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CULTURE

FIATを生んだトリノの魅力

FIATの故郷といえば、イタリア・トリノ。2006年に冬季オリンピックが開催されたこの街には、一体どんな魅力があるのか。そこで、トリノに住むイラストレーターのワダシノブさんに、トリノのこと、そしてFIAT誕生の話について伺いました。  FIATが生まれた街、トリノ。この街だからこそFIATが誕生したと言えるかもしれません。  イタリア半島の北にあるトリノ。この都市の特徴は、街の真ん中に鎮座するトリノ王宮。豪奢なアパートに囲まれたサンカルロ、カステッロといった端正な広場も見どころです。創業100年以上続くカフェやチョコレート店がたくさんあり、大都市なのに治安が良くて、道は碁盤目状で整理が行き届いています。コンパクトで機能的。イタリアのカオスを想像してこの街にくると、ちょっと拍子抜けするほど落ち着いた街。サッカーの強豪チーム・ユベントスの本拠地で、世界で一番高い博物館モーレ・アントネリアーナもある、これがトリノです。私は日本で出会ったイタリア人の夫と暮らすためにこの街にやってきて、ここで暮らしはじめて10年以上が経ちました。 この街で、1899年にFIATが生まれました。FIATとはFabbrica Italiana Di Automobili TORINO(トリノの自動車製造所)の略です。 「イタリアに自動車工場を作る!」という希望を持ったジョヴァンニ・アニェッリや地元の貴族など、イタリア北部に住む数人の実業家の出資によってFIATは創業されました。  FIATがトリノで生まれた理由を考えます トリノは、イタリアの中でも優秀な技術者が多く集まる街として知られています。実際、イタリア国内でも1、2を争う特許申請の多い街なのです。現代でもスタートアップ企業が多く、イタリアで新しく始まるアプリ系のサービスはトリノ発がとても多いのです。  なぜトリノで新たな事業が始まりやすいのか。その理由は2つあると考えられます。  1.文化の中継地点  トリノのあるピエモンテ州は、地理的にフランスとスイスに接しています。そして、オーストリアやドイツも近い。なので、ここは北ヨーロッパの文化がイタリアに入る時の通過点として機能しています。それにプラスして、南イタリアからの移住者もとても多いのです。  2.優秀な大学  トリノで技術が発展する理由を考える上で、やはりトリノ工科大学、通称ポリテクニコの存在を忘れることはできません。  イタリアの工科大学の中でも屈指の難易度を誇る同校には、イタリアはもちろん、世界中から多くの優秀な学生がやってきます。そして、ポリテクニコを卒業した学生たちがトリノで新しい事業を始めるのです。  例えば、FIATが最初に作ったモデル「4HP」の製作を担当した自動車エンジニア、アリスティデ・ファッチオーリもポリテクニコの卒業生なのです。  この2つの理由にプラスして堅実に物事を進めるトリネーゼ(トリノ人)の気質があれば、おのずと新しいことが始まります。かつての「Nuova 500」、「ムルティプラ」、現代の「500」や「500X」を見れば、そのことがおわかりいただけるでしょう。 FIATの工場跡地はトリノ観光の名所 トリノの街には、FIATの影響を感じられる場所がたくさんあります。  なかでも、1916年にトリノのリンゴット地区に作られた工場は象徴的。この5階建てのビルは、らせん状のスロープを使って1階から上に向かって順番に自動車を組み立てていくようになっていました。最終的には、屋上の1周1.1kmのテストコースで仕上がりをチェックしていました。  当時、世界最大の工場であったリンゴットは、現在イタリアを代表する建築家レンゾ・ピアノの案によりリノベーションが施され、ホテルやシネコンもある人気モールになっています。近くには、スローフードマーケットEATALYの本店や自動車博物館もあり、トリノの観光名所となっています。  ショッピングモールに隣接するホテルに宿泊すると、かつて使われていた自動車のテストコースを見ることもできます。両端の傾斜したテストコースを見るために、わざわざここに泊まるという人も多いそうです。  2019年7月11日に、120周年を迎えたFIAT。トリノとトリネーゼたちの誇りであるFIATは、120年の間、数々の名車を生み出してきました。その新しい技術に果敢に挑み続けるFIATの姿勢は、現行モデルにもしっかりと受け継がれています。トリノに住む私は、心からそう思うのです。  Illustration・Text:ワダシノブ ワダシノブ/広島県出身・イタリア在住のイラストレーター、漫画家。イタリア人の夫と子ども2人。イタリアの面白さを伝えるべく活動中。 500ってどんなクルマ? FIATの歴史はこちら   […]