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世田谷トリュフ
LIFESTYLE

作詞作曲家・宮下 智が手がけるトリュフ専門店「世田谷トリュフ」へ

2019年8月、世田谷区奥沢にオープンした「世田谷トリュフ」。“日本茶にあうチョコレート”をコンセプトに毎月6種類のフレーバーを創作・提案している、知る人ぞ知るトリュフ専門店です。そして、同店でショコラティエールを務めるのは、田原俊彦さんの代表曲「ハッとして!Good」をはじめ、数々のポピュラー音楽を手がけてきた作詞作曲家・宮下 智ことYumiko Womackさん。数々のヒット曲を生み出してきた天才作曲家がつくるこだわりのチョコレート、気になりませんか? 今回は、Yumikoさんとともにお店を経営するMami Lyonさんのおふたりに「世田谷トリュフ」誕生までの経緯と一粒に込められた想いについて伺いました。     極上の一粒を求めて、「500C」で街をドライブ   「世田谷トリュフ」があるのは、世田谷区・奥沢のパワースポットとしても知られる奥澤神社すぐそばの閑静な通り。賑やかな自由が丘から奥へ一歩入った、落ち着きのあるエリアの一角にあります。 今回は、オープンエアで心地よい風を感じられるフィアット500C(チンクチェント シー)で、未知なる美味しさを求めて街をドライブ。都会的でありながら緑あふれる穏やかな世田谷の街並みに、愛嬌たっぷり存在感抜群な500Cの佇まいが映えます。   500C(チンクエチェント シー) ボサノバ ホワイト / アイボリー   500Cの特徴といえば、ソフトトップを用いた開閉できる電動オープントップ。ボタンひとつで操作は簡単、オープンエアでドライブすれば見慣れた景色にウキウキ気分を添えてくれます。 取材当日は、気持ちのいい晴天!真っ青な初夏の空をオープンエアで満喫しました。 ソフトトップは、半開(後部座席途中くらいまで)と、リアウインドーまで全開との2段階で切り替え可能。日差しが強い場面では半開にして日陰を作るなど、必要に応じてボタンひとつで操作できるのはとても便利!   開けても閉めてもおしゃれな、電動ソフトトップを装備。バックミラー横のボタンひとつで操作も楽々。   小回りの利くコンパクトな車体はもちろんのこと、街乗りドライブの楽しさを増幅させてくれる充実した機能も魅力の一つ。 メディアプレイヤー機能やハンズフリー通話をはじめ、スマートフォンとの連動も可能な「Uconnect®」を搭載し、シームレスな操作で安全かつ楽しいドライブをアシストしてくれます。   ハンドルのステアリングスチッチで、ドライブ中の通話や音声入力も快適に。     芸能界からショコラティエールへの転身、「世田谷トリュフ」が出来るまで   最寄駅の東急大井町線「奥沢駅」からは徒歩3分。車の場合は、目黒通りを自由が丘方向へ。コーヒーストリートの愛称で知られる「自由通り」を道なりに進み、自由が丘の先の奥沢駅手前にある「大蛇通り」を左折、奥沢病院の先にあるマンション1階の角が「世田谷トリュフ」です。     一見、ギャラリーのような店構えの「世田谷トリュフ」。ガラス張りの軒先を覗き込んでいたところを満面の笑顔で出迎えてくれたのは、ショコラティエールのYumikoさんとPRご担当のMamiさん。   世田谷トリュフ PR Mami Lyonさん(左) とショコラティエールYumiko Womackさん(右)   もともとは、それぞれ芸能界で活動するなかで共通の知人を介して知り合ったというおふたり。そのお付き合いは、30年以上になるのだとか。毎月発表される新しいフレーバーのテーマやお店の内装は、おふたりでインスピレーションを共有しながら作り上げているそうです。 そんな「世田谷トリュフ」がスタートしたきっかけは、Yumikoさんが芸能界を離れ、結婚を機にアメリカへ移住した1990年代に遡ります。     Yumikoさん:それまでの慌ただしい生活から一転、すごくゆっくりとした時間を過ごすようになったんです。そんな毎日の中で、よくお菓子をつくっては家族や友達に振舞うようになりました。なかでもチョコレートはすごく評判が良くて。そのうち「本格的にチョコレート作りを学びたい」という気持ちが高まって、フランス・リヨンに渡り、ショコラティエのもとで基礎から学びました。 以降、Yumikoさんはカリフォルニア州ナパのワイナリーと提携し、ワイントリュフづくりをスタート。その味わいはファーマーズマーケットで好評を呼び、たまたま現地を訪れた著名グルメライターの目に留まったことを追い風に、一躍ビジネスとして軌道に乗ったそう。 ところが2017年10月、カリフォルニアで発生した大規模な山火事によりに生活は一変。Yumikoさんの住まいは全焼、ナパ・ヴァレー一帯にも甚大な被害が及びました。このことを機に、ワイントリュフづくりはやむなく中断になり、Yumikoさんは帰国することに。このときのことをYumikoさんとMamiさんはこう振り返ります。     […]