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LIFESTYLE

フィアットの故郷へようこそ!〜TORINOのとっておきスポット特集〜

フィアットファンに毎年大好評の『フィアット オリジナルカレンダー』。2023年のテーマは“フィアットとイタリアの街並み”です。2ヶ月ごとに、フィアットの各モデルが6つの街をめぐるイラストが描かれています。1月と2月に描かれているのは、フィアットの故郷『TORINO(トリノ)』。産業都市として、まさに近代イタリアのエンジンとなった街の“とっておき”スポットをお届けします。 なお、フィアット オリジナル 2023年カレンダーはダウンロードが可能。ダウンロード方法は、記事の最後に掲載しているので、ぜひチェックしてみてください!   ▲鉄道の玄関口であるポルタ・ヌオーヴァ駅付近を行く『500e(チンクエチェントイー)』。   フィアットの故郷“TORINO(トリノ)”とは? 北西部ピエモンテ州の州都であるトリノ。遠くアルプスの山々を見渡す街は、130平方kmに約84万人が住んでいます。ミラノが181平方km・約135万人ですから、ひとまわりコンパクトな街といえます。 11世紀にその歴史をさかのぼる名門・サヴォイア家は、ピエモンテだけでなく現在のフランスやスイスの一部も支配下に置いていました。そのため建築や方言には、フランスの影響がみられます。 やがて国家統一が果たされて1861年、ヴィットリオ・エマヌエレⅡ世を国王に据えたイタリア王国が誕生した際、トリノは3年にわたり首都機能の役割を担いました。   ▲トリノ旧市街を象徴する広場『ピアッツァ・サンカルロ』。周囲の館には、人々が冬の間、雨や雪を避けて歩けるようにポルティコ(屋根付き回廊)が設けられています。   20世紀のイタリアの近代化における原動力もトリノでした。ジョヴァンニ・アニェッリらが1899年にフィアットを興したのも、1927年に初めてラジオ局が開局したのもこの街。第二次大戦後は、多くの人々が南部から移り住んで工場で働き、復興を支えました。 その後、1988年から今日まで続く『ブックフェア』や2006年の冬季五輪などを通じて、国際イベント都市としても世界から注目されるようになりました。さらに2022年には『スマートシティ・インデックス』において、最もエコ・サステナブルなイタリア都市に輝きました。トリノは常にイタリアの未来を示し続けているのです。   ▲トリノはイタリア・ナンバーワンのエコ・サステナブル都市。EV(電気自動車)用充電ポールが充実していることもあり、『500e』もたびたび見かけます。   ▲裏道にたたずむ『500(チンクエチェント)』。碁盤の目のような道路は、サヴォイア家のカルロ・エマヌエーレ1世の号令で1620年に開始された都市計画の名残です。   ▲『500』は、イタリア屈指のカーシェアリングサービスの代表的車種としても有名です。   次のページ:【とっておきの!トリノのおすすめスポットをご紹介】 […]

