえます。 おそらくイタリア人でパンダに乗ったことのない人間などいないでしょうし、イタリアのレンタカー屋さんでパンダの取扱いがないところも皆無でしょう。これは、パンダが誰でも乗れる、どこへでも行ける、便利なツールとして認められた存在であるということの証。 ちなみに、レンタカー業者によると、パンダだと盗難に遭う確率も低いなどという噂もあるほど。日常の会話でも「あ、じゃあわたしのパンダで行こうか?」なんて言い方が通じるほどの存在なんです。 もちろん、便利なツールだというだけでこれほど愛されるほど世の中は甘くありません。特に、「何でもいい」と言いながら、ちっとも「何でもよくない」イタリア人にとって、定番としての眼鏡にかなう条件はなかなか厳しいと言わざるを得ません。ツールとしての使い勝手の良さ、そして、日常のパートナーとして愛せる存在、楽しめる存在たりうるか? 時代に応じた「ちょうど良さ」を追求しながら、そんなイタリア人の厳しい要求がつまったクルマこそパンダなのです。 パンダの歴史と今 初代のパンダはイタリアが世界に誇るデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ率いる「イタルデザイン社」が、FIATからの外部委託を受け開発した最初のクルマ。直線基調のシンプルだが飽きのこない、イタリアらしいデザインセンスに溢れたそのスタイルと軽妙な走りは、デビューした1980年から現代にまで続くパンダの地位を不動にした傑作といえるもの。日本でも、多くのデザイナーやギョーカイ関係者といった、オシャレな人々の間でも大変な人気を呼びました。 多少の変更こそあれ、20年以上も同じ姿を保っていた初代に代わり、2003年からは背の高い丸みを帯びたスタイルの二代目が登場。実は「Gingo(ジンゴ)」という別の名前でデビューする予定のSUV要素を持ったモデルが、パンダの二代目を襲名。 最初こそ初代との違いから、少々違和感を覚えたイタリア人でしたが、程よいサイズ感やエアコンの装備など、時代に即した使い勝手が認められ、すぐに「新定番」としての地位を築きます。 そして、2011年から現行モデルへ。 環境と燃費、安全といった性能面、室内環境の改善など、あらゆる点でリファインされたモデルへと進化を遂げたのが三代目。もちろん、パンダらしい時代時代の「ちょうど良さ」を表現しています。 日常の「アシ」であっても、角丸の四角(スクワークル)を基調にしたデザインなど、イタリアらしい遊び心にも抜かりがありません。 実用一辺倒ではなく、見る角度によって、可愛らしかったり、キリッとし表情を見せたりと、デザイン大国イタリアの名に恥じないエクステリアをもつパンダ。まさにオシャレに肩肘を張らない人にこそピッタリ。
自動車のエンブレムとその変遷には、その会社の歴史や様々な思い、当時の技術や流行の影響をうかがい知ることができます。 今回は、そんなFIATのエンブレムの変遷を皆様にご紹介します。 FIATとは1899年にイタリアのトリノという街で創立された、その名もずばり「トリノ・イタリア自動車工業」を意味するイタリア語「Fabbrica Italiana Automobile Torino」の頭文字をとったもの。 非常にストレートでシンプルな名前とお思いかもしれませんが、実はこの年の1月まで、人類は「自動車」という言葉を知りませんでした。というのも、文献上確認できる最古の「自動車(Automobile)」という表記が、アメリカのニューヨークタイムスに登場したのが1899年の1月。つまり、FIATが誕生するわずか半年前。 今で言うまさにイノベーションともいうべき、画期的な産業がイタリアに生まれた瞬間だったわけです。 今でこそ500やパンダなど、愛すべき欧州大衆車メーカーとして知られるFIATですが、当時の自動車はとびきりの高級品。FIATはれっきとした、イタリアを代表する最先端の高級車メーカーとしてその名を世界に轟かせていたのです。もちろん、現在のF1へとつながる、第一回の自動車グランプリにもFIATは参加しています。 やがて、世は大工業化時代に突入。FIATは自動車だけでなく航空機や船舶、鉄道など幅広い活躍を開始します。 さあ、そんな歴史ウンチクとともに歴代のエンブレムを見ていきましょう。 100年以上にもわたる歴史の中で、様々な変化を繰り返してきたFIATとそのエンブレム。 いかがでしょう? そのいずれの意匠にも、イタリアらしいデザインマインドが脈々と受け継がれています。 これぞヘリテージ。 FIATのポップさの中にあるシックさは、こうした歴史の上に成り立っているのです。
