文=田代いたる(ベスト・イタリアン選考委員) 写真=太田隆生
真っ赤なボディに、ベージュのソフトトップが何ともスタイリッシュな500Cが、この日、『IKEA立川』のパーキングにありました。オーナーは竹内悠介さんと舞さん夫妻。ペーパーナプキン、ストロー、フォトフレームなど、今日もたくさんお買い上げのよう。『IKEA立川』には「よく来ます」と笑顔で舞さん。竹内さんも、「店で使っているテーブル周りの備品など、いつもここで買っています。イタリアに住んでいた頃から愛用していますよ」と続けます。竹内さんは、西荻窪で人気のイタリア料理店『トラットリア29(ヴェンティノーヴェ)』のオーナーシェフです。
よく訪れる『IKEA立川』で仲良く商品を吟味する、竹内悠介さんと舞さん夫妻。この日は、いつもの品々のほかに、仕込み用に使う大きめのフライパンや小さなクリスマスツリーをお買い上げ。
本日の購入品で、ラゲッジスペースはほぼ満杯に。晴天に映える真っ赤なボディが溌剌として、スタイリッシュ。
愛車を走らせ、店に戻った竹内さん。舞さんにも手伝ってもらい、ディナータイムの準備に取りかかります。『トラットリア29』は今年で7年目。当初から変わらないコンセプトは「お肉の美味しいイタリアンレストラン」。メインはもちろん、前菜やパスタも肉料理がズラリ。その原点は竹内さんが修行したトスカーナ州にありました。
「けれど、最初の修行先にトスカーナを選んだ理由は、当時、自分の中にイメージができたイタリアで唯一の州だったから。本当に、そんな程度(笑)。元々、肉料理は好きで『州都のフィレンツェもビステッカが名物だからなぁ』って。何のツテもなく、行ってしまいました」。
最初の修業は、ビザの関係から半年の期間限定でした。「運良く、日本人シェフが在籍していた、フィレンツェの店で働くことはできたのですが、半年では全然、足りなかった。そこの先輩料理人から、存在を教えてもらったのが『チェッキーニ』でした」。そこである日、見学に出かけることに。
何ともスタイリッシュな『トラットリア29』の店内。「当初はカフェと間違えるお客様もいらっしゃいました(笑)」と竹内さん。今やすっかり認知され、「一度、座って食べて飲んだ方々は『いい感じでなじむね』と、言ってくださいます」と舞さん。
『チェッキーニ』とは、トスカーナ州パンツァーノで400年(!)も続く老舗の精肉店。生の肉を卸し、販売するだけでなく、生ハムやサラミ、牛肉のタルタルなど、肉の総菜もいろいろ扱っています。店の向かいにはビステッカが名物の直営レストランも併設。竹内さんも驚いた、肉尽くしの環境がそこにはありました。
「生から熟成まで、肉料理に、これほど多彩なアプローチがあるのかと感激しました。その奥行の深さにすっかり魅せられてしまった」。
竹内さんがここで実感したのはひとつの文化。主役は肉で、町のお肉屋さんがその文化を牽引し、多くの人から愛され続けている。「いつかは自分の店を持ちたい」。イタリア料理の世界に飛び込んだときから抱いていた、竹内さんの漠然とした夢は『チェッキーニ』と出逢い、確固たる信念に変わりました。
「肉に特化した店をやる」。強い決意を胸に抱き、改めてイタリアへ渡った竹内さん。ほかの州も知っておきたいと、今度はエミリア・ロマーニャ州ボローニャで著名な『トラットリア・ダ・アメリーゴ』や、マルケ州で城壁の内にあるリストランテ『ラ・ボッテ』といった名店で研鑽を積みます。一方で、『チェッキーニ』にはずっと修業を嘆願。望みが叶ったのは、渡伊から1年半の月日が経った頃でした。
上:随所に肉がモチーフのオブジェやアートがいっぱい。店内は“肉愛”で溢れている。
下:インテリアコーディネートは舞さんの担当。現地で買った小物や写真も多い。『チェッキーニ』のボス、ダリオ氏のポートレートなど、イタリアでの思い出をいろいろと展示。
「『チェッキーニ』では本当に、朝から晩までみっちり、肉(笑)。毎日7時から午前中はずっと、70歳を越える熟練職人の隣で肉を解体して、ランチタイムはレストランの手伝い。夜は夜で、また肉屋に戻って作業する。おかげで、それぞれの部位にはどんな特性があって、どういう調理が適しているのか、深く知ることができました」。
だから『トラットリア29』のビステッカは、イタリアで感激した赤身の美味しさを真っ直ぐに伝えるスペシャリテ。調味は基本的に焼き上がりに振る塩のみで、熱源も炭火。『チェッキーニ』と同じスタイルを踏襲しています。
「表面の水分を適度に飛ばして香ばしく、中はレアに仕上げるイメージ。時間はかけず、一気に焼き上げる。今日の短角牛で300gほどですが、完成まで10分ぐらい。日本で塊肉だと休ませながら焼くというイメージがありますが、イタリア人に言わせると、『それはビステッカでなく、ローストビーフだ』って言われてしまう(笑)」。
竹内さんの料理には、他店での経験もしっかりと生きている。例えば、ボローニャの名物、タリアテッレ・アッラ・ボロネーゼ。「ウチのボロネーゼは、ボローニャの修業先、肉の旨みが強い『トラットリア・ダ・アメリーゴ』のレシピと、よく食べに行って、粗挽き肉が豪快だった『オステリア・ボッテッガ』の、良いとこ取り(笑)」。店の定番パスタ〈タリアテッレ ボロニェーゼ〉¥1,800。スネやスジなども使った肉の旨さを実感する味で、風味を損なわないよう「長く煮込まない」点もポイント。手打ちパスタも抜群の美味しさ。
アーティチョークのオムレツも、やはりフィレンツェにある老舗トラットリアのスペシャリテ。〈カルチョフィ(アーティチョーク)のオムレツ〉¥1,200。アーティチョークはホクホク。ドレープも美しい玉子は、フワッとした食感。
『トラットリア29』は、イタリアの食文化に惚れ込んだ、竹内さんの熱意が凝縮されたレストラン。今も、年に1回は現地へ。そこで体感し、会得した、すべてが血となり肉となってお店に結実しているのです。実は、この日も2週間ほど滞在したフィレンツェから戻ったばかり。今回も、少なからず新たな発見があったようです。「新しい写真を飾らないと」。笑顔で舞さんが言いました。
そう言えば、竹内さんと舞さんが初めて出逢ったのもフィレンツェだったのでは?
