3月8日は、国際女性デー。世界中の女性の権利を守り、女性の活躍を支援するために世界中で祝われている記念日です。各国でこの日にちなんださまざまな取り組みが催されるなか、イタリアでは感謝と敬意を込め、男性から女性へミモザの花を贈る“ミモザの日”として親しまれています。今回は、イタリアでのミモザの日の過ごし方と併せて、初心者の方でも手軽にトライ出来るオシャレなミモザスワッグの作り方をご紹介します。 イタリアの国際女性デーのシンボル“ミモザ” 3月8日は、国連が1975年から世界に対して女性の権利に対する呼びかけを始め、1977年に制定した国際女性デーです。毎年、女性たちの平等権の獲得への運動を称えるとともに、平等な社会でグローバルに活躍できるような呼びかけが行われます。 イタリアで国際女性デーが初めて祝われたのは1922年のこと。春先に開花するミモザがイタリアの国際女性デーのシンボルとなりました。そのためイタリアでは、3月8日は“ミモザの日”と呼ばれ、日本で母の日にカーネーションを贈るように、大切な女性にミモザを贈るのが習慣となっています。 3月8日が近づくと、イタリアの街は明るく鮮やかなミモザの色で溢れかえります。花屋の店頭にミモザの花が並ぶのはもちろん、ケーキショップやスーパーでもミモザを模したケーキ『Torta Mimosa(トルタ・ミモザ)』や黄色い包装紙に包まれたお菓子などを販売。当日は、奥さんや恋人だけでなく、家族や友人、同僚や常連客など身近な女性たちへ「Auguri!(アウグーリ)=おめでとう!」の挨拶とともに男性からミモザの花がプレゼントされます。 また、国際女性デーに関連づけたコンサートや限定メニューがあらゆるところで展開されることもあり、イタリアでは3月8日に女性同士でお出かけを楽しむ方も多いのだとか。イタリアの人々の暮らしに“ミモザの日”として国際女性デーが浸透していることが伺えます。また日本でも、3月8日にミモザを贈る・飾る習慣が少しずつ広がり始めており、近頃は花屋さんでミモザが手に入りやすくなっているとのこと。そこで今回は、自宅でも手軽に作れるミモザスワッグの作り方をご紹介させていただきます。 手軽にできるおしゃれなミモザスワッグの作り方 ▲ムロマメ舎 今回スワッグづくりのために訪れたのは、東京都品川区・戸越銀座のフラワー&グリーンショップ『ムロマメ舎』。店主を務める室積えりかさんは、切り花やブーケの制作をはじめ、花材や植物を使った空間コーディネートを多数手がけるフラワーアレンジメントのスペシャリスト。国内外からセレクトした色とりどりの花が出迎えてくれるお店とその隣に併設されたアトリエで、手軽にできるミモザのスワッグづくりをレクチャーしていただきました。 ▲店主の室積えりかさん <1:使用する植物について> 今回スワッグづくりに使用した植物は、ふわふわ揺れる小さな花が可愛らしい国産のミモザアカシア、ササバユーカリ、ユーカリ、アカシア・ブルーブッシュ、シルバーアニバーサリーの5種。「束ねる植物は、お好みで。今回はフレッシュなミモザを主役に、定番のユーカリ、同じアカシアの仲間で動きのあるブルーブッシュ、アクセントにシルバーアニバーサリーの白い葉を添えています(室積さん)」 ▲左からササバユーカリ、ミモザアカシア、アカシア・ブルーブッシュ、シルバーアニバーサリー、ユーカリ <2:下処理について> 最終的な仕上がりをイメージしながら、まずはハサミを使って枝と下葉の処理をしていきます。手元にかかる枝分かれ部分は切り分け、下葉と花を取り除いていきます。ミモザのように柔らかな花であれば、指で削ぐようにすると簡単に処理が済むそう。「取り除いた花や葉もぜひ活用を。お皿に盛るだけで、とっても素敵な空間の彩りになってくれますよ(室積さん)」 <3:束ねる> 下処理が済んだら、次は手の平を使って枝を重ねていきます。上手なスワッグづくりのコツは、ずばり立体感を出すこと。親指と人差し指で支点を作り、放射状に捻りながら枝を束ねていくことで、どこから見ても美しくボリュームのある立体的なスワッグに仕上がります。全体のシルエットと前面にあたる部分のバランスを整えたら、麻紐で束を留めましょう。 <4:麻紐で留め、仕上げる> ここでは、初心者の方でも、簡単かつ綺麗に束ねられるテクニックをご紹介します。 準備:スワッグの全長よりも少し余裕のある長さの麻紐を用意します。 (1)束の支点となる部分で麻紐を二つ折りにし、輪っかを作ります。 (2)輪っかにした麻紐の一方は垂らし、もう一方を巻き上げて枝を留めていきます。 (3)好みの幅に巻き上げ切ったら、麻紐の先を(2)で作った輪っかに通して引っ張りギュッと締めます。 (4)スワッグの背面にあたる部分で麻紐を固結び、余った部分で吊り下げ部分のループを作れば完成です。 麻紐の上からお好みの紐やリボンを巻いて、より自分好みのスワッグに仕上げるのも楽しいですね。 <スワッグを長く楽しむポイント> 爽やかな香りと心踊る春の訪れを感じさせてくれるミモザのスワッグは、眺めているだけでハッピーな気分をもたらしてくれます。最後に、お気に入りの手作りスワッグを長く楽しむためのポイントを室積さんに教えていただきました。「スワッグを飾るのに適した場所は、温度変化が少なく、風と直射日光が当たらない室内。ミモザの場合は退色が比較的穏やかなので、環境次第で2〜3ヶ月は美しさを保つことが出来ますよ。ここ最近では、ムロマメ舎にもミモザを求めて足を運んでくださるお客さまが増えてきました。ぜひ今回ご紹介したスワッグの作り方を参考に、ミモザのある空間を楽しんでみてくださいね」。 