『500C(チンクエチェントシー)』と『Panda(パンダ)』の2台のフィアットを所有され、ミニチュアシュナウザーの愛犬ロンくんと一緒に待ち合わせ場所にお越しくださった田中さんファミリー。個性の異なる2台をそれぞれ大切にし、「ずっと手放したくない」と愛情を語ってくれました。ご夫婦でそれぞれマイカーを持つことで新たな境地を切り開いた、そんな田中さんファミリーのフィアットライフをご紹介。 家族で乗るには“近い”方がいい 『500(チンクエチェント)』はいつ頃から乗っていらっしゃるのですか? 彰さん(ご主人) 「2014年8月に購入したので、もうすぐ10年になります。購入したきっかけは、その前に乗っていたクルマの故障修理費が高額だったので買い替えを検討したんです。当時、国産のハイブリッドカーなども選択肢にあったのですが、僕は子どもの頃から『ルパン三世』が好きで、チンクエチェントのことがずっと頭にあったんです。『ルパン三世』に出ていたチンクエチェントが新しく生まれ変わっていたことは知っていたので1度見に行こうと、妻と長女と3人でショールームに見に行ったんです。そしたらもう、思いのほか惚れ込んでしまいまして(笑)。ちょうど限定車が出たタイミングで、しかも『ルパン三世』に出ていたヌオーヴァ500と同じ黄色だったので、すぐに購入を決めたんです」 富子さん(奥さま) 「主人はその時、“欲しい、欲しい”とそればかり言っていました(笑)」 『500C』オーナーの田中彰さん。 『500C』に乗った印象はどうでしたか? 彰さん 「楽しかったですねぇ。排気量が1000ccにも満たないツインエアエンジンってどうなんだろう? と最初は思っていたのですが、思いのほか元気よく走ってくれたのが驚きでした。ゆったり走っている時はドコ、ドコ、ドコとエンジンの鼓動が感じられ、高速道路で一定の速度に達すると、スーッと静かになるんですよね。それがまた快適だしかわいいんです(笑)」 購入当初から奥さまも運転されていたのですか? 富子さん 「乗っていました。ただ『500C』は見ている分にはすごくかわいいし、運転も楽ではあったんですけど、個人的にはもう少し広さが欲しかったんです。買い物や子どもの送迎に使うことを考えると、5ドアがいいなという気持ちがあったので、私は『Panda』がいいなと思っていたんですよ(笑)」 富子さんの愛車の『Panda』。 田中家は、お嬢さん2人と、長男がいらっしゃる5人家族。現在高校2年生の長男は野球に励まれていて、甲子園を目指して頑張っているそうです。小学校の頃から週末は野球三昧という日が続き、ご主人と奥さまも毎週末のように野球場に通っているそうです。 彰さん 「息子の野球で子ども達と遠征をすることも多かったので、『500C』とは別に国産の3列シートのミニバンに乗っていたんです。ミニバンは確かに広くて便利なんですが、仕事でお客さんとの打ち合わせに行く時には『500C』を使用していました。仕事では脚立をよく運ぶのですが、折り畳み式の脚立を小さな『500C』に詰め込んで出掛けています」 自営業を営まれている田中さんはお仕事にも『500C』を愛用されているそうです。 大きなクルマがあってもあえてチンクエチェントを選んで出掛けられていたのですか? 彰さん 「長い脚立が必要な時はミニバンで行くこともありましたけど、移動が楽しくないんですよね。ただ目的地に行くだけという感じがして。『500C』だと、自分が好きだからというのもあるんでしょうけど、何でもない移動でも乗っているだけで気持ちが充実するというか、楽しく感じられるんです」 仕事の時は『500C』、家族で出掛ける時はミニバンという具合に使い分けていらしたのですか? 彰さん 「いや、家族で移動する時も『500C』の出番が多かったです。ミニバンは広くて便利ではあるんですけど運転するのは僕じゃないですか。子どもも妻もみんな後席に座ってしまうので、運転していて楽しくないんですよ。それが苦痛で。結局ミニバンは手放してしまいました」 小さなクルマの方が楽しいですか? 彰さん 「小さいと家族で乗る時に一体感があるんです。長女が就職で東京に行くとなった時も、東京まで妻と娘と3人で『500C』で物件探しに行ったんです。その時の一体感たるものや凄かったですよ(笑)。もうみんな息がかかるぐらい近くに居て」 >>>次ページ ちょうど良さとさりげな
