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#600e

チンクエ テッレ探訪!リグリアの海に見た、真のドルチェヴィータ。

Benvenuti(ようこそ)! イタリアが誇る町を、ゆったりと巡る旅へ。今回皆さんをいざなうのはリグリア海沿いの「チンクエ テッレ」。イースター休暇を境に花が咲いたかのように賑う、5つの村からなる観光名所です。現地の人々は真のDolce Vita(ドルチェヴィータ=甘い生活)、Bella vita(ベッラヴィータ=美しい生活)をどのように捉えているのでしょうか? 郷土愛あふれる人々との対話から浮き彫りにします。   「Dolce Vita」がテーマの「フィアット オリジナル 2025年カレンダー」は、フィアット各モデルと、イタリア人自慢のスポットが印象的! 3月・4月は、かわいい顔して、しっかりモノの『600e(セイチェントイー)』と、リグリア地方の宝石と呼ばれるリゾート「チンクエ テッレ」。カレンダーのダウンロード方法は記事の最後に掲載しているので、ぜひチェックしてください!   海洋国家、海賊襲来…   幾重にも連なるトンネルを抜け、突然視界に広がる海。クルマ・列車そしてバスを問わず、車内には誰からともなく感嘆の声が上がります。   チンクエ テッレ(Cinque Terre)とはイタリア語で「5つの地域」を意味します。イタリア北西部リグリア州沿岸にある5つの村(モンテロッソ・アル・マーレ、ヴェルナッツァ、コルニリア、マナローラ、リオ・マッジョーレ)の総称です。   ローマ時代から小さな集落があったとされますが、海に向かって険しい傾斜が続く地形のため、それぞれが孤立した村でした。11世紀頃になると、海賊や侵略から逃れるため、人々は丘の上に住居を築き始めます。   チンクエ テッレの西から数えて2番目に位置するヴェルナッツァ。早くも11世紀初頭の文献には、リグーリア地方を中心に支配していた貴族オーベルテンギ家により、村が防御的拠点としの役割を果たしていたことが記されています。   12世紀に海洋国家・ジェノヴァ共和国が台頭すると、一帯はその繁栄を享受します。しかし、16世紀に入るとオスマン帝国から来る海賊の襲撃に悩まされることに。続く17~18世紀は比較的穏やかな時期でしたが、地理的孤立からの解放は、イタリア統一(1861年)後に始まった交通網の整備まで待たなければなりませんでした。   鮮やかなボディカラーの『Panda』には青い空と太陽がよく似合います。   1899年にフィアットを創業したジョヴァンニ・アニェッリ(1866-1945)も、早くからこの地の美しさに魅せられたひとり。モンテロッソ・アル・マーレの隣町レヴァントにあるヴィッラで毎年ヴァカンスを楽しんでいました。彼の孫でドルチェヴィータの体現者ともいえるジャンニ・アニェッリ(1921-2003)も、そこをベースにヨットを楽しんでいました。   春の日の午後。リグリア海を背に小休止する『Panda』。   一方で多くの人からリゾートとして注目されるようになったのは1970年代になってから。ユネスコの世界遺産に登録されたのは1997年のことでした。今やイタリア旅行をする人にとって憧れのディスティネーションですが、かくも波乱万丈の歴史があったのです。   コンパクト・クロスオーバーの『Panda Cross 4×4』は、傾斜が多い村々の暮らしにおける強い味方。   子ども時代の思い出を胸に   一帯の名物パスタソースである「ジェノヴァ風ペースト(ペスト・アッラ・ジェノヴェーゼ)」。そして代表的珍味「アンチョビの塩漬け」。それらを手作りするモンテロッソ・アル・マーレの食料品店『ペスト・ラブ・バイコ』は、ダヴィデ・ファルヴェッリ氏(1991年生まれ)が、地域の味に特化して創業したお店です。バイコ(baico)とはジェノヴァ方言でバジリコの意味。Pesto lab(ペーストのラボラトリー)の名前どおり店内の作業スペースを使い、バジリコはじめ原材料をカッラーラ産大理石製すり鉢で潰しています。   チンクエ テッレで唯一、ビーチを有する最西端のモンテロッソ・アル・マーレ。4月にはすでに海に入る人々の姿が。   ダヴィデ氏のもとで店をまもるアレックス・バルトロメイさんは、子ども時代を振り返ります。「夏は、父母とランチボックスを携えて海にやってきて、1日中過ごしていたものです」。そうした思い出を胸に、今日もビーチにほど近い店頭に立ちます。   モンテロッソ・アル・マーレの食料品店『Pesto Lab Baico ペスト・ラブ・バイコ』は、手作りのペスト・ジェノヴェーセ(バジリコ・ソース)で知られる人気店。作りたてのソースとアンチョビの塩漬けを手にするスタッフのアレックスさん。   […]