フィアットをイメージしたイタリア産のミモザスワッグ また、今回は特別に、フィアットをイメージしたイタリア産のミモザ・ミランドールを使ったスワッグも製作していただきました。ミランドールは、国内で多く流通しているミモザアカシアと比べて、葉っぱが細長いのが特徴。花の色味もやや濃いめの色をしています。束ねる量にもよりますが、ふわふわと広がるミモザアカシアとは違い、ミランドールはすっきりとしたシルエットで大人っぽい印象。 ▲ミモザ・ミランドール(左)、ミモザアカシア(右) また、葉っぱの存在感があることによって、グリーンの清涼感をより感じられるスワッグに仕上げることができます。フィアットをイメージしたスワッグは、ミランドールと数種類のグリーンに、カールした葉先がユニークなゴアナグローをアクセントに添えた、幸福感に満ちた鮮やかなイタリアの春を連想させるひと束です。
3月8日は、国連が定めた「国際女性デー」。女性がより輝ける社会を目指して1975年に制定されました。そして、イタリアでは男性がパートナーや母親、友人や仕事仲間に日頃の感謝を込めてミモザの花を贈る「ミモザの日」です。 そこで今回は、イタリアの文化にも造詣が深いファッションディレクター・干場義雅さんが、ミモザカラー=イエローのおすすめファッションアイテムと、それを効果的に取り入れたスタイリングをレクチャー。イエローのファッションに身を包んで、この春を明るく前向きに過ごしましょう。 ミモザの花言葉を装いで表現 「イタリアの“ミモザの日”はもちろんですが、男性から女性に日頃の感謝を込めて花を贈るという行為は、世界的に見ればもはや当たり前のように根づいています 」と語る干場さん。 日本でも、特別な日に花をプレゼントすることはありますが、世界的には日常的なことのよう。 「イタリアでは、レストランにも花を売る人がいるくらい、男性が女性に花を贈ることが習慣になっているのです。 もちろん、花には一瞬で枯れてしまう儚さがありますが、花を贈られた女性の記憶に必ず刻み込まれる、一生の思い出として残る力があります。 イタリアには“口で言えないことは、花で言う”ということわざがあるように「優雅」「友情」といった花言葉をもつミモザの花、またはミモザカラーのアイテムを贈り合い、普段のファッションに取り入れることで、さりげなく感謝の気持ちを表してみる。そんな男性、そして女性は、とても素敵ですよね」。 for MEN シルクのポケットチーフで、スーツ姿にさりげない艶を 「色のなかでも、とりわけ強い色であるミモザカラーは、着こなしに少し取り入れるだけでアクセントになってくれます。いつもの白リネンチーフを、ミモザカラーのシルクチーフに替えるだけで、スーツ姿の印象が華やぐはずです」と干場さん。真ん中のチーフはコットンを混紡したもののため、やや控えめな表情を演出できます。 左/¥15,000〈マリネッラ/マリネッラ ナポリ 東京ミッドタウンTEL 03-5413-7651〉 中/¥10,000〈ドレイクス/ドレイクス 銀座店TEL 03-6263-9955〉 右/¥10,000(参考価格)〈ロバート フレーザー/アイネックスTEL 03-5728-1190〉(すべて税抜価格) 「グレーのグレンチェックスーツにブラックのニットタイを合わせた比較的ストイックなスーチングも、胸元にミモザカラーのシルクチーフを添えるだけで春らしいアクセントに。チーフは、四角に折りたたんだスクエアでも四隅を角のように覗かせたクラッシュでもなく、ふんわりと覗かせるパフドスタイルで挿すことによって、柔らかなニュアンスに演出できます」。 チーフ¥15,000〈マリネッラ/マリネッラ ナポリ 東京ミッドタウンTEL 03-5413-7651〉 スーツ¥131,000〈ラルディーニ〉、シャツ¥32,000〈バルバ/以上ストラスブルゴTEL 0120-383-563〉 ネクタイ¥20,000〈ドレイクス/ドレイクス 銀座店TEL 03-6263-9955〉 靴¥68,000〈ジョセフ チーニー/ブリティッシュメイド 銀座店TEL 03-6263-9955〉 ベルト¥16,000〈バーニーズ ニューヨーク/バーニーズ ニューヨーク カスタマーセンターTEL 0120-137-007〉(すべて税抜価格) シルク×カシミヤのストールで、胸元に軽やかなアクセントを 「男性の装いにおける基本色は、ネイビー、グレー、ブラック、そしてブラウン。そんなベーシックカラーを踏まえた上で、発色よく、かつ柔らかなニュアンスも表現できるシルク×カシミヤのストールを差し色使いすれば、印象がパッと明るくなります」と干場さん。 左のストールは、シルク×カシミヤと同じような表情が演出できる、薄手のウール素材。高級感が漂う、上質な素材を意識して選ぶと良いでしょう。 左/¥19,000〈ジョンストンズ/ブリティッシュメイド 銀座店TEL 03-6263-9955〉 右/¥40,000〈ベグ アンド コー/ボーダレスTEL 03-3560-5214〉(すべて税抜価格) 「ネイビーのジャケットにグレーのトラウザーズという定番のジャケパンスタイルも、ミモザカラーのストールを胸元に垂らせば、実にアクティブな印象に。シルク×カシミヤの優雅なドレープも相まって、Tシャツとスニーカーによる洒脱なジャケットスタイルにエレガントな雰囲気が加味されます」。 ストール¥40,000〈ベグ アンド コー/ボーダレスTEL