クルマ好きのお客さんのガレージハウスを設計するなど、建築士として活躍している近藤光一(こんどう・こういち)さん。普段乗りできる楽しいクルマとして『500C TwinAir(チンクエチェントシー ツインエア)』を購入された近藤さんに、フィアットを選ばれた理由、そして『500』の魅力について自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。 『NUOVA 500』と同じオープントップ 今回登場していただく近藤光一さんは、ガレージハウスやビルトインガレージ住宅、店舗などを手掛ける建築士さん。趣味のフランス製クーペとハッチバック、イタリア製オープンスポーツカー、普段使いの日本製SUVと奥さま用のフランス製MPV、そして普段乗りもできる趣味のクルマとして2022年に『500C TwinAir(チンクエチェントシー ツインエア)』を増車したエンスージャストでもあります。 「僕は趣味のクルマの世界にはフランス車の方から入ってきているんです」とおっしゃる近藤さんが『500』のどんなところに惚れ込んでいるのか、お話を伺いました。 ▲近藤光一さん フランス車の世界から入った、とはどういう流れなんですか? 「最初のうちは日本車を2、3台乗り継いでいたんですけど、途中で何か虚しくなっちゃったんですね。だけど、たまたまうちの近所でフランス車のハッチバックを試乗したら、よく走るし乗り心地もいいし安い。そこからフランス車の世界に入ったんです。日本車を乗り継いでいたときには足はガチガチが偉い、街の中では信号での出だしが速ければいいみたいに、クルマの価値観が凝り固まっていた部分があったんですけど、そのクルマに乗ってからはどうでもよくなっちゃいました。すべての方程式をそこから組み直した感じです」 『500』との出逢いは? ▲近藤さんご自宅のガレージと『500C』 「実は、プロトタイプの『トレピウーノ』を見て興奮したタイプなんです(笑)。2004年に発表されたのを知って、早く出ろ、早く出ろ、って。デザインに惹かれて、欲しいと思ったんですね。僕はフランス車が好きな一方で、昔からクラシックなイタリア車に趣味で乗っていて、それが今持っているオープンカーなんです。イタリアやイタリアの文化、イタリアのクルマも大好きなんですよ。それで2007年の新型『500』デビューのタイミングに合わせてチンクエチェント博物館がイタリアツアーを企画してくれたので、僕も参加して『500』のインターナショナルミーティングにも行きました。実はそのとき、僕は新型『500』を買うつもりで行ってるんですよ。おつきあいさせていただいている博物館の伊藤精朗代表が誘ってくれたから、みんなで買いに行きましょう!って(笑)。そう言ったくせに、結局、15年間買わなくて……」 何か理由があったんですか? 「発表されたのは2007年でしたけど、クルマは2008年まで入ってこなかったじゃないですか。その間にいろんなクルマの誘惑があって、手元のクルマが増えちゃったんです。もうこれ以上は増やせないし、でもずっと気になっているし、っていう状態で15年が経っちゃったんですね」 15年の沈黙を破って『500』を購入することになった、そのきっかけは? 「コロナ渦と世界情勢の影響、ですね。ちょうど1年前の初夏、それらが原因で部品が入ってこなくなっちゃったんですよ。奥さんのクルマと古いオープンカー以外、あれもこもれもぜんぶ動かせなくなっちゃったんです。だから仕方なくエアコンもパワーステアリングもない、古いオープンカーを足に使っていたんですよ。真夏に(笑)。打ち合わせで現場にも行きたいしお客さんのところも行きたいんだけど、汗染みだらけの変な人が来たって思われたら嫌だなって考えていたら、友達がチンクエチェントのレンタカーがあることを教えてくれて、借りることにしたんです。そこで気がついたんですよ。僕は15年間、このクルマを買ってなかったって。結局3ヶ月借りて、秋に自分の『500C』を買いました。ツインエアにするか1.2ℓにするか迷いましたけどね」 『500C』を選んだのはなぜでしょう? 「最初の『NUOVA 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』のトップって、お尻の方まで開くんですよね。あのデザインこそが『500』だと思っていたんです。だから2009年の春先に『500C』が追加されたとき、それをモチーフにデザインしてくれたことが嬉しくて。ルーフの上の部分だけじゃなくてお尻の方までトップが降りてくる。これだよこれ!と思って、最初から『500C』を買うつもりでした」 ツインエアを選んだのは? 「1.2ℓの『500』のレンタカーに乗っているときに、高速道路の長い登り坂で個人的にトルク不足を感じたんです。僕なんかはデュアロジックでギアを落としてエンジンの回転を上げてしのぎますけど、奥さんは苦手みたい。それでショールームに行ってツインエアを試乗させてもらったら、やっぱり元気だなって感じたんです。トルクがありますよね。これなら大丈夫って確信しました。実際、僕の家のまわりも坂道が多いんですけど、力強さには不満はありませんよ」 次のページ:【一家に1台『500C』だな、って思う】