CULTURE

イタリアと日本の文化を愛するイラストレーター、ビオレッティ・アレッサンドロの“POP・PRETTY・FUNNY”なメッセージ

広告・キャラクターデザイン・挿絵・漫画・絵本など、幅広い媒体で活動しているイラストレーターのビオレッティ・アレッサンドロさんは、フィアットと同郷のイタリア・トリノ出身。幼少期から“絵描きになること”と“日本に住むこと”への想いを募らせ、27歳のときに偶然の出会いを機に日本で絵本を出版。2015年5月からは日本に移り住み、現在はフリーランスのイラストレーターとして活躍中です。そんなビオレッティさんに、自身の活動のテーマやイタリアと日本の文化について、そして同郷であるフィアットの印象を伺いました。   夢は“絵描きになること”と“日本に住むこと” ──まずは日本に移り住むことになったきっかけを教えてください。 18歳のときに初めて日本に観光で来て、それから27歳までトリノに住みながら、日本へ行き来していました。そんなある日、出版社の編集者の方と偶然出会って、「絵本を出版しませんか?」と声をかけていただいたんです。それがきっかけで、絵本の出版後にアーティストビザを取得することができて、2015年からは日本に住んでいます。   ▲ビオレッティ・アレッサンドロさん   ──小さいころから絵を描くことに興味はありましたか? はい。幼いころから絵を描くことは好きで、7歳ぐらいのときには「絵の仕事をしたい」「絵を描いて生きていきたい」って思うようになりました。   ▲インタビューマガジン『世田谷十八番』   ──ビオレッティさんの幼いころのエピソードで、おじいちゃんが持っていた70年代の日本の写真集を見たことがとても印象に残っているそうですね。 それも7歳のときです。“日の丸”が描かれた本がおじいちゃんの本棚にあって、気になって手に取ってみたら、日本の70年代の写真集でした。僕のおじいちゃんはトリノにある『ラ・スタンパ』という新聞社で仕事をしていて、ジャーナリストと出会う機会がたくさんあり、その中のひとりからいただいたそうです。それを見たとき自分は、「日本はなんて面白い国なんだ!」って思いました。   ──それがビオレッティさんにとって、日本に興味を持つ原体験だったんですね。 はい。そこからどんどん興味が湧いてきて、“絵描きになりたい”と“日本に住みたい”っていう気持ちが合わさり、日本で絵描きができないかなって。そのあとは16歳から日本語の勉強を始めて、先ほど言ったようにイタリアと日本を行き来しながら、2012年ごろに出版社の方と出会い、2014年に『みつけてアレくん!せかいのたび』という絵本を出版しました。     ──絵本の出版によって、念願の日本暮らしが叶った面も? そうですね。「これをきっかけに日本に住めるんじゃないか……」っていう気持ちは正直ありましたね。日本に住むようになって、観光で訪れたときよりももっと深く、“日本の1日”を感じられました。そこはイタリアの1日のペースとは違いましたけど、今ではイタリアと日本の考え方やライフスタイルを、うまく自分の中でミックスできているように感じます。   ──日本に来てフリーランスのイラストレーターとして活動する傍ら、デザイン事務所の勤務なども経て、独立されたのは2019年。そこからは漫画や絵本のみならず、さまざまなブランドやイベントにおける広告のイラストなども数多く手掛けていますよね。 自分としてはひとつひとつのお仕事を大切に、とにかく100%で描いてきました。なので、何かこの仕事がきっかけで注目を浴びた、という感覚はないですね。日本人らしく言えば“コツコツ一生懸命”取り組んで、自分が納得できるクオリティの作品を出すことをいつも心掛けてきました。   ▲スーパーマケット成城石井でのイラスト制作   ──ちなみにビオレッティさんの作風が確立されたのはいつごろですか? ちょっとずつのプロセスの積み重ねではあると思いますが、根本的な部分で言うと、昔から“線を繋ぐ”ことが好きだったんですね。そこから自分の中の個性をもっと生かせないかなって考えていくうちに、フォルムや体の作りが独特な、誰も描いたことのないキャラクターを描くようになりました。自分の中でそこはアーティスティックな部分で、ちょっとずつ進化して今に至ります。   ──イラストには“POP・PRETTY・FUNNY”という3つのキーワードがあるそうですね。 まず僕の絵をパッと見て、その印象をひとつの言葉で表現するならPOP。ただそれだけじゃなくて遊び心、つまりFUNNYな要素も加えて、PRETTYな絵になるように表現しています。   ▲2022年9月に発売した新作絵本『なぞなぞショッピングモールでおかいもの』   次のページ:【ビオレッティさんのDNAにあるイタリアとは?】 […]