スマホの普及により、私たちはこれまで以上にデジタルな世界と過ごす時間が増えました。いっぽうで、その反動なのか、心が休まる“アナログ的”なモノを身のまわりに置きたい!という欲求が高まっているのも事実。 前回のチュニジアキリムに続き、今回はギャッベ(ギャベ)をご紹介します。 ギャッベとはイランの遊牧民カシュガイ族などの遊牧系民族が手紡ぎで作る草木染めの鮮やかな色合の染料を使う絨毯のこと。イランといえばシルク素材のペルシャ絨毯が有名ですが。ギャッベは原料がウール。チュニジアのキリム同様、日常の生活道具です。 ギャッベの文様にはひとつひとつ意味がある。たとえば生命の樹と呼ばれる文様は神の座と人が暮らす世界を表していて、その歴史は紀元前4世紀まで遡るそうです。四角は井戸、遊牧民の命綱を表し、狼の足跡は魔除けといった具合。 独特の風合いとユルさ、でも一種の安心を感じるのは、こうした意味と願いが込められているからなのかもしれません。ちなみに、ヨーロッパのファッションデザイナーにはギャッベコレクターが多いそうです。 「お店に行ったら、まず裏返して見るといいですよ。店員さんの態度が変わるから…。(笑)」 そう語るのは今回お邪魔した、「八ヶ岳高原アートギャラリー」館長の向村さん。 裏を見るべき理由は、縦糸と横糸の目が細かいほど上質なギャッベである証。実は近年のブームのおかげで、イラン以外の別の国で作られた粗悪品が出回りはじめているそうなので、こうした助言はありがたい。 いっぽうで、こうした人気の上昇とともに、絨毯商がプロデュースした物も増えており、厚手でしっかりしたものも登場し、選択の幅も増えているようです。 ちなみにオールド・ギャッベと呼ばれるものは薄く軽い。これは遊牧生活で運びやすくするため。理にかなっている。 「やはり永く付き合えるものを選んでほしいですね。イランの荒野に直に敷かれてきたオールドを見ると、ギャッベの丈夫さと丁寧な仕事を感じることができます。」 そう語る向村館長の言葉にはギャッベへの愛が満ち溢れている。 自然と心が和むデザインに囲まれる生活。まさにFIAT500をドライブのお供に選ぶのと同じ感覚とは言えないでしょうか? ちなみに、イタリアの高級ニットブランドで、ギャッベの影響を強く受けているところがあるそうで…。 楽しくやさしい暮らし。春の訪れとともに、ドライブがてら八ヶ岳まで足をのばしてみては? 色鮮やかな素敵なギャッベが、お部屋の模様替えに一役買ってくれるかもしれません。 取材&写真協力 高原アートギャラリー八ヶ岳 https://www.will-artg.com
キリムとの出会いは、自由が丘の路地裏。人気の雑貨店やカフェが並ぶ一角に、数日限定で開かれたマルシェのようなスペース。目を引く色使いと、フォークロアな素朴さを持ち合わせた布が床に積み上げられたり、壁に掛けられ、道往く人々が足を留めていた。聞けばチュニジア産だという。 キリムとは、イラン、トルコ、アフガニスタン、モロッコ、そして地中海にかけての遊牧民が作るパイルのない平織の総称。多くは羊毛で、地域によっては山羊やラクダなども使われ、絵柄や色合いなどもかなり違いがある。敷物として使われることが多いが、現地ではテントのように日よけになることも…。 最近では、人気雑誌でも取り上げられ、ソファに掛けたり、タペストリーとして楽しむ人も増えているとか。そんなブームの中で、チュニジアキリムは、特徴ある色彩や素朴な風合いが評判になっている。 その路地裏の店で、キリムを熱っぽく語っていたのが佐藤恵理さん。現地に赴き、買い付け、販売して4年になる。長い時には、作り手の家で二ヶ月間生活を共にするという。 「チュニジア旅行中にお世話になった運転手さんが、最終日の別れ際にキリムをくれたのがキッカケです。