2021年9月22日、フィアットはイタリアのトリノに新たな施設「カーサ・チンクエチェント(Casa 500)」と「ピスタ・チンクエチェント(La Pista500)」をオープンした。
「カーサ・チンクエチェント」とは、イタリア語で「(FIAT)500の家」という意味。トリノ市街のフィアット旧リンゴット工場再開発ビルにある「ピナコテカ・アニェッリ(アニェッリ絵画館)」の一部にオープンした。
約700平方メートルの「カーサ・チンクエチェント」の展示室の中心には、1956年に製作された開発用の木製モックアップがディスプレイされている。
第二次世界大戦後のモータリゼーションを支えた1957年モデル、21世紀のチンクエチェントとして登場した2007年モデル、そして2020年登場のEV版「500e(500エレットリカ、ヌオーヴァ500)」という3世代のFIAT 500を展開するスペースだ。
▲カーサ・チンクエチェントの展示室。各時代の500のパーツなどが鎮座している。
内部は8つのテーマで構成されており、例として「ザ・レガシー」では、FIAT 500の産業・文化遺産的価値に焦点を当てている。「メイド・オブ・イタリー」では、オリベッティ製タイプライター、アレッシィのボトルオープナーなど、イタリアのインダストリアルデザインを語るに欠かせないアイテムとともに、FIAT 500が従来の自動車デザインの常識を覆し、人々の認識を変えたことを振り返る。
▲FIAT 500の産業・文化遺産的価値が実感できるコーナーも設置。
ビデオメッセージのなかで、2007年モデルをデザインしたロベルト・ジョリートは、イタリア家庭なら必ず1つはあるヴィアレッティ社のモカ(家庭用エスプレッソ・コーヒー沸かし)を手にとりながら、それがイタリア人の朝を変えたことを語る。そして同様に、FIAT 500(1957年)もイタリア人の生活に変化をもたらしたことを示唆している。
同時に、2代目・3代目が単なるノスタルジーの産物ではなく「進化」と「より良いライフスタイル」を求めた結果であることを強調している。
▲展示室内のディスプレイからも、FIAT 500の歴史の深さを感じることができる。
歴史ゾーンでは、インタビュー、歴代の広告、イベント、受賞歴など、 FIAT 500にまつわるさまざまな動画コンテンツを閲覧できる。広告表現において女性が頻繁に登場することは、FIAT 500が女性の社会進出を促したことを暗示している。
▲カーサ・チンクエチェントのポスター・コレクション。
リンゴット・ビルのアイコン的施設である屋上ヘリポートで行われた開設披露のイベントには、ロックバンド「U2」のボーカリスト、ボノも出席。
企業の販売収益の一部を社会慈善活動に役立てる財団「レッド」の共同設立者でもあるボノは、自身の最初の車が フィアットであったことを振り返るとともに、今回のフィアットの施設を「セクシーかつスマートな計画」と評した。
そうした彼のレッド活動に貢献すべく、フィアットは同日、500eをベースにボディカラーやシート、アクセレレーション・ペダルなどに赤を使用した新仕様「Nuova(500)RED」を世界初公開した。
▲左からフィアットCEO兼ステランティスCMOのオリヴィエ・フランソワ、アニェッリ絵画館のジネヴラ・エルカン会長、シンガーで(RED)の共同創設者のボノ、(RED)社長兼CEOのジェニファー・ロティート、ステランティスのジョン・エルカン会長、ラポ・エルカン。
もうひとつの施設「ラ・ピスタ・チンクエチェント(500コース)」は、旧リンゴット工場再開発ビルの屋上に残っていた旧テストコースに、トリノ名物のヘーゼルナッツを含む300種・約4万本の植物を植樹。2万7千平方メートル・総延長1キロメートルにおよぶ庭園として開放した。屋上庭園としては欧州最大となる。
カーサ・チンクエチェントが“家”であるのに対して、こちらは“庭”という位置づけだ。
▲リンゴット・ビルの屋上に登場したラ・ピスタ・チンクエチェント。
計画には、2014 年にミラノのタワーマンション「ボスコ・ヴェルティカーレ(垂直の森)」で世界的話題を呼んだ建築家ステファノ・ボエリが参画した。庭園は、地域の教育活動にも用いられる予定だ。
▲ラ・ピスタ・チンクエチェントに登場したNuova(500)RED。
リンゴット工場は、フィアット創業17年目の1916年に建設が開始された。当時一帯はまだ、南郊の田園地帯だった。