LIFESTYLE

創業260年を迎えるトリノ最古のカフェ、Bicerinのフィロソフィーを紐解く。

1763年創業のイタリア・トリノの老舗カフェ・Bicerin(ビチェリン)が作る、北イタリアの郷土菓子『バーチ・ディ・ダーマ』。マカロンの原型とも言われる、アーモンド生地でチョコレートを挟んだキュートな焼き菓子です。今回は、Bicerinの歴史や魅力、『バーチ・ディ・ダーマ』のこだわりについて、Bicerin広報室長の柴さやかさんにお話を伺いました。 なお、フィアットでは『500』の限定車『500 1.2 Dolce』の登場を記念して、ただいま『SWEET LIFE WITH FIAT』キャンペーンを実施中。10月は“ココロに残っているスイーツとの思い出”をTwitterに投稿していただくと、抽選で『バーチ・ディ・ダーマ』をプレゼント! キャンペーンの詳細は記事の最後に掲載していますので、ぜひ参加して、心ほどけるひとときを提供する甘~いスイーツを手に入れてください。   イタリア・トリノ最古のカフェ、Bicerinが築いてきた伝統 Bicerin(ビチェリン)をご存じですか。日本上陸は2018年と比較的最近なので、知らない方も多いかもしれません。一方、イタリアでは伝説の老舗カフェとして、全土に名を知らしめています。 Bicerinは、日本の江戸時代にあたる1763年に、フィアットの本拠地でもあるイタリア・トリノに誕生した、トリノ最古のカフェです。トリノのコンソラータ大聖堂の前に質素なテーブルとベンチを並べた小さな店がその始まりでした。   ▲イタリア・トリノにあるCaffè Al Bicerin(カフェ・アル・ビチェリン)店   創業当時、カフェは男性たちが集う場所でしたが、初代の店主ジュゼッペ・デンティスの後、女主人たちがカフェを仕切ってきたこともあってか、女性からも高い人気を集めました。 「もともとは女性のサロンのような場所でもあったと聞いています。現在のオーナーは男性ですが、長く女性がオーナーを務める時代が続いていました。なかでも、1910年から1975年にかけて店を切り盛りしていたカヴァリ家の女性たちの遺産を引き継ぎ、Bicerinの名を世界的なものにしたのは、女主人のひとりであるマリテ・コスタの功績です」(柴さん) 1983年に店を引き継いだ彼女は、かつてトリノに花開いたチョコレート文化を研究し、そのオリジナルともいうべきレシピを再現。また、店や家具を19世紀当時そのままの姿へと復元することに情熱を注いだそうです。マリテは2015年に他界していますが、Bicerinが築いてきた伝統は、マリテの家族と長年彼女を支えてきた女性たちの手によって、現在、そして、未来へ引き継がれていきます。     Bicerinの歴史は、フィアットが推進している女性の社会進出やエンパワーメントを応援するプロジェクト『#ciaoDonna(チャオドンナ)』の理念にもリンクします。Bicerinは創業以来、女性をはじめとしたさまざまな人の時間を豊かに演出してきました。 260周年を間近に控えるBicerinは、その歴史のなかで、多くの偉人にも愛されてきました。トリノに花開いたチョコレート文化の保存にも尽力したことでも知られる、イタリア初代首相、カミーユ・ベンソ・ディ・カヴールもその一人で、入口近くの大理石のテーブルが彼の指定席だったそうです。『三銃士』『モンテクリスト伯』の著者であるアレクサンドル・デュマ・ペールは、友人に送った手紙の中で「トリノを去りがたい理由」としてBicerinをあげ、また、「トリノで見逃せないもののひとつ」とも書き記しています。 そんなBicerinが日本に上陸したのは、前述のとおり2018年とごく最近のことです。   ▲Bicerin 銀座店   「もともとイタリアには、店をチェーン展開していくことを良しとしない文化があります。特にBicerinはファミリー色が強い企業。フランチャイズ化の依頼も断り続けていたそうです。弊社も最初は断られたのですが、伝統を引き継いでいくことに魅了されていた弊社の社長が何度も足を運び、ファミリービジネスに対するイタリアのカルチャーを大事にしていることを理解していただき、ついにアジア展開の許可をいただきました。 実際、いっしょに仕事をしてみると、伝統を大事にしながら、革新を取り入れ、進化させられるものは進化させていくといった、企業の気概を強く感じます。日本独自の企画についても、好意的に受け入れてくれます」(柴さん) 次のページ:【プレゼント商品『バーチ・ディ・ダーマ』 についてご紹介!】 […]

