自分の好きな車について語ったとき、相手が同じように気に入って喜んでくれたらどんなにいいだろうと思う。けれども、世の中はそんなに甘くない。絶望の言葉というものもある。イタリア車だけではなくどんな車でも共通するのはこんな言葉だ。
「で、その車のどこがいいの?」
質問のようだが答は求められていない。「良さをわかるつもりはありません」という意味である。すばらしい性能やスペック、見た目の美しさや乗り心地の良さなどについて、どんなに言葉を尽くし、表現を工夫して伝えようとしても相手の納得は得られない。
だからこの言葉を聞いたらすみやかに、語りたいという気持ちを引っ込めることにしている。私は、
「なにもかも。全部!」
と答える。
人にわかってもらえなくても好きな気持ちは変わらない。
実際のところ、私がこれまで乗ってきた車は不調なときや困ったことも含めて、何もかも全部いい車ばかりだったのだ。
大学を出るまで東京の実家にいた私が、就職して初めて赴任した土地が福岡だった。九州に行ったことも一人暮らしをしたこともない。もちろん社会人としての常識も商品知識もない。専門用語と方言の区別もつかなかった。毎日、初めて覚えることばかりで新鮮だった。喧嘩や反発もしたけれどやる気と体力だけは充実していた。営業車の運転に慣れてきて、二十五歳で初めて買った車がフィアット・パンダである。
三十年前のフィアットは、ティーポ、ウーノ、パンダというラインナップがすてきな三兄弟みたいだった。最初はなんとなく真ん中に位置するウーノがいいのかなと思ったが、パンダ乗りだったディーラーのお兄さんに「パンダに出来ないことなんてありません!」と言われ、謎の熱意に押された。もちろんパンダは小さな車だしリッターカーなので出来ないことは結構あった。でも、出来ないことは出来ないと伝えてくれる正直な車だった。
パンダのおかげで、コーナーでは丁寧にアクセルを踏み、ポンピングブレーキでしっかり止まること、水温の変化を見逃さないこと、強風に気をつけること、高速道路では常に勾配を意識してスピードを保つことなどが身についた。それらはただのルールではなく、車の調子や寿命にも関わることだった。もちろん、チョークボタンを引いて暖機運転をするとか、加速するときはクーラーを切るとか、異臭がしないか気をつけるなどといったプラスアルファの部分もあるが、パンダが教えてくれたのは大事なことばかりだと思う。
記憶には、頭で覚えるものと体で覚えるものがあるという。私の場合、頭の記憶力はかなりのポンコツで、目で見たことも言葉で知ったこともすぐに忘れてしまう。たとえば人の顔と名前を覚えるのが苦手で意外な場所で会ったら誰だかわからない。数字にも弱くて自分の車のナンバーが覚えられない。郵便番号や家の電話番号も出てこない。覚えておきたくて写真を撮れば記憶までトリミングされて、フレームの外側の景色が消えてしまう。
けれども、パンダで出かけた場所の記憶は鮮明だ。海水浴に出かけた糸島半島も、平戸の美しい浜辺や川内峠の見晴らしも、唐津城の手前の虹の松原も、別府から阿蘇へ向かうやまなみハイウェイの緑の眩しさも、すばらしい放水が見られる熊本の通潤橋も、そこに至る道の隅々までがストリートビューよりなめらかに、連続して思い出せる。もしも今から行けと言われても地図は必要ないと思う。
名古屋に転勤してからは紀伊半島と北陸が行動範囲に加わった。三重県の員弁(いなべ)から滋賀県の永源寺に抜ける隘路の石槫(いしぐれ)峠に突如として現れる車幅制限のコンクリートブロックも、奈良県の吉野から紀伊半島を縦断して熊野灘へと南下していく川沿いの道も、敦賀から加賀へと向かう海岸線の道も、昨日走ってきたかのようにありありと思い出せる。なぜかと言えばそれらの記憶は、パンダのダブルサンルーフを停めるゴムバンドの手触りや、シャッター式の灰皿の蓋を滑らせる面白さ、上下のスライドが結構固いライトのスイッチ、箸箱の蓋みたいなウィンカーレバーの感触などとしっかり結びついているからだ。手の記憶はぶれることがない。いつでも確実に同じ感触を呼び起こすことができる。
パンダの後に乗ったフィアット車は、ティーポ二台(MTとAT)とクーペ・フィアットだ。ティーポの広々とした車内空間やフルフラットにもなるシートの快適さ、クーペ・フィアットのすばらしい加速といい感じのエンジンブレーキを思い出すだけで、アルバムをめくるようにたくさんの景色があふれ出す。今住んでいる群馬のものも、新潟や富山、埼玉や神奈川の景色も混じっている。好きな車と美しい場所は、体の記憶として保存されているのだ。
人間が最後まで残している感覚は聴覚だと言われるが、手や肌の記憶もずっと残るのではないだろうか。私が人生最後に思い出す感覚は、もしかしたらセンターコンソールのべたべたかもしれない。それはそれで、私の人生のようにしょうもないけれど幸せなことだと思う。
絲山秋子(いとやま・あきこ)
1966年、東京で生まれる。 早稲田大学政治経済学部卒業後、2001年まで営業職として福岡、名古屋、高崎、大宮に赴任。 2003年、『イッツ・オンリー・トーク』で文學界新人賞を受賞してデビュー。2004年、『袋小路の男』で川端康成文学賞。2006年、『沖で待つ』で芥川賞受賞。2016年、『薄情』で谷崎賞受賞。
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