地上5階建・全長500メートルで、設計はイタリア人建築家ジャコモ・マッテ=トゥルッコが担当した。6年後の1922年に完工、翌1923年5月に旧イタリア王国の第3代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ三世も臨席して落成式が行われている。
▲旧フィアット リンゴット工場のスロープ。
1フロアでの工程が終わるごとに上階に移動させ、最後に総延長約1キロメートルの屋上テストコースで走行試験を行ったあとスロープで搬出するという、世界的にもユニークな自動車工場だった。しかも、積み出し用の鉄道基地も備えていた。
▲1939年当時のリンゴット工場のFIAT 1100の生産ライン。
近代建築三大巨匠のひとり、ル・コルビュジエ(1887-1965)は、第二次世界大戦前から戦後にかけて複数回にわたってリンゴット工場を訪問。この合理主義建築を絶賛するとともに、自らステアリングを握りテストドライブを楽しんでいる。
イタリア在住の筆者もこれまで、この旧リンゴット工場と旧屋上テストコースを訪れるたび、1世紀前とは思えない壮大な構想に圧倒されてきた。
▲1966年当時のリンゴット工場の旧屋上テストコース。
1982年の操業終了まで、生産された車両は80車種にのぼる。
その後ビルは解体される代わりに、パリ「ポンピドー・センター」で知られる世界的建築家レンツォ・ピアノによってリニューアル計画が着手された。
そして1990年代後半にはショッピングモールやシネマ・コンプレックス、オフィス、ホテル、ホール「オーディトリウム・ジョヴァンニ・アニェッリ」を含む巨大商業・文化施設へと生まれ変わった。
屋上にはヘリポート付きのモダンなドーム状会議室や、前述の絵画館が同じくレンツォ・ピアノによって設計・開設された。当初、トリノ旧市街から離れていることもあり、客足の伸びは今ひとつであったが、2006年トリノ冬季五輪の組織委員会が置かれたのと前後してテナントが徐々に増えていった。
2007年には隣接地に高級食料品店「イータリー」第1号店が開店、続いて2010年には、トリノ初の地下鉄がリンゴットまで延伸してアクセス性が向上したことで、さらに賑わいを増した。
▲造園中のラ・ピスタ・チンクエチェント(2021年7月20日撮影)。
屋上テストコースは、従来も自動車愛好家イベントや新車発表会、さらに一時は、入居するホテルのゲスト用ジョギングコースに至るまで、さまざまな用途に用いられてきた。だが、半恒久的施設としては、今回のピスタ・チンクチェントが事実上、再開発後初のプロジェクトとなる。
また、オープンは2021年7月を予定していたが、植物群の定着を考慮し、9月に延期された。
▲ラ・ピスタ・チンクエチェントとNuova(500)RED。
当初フィアットは500eのイベント用に検討していたが「トリノをはじめとする地域社会全体のために、永遠に残る作品に再投資することを決定した」と フィアットブランドCEOのオリヴィエ・フランソワは振り返る。
ピエモンテの山々を常に見渡すことができるうえ、冬は幻想的な霧に包まれるリンゴットゆえ、トリノの新たな観光名所となることは間違いない。
フィアットブランドをもつステランティス・グループのジョン・エルカン会長は、完成披露の席上「祖父ジョヴァンニ・アニェッリ(フィアット 名誉会長)は、絵画館をつくるときも常に人々に貢献することを考えていた」と回想。同時にトリノの地域社会のため、 グループとして20億ユーロ分の貢献を果たすことを明らかにした。
▲隣接する商業施設「グリーンピー」の電動車専用ショールーム「e ヴィレッジ」。
参考までにリンゴット複合施設の向かいに 2020 年末オープンした「グリーンピー(Green Pea)」は、環境を意識したファッションビルだ。その 1 階にフィアットは、すでに電動化車両に特化したショールーム「e ヴィレッジ (e-Village)」をオープンしている。
フィアットはブランドを育ててくれた故郷トリノに、エコ・サステナブルというかたちで恩返しをしようとしている。
文 : 大矢アキオAkio Lorenzo OYA
写真 : Stellantis/大矢アキオAkio Lorenzo OYA
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