日本の「ものづくり」文化継承を目的としたNPO法人「メイド・イン・ジャパン・プロジェクト」とのコラボレーションによって、日本の優れた伝統工芸品に新たな光をあてる活動「FIAT × MADE IN JAPAN PROJECT」を展開するフィアットが、今回注目したのが「筑前琵琶」を守る活動。
雅楽の演奏など、日本古来より親しまれている楽器・琵琶の中のひとつ「筑前琵琶」は、いま絶滅の危機に瀕しています。その筑前琵琶の製作と修復ができる唯一の職人が、イタリア人のドリアーノ・スリスさん。
琵琶の音色に魅了され、孤軍奮闘し続けるドリアーノさんに、琵琶との出逢いから今後の活動、そしてこれから思いについてお話を伺いました。
イタリア・サルディーニャ島出身のドリアーノ・スリスさん。現在、イタリア語や文化を教えるイタリア会館・福岡の館長であるとともに、筑前琵琶の製作・修復をする職人として活動を続けています。イタリア出身のドリアーノさんが、どのようにして琵琶と出逢ったのか、その経緯についてお聞きしました。
「ローマに住んでいた頃、日本人の妻と出逢い、1974年に日本を訪れました。そして、半年ほど経った頃、ラジオから流れて来た音色に衝撃を受けたのが、琵琶との出逢いでした。独特かつ不思議な音色が、とても魅力的に感じました。日本人にとっては古典的な音かもしれませんが、イタリア人の私にとってはいままでに聞いたことのない、とても現代的な音色に聴こえたのです。
ラジオで聴いた琵琶の音色が忘れられず、友人の紹介で当時日本唯一の筑前琵琶職人・吉塚元三郎(よしづかげんざぶろう)先生の工房を訪ねました。その時、福岡県の無形文化財であった吉塚先生に“弟子はいるのですか?”と質問したところ“ひとりもいない”という答えが返ってきました。そこで“私に教えてください”と言うと、吉塚先生が私の顔をじっと見た後“明日から来なさい”と。それが、琵琶職人としての第一歩になりました」。
吉塚先生に弟子入りした後、様々なご苦労があったとのこと。そのエピソードについてお聞きしました。
「当時の私は、日本語があまり話せなかったので、コミュニケーションを取るのが大変でした。しかも、師匠は博多弁しか話さなかったので、とても難しかったです。博多弁は、語尾に“たい”とつけるのですが、その意味が分からなくて。吉塚先生の言った言葉を、よく辞書で調べていましたね。
それと、道具の役割や種類、使い方を覚えるのに苦労しましたね。力任せに道具を使ってケガをしたこともありましたが、徐々に学んで上手に使えるようになりました。
琵琶の修復をする度に道具の大切さを知り、いまでは道具を自分で作ることもあります。
弟子入りしてから、最初の半年は辛いこともありましたが、その後はとても楽しくて。いまでも、琵琶に夢中です」。
吉塚先生のもとで5年間修行し、現在も琵琶の製作と修復の活動を続けるドリアーノさん。琵琶職人として、どのようなこだわりがあるのか尋ねました。
「私は、修復ということにこだわっています。修復とは、修理するだけではなく、元の状態に戻すこと。バチが当たって傷ついた部分があれば、琵琶の上に濡れた雑巾を載せ、その上に焼きごてを当て、蒸気を木に押し込むことにより少しずつ凹みを戻していくのです。時間がかかっても、作られた当初の状態に再現することにこだわっています。
例えば、木の“ねじ”が壊れてしまった場合、同じ素材の古い木材を探して来て、それを削って“ねじ”を作ります。
しかも、細かな細工がされている小さな部品があったり。それを修復するのに3日も4日もかかることもあるのですが、そうした作業をしていると、琵琶を作った人の想いが感じられるんです。それも、修復の醍醐味のひとつ。とにかく時間がかかるのですが、私にとってはこういう複雑な部分も魅力なのです。
また、琵琶という楽器は部品を組み立てて作るのではなく、木の塊を削って作っていきます。ひとつ一つカタチも音も違うのです。そのため、私は琵琶のことを“音の出る彫刻”と呼んでいます」。
「また、現存する琵琶も完全なカタチで残っているものは、ほんの少し。部品だけが残っているということが多いのです。その部品をもとに、他のパーツを製作し、琵琶を修復することも多々あります。クルマに例えるなら、旧車のドアだけが残っている状態から、クルマを作るようなもの。そのため、時間も手間もとてもかかります。だからこそ、完成したときの達成感も大きいですね。