CULTURE

FIATを生んだトリノの魅力

FIATの故郷といえば、イタリア・トリノ。2006年に冬季オリンピックが開催されたこの街には、一体どんな魅力があるのか。そこで、トリノに住むイラストレーターのワダシノブさんに、トリノのこと、そしてFIAT誕生の話について伺いました。  FIATが生まれた街、トリノ。この街だからこそFIATが誕生したと言えるかもしれません。  イタリア半島の北にあるトリノ。この都市の特徴は、街の真ん中に鎮座するトリノ王宮。豪奢なアパートに囲まれたサンカルロ、カステッロといった端正な広場も見どころです。創業100年以上続くカフェやチョコレート店がたくさんあり、大都市なのに治安が良くて、道は碁盤目状で整理が行き届いています。コンパクトで機能的。イタリアのカオスを想像してこの街にくると、ちょっと拍子抜けするほど落ち着いた街。サッカーの強豪チーム・ユベントスの本拠地で、世界で一番高い博物館モーレ・アントネリアーナもある、これがトリノです。私は日本で出会ったイタリア人の夫と暮らすためにこの街にやってきて、ここで暮らしはじめて10年以上が経ちました。 この街で、1899年にFIATが生まれました。FIATとはFabbrica Italiana Di Automobili TORINO(トリノの自動車製造所)の略です。 「イタリアに自動車工場を作る!」という希望を持ったジョヴァンニ・アニェッリや地元の貴族など、イタリア北部に住む数人の実業家の出資によってFIATは創業されました。  FIATがトリノで生まれた理由を考えます トリノは、イタリアの中でも優秀な技術者が多く集まる街として知られています。実際、イタリア国内でも1、2を争う特許申請の多い街なのです。現代でもスタートアップ企業が多く、イタリアで新しく始まるアプリ系のサービスはトリノ発がとても多いのです。  なぜトリノで新たな事業が始まりやすいのか。その理由は2つあると考えられます。  1.文化の中継地点  トリノのあるピエモンテ州は、地理的にフランスとスイスに接しています。そして、オーストリアやドイツも近い。なので、ここは北ヨーロッパの文化がイタリアに入る時の通過点として機能しています。それにプラスして、南イタリアからの移住者もとても多いのです。  2.優秀な大学  トリノで技術が発展する理由を考える上で、やはりトリノ工科大学、通称ポリテクニコの存在を忘れることはできません。  イタリアの工科大学の中でも屈指の難易度を誇る同校には、イタリアはもちろん、世界中から多くの優秀な学生がやってきます。そして、ポリテクニコを卒業した学生たちがトリノで新しい事業を始めるのです。  例えば、FIATが最初に作ったモデル「4HP」の製作を担当した自動車エンジニア、アリスティデ・ファッチオーリもポリテクニコの卒業生なのです。  この2つの理由にプラスして堅実に物事を進めるトリネーゼ(トリノ人)の気質があれば、おのずと新しいことが始まります。かつての「Nuova 500」、「ムルティプラ」、現代の「500」や「500X」を見れば、そのことがおわかりいただけるでしょう。 FIATの工場跡地はトリノ観光の名所 トリノの街には、FIATの影響を感じられる場所がたくさんあります。  なかでも、1916年にトリノのリンゴット地区に作られた工場は象徴的。この5階建てのビルは、らせん状のスロープを使って1階から上に向かって順番に自動車を組み立てていくようになっていました。最終的には、屋上の1周1.1kmのテストコースで仕上がりをチェックしていました。  当時、世界最大の工場であったリンゴットは、現在イタリアを代表する建築家レンゾ・ピアノの案によりリノベーションが施され、ホテルやシネコンもある人気モールになっています。近くには、スローフードマーケットEATALYの本店や自動車博物館もあり、トリノの観光名所となっています。  ショッピングモールに隣接するホテルに宿泊すると、かつて使われていた自動車のテストコースを見ることもできます。両端の傾斜したテストコースを見るために、わざわざここに泊まるという人も多いそうです。  2019年7月11日に、120周年を迎えたFIAT。トリノとトリネーゼたちの誇りであるFIATは、120年の間、数々の名車を生み出してきました。その新しい技術に果敢に挑み続けるFIATの姿勢は、現行モデルにもしっかりと受け継がれています。トリノに住む私は、心からそう思うのです。  Illustration・Text:ワダシノブ ワダシノブ/広島県出身・イタリア在住のイラストレーター、漫画家。イタリア人の夫と子ども2人。イタリアの面白さを伝えるべく活動中。 500ってどんなクルマ? FIATの歴史はこちら   […]