家族が作ったものだというそのキリムの色彩の見事さに目を奪われ、どうしたらこんな柄ができるんだろうとすっかり惚れこんでしまいました。トルコやイランのキリムと違って、当時、チュニジア産はほとんど知られていませんでしたし、ぜひ日本に紹介したいと思ったんです。まずは、織っているところを見たくて、その運転手さんのお宅にホームステイし、作業を見せてもらうところから始まりました。」 佐藤さんにとって、チュニジアキリムの魅力は、代々女性たちが伝えてきた手作業の温かさだという。 「他の地域では、機械化はもちろん、きちんとしたビジネスモデルも存在しているんですが、チュニジアではまだ手作業しか見たことがありません。あくまでも生活用品だからで、産業として捉えられていないんでしょうね。もともとは主婦が、家事や育児、農作業の合間に家族のためコツコツとやってきたものなので、作業時間も一定でなく、工業化、産業化という規模に至っていないのでしょうね。」 チュニジアキリムの特徴は、その色彩とデザインだ。日本では伝統的な文様も人気だが、デジタルな感覚さえ漂う幾何学模様や、ティーンエイジャー的でプラスティッキーなポップな色使いは、ヨーロッパの最先端ファッションにも通じるモダンさを漂わせている。 この地では、南から来る文化はアフリカそのものであり、北からはヨーロッパ文化が、東からはアジアが流れ込み、そこにイスラムの影響が加わってきた。そういったものが混じりあって、キリムに反映されてきた。 「昔は草木染めだけだったので、中間色やシックな色も多かったのですが、近代になり、いろいろな色が使えるようになると、こういう色使いが急に増えたんですよ。それは、コンピュータで計算しているわけではなく、すべて頭の中で創り出されます。あるとすれば、親から伝えられた技術だけ。デザインは、頭に思い浮かんだまま、それを織り込んでいくわけです」 そこにはチュニジアの自然も大きく影響しているようだ。 「大地は見渡すかぎり褐色で、外の風景に色がないのに、なぜこの発想が出てくるのか不思議です。でも、太陽の光が強烈なので、色が飛んじゃう。これくらいの強烈な色使いでないと、印象に残らないのかもしれませんね」 その魅力は近年、ヨーロッパの人々も虜にした。フィアットの故郷、イタリアからも、フェリーで地中海を渡り、4WDでチュニジアを一周してキリムを買い集める姿が目につくという。 欧州、特にラテン系の国の人々は歴史的に色に対する感度が高い。色とりどりのカラーリングやコーディネイトはFIATの伝統だが、やはり彩りのある暮らしは豊かで楽しいということをよく知っているのかもしれない。 チュニジアキリムのファンは多くが30~40代の女性だという。超絶技巧や圧倒的な手間の産物ではないので、値段が手ごろで気軽に手を出せるのも魅力だ。 「展示会で、こういうのを捜していたんです…って喜んでくださることも多くて。最初は、玄関マットサイズの60㎝×90㎝が買いやすいのではないでしょうか。2万円前後ですね。チュニジアでは、100万とか高額な物はまずありません。手軽に入手して。チュニジアの風土や民族性が産んだデザインアイテムとして取り入れ、生活に落とし込んでもらえたら嬉しいですね。メタリックなものにも不思議と合うんですよ。また、キャンプとかBBQ、お花見など、アウトドアに持ち出すのもお薦めです。 チュニジアの女性たちが家族のために作ってきたものですから、そこに込められた家族への愛情や、精一杯のアイデンティティ、創造力、芸術性を味わい、楽しんでほしいですね。」 購入する際のポイントは、自分の感覚で気に入ったデザインやカラーを選ぶのが一番とのこと。 「素朴さとカジュアルな感じ、気軽にじゃんじゃん使えるというのが、キリムの良さであり楽しみ方なのかもしれません。日々の暮らしのテキスタイルなので、端の部分の始末がきちんとできていないこともあるのでチェックするといいですね。自宅でお洗濯も可能なのでお手入れも簡単。ウール用の洗剤を溶いて浸し、軽く押したら、充分にすすいで、そのまま干します。無理に絞ったり、脱水機は禁物です。」 存在感がありながらも、日常にすっと馴染んで、時の流れさえ豊かな彩りを加えてくれる。そんなちょっとした歓びを運んでくるパートナーともいえるキリム。 ちょっとFIATにも似ていませんか?