東大医学部を卒業し、労働省に入省。ワーキングマザーとして公務に尽力し、 労働官僚30年のうち15~6年を開発途上国に対する国際技術協力等国際関係の仕事に奔走、49歳で国連公使としてニューヨークに単身赴任。その後、ザ・ボディショップジャパンの初代社長に就任。のちにNPO法人「JKSK 女性の活力を社会の活力に」を設立、日本やアジアにおける女性のリーダーシップの育成に尽力されるなど、数々の輝かしい実績を積み上げてこられた木全ミツさん。その生い立ちや実績は、『仕事は「行動」がすべて 無名の偉人・木全ミツの仕事』(伊藤彩子 著 WAVE出版)に綴られています。 この本で“無名の偉人”と表現されているように、木全さんは表に立って采配を振るうというよりは、後ろから押すタイプ、というのでしょうか。周囲の人を巻き込み、取りまとめて大きな力を生み出し、プロジェクトを成功に導いています。フィアットとは、Share with FIATの活動を通じ、東日本大震災復興支援プロジェクト(関連記事)や、アジアの優秀な女性に教育の場を提供する活動(関連記事)などに共に取り組みました。今回は木全さんに豊かな経験をお持ちの大先輩として、仕事や日常をスムーズにこなすコツや、意識の持ち方についてアドバイスを伺っていきます。 自立心が芽生えたのは9歳の時 ──まず率直にうかがいたいのですが、木全さんはなぜそんなに優秀なのでしょうか? 「優秀と言われますけど、私は子どもの頃、ごく普通の女の子でした。兄弟姉妹が9人。6人が男の子、3人が女の子で私は次女。誰からも期待をされていない、どうでもいい普通の女の子であったと思います。兄や姉は優秀で、常にクラスで一番だった。でも私は、 “クラスで一番”ということにあまり関心を持ってませんでした。1番をとったこともありますが、常にではなかったので家庭内ではデキが悪いと思われて、親から期待される子ではなかったのではないでしょうか」 木全さんが9歳のとき、その後の人生に大きな影響を与えたという出来事が起こります。木全さんのお父さまは第二次大戦のとき陸軍の軍医大佐をされておられ、木全さんが小学生の頃、家族皆で満州の新京(現在の中国の長春)に移住。侵攻国の軍の幹部として、なんでも手に入るような生活を送っていたそうです。しかし、そんな生活に変化が訪れます。戦局が悪化すると木全さんのお父さまは子どもたちを集めて、次のように伝えたそうです。 “いいか、これからはお母さんのいうことをよく聞いて、日本に帰って生活するのだ”。お母さんと子どもたちは、その地に残る父を心配しながらも言われるがまま満州を後にしました。 「満州を離れて、朝鮮半島を汽車で移動していきました。1945年8月15日、日本が敗戦したという報を一家は今の北朝鮮の首都,ピョンヤンで聞きました。日本の敗戦を知った朝鮮の人たちは、それを喜び、日本から痛めつけられてきたことに対する怒りをあらわに、“憎き日本人を殺せ!”と暴動を起こし、私達日本人に襲い掛かってきました。その時、私たち家族の面倒を見てくれていた父の部下の軍部の人が、“この穴に入りなさい”とおっしゃり、母と一緒に真っ黒い穴に入りました。やがて、ガタンという音と共に穴の入り口が締まり、その後、ゴトン、ゴトンという音と共に動きだしました、当初はわからなかったけれども、それは石炭を運ぶ貨車だったのです。その貨車に人間が乗っていることは疑われず、無事に朝鮮半島を後に、舞鶴にたどり着きました。満州からの引き揚げ船の第一号でした。たどり着いた日本は焼け野原、浮浪児がごろごろとした状況でした。母と一緒に福岡・久留米にたどり着きました。その頃、母のお腹には8人目の子がいました。久留米では、生活力のない母のもと、どん底の生活を強いられました。母は日本の陸軍大将の妻になるというのが夢でした。でも敗戦後の彼女の生活は、生活保護を受けながらのぎりぎりの生活でした。国家を信じ、夫を信じて生きながら、将来は日本の陸軍大将の妻になるという夢のはしごを、自分の力とは関係のないところで外された、哀れな母でした。子どもたちはお腹が空いたといって母を苦しめると、母は配給されたかぼちゃの一切れをお皿にのせ、“まだ、夕食には、時間が早いけど、食べたら動かないのよ、お腹が空くから”と言いました。“ああ、いやだいやだ、あんな哀れな女にはなりたくない。私は、どんな時代、どんな環境に置かれても自分の二本の足で立ち、歩んでいく人間になりたい”と、本当にそう思いました。それが私の自立心の基本であり、職業意識の芽生えでした。9歳の時です」 戦時下での混沌のなか、児童期に天と地のように違う生活を経験したことを振り返ってくださった木全さん。そうした経験も糧に“偉人”となったご自身のスタイルを3つ挙げてもらいました。 1 誰にも頼らないで生きていく 「どんな時代、どんな環境下に置かれても、誰にも頼らないで生きられる人間になりたい。9歳の時に強く思ったその気持ちは、その後ずっと変わっていません。自立するということは、まず、経済的にひとり立ちするということです。ですから私はひとりでも生きられるように就職して収入を手にするようになって以来、今日まで収入の20%を貯金することを原則として守ってきました」 2 何事も自分で決める 「もうひとつ大切なことは、“自ら選んだ道、自分が決めたことではないか”という考えです。それが自分の人生を支えてきました。進学の際の専攻、職業の選択、結婚の決定も、誰からの推薦、アドバイスでではなく、すべて自分で決めました。そして誰からも強制されたものではないからこそ、自分で責任が取れるのです。