DRIVING

フィアットが生まれたイタリアの“道”を楽しむ方法

フィアットがもっと好きになるイタリアン・ロードトリップ フィアット好きならイタリアのことをもっと知りたいと思っていますよね? でも、知るだけじゃなくて、実際にイタリアを走ってみたい。そう思ったことはありませんか? フィアットが生まれ、育まれたイタリアという国を自分でハンドルを握って走ったら、ますますフィアットが好きになるはず。 そこで、実際にイタリアをフィアットで走ったらどんなに楽しいか。15日間で2700㎞ほど500に乗って、イタリア一人旅をしてきましたのでぜひ紹介させてください。 空港で旅の相棒、500とご対面 イタリアでのドライブでは当然レンタカーを借りることになります。今回、日本からWEB予約しマルペンサ空港で借りたのは、走行371kmというほぼ新車のFIAT 500 POP。エンジンは1.2リッターの4気筒ですから燃料はガソリンです。トランスミッションはマニュアル、そしてナビ無しという極めてベーシックな仕様。ナビ付きやオートマチック車を希望する場合には予約時に確認しておきましょう。 相棒500と対面したら、荷物を積み込んで出発の準備。ミドルサイズの26インチ(60ℓ弱)の旅行カバンはトランクへ。荷室の奥行は50㎝以上あるので、このくらいのサイズであれば倒して積めますし、トランクを閉じれば荷物の有無は見えません。これだけで盗難トラブルの可能性は下がりますね。手荷物を助手席か後席の足元に収めるのも盗難対策。荷物を積んだらシートとミラーを合わせて出発です。そうそう、イタリアは右側通行ということをお忘れなく。 高速道路を走っても楽しいイタリア 今回の旅ではミラノ~ドロミティ~フィレンツェ~モデナ~トリノを走り回りました。都市間の移動はほぼ、アウトストラーダやスーペルストラーダと呼ばれる高速道路になります。まず気付くのは、平均速度の高さと、その割に秩序のある走行マナーです。右側通行ですので左端の車線が追い越し車線なのですが、基本的には追い越し以外で走ることはありません。そして走行車線でもほぼ制限速度の100~130km/hで流れています。もちろん500も同じ速度上で巡航しますが、ここで気付かされるのが直進安定性。2300㎜というホイールベースの短さを考えれば驚くほどピタリとまっすぐ走ってくれるので、長距離移動も疲れにくい。使用環境がクルマを育てる典型といえます。 イタリアの高速道路を走っていてもうひとつ気付くのは、ひらけた視界です。防音壁などに囲まれた日本の高速道路とは異なり、場所によってはガードレールすらありません。おかげで走り過ぎる土地の変化がとてもよくわかります。家々の意匠や生えている植物、主要産業や栽培されている農作物など、町や土地によって特色が変わっていくことに気付きます。高速道路を走っているだけで景色まで楽しめる、そんな日本との違いも面白いと感じることでしょう。 クルマ旅だから出会えるイタリアがある クルマ旅の醍醐味は、公共交通機関では行きにくい場所にも気軽に行けて、時間にも縛られず滞在でき、そこにしかない景色や文化に出会えることでしょう。山の中にあるアグリトゥリズモで鳥のさえずりと共に迎える朝や、小さな田舎町のトラットリアで味わうローカルな料理などもクルマ旅ならではの喜びでしょう。走っていてたまたま出会った景色にクルマを止めて楽しむのだって自由です。 そんな自由気ままな旅にこそ500は最高の相棒になるといえます。コンパクトな車体は古い造りの町の細い道でも扱いに困ることはありませんし、狭い場所にもスムースに駐車できるので移動が気楽です。元気に回るエンジンは山道もグイグイ登ってくれますし、曲がりくねった道もキビキビと走り抜けます。どこか目的地に行くだけじゃない、運転そのものも楽しむ旅を500はもたらしてくれるのです。 またイタリアを走っていれば、500を軽快に走らせるドライバーに老若男女の違いがないことにも気付くでしょう。土地勘がないゆえに安全マージンを多くとって走らせているこちらを、同じクルマであっという間に抜いていくローカルドライバーがたくさんいます。愛されてはいても猫可愛がりされることなく、道具としてもキッチリ使われている500の姿から、イタリア人の生活にいかにこのクルマが溶け込んでいるかが理解できることでしょう。 イタリアの道を走り出す前に知っておきたいこと イタリアを走るためには必要な手続きがありますので、その基本的なところだけここでは記すことにします。 まずは国際運転免許証の取得。イタリアを日本の免許証で走るために必要な免許です。これは各地域で指定されている運転免許試験場や運転免許更新センターなどで取得します。運転にはこの国際運転免許証と日本国内の運転免許証がセットで必要になりますので忘れずに取得しましょう。また海外旅行保険とレンタカーの保険の内容や連絡先などもよく確認しましょう。事故や故障の際には日本のJAFにあたるACI(イタリア自動車クラブ)のロードサービスに連絡することになりますので、その電話番号も控えておきましょう。それから都市によっては、旧市街や歴史地区など指定のエリアで交通が制限される場合がありますので、あらかじめ確認が必要です。 もし「全旅程をレンタカーで回るのはハードルが高いなぁ」と感じるなら、日本と同じように半日や数時間だけレンタルするという方法もあります。午前中に借りてちょっと郊外までお昼を食べに行き、暗くなる前に返却するショートトリップを計画すれば、もっと気軽にイタリアでのドライブを体験できます。 映画で“ロードムービー”といえば主人公が旅を通じて成長していく物語ですが、“ロードトリップ”はあなたの中のフィアット愛を育む旅になることでしょう。早く日本で愛車に乗りたい! そんな気持ちを抑えられないかもしれません。 マニュアルトランスミッションを搭載した500の限定モデル「500 Manuale Rossa(マヌアーレ ロッサ)」はコチラ  text・photo: 小野光陽 […]