ちなみに、私が初めて乗ったクルマは、フィアットの“Nuova 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)”。その後“600(セイチェント)”にも乗りました。フィアットは、イタリア人の私にとっては特別な存在。しかも、500も600も、イタリアのライフスタイルを変えた傑作。思い出いっぱいのクルマです」。
琵琶の起源はペルシャ近辺。中国を経て、奈良時代に日本に伝わり、芸能や祈りの場になくてはならない楽器となりました。特に中世では「平家物語」を携えて各地を放浪した琵琶法師が弾いていた楽器としてよく知られています。しかし、現在その琵琶を製作できる職人、そして修復できる職人はごく僅か。筑前琵琶に関しては、ドリアーノさんが唯一の職人なのです。そこで、ドリアーノさんは筑前琵琶を守るため、精力的な活動を続けています。
「筑前琵琶は、いま存亡の危機に直面しています。琵琶づくりの担い手が途絶えようとしているのです。そこで、私は“ドリアーノ琵琶プロジェクト”を立ち上げました。いうなれば、琵琶の学校です。私は“最後の筑前琵琶職人”。師匠の吉塚元三郎先生から教えていただいたことを、日本の人たちに伝え残したいのです。
私は長年、研究のために古い琵琶を探し続けてきました。しかし、残念ながら原型を留めているものは少なく、とても高価です。だから、一部分だけしか残っていないものやパーツを収集して琵琶の仕組みを探りながら製作してきました。単なる部品であっても、深く見ていくと、新しい発見があります。そのバラバラになった部品をもとに、まったく新しい琵琶の完成品を作り出すこともあります。それも含めて琵琶の製作・再製作・修復などの技術を伝えていきたいと思っています。いまなら、まだ間に合うのです」。
「私は、すでに72歳。いまのうちに、少しでも筑前琵琶づくりの技術を伝えなければならない。これが、今回のプロジェクトを立ち上げた理由です。
筑前琵琶づくりの再興を担う場を、私たちは“琵琶館”と名づけ、福岡市の中心・天神近くでのオープンを予定しています。琵琶の音色や音楽をもっと知ってほしいという願いもありますが、何より筑前琵琶の製作を守っていきたい。同時に、その技術で他の種類の琵琶の修復もできるようにしたいと思っています。
教えるのは私一人ということもあるため、少人数でもお互い心の通った学びの場を、ぜひ実現したいと考えています。そして琵琶づくりはもちろん、演奏や語り、歴史なども学べる場にしたいと思っています。私がいままでに日本から学んだことやいただいた優しさを、日本のみなさんに利子をつけてお返ししたいのです。
そのため“琵琶館”のオープンを目指し、現在クラウドファウンディングを立ち上げています。みなさんからご支援をいただき、筑前琵琶再生の新たなスタートが切れればと思っています」。
また、今年の秋には「よみがえる琵琶」と題した修復琵琶の個展を開催する予定のドリアーノさん。自身で製作・修復した筑前琵琶をはじめ、薩摩琵琶や盲僧琵琶など、様々な琵琶を一堂に展示。このような機会は貴重なので、ぜひ多くの方に観ていただきたいと語るドリアーノさん。
「琵琶を通して、日本文化の素晴らしさを、より多くの方に知っていただけると嬉しいです。300年前に製作された貴重なものをはじめ、数多くの琵琶を展示する予定です。昔の人々が育んだゆとりや時間の流れ、そして楽器など、日本の伝統文化に触れることによって、より豊かな気持ちになれると思います。ぜひ、ひとりでも多くの方にご覧いただきたいです」。
奈良時代から受け継がれる伝統楽器「琵琶」。この素晴らしい音色を絶やさぬよう、ドリアーノさんの活動を、フィアットは心から応援したいと思います。
筑前琵琶を守るドリアーノさんのプロジェクトはコチラ
「FIAT × MADE IN JAPAN PROJECT」の詳細はコチラ
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