言い換えると、決定したことがうまくいかなくても“貴女が自分で決めたことではありませんか”ということが背中をおしてくれ、勇気をもって対峙してきたことにより、問題を解決していけたのだと思います。自ら行動をとることの重要性。私はこのことを、人生を通じて学んできました。だから人生でなにひとつ後悔はありません」 3 どんな経験や体験も自分の血となり肉となる 「人はそれぞれ違う体験をして生きていきます。なかには、反り(そり)が合わない人もいるでしょう。でもそうした人とも一緒に物事を進めていく、という場面は仕事においても日常でも多々あります。そのようなとき、嫌だなと思ってやるのと、前向きに受け入れて進めていくのでは大きな違いが出てきます。後述しますが、どのような人でも、自分にはない優れた一面を持っています。それぞれが持っている“良さ“とお付き合いをしていこう、自分なんか大した人間ではないと。そうした相手との経験から何を学ぶか。そしてそれを血として肉とすることで、人生の豊かさは変わってくるということを学んでまいりました」 ──職場のなか、組織のなか、あるいは家庭のなかであっても、自分の信念が周りの人々の考えと対立したり、価値観の違う人とぶつかったりすることはあると思います。そのような時は、どのように折り合いをつけるのでしょうか? 相手のすばらしい面とお付き合いする 「相手は自分が気に入らない点を持っているかもしれませんが、自分にはない良さが必ずあります。私は、相手のその良さとどうやって付き合って行こうかということを必死に考え、そのすばらしさとお付き合いしていこうと心掛けてきました。もし相手とぶつかった時、非難したり、罵倒したりして、された人はハッピーでしょうか? また罵倒した本人はそれでハッピーになりますか? そんなことをしても上手くいくわけがない。自分と意見が異なることがある場合、必ずそこに理由があるので、その理由を冷静に考え、解決する努力をした方がずっと早く、良い方向に向かうのではないでしょうか。そしてその経験は自分を成長させてくれ、その後の実績をあげる力になるのだと思います」 ──仕事の話になりましたので、もう少しお聞きしたいと思います。仕事やプロジェクトを進める際に大切なことはなんでしょうか。 1 どんな仕事も自分ひとりで成し遂げることはできない 「私はどんな仕事やプロジェクトもひとりでできることはないと思っています。だから、成し遂げた結果に対して、これは誰それの功績だという言い方も適切ではないと思います。個人だけでできることというのは、あっても小さいのではないでしょうか。“自分はたいしたものではない”と自覚するべきだと思いますね。賛同者がいて、共感する人がいて、価値観を共有できる人々がいて、それで一緒にやっていこうと繋がった時に大きな力が生まれるのだと思います」 2 自分の考え、方針を明確に打ち出すことは大事 「ただし、チームでプロジェクトを進めていくときに、私はこういう考えであるということは、押し付けではなく、相手にお伝えすることは重要だと思います。その考えが他の方と同じでなくてもいいんです。賛同が得られることもあるし、意見は違う場合はまず耳を傾け、理解し、ひとりひとりを大切にすることが大切です。そして、自分が誰よりも一番働くことに努めてきました。そうすると周りの人はその姿を見て、自分のやることを考えて動いてくれますから。会社だったら社長、プロジェクトだったらそのリーダーが一番の小使に徹するべきだと思いますね」 3 成果を同志とともに分かち合い、喜び合う 「そしてその仕事を成し遂げたら、喜びを一緒に分かち合う。それが次のエネルギーになるのです。私も同志を家にお招きして手料理を振る舞ったり、お酒を一緒に飲んだりします。実感を分かち合える場を作る、ということは、とても大切なことではないでしょうか」 不可能なことはない ──これまでのお話でもわかるように、木全さんは個を尊重し、人を大切にされます。そして人から頼まれたことは断らないといいます。なぜなのか。うかがってみました。 「There is no word of impossible in my dictionary。私の辞書には不可能という言葉はない。なんでもやってみるべきだと思います。したがって人から頼まれて断ったことはありません。小さなことでも大きなことでも、やればやれると思っています。成果に差はあるかもしれないけど、まずはやってみることだと思いますね」 「戦後の混乱のなか、私たち子どもたちは食べるものがなく、みんなお腹を空かしていたお話をしました。そういう生活をしていたとき、軍部で父の部下だった方が時々、様子を見にきてくれていました。私は母にお腹が空かない生活をするには、月にいくら位必要なの? と聞いたことがあります。“3,000円くらいあればねえ”いう母の言葉がずっと耳に残っていました。小学校をあと2年、そして中学3年間を終わらないと働くことができないと思い込んでいましたが、訪ねてきたおじさんに、“早く、義務教育を終え、お金を稼ぎたい、母を助けたい”と心情を伝えると、“お嬢ちゃんにもできることはありますよ。パンを9円で仕入れて12円で売りなさい”と。そして、おじさんがパンの仕入れを手伝ってくれ、私は一軒一軒訪問しました。“パンを買ってください”、“いくらなの?”、“12円です”、“高い、10円にしなさい”、“10円にしたら、わたしの儲けがなくなります”という会話を交わしながら、毎週日曜日に、100個を目標に売って歩いた。数ヶ月実行し3,000円を貯めて母に渡したら、最初は泣いて受け取ってくれませんでしたが、最後に喜んでくれた。その時のことは、今でも鮮明に覚えています。