LIFESTYLE

イタリア自動車紀行〜FIATの街、トリノ vol.2

FIATのお膝元の街トリノでは、さまざまなFIATを見ることができます。 たとえば、タクシーもFIAT。日本では未発表ですが、500の派生モデルで、家族に優しいロングボディがイタリアで好評な500L。   旧FIATの工場リンゴット(LINGOTTO)をリノベーションしたホテルのロビーには、もちろんFIATとランチアのエンブレムやグッズが並んでいます。   同じ建物内には、イタリアが誇る名門トリノ工科大学があり、そのエントランスにはこんな個性的なプロトモデルが…。   市内中心部でも、特に日本でも根強い人気を誇る初代Pandaがまだまだ元気に駆け巡っています。   中には90年代後半にデビューした二代目600や2000年代の大ヒット作、グランデプントも、まだまだピカピカ。   そして現代の主役はやはり500。   全国的には明るい色が人気の500も、シックなトリノの街並みではダークカラーが良く映えます。   そもそもトリノという街は、ルネサンスやローマの影響よりも、バロック色が濃厚で、凛とした美しさと知性が感じられます。かの哲学者ゲーテが最期の土地として選んだ街としても有名。   アスファルトとは違う、雰囲気たっぷりの石畳。他のイタリアの都市とは異なり、極めて丁寧に整備され平坦さを保っているのは、北部イタリアが誇る自動車のメッカたるプライドか。路面電車との継ぎ目もキレイ。   街なかの信号待ちではご覧の通り。あっという間にFIATをはじめとするイタリア車に囲まれ、なんとも言えないホーム感を味わうことができます。   そんな街を見守ってきた美しきヨーロッパアルプス。必見の絶景です。   美しい街並みや山並みだけでなく、トリノといえばワインやチョコレート、コーヒーに各種トリュフなどのグルメ。そしてエジプト以外では最大のコレクションを誇るというエジプト博物館、街の最大の目玉であるイエス・キリストの聖骸布もある、歴史情緒たっぷりの街。   そしてなにより街なかを走り回るFIATを中心とした、多くのイタリア車や、自動車博物館まである楽しい街。 オーナーの方はもちろん、そうでない方も是非ともみなさん足を運んでみてはいかがでしょうか?   つづく […]

