fiat magazine ciao!

ヘリテージHUB

DRIVING

自動車ライター嶋田智之さんが解説!フィアットの歴史を彩る名車たち

創立から120年以上の歴史を持ち、人々から愛され続けているフィアット。その歴史や時代を彩った名車を、イタリア・トリノにあるフィアット歴史博物館とヘリテージHUBに収蔵されている名車の写真とともに自動車ライターの嶋田智之さんに解説してもらった。   フィアットのはじまり   “かわいい”や“楽しそう”からフィアットの世界に足を踏み入れた方が、その歴史についてご存知なかったとしても、無理はありません。なぜなら“かわいい”も“楽しい”も自動車にとっての揺るぎない価値であり、ひとつの正義。歴史にまつわることなんて知らなくても、そこはたっぷりと満喫できちゃうからです。心と身体で感じて喜びが生まれる。それが最も大切なことですからね。 でも、もう半歩だけ足を進めて歴史の一端をチラ見してみたりすると、大好きなフィアットというブランドの奥深さに気づいたり、自分のクルマについての理解がさらに進んだりして、これまで以上に愛情が膨らんでいくかも知れません。今回はそんなお話を少々──。 フィアットは、イタリア最古の自動車メーカーで、19世紀の終わりの1899年7月、9人の実業家の出資によってトリノに誕生しました。FIATとは“Fabbrica Italiana Automobili Torino”の略で、直訳するなら“トリノのイタリア自動車製造所”となるでしょう。     9人の出資者の中に、養蚕業を営んでいたジョヴァンニ・アニェッリという人物がいました。アニェッリは所有株数こそ極めて少なかったものの創業メンバーの中で最も意欲的で、イタリアに自動車産業を根付かせることを目指して、先頭に立って工場用地を探したり設備を整えたりと奮闘し、自動車の生産を押し進めました。そして1902年、代表取締役に就任。ここからフィアットの快進撃がスタートします。当時の自動車産業は、まだ黎明期と言える時期。当然ながら、クルマは一部の大富豪だけが買うことのできた高級品でした。アニェッリは結果的に高級になってしまうクルマを作るだけではよしとせず、辻馬車に代わるタクシーや商用車、路面電車、船舶用エンジンなどへと手を広げ、フィアットを成長させていきます。     そして1912年、ついにヨーロッパにおける大衆車のパイオニアと後に呼ばれるモデル、『12/15HPゼーロ』を発売。これがヒットとなり、イタリアに自動車を普及させる足掛かりとなったのです。当時のイタリアには他にも自動車メーカーは存在していましたが、大衆車というものに目を向けていたのはフィアットだけだったといっても過言ではないでしょう。   一緒に暮らして楽しいクルマ   1914年にはじまった第1次世界大戦の影響で、フィアットは軍用車両や飛行機、船舶の生産も担うことを余儀なくされます。その後も重工業や機械工業、鉄道、銀行といった他業種にも業務を拡大。複合企業として、多くの雇用を生み出しながら成長を続け、1936年、いよいよ本当の意味での大衆車、トッポリーノこと初代『500(チンクエチェント)』の発売に漕ぎ着けたのでした。小型車から高級車までを作る総合自動車メーカーでありながら、利幅の少ない大衆車に大きな力を注いだのです。途中、第2次世界大戦で生産が止まっていた時期もありましたが、1955年に生産が終了するまでに、系列のクルマも含めて60万台ほどが生産されたことを考えると、それまでのクルマとくらべて大幅に安く買うことのできたトッポリーノが、どれほどイタリアの人達に歓迎されていたか、想像できるでしょう。     第2次世界大戦後の復興期には、1955年に『600(セイチェント)』を発表し、1957年には『Nuova 500(ヌォーヴァ・チンクエチェント)』こと2代目『500(チンクエチェント)』を発売。それらは今も、歴史的な名車として自動車史に名が刻まれています。イタリアの経済を左右する巨大コングロマリットとなっても、1964年デビューの『850』、1969年の『128』、1980年の初代『Panda』、1983年の『UNO(ウーノ)』などなど、小型大衆車の名作と呼ばれるクルマを次々と生み出しました。