「実は、よく食べに行っていた『トラットリア・ソスタンツァ』の裏手に、妻と横内美恵さんが暮らしていた部屋があって。横内さんを介して知り合いました」
横内さんは、今、『トラットリア29』の店舗を使い、別業態としてランチ限定で営業する、サンドウィッチ専門店『3&1(トレ・エ・ウーノ)』の責任者。竹内さんがフィレンツェで初めて働いた店の後任が、横内さんという縁があります。当時、彼女のルームメイトとして一緒に暮らし、ジュエリーデザインの学校に通っていたのが、舞さんでした。
舞さん曰く、「この店のデザインは、私の美大時代の先生にお願いしました。もちろん、2人のアイデアはいろいろとリクエストしています。そして、小物などを集めて飾るコーディネートは私の担当。飾る写真などは、折に触れて替えています」。
上:竹内さんと『3&1』を手がける横内美恵さん。
下右:自慢の手打ちパスタの仕込みも、横内さんが担当。
下左:ビステッカは炭火で一気に焼く。年間で安定した赤身の美味しさを求め、仕入れる肉はこの6年間で、いろいろ試行錯誤したそう。今は岩手の短角牛のほか、豪州産アンガス牛、宮崎や山形産の黒毛和牛も使用。
なるほど、明るくスタイリッシュな店内は、夢を叶えてジュエリーデザイナーとしても活躍する舞さんと、竹内さん、そして美大時代の恩師のセンスの賜物。伝統的で重厚な肉料理を提供するするレストランとは思えないほど、洗練されています。実はその理由も「『チェッキーニ』の存在が大きかった」と舞さんは振り返ります。
「歴史があるお店なので、建物自体は何百年も前に建てられたままですが、『チェッキーニ』のレストランは、中に入るとビックリするぐらい、モダンにリノベーションされていた。彼らチームのデザイン力を実感しました。帰国して、店を始めるとき、最初から、そういう風にしたいねって2人で話していました」。
聞けば、トスカーナ州の代表的ワイン、キアンティの品評会でも、古い駅舎を会場に使用。外観は荘厳に、中は明るくモダンなんてことがよくあるそう。イタリアは美食の国であると同時にデザインの国でもある。そんなことを改めて思い出します。そして、竹内さんが愛車に500Cを選んだのも、イタリアへの愛の深さを考えれば、当然のことでした。
上:〈岩手県 短角牛ランプの炭火グリル〉300g(約2人前)¥4,500、自家製サルシッチャ(ソーセージ)の炭火グリル1本¥950。『チェッキーニ』スタイルを踏襲するビステッカと、やはりトスカーナ流を貫いて、フェンネルのツボミが香る自家製ソーセージをひと皿に。
下:店の近くの駐車場で、仕事終わりの持ち主を待つ500C。
「ちょうど、僕がボローニャで修業していた頃、500に3代目が誕生して、街で見る度に『乗りたいなぁ』って思っていました。免許もなかったのに(笑)。イタリア人の同僚に『買ったぜ』と自慢されたときはホント、悔しかったなぁ」。
だから、運転免許取得の動機はただ一途に「500に乗りたかったから」。忙しい合間に免許を取って、店が軌道に乗った3年半ほど前にようやく、500Cを購入しました。買い出しでも大活躍する、今や『トラットリア29』には欠かせない、大切な存在です。
「かわいくて選んだカラーリングですが、後から見るとベージュが脂、ボディが赤身で、やっぱり肉になっているんです(笑)」という竹内さんに、舞さんは「彼はいつもそう言うんですけど、誰も同調してくれない(笑)」。
イタリア文化を丸ごと愛する2人の熱い思いが、『トラットリア29』の料理と店舗、そして500Cに凝縮されています。
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