子どもが多かったので、すべての子に目を配ることもできなかった母でしたので、母は私の訪販の体験には気が付いていなかったようです。その時、私は“やればできる。人生に不可能なことはない”ということを学びました。小学4年、10歳の時です。そして、この体験から得た信念が、私の人生の屋台骨の一つとして今日まで支えてくれています」 ──人のために尽くす。木全さんのそうしたお考え、そしてこれまでの実績をみると、自分のためではなく、社会のため、あるいは少し大げさかもしれませんが、世界のために働いているというか、そういう意識を感じます。 「自分のためじゃなく、日本人として、アジアの一員として、世界の一員として行動する、という意識は常にあります。大学の専攻で公衆衛生を選んだのも、そのような理由からでした。当時、医者にかかれる人はまだ少なかった。そんな時代でした。医者にかかれる数人のために働くのではなく、医者にかかれない大勢のことを考えて生きたい。それが“社会のため”という意識を持つようになった始まりでした。父も応援してくれました」 「シベリアに抑留された父には、“家族は、全員、朝鮮半島で皆殺しにあった”という報が届けられていたようです。“すべての家族を失った自分には、帰国をする理由がない、若い将来のある部下たちを優先的に帰国させよう”と心に決め、部下たちを優先的に、シベリアからの引き上げ船に送り込んでいた。他方、子どもの私達は音信不通の父について、生死もわからない中で、父に手紙を送り続けました。そのうちの一通が父に届いたようです。子どもが日本で生きていることを知った父は、最後の引き揚げ船で帰ってきました。一人でも生きていればという思いで帰ってきたら、皆生きていたという喜びの中で、父は子どもたちを前に、“俺は、社会的地位も、名誉も、財産も失った。しかし、諦めていた子どもという宝があるじゃないか。私は医者だ。再起可能だ。日本に将来があるとすれば、それはテクノロジーだ。これからの日本の社会には、男も女もない。能力があるなら大学に行け。そして専攻は理系を選べ”と。さらに、“ひとつだけお父さんに協力してほしい。国立大学に進んでほしい”と。私が中学2年の時でした。そして、後に東京大学の医学部で公衆衛生を学ぶことにいたしました」 家庭内の問題をスムーズに進めるコツ 大学時代に勉学に励んだ木全さん。そこでご主人となる方と出会うこととなりました。 「夫は、医学部の3歳年上。彼からラブレターをもらいました。私は、21歳、恋だ、結婚だ、などということはまったく眼中にもなく、そんな気持ちのかけらもなかったころです。“九州から東京まで出てきて勉強しているのは、伊達や酔狂ではない。勉強以外のことに時間を取られたり、エネルギーを注いだりしたくない、理解していただきたい“ といったような内容の返信を送りました。しかし、ある日、同じサークル(ソヴィエト医学研究会)の活動を終え友人たちとワイワイ言いながら本郷のキャンパスからお茶の水駅まで帰っている時に、今まで避けていた彼と視線がぶつかった。どういう訳か、胸の高まりを覚えた。そのことを私の女友達に話したら、彼女は後で彼に “脈なしにあらず”と伝えたようです。その友人の計らいが発端で、私達のデートが始まりました。結婚まで3年半お付き合いを経ましたが、デートの時はいつも、“私は自分の道を自分の足で生きていく”ということを必死に伝え、ディスカッションも重ねました。その結果、120%理解をし合い結婚することになりました。結婚してやがて60年になりますが、今日に至るまで、ケンカもなく実にうまくいっています。夫の人間性の素晴らしさもあり、お互い尊重し、感謝し合う。そんな関係を築くことができています」 ──ご主人のお話が出ましたのでお聞きします。家庭をうまくいかせるため、相手とぶつからないでうまくやっていくには、どうしたらよいとお考えですか? 1 ひとりの人間として相手の人格を尊敬、尊重する
2019年10月26日にciao DONNA×Lady GO MOTO「FIAT MEETING」が開催されました。イタリア語のあいさつの言葉「ciao(チャオ)」と、女性という意味の「DONNA(ドンナ)が組み合わされた「チャオドンナ」は、女性がより豊かな人生を楽しめるようと願いを込めた魔法の合言葉。そんなチャオドンナの合言葉のもと、女性による女性のためのフィアット試乗会が開催されました。その模様をお届けします。 ◆雰囲気は女子会そのもの!女性による女性のための試乗会 ciao DONNA×Lady GO MOTO「FIAT MEETING」の集合場所は都会でありながら緑の木々に包まれた一角にある、イタリアで生まれたカフェ「Bondolfi Bon Coffe(ボンドルフィボンカフェ)赤坂」。ガラス張りのカフェテラスの入口に入ると女性スタッフが出迎えてくれて受付へ。受付の横にはテーブルセッティングがされていました。試乗会と聞いていましたが、その雰囲気は「これから女子会がはじまるのかな?」というもの。 受付後は軽く顔合わせの挨拶を済ませて地下駐車場へ移動し、かわいらしい3台のフィアットとご対面。この日用意された試乗車は、深みのある美しいレッドカラー(パソドブレ レッド)の『500』と、艶のあるホワイトカラー(アイスホワイト)のカブリオレモデルの『500C』、そして上品なベージュカラー(カプチーノベージュ)をまとったSUVタイプの『500X』の3台。 試乗は赤坂周辺で1台につき約15分のプチドライブ。