もちろん総合自動車メーカーですから、ラグジュアリーなセダンやスポーツカーなども作りましたが、それらも他のブランドとくらべればリーズナブルな設定でした。     1960年代後半から1980年代には経営が困難になっていた様々なイタリアの自動車メーカーを傘下に収めてグループを形成し、2014年にはクライスラーも子会社化して『FCA(フィアット・クライスラー・オートモビルズ)』を新たに設立。ブランドごとの棲み分けを綺麗に作り上げると、フィアットは大衆車、いや“一般の人のためのクルマ”作りに集中できるようになりました。多くの人にとって手が届く値段で、一緒に暮らして楽しいクルマに専念することができているわけです。そこは、昔の『500』や『600』、『Panda』などを見てもわかるとおり、フィアットが100年以上も前から大切にしてきたゾーンといえるでしょう。 そう、フィアットは創業から今日まで、イタリアという国に寄り添い、イタリア人に寄り添い続けてきたのですね。その結果として、フィアットならではの、すんなりと人の感性に馴染む心地好さ、同じ時間をともに過ごすことの理屈じゃない喜びといったものが世界中に広がり、僕達ファンの心を優しく惹き付けることになったのです。   フィアット歴史博物館『チェントロ・ストリコ・フィアット』   そうした歴史の流れを自然と実感できる施設が、フィアットの本拠地であるトリノに、ふたつ存在しています。 ひとつは『チェントロ・ストリコ・フィアット』。こちらはフィアットの歴史博物館ともいうべき場所で、1963年に設立されました。フィアットの最初の生産工場を1907年に拡張したときに作られた、アールヌーヴォ様式の建物が使われています。     その建物の美しさもさることながら、驚くべきはやはりその収蔵物でしょう。フィアット最初のモデルである『3.5HP』や1924年の世界速度記録車『メフィストフェーレ』といった歴史的なモデルの数々、そして1919年製造の最初のトラクター、第1次世界大戦でイタリア軍の兵士を運んだトラック、戦闘機、船のエンジン、自転車、冷蔵庫などの家電製品、クルマの設計図、クルマのボディを作るための木型、ポスターや広告などの印刷物などなど……。ファンにとっては見逃せない『500』や『600』に関する展示も、もちろんあります。       じっくり見ようと思ったら1日では時間がたりないほど。所狭しと飾られている展示品の数々から、フィアットがイタリアという国にもたらしてきたもの、そして世界に及ぼしてきた影響というものを、肌感覚でじんわりと知ることができるでしょう。 なお、入館できるのは毎週日曜日のみですが、10時から19時まで開館していて、入場無料なのが嬉しいところです。     歴代モデル250台以上を収蔵する『ヘリテージHUB』   フィアットの歴史を感じられるもうひとつの施設が『ヘリテージHUB』。ここは、2019年にミラフィオーリ工場の敷地内に開設された、旧FCAイタリアンブランドのヘリテージ部門の本拠地です。フィアットをはじめ、アバルト、ランチア、アルファ ロメオなどの歴代モデルを一堂に集めて保管・展示する施設であり、1960年代半ばに作られたフィアットのトランスミッション生産工場の雰囲気をそのまま活かしながらリニューアルされた15,000㎡の敷地の中に、250台を超える歴史的なクルマ達が並べられています。また、ユーザーが持ち込むヒストリックモデルのレストアを行う作業場も隣接されています。     アルファ ロメオが以前からアレーゼに『ムゼオ・ストリコ・アルファ ロメオ』という歴史博物館をオープンしていること、そしてアバルトは世に出たモデルの多くが競技車両として売られて世界中に散っていることもあって、ここに展示されている250台のほとんどがフィアットとランチア。フィアットには『チェントロ・ストリコ・フィアット』もあるのですが、とてもそちらだけに収めきれるはずもなく、むしろ収蔵台数で言うならこちらの方が多いほど。     こちらは市販されてきたプロダクションモデルはもちろん、国際的なアドヴェンチャーツアーを走ったクルマや競技を戦ったマシン、ショーモデル、プロトタイプなどの数々が、テーマ展示のエリアではたっぷり整然と、それ以外の車両はテーマ展示を囲むようにギッチリと詰め込まれて展示されています。 […]