周囲を大海原に囲まれた海洋国家日本…。しかし、ヨットやクルーザーなどを楽しむマリンレジャーの世界では、欧米諸国がリードしています。船舶の設え、マリーナなどの設備、そこでの時間を楽しむためのソフトウエアまで、まだまだ学ぶべき点があるようです。 イラストレーターであり、ジャーナリストとしても活躍する高橋唯美(たかはし ただみ)さんは、ヨット雑誌の最高峰「Sail」から招かれ、活動の場をアメリカのマサチューセッツ州に移したほどの経歴の持ち主。 どこか温かで、スマート…しかしスケールモデルのような緻密さを備えたその作風は、マリンレジャーで世界的な評価を受け、「Tadamiの愛称で各国のヨット、ボート関係者から愛されてきました。40年にも及ぶキャリア、200近いメーカーの訪問と350を超えるヨットやボートへの試乗など、まさに日本の第一人者と呼べる方です。 文字通り世界の海を股にかけてきたTadamiさんは、現在も江戸の香りが残る東京は八丁堀の運河のほとりで忙しい毎日を送られていますが、自宅兼事務所ビルは、裏口からそのまま愛艇に乗り込むことができるという素晴らしいロケーションで、クルージングや釣りを生活の一部として楽しむ、さすがのボートライフを送っていらっしゃいます。 たどり着いた、小さなボートでの楽しみ 小型のディンギーから100ft超の豪華クルーザーまで、長年世界の船に乗り、描いてきたTadamiさんがたどりついた愛艇は意外にも小型ボート。ボストンホエラーの17ftというモデルが現在の東京における相棒です。 「大きな船は船体だけではなくて維持費、ランニングコストいろいろかかるじゃないですか。また、80ftとかになってしまうと、一人じゃ無理。クルーが必要になるわけです。そうなると、人間関係とかマネージメントとかが面倒くさくなる。よく、大型船のオーナーさんがクルーを連れて飯に行ったりするのを見るんですが、結構気を遣ってるんですよね。大変だなあって思います。まぁ、私の人間の小ささですかね(笑)。遊びくらい好き勝手にやりたいから、一人で自由に取り回せるのになっちゃうんです。 そういうTadamiさん、沖縄の西表島と広島にもやはり、同サイズのコンパクトなボートを一艇ずつお持ちだそうで…。 「よく、小さいの3つ分で大きいのをひとつ持ったほうがいいじゃない?と言われます。でも、そのマリーナ1か所を中心とした遊び方しかできなくなっちゃうでしょ。今のようにしておくと、東京湾、瀬戸内海、沖縄…と、まったく異なった世界が楽しめるじゃないですか。 楽しい時間、心豊かな暮らしをエンジョイするという点で、彼はすでに日本人離れしているのかもしれません。 コンパクトさに込められたプライドとは… Tadamiさんは、フィアット500のファン。そのコンパクトさにこそ魅力があると言います。 「仕事で国産のボートに乗るようになってからですね。フィアット500が一層好きになったのは…。ボートに限った話ではないと思うんですが、国産のボートって小さいなりの作りしかしないんですよ。それにとても腹が立っていたんです。だって、小さいってことですでにハンデがあるわけだから、それを補う何かを与えてやってほしいんです。ちょっとリッチな感じのインテリアでもいいし、居心地のよい雰囲気でもいい…。素材やちょっとした造りとか、小さな物にこそ魂を込めてほしいと…。