交互に乗り合って3台のフィアットをテイスティング…もとい、試乗するという内容で、助手席にはナビゲーター兼アドバイザーが乗ってくれるので安心。フィアットオーナーの方も、フィアットに乗るのが初めての方も、最初はちょっぴり緊張した面持ちでしたが、ちんまりとかわいく佇むフィアットを目の前にすると「わぁ~、かわいいー」と表情が緩みます。そして運転席に身を収めるとやさしく体を包み込むシートと、キュートな車内インテリアに、すっかり参加者のみなさんは笑顔に。 ◆走った感想は?「楽しい、かわいい!」 試乗を終えてカフェに戻ってくると自然とおしゃべりが弾みます。 「SUVタイプは怖いかなと思ったけど見晴らしがよくて運転がしやすかった!」 「スゥーとスムーズに加速する感覚が楽しかったです」 などなど、いろいろな車に対する感想が口々にこぼれました。そしてみなさんが共通していうことは「楽しかった、かわいかった!」という言葉。試乗を終えて“かわいい”という言葉が出るのは、女性の感性を刺激するフィアットならではかもしれません。 興奮の試乗を終えた後は、パニーニとドリンクとともに、フィアットのスタッフと参加者で座談会という名の女子会。ゲストはクルマやバイクを扱う雑誌『ahead』編集長の若林葉子さん。自己紹介からはじまり、乗った感想から普段の車生活や好きなドライブスポットまで話題は尽きません。 ユニークなのは、フィアットの試乗会であるのに、スタッフからはフィアットに対するプレゼンテーションが全くないこと。それよりも「今日という日の出会いを心から楽しみましょう」というスタンス。今回参加された8名の中にはフィアット初体験の方も多くいらっしゃいましたが、そもそもみなさんはどんな風にフィアットに出会ったのでしょうか。そしてフィアットのどんなところに惹かれたのか、初めて試乗してみた感想など、参加者のみなさんの声をお届けしましょう。 ◆梶山友里さん「家族が増えたら500Xという選択肢も」 結婚して夫婦ともども初のマイカーに選んだ車がフィアット500ツインエアラウンジという梶山さん。 「最初は夫にアバルトがいいと言われたのですが少し私にはハードルが高くて。でも500なら私も、そして夫が楽しみたい走りも両方が叶うので選びました。今日は500Xにも乗りましたが、いつも乗っている車よりも大きいので運転できるか心配でしたけど、見晴らしがよく運転もしやすくて感動しました。内装もかわいい。子供ができて家族が増えたら500Xという選択肢もあるということが発見できました」 ◆横山莉枝子さん「思わず“おはよう”と声をかけたくなります」 家の車はマニュアル車で運転ができない日々が続き、すっかりペーパードライバーになっていたという横山さん。車には全く興味が無かったけれどフィアットに興味があったそうです。 「フィアットを見たときにすっかりファンになりました。見た目が犬みたいにかわいらしく思わず“おはよう”と声をかけたくなります。久しぶりのプチドライブでしたが運転のしやすさ、心地よい走りのフィーリングなど見た目だけでなく、運転も楽しめました。本当に今日の試乗会はお天気もよく、フィアット日和でした」 ◆水飼和美さん「フィアットと出会えてライフスタイルも変わりました」 フィアットオーナーの水飼さん。今日のイベントにあわせてイタリアと日本の生地を組み合わせたレナクナッタというブランドの美しい色合いのスカートを選択。 「イタリアのテイストはもちろん、かわいさとシンプルさが融合されたところが好き。以前はペーパードライバーでしたがフィアットと出会えてライフスタイルも変わりました。まだ遠出はできないのですが、フィアットとともにロングドライブも楽しみたいと思っています。そしていつかイタリアでフィアットのレンタカーを借りてドライブを楽しんでみたいです」 ◆小松千歌さん「助手席から眺める風景も素敵」 小松さん自身はペーパードライバーで 今は助手席専門。でもドライブは大好きでよく箱根へ出かけるそうです。今回は水飼さんが運転する車の助手席でプチドライブを楽しみました。 「自分自身が車を所有するならデザイン性が良い車がいいなと思っていまして、そんなときに発見したのがフィアットです。今日は運転ができないのに参加させていただいたのですが、本当に来て良かったです。見た目のオシャレさだけでなく、助手席から眺める風景、内装の雰囲気も素敵でした」 ◆小柳麗さん「ドアを開けた瞬間からわくわくさせてくれる」 元々車に全く興味が無かったという小柳さんはフィアットを見て、フィアットに乗るためだけに自動車免許を取得したといいます。 「当時付き合っていた彼氏(今の旦那様)がいろいろな車のカタログを見せてくれたのですが、その中にあったのがフィアットでした。フィアット500は私の車生活を、人生をも変えた車です。今日はいろいろなフィアットに乗ることができて、本当に楽しかったです。ツインエア(エンジン)最高! フィアットはドアを開けた瞬間から心をわくわくさせてくれる車です」 ◆大掛愛さん「フィアットに乗っているオーナーさんは素敵に見える」 東京に上京して約4年。たまにレンタカーを借りて運転する程度になっていたという大掛さん。恋人がフィアットに乗っていることもあり、いつしか自分でも所有したいとフィアットに恋い焦がれるように。 「レンタカーだとなかなかフィアットはないので、今日は憧れのフィアットを運転することができて本当にうれしかったです。とくに大好きなボディカラー、赤色(スペシャルソリッド)と室内のアイボリーとの組み合わせがすごくオシャレで気に入りました。フィアットに乗っているオーナーさんを見ると、それだけでオーナーさんがより素敵に見えるんですよね。