NEWS

トリノで行われた旧車イベント〜第36回、アウトモトレトロ Vol.1

トリノ、FIAT、蚤の市 いまから120年近くも前、1899年7月11日に創立されたFIATは、イタリア最古の自動車メーカー。ちなみに、この世に初めて「自動車=Automobile」という言葉が使われたのが同年1899年の1月のニューヨーク・タイムズ紙だといわれています。FIATが世界最古というわけではありませんが、自動車製造の黎明期に産声を上げた、数少ない歴史あるブランドであることに間違いはありません。   そんなイタリア(主に北中部)では、自動車関連のイベントは日常茶飯事。このいわゆる「蚤の市」的イベントは、真夏(7、8月)と真冬(12月、1月)を除けば、ほぼ毎週末、さまざまな規模や内容で各州、各都市、各市町村で行われており、週末の市民の楽しみとして長く愛されています。   トリノでの最大規模がこの「Automotoretro(アウトモトレトロ)」。今年で36回目を迎えるこのイベントは「自動車+バイク+レトロ」を意味するその名の通り、自動車やバイク、自転車などあらゆる車輪がついたもの、そしてその部品はもちろん、広告やノベルティといった関連商品からおもちゃに至るまで、様々な「旧いもの」が手に入る正真正銘の蚤の市なのです。     1923年に生まれたFIAT社の本社兼工場施設であったLINGOTTOの隣(昨年まではリンゴットの一部も使用していた)で開催されるお膝元どころか城内開催のような趣のイベントで、FIAT好きにはたまらないロケーションです。ちなみにこのリンゴット内には商業施設や映画館、ホテルなどもあるので会場までのアクセスも至便。そのロビーには同じトリノの名門、ランチアの旧車が展示されていたりと、ファンにはなかなかたまらない演出がなされています。     あくまでいち都市のローカルイベントでありながら、やはり多くのメーカーが林立していたトリノの引力のなせる技なのか、隣接するスイスやドイツ、フランスはもちろん、オランダやスペイン、ベルギーあたりからも高速をすっ飛ばしてやってくるファンたちも決して少なくない、人気のイベントとなっています。     ブームの裏に…。 FIATやアバルト、ランチアなど多くのイタリアの代表的メーカーや、ピニンファリーナやベルトーネといったイタリアを代表するカロッツェリアが立ち並んだトリノ。やはり本場ならではの「掘り出し物」や「お宝」が多いのもこのイベントの魅力です。   しかし、昨今の旧車ブームによって、多くのバイヤーがトリノに訪れるようになり、ここ数年では高額取引がなされる車両をはじめ、関連部品などの出展数も減少傾向。その煽りを受けてか、軒並み価格が高騰するという状況に見舞われています。   それでもやはりそこはトリノの底力とでも言うのでしょうか。進む高齢化に伴う「次世代へのバトンタッチ」は避けられず、ひょんなことで幻の名車や珍車が売りに出されることも少なくありません。そんな中にはワンオフ(別注・特注)やワンオーナーものがあったりしますので、旧車ファンとしてはやはり気が抜けません。     もうひとつの魅力は、オーナーズクラブの出展です。ここでは、まずお目にかかれないようなコンディションの名車や珍車にお目にかかるチャンスであり、また、ユーザー同士の交流や、情報交換ができるのも大きな魅力。これはSNS全盛となった今も変わらず続く伝統だといえます。     特にイタリアの自動車最大の魅力であるデザインは、紙面や画面で見るのと、間近に見たり触ったりするのとでは大違い。その圧倒的な存在感には、毎回ヤラれてしまいます。   長い歴史は、長く愛されてこそ生まれるものであり、そうした足跡や今も綿々と続く流れのようなものを感じさせてくれるのが、こうした特定ジャンルの蚤の市の魅力。   次回は「アウトモトレトロ」をもっと深掘りしていきたいと思います。 […]

LIFESTYLE

イタリア自動車紀行〜FIATの街、トリノ vol.1

現在のイタリアの首都といえばローマ。 ではローマの前の首都はと聞かれると、わたしたち日本人は「?」となってしまうでしょう。 実はFIATの本拠地であるトリノこそ、今から150年ほど前、19世紀におきたイタリア統一運動の主力であったサヴォイア家の本拠。その後彼らが首都に定めた街だったのです。     「山の麓」を意味するピエモンテ州の州都トリノは、北に雄大なアルプスを構える美しい街。碁盤の目のような近代的な区画整理や、均整の取れた建物が溢れ、オリーブやブドウ畑、地中海といった典型的なイタリアの風景とはまた違う、きりりとした魅力溢れる美しき古都。     そんなかつての首都とともに栄えたのが、その名も「トリノ・イタリア自動車工業」であるわれらがFIAT。 1899年創立、以後「陸に海に空にFIATあり」というスローガンとともに、自動車以外にも鉄道、船舶、航空機などを製造し、文字通りイタリアを支える役割を担ってきました。           次号からは、そんなトリノで2月1日から行われたイベント「AUTOMOTORETRO(アウトモトレトロ)」の模様、現地のオーナーズクラブの情報、街中で活躍する新旧さまざまなFIATたちをお届けしたいと思います。お楽しみに!     つづく […]