その点、フィアット500って、小さいという可愛いさと、シンプルだけど、みすぼらしさを微塵も感じさせない魅力を持っているじゃないですか。コンパクトであってもプライドを持って乗れるように仕上げてあるってすごいと思います。まさにあのサイズを武器にしてるとさえ思えますよね。 そんなTadamiさんが世界的なマリンイラストレーターになるきっかけは、クルマへの憧れからはじまっています。 「自動車のデザイナーになりたくて育英高専へ行ったんですね。2年後輩に由良卓也(日本を代表するレーシングカーデザイナー)君がいます。当時の製図の先生がベルギー人のすごく厳格な人で、図面に日付とか縮尺とか名前とかサインするときでさえ、必ず60度の角度で書くように指示されるんです。定規当てるよりはやいから、僕はフリーハンドでやっちゃうんだけど、そこに全部赤が入る(笑)。こりゃ向いてないな、やっぱりイラストが好きだなと確信しました。 やがてその作風は「平凡パンチ」の編集者の目に留まり、自動車のカスタムに関する連載や鈴鹿1000㎞レースのイラストルポなどを手掛け、ついにイラストレーターとしてデビューを飾ります。そして2年後、現在につながるヨット・ボート専門誌での活躍となっていきます。 セクシーさとモノづくり 自動車同様、ボートの世界でも大人気のMade in Italy。Tadamiさんは彼らのモノづくりをこう語る。 「なんともいえないセクシーさですかね。船はもちろんのこと、いろんなものやちょっとしたことにそれを強く感じますね。若いセクシーさもあれば、成熟した魅力もある。無からあそこまでセクシーなものを作り出す能力ってすごいですよ。船の世界でいうと、デッキ(甲板)のニスの塗り方ひとつにすごいコダワリがあったりするんです。 セクシーという表現は、ややもすると日本人にとっては刺激が強すぎるかもしれないが、まったくどう表現したらいいものか、日本語には適切な言葉が見当たらない…。 強いて言い換えるとするならば、なんともウキウキするようなというか、「楽しい」のちょっと先にあるオトナな感覚とでもいおうか…。もっとカワイイとステキとダンディといろんなものが混ざったものだったりする。 デッキのニスではないけれど、現行500にもいくつものセクシーさが息づいている。 「ボディの四隅やフェンダーのカーブなどはさすがだなと思わせるものだし、車内でいえばたとえばハザードスイッチなんかもそう。日本車やドイツ車のそれは文字通り緊急時のボタンでしかないんだけど、このわざわざクリア厚盛りにされたハザードスイッチは、完全に赤のアクセントとしてダッシュパネルの主役になっている。 しかも、ボディと同色のこのパネルの凹みに加担している微妙なRとか…。単に凹ませたんじゃなく、左右から緩やかになっている部分などまさにセクシーとしか言う他ない。この妖しさがイタリアンというか500の好きなところですね。」 こうした小さなオシャレの積み重ねが、Tadamiさんのいう「セクシーさに繋がっていき、シンプルなオトナの世界と可愛げのある若々しい世界の混ざり合う独特の空間を作り出しているのかもしれない。 「やっぱり、小さいけど、カワイイけど、でもやっぱりオトナなんだよなあ。500って…。 楽しい時間を知り尽くした達人がふとつぶやくその表情には、彼がはじめて乗り物の「顔」を意識させたという500同様、やわらかな笑顔が満ちあふれていた。