わたしもいつか仲間入りしたいです」 ◆高田かほるさん「一人でもドライブが楽しめそう」 ご主人が内緒で今回のイベントに応募したという高田さん。普段は家の車に乗っていて、遠出のときの運転はお任せしていたそう。 「フィアットのかわいさは以前から知ってはいたのですが、試乗会の当選にはびっくりしました。今日運転してみてさらに驚いたのは運転のしやすさ。家の車は全長が長いので駐車はいつも苦労するのです。でもフィアットは扱いやすく走りやすいので、遠出はもちろん、一人でもドライブが楽しめそうです。心地の良い室内は体に優しく、何よりデザインがいいですね」 ◆矢部尚子さん「もう一度乗りたいと思っています」 初めて購入した車はフィアットだったという矢部さん。でも結婚、出産で泣く泣く手放すことに。 「小豆島へ旅行に行ったときに見たフィアットに一目ぼれしたことがきっかけで、旅行から帰ってすぐに購入しました。当時は車を見ると自然に“おはよう”“おつかれさま”など話かけたり、フィアットと出かけるとフィアットと一緒に写真が撮りたくなるんです。本当に私にとってかわいくて大切な相棒でした。だからもう一度乗りたいと思っています。今日試乗することができて改めてその気持ちが高まりました!」 ◆「チャオドンナ」は女性を応援する魔法の合言葉 イタリアでは親しい間柄で使われるあいさつ「ciao(チャオ)」と、女性という意味の「DONNA(ドンナ)が組み合わされた「チャオドンナ」は、女性がより豊かな人生を楽しめるようと願いを込めた魔法の合言葉。そんな素敵な合言葉を生み出し#ciao DONNAプロジェクトを立ち上げたのは、FCAジャパン・マーケティング本部長のティツィアナ・アランプレセさん。 フィアットの変わらないかわいさを伝えること、そして何より女性が女性らしく社会で頑張れるように、女性を応援するというのがこのプロジェクトの目的。その愛あふれる#ciao DONNAの姿勢は、女性の心に寄り添い、女性同士の心温まるつながりを育むことを大切にしています。 車の試乗会にも関わらず、本日集まった参加者が、ペーパードライバーの方や車に全く興味がないという方も気軽に参加できるのは、#ciao DONNAの想いがそのまま伝わっているともいえます。そしてフィアットの愛らしさも女性に「行きたい!会いたい!」と思わせる魅力。
※この記事はレスポンスの紹介記事です。 フィアットが日本の女性たちに向けて発信している「#ciaoDonna(チャオ・ドンナ)」というメッセージ。昨年3月8日の国際女性デーを機にスタートしたというメッセージ発信プロジェクトは、この春ちょうど1年目を迎えた。 イタリアでは親しい間柄で使われるあいさつの言葉「ciao」。そして女性という意味の「Donna」。このふたつの言葉を組み合わせたメッセージに込められたものとは。 #ciaoDonnaプロジェクトの仕掛け人でもあるFCAジャパン・マーケティング本部長のティツィアナ・アランプレセさんに、今年1月、バイクやクルマを愛する女性のためのメディア「Lady Go Moto!」を立ち上げた編集長の松崎が話を伺った。 ブランドへの愛を作り、シェアとサポートをする ─ 昨年3月にスタートされた「#ciaoDonna」ですが、私はこの言葉を聞いたときに、すごく親近感を覚えました。まずは、#ciaoDonnaがどんなプロジェクトなのかを教えてください。 私たちFCAジャパンでは、2011年からずっと「Share with FIAT(シェア ウィズ フィアット)」を合言葉に、素晴らしい社会活動をしているさまざまな団体とコラボレーションをしながら、シェアとサポートを続けてきました。具体的には、女性のエンパワーメントや子供たちの人権保護、動物愛護などの団体のサポートです。中でも私たちのメインターゲットは女性なので、女性のための社会的な活動を多く続けてきました。 そして、その活動をもっと多くの方に知ってもらうには、ユーザーとの相互コミュニケーションを充実させる必要があると考え、昨年春から多くの女性たちとともに、女性が女性に応援メッセージを贈るという意味を込めて、#ciaoDonnaというハッシュタグを付けた動画をインスタグラムとツイッターで発信しました。 ─ 私もその動画メッセージを見ました。多くの女性がポジティブに自らの想いを話されていましたね。ティツィアナさんのメッセージもありました。 Donna(ドンナ)はイタリア語で女性という意味です。そして面白いことに日本語ではOnna(オンナ)です。そこに親しみを込めて使われるciaoが加わることで、女性たちへの強いメッセージになるのです。 ─ FCAジャパンには、アルファロメオ、フィアット、ジープ、アバルトと4つのブランドがありますが、その中から#ciaoDonnaプロジェクトにフィアットを選ばれたのはどうしてですか? 4つのブランドにはそれぞれの特徴やDNAがあります。スピリットもそれぞれ違います。でも共通しているのは「LOVE」です。私は1992年からフィアット、アルファロメオ、アバルトなどイタリアの自動車ブランドでずっとマーケティングの仕事をしてきました。特にフィアットとはすごく長いラブストーリーがあります。 本来マーケティングの目的は、自動車産業においてどれだけイノベーションを起こせるかにあると思います。でも私がそれ以上にもっと大事にしているのはお客様のケア。ブランドへの愛をたくさん作ることです。そういった観点で言えば、女性から一番愛されるブランドがフィアットなのです。 #ciaoDonnaプロジェクトは、女性同士の“心の繋がり” ─ フィアットが女性から愛されるのは、具体的に言うとどういった部分なのでしょうか? いま日本のマーケットで一番パワフルなのは女性です。そして、女性は男性より合理的。色々な物事をチョイスするときも他と比較しながら冷静に判断する一方、エモーショナルな一面もあります。フィアットはコンパクトでエコ。デザインは可愛くてカッコいい。でも機能的な面でも優秀で、乗りやすく使いやすいクルマなのです。それだけに留まらず、ファッション、フード、旅行、スポーツなど生活を楽しむための要素もたくさん用意されているので、フィアットと過ごすことで毎日が楽しくなります。そういった面でも多くの女性から支持されています。 ─ じつは私の姉も『500』(チンクエチェント)に乗っています。以前は国産車でしたが、前よりクルマに乗るのが楽しそうです。 フィアットのお客様は本当に女性が多いです。その繋がりをもっと作ってほしくて、昨年は、「WHITE RIBBON RUN(ホワイトリボンラン)」という世界の女性たちの命と健康を守るチャリティランをサポートしたり、「母と子のフォトセッション」を開催するなど、積極的に女性イベントとコラボレートしました。これは、私がずっとやりたかった“心の繋がり”でもあります。 ─ なるほど、#ciaoDonnaはティツィアナさんがずっとやってきた「Share with FIAT」から生まれた女性応援プロジェクトだったのですね。 そうです。でもそれはお客様に向けての活動である一方、フィアットのディーラーで働く女性たちに向けてのメッセージでもあるのです。例えば、ファミリーでクルマを購入するときの決定権は女性であることが多いですよね。でも、私たちのディーラーさんには女性スタッフが少ないのが現実です。女性が職場でもっと生き生きと働くためには、仕事のやり方を変えていかないといけない。そこで#ciaoDonnaプロジェクトを共有し実施することで、女性同士の相互コミュニケーションが作れます。これなら来店されるお客様はもちろん、女性スタッフも楽しく働けますよね。 ─ 女性同士だから分かり合えることってありますからね。 女性同士だからリラックスして話せる。これは女性のお客様にとっても必要ですが、男性にとっても嬉しいことだと思います。笑顔で優しく接してもらったらみんなハッピーな気持ちになります。だから自動車業界で働く女性がもっと増えて欲しいですね。 女性のカーライフをもっとサポートしていきたい ─ ディーラーに行くのはちょっとハードルが高いんですが、楽しそうな仕掛けがあって笑顔で迎えてもらえたら行ってみたくなります。とはいえ、都心部ではなかなかクルマを所有できないという現実もあります。 フィアットでは昨年「パケットFIAT」という個人向けの定額カーリースプランを始めました。パケットは小さいという意味です。月々3万円というリーズナブルな価格でチンクエチェントを愛車にできるのです。自動車にかかる税金やメンテナンス費用もかからないので、女性にもぴったりだと思います。 ─ これは気になります。クルマを所有してない人はもちろんですが、乗り換えを検討している人にも嬉しいですね。チンクエチェントのような可愛らしいクルマに乗ると、よりクルマに対する愛着が湧きますから。 日本の女性はもっとカーライフに対してエネルギッシュになって欲しいと思います。クルマがあることで、好きな場所に自由に行けたり、面白いことができるはず。それらをもっとサポートしていきたいと思い、今年はクルマに関わる女性たちの団体を作る予定です。他の自動車メーカーで働く女性やレーサーや自動車ジャーナリストやエディター、タクシードライバーなど自動車に関わって働く女性たちにも加わってもらいたいと思います。 ─ それは素晴らしいですね。私もぜひ参加させてください。 もちろんです。じつは名前も決まっていて「Willage(ウィラージ)」と言います。Village(ヴィレッジ)は、村という意味ですが、頭文字をwomenウィメンのWにしてWillageと名付けました。女性は責任感が強く、子供に対して、仕事に対して、社会に対しても日々奮闘しています。そういった強い意志を持った女性にはもっとリーダーシップを見せて欲しいのです。といってもポジティブなリーダーシップですよ。それにクルマというカテゴリーが加わったら素晴らしいと思いませんか。 ─ 私は以前ティツィアナさんがあるインタビューでおっしゃっていた「女性ひとりひとりの力は小さいけれど、グループとなりまとまれば力を持つことができる」という言葉にすごく共感しました。Willageはまさにそれが形になったものですね。 そうです、それが大きくなれば自動車の将来も変わってくると思います。そのための準備をこれから始めたいと思います。みなさん、楽しみにしていてください。 ティツィアナ・アランプレセ FCAジャパン・マーケティング本部長。イタリア・ナポリ東洋大学で日本政治文化経済学を学んだのち、奨学生として来日し、九州大学大学院を卒業。卒業後はイタリアに帰国し、日本の自動車メーカーの現地法人で勤務。1992年にフィアット グループ
3月4日、お台場にて今年で3度目の開催となる「WHITE RIBBON RUN(ホワイトリボンラン)」が開催されました。参加者全員で5kmを走る同イベントは、国際協力NGOジョイセフによる世界の女性たちの命と健康を守るチャリティを兼ねたもの。フィアットはミモザの花を持って応援に駆けつけました。 同じ気持ちと時間を共有する5kmラン