広告制作会社にお勤めの小島潤一(こじま・じゅんいち)さんにアートディレクターの目線で、13年間乗り続けている『500C』について語っていただきました。フィアットを選んだ理由やデザインの魅力について、自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺います。 昔から全般的にクラシカルなデザインのものが好き 今回ご登場いただく小島潤一さんは、日本でも有数の広告クリエイティブを手掛ける会社にお勤めの、アートディレクター。企業や商品、大型施設などのブランディングを取りまとめ、TVCMの企画からロゴ・パッケージ・空間まで多岐にわたる分野のデザインも手掛けてこられました。またプライベートでは1961年式の英国製ライトウェイトスポーツカーを長年所有しつづけてきたエンスージアストでもあります。 そしてもう1台の愛車が、2010年に50台限定で販売された、テックハウス グレーのボディに赤いソフトトップが組み合わせられた『500C VINTAGE(チンクエチェントシー ヴィンテージ)』。優れた審美眼や絶妙なバランス感覚、そして豊かな遊び心が要求されるお仕事につき、クルマ趣味の酸いも甘いも体験してきている小島さんが、新車で購入されてから13年間、なぜ『500』に乗り続けているのか、お話を伺いました。 ▲小島潤一さん 小島さんの車歴は、誰もが知っている英国製の小さな名車からはじまったのだそうです。 「19歳のときに買って、6年乗りました。でもエンジンを降ろすことになりお金がかかりそうだったので、フランス製の洒落た小型ハッチバックに乗り換えたんです。でも、しっくりこなくて、半年ぐらいで国産オープンスポーツカーに。すごくダイレクトで、レスポンスもよかったし、ここでオープンの魅力を知りました。まわりにはヒストリックスポーツカーに乗っている知り合いがたくさんいて、こういうブレーンがいれば古いクルマに乗っても平気かな、と思って今の1961年式の英国製オープンスポーツカーに乗り換えたんです。30年ぐらい前の話ですね」 ▲小島さんご自宅のガレージ そのクルマが持つ独特の世界観と、全身で楽しさを感じられるドライビングフィールに魅せられてしまった、ということなのでしょう。でも、驚いたことに小島さんはそれから20年ほど、その小さなスポーツカー1台で過ごしてこられたのだとか。その間に結婚もされ、奥さまも“クルマっていうのはこういう(長く乗る)ものだ”と思ってこられたのだそうです。にも関わらず、2010年に突然『500』を購入されたのはなぜなのか、やはり気になります。 「小さいクルマが好きだし、昔から全般的にクラシカルなデザインのものが好きだったから、古い『500』もすごく好きだったんです。以前、かつての名車をモダンにデザインしなおしたようなクルマがいろいろなメーカーから出たじゃないですか。その流れの中でフィアットからも『500』がデビューして、『これはやばいな』と思ったんです。普段使いのクルマの必要性を感じていたから。でも、なぜか踏み出せなかったんですよ。そのあと、アンテナを張っていたらテックハウス グレーに赤いソフトトップのモデルが出て、昔の『500』のルーフをパタパタって開けるのに似ていて、即、買っちゃったんです。ショールームですぐに売り切れちゃうと思うっていわれて、ほとんど一目惚れの衝動買いですね(笑)」 ▲『500C VINTAGE』 イタリアはデザインの国なんだな、と改めて思う ひとりのデザイナーとして、『500』のデザインをどうご覧になりますか? 「購入の決め手がデザインってくらい、かなりレベルが高いと感じますね。まったく隙がなく、旧型のコンセプトを継承しつつ、モダンにかわいくまとめている。昔の『500』もそうだけど、ヘッドライトのところからボディを1周する筋があって、そこから下がもっこりしている感じは今の『500』も受け継いでいる。日本車だったらこういうところにモールを入れて分けちゃうところなんでしょうけど、でも『500』はそこを面の構成による光の反射だけで表現している。そういうところが好きですね。内装が昔と同じボディ色のインストルメントパネルっていうのも、今のクルマではなかなかないじゃないですか。シートにあしらわれた白いパイピングとか、その洒落ている感じにも惹かれます。イタリアはデザインの国なんだな、と改めて思いますね」 オープンの『500C』を選んだのは、やっぱりオープンが好きだからですか? 「もちろんです。僕たちの仕事はここまでやれば“OK”っていうことがないから、平日は予想外に仕事の予定がみっちりになっちゃうんです。だから週末にオープンで走っていると、たとえ近所の買い物とかでも気持ちが開放されるので」 普段どんなふうに『500』に乗っているんですか? 「日頃は横浜の街乗りばっかりですね。月イチで開催されるマルシェに食材を買いにいって、そこでトートバッグいっぱいに買って帰ってきたり。『500C』って、そういうときの使い勝手は見た目以上にいいですよ。ハッチバックと比べると荷物の入るスペースが小さいと思っている人が多いですけど、実は開口部が狭いだけで容量はあまり変わらないんです。大きな荷物をドンと積むとかでなければ、積める量はほとんど同じなので不自由はないです」 『500』でどこかへ出掛けたりはしますか? 「年に5〜6回、三浦半島に行ったりはしますよ。母親の実家があって、幼い頃から馴染みがあるんです。昔からドライブは三浦半島ですね。家から1時間以内で行けるし、海もあるし丘もある。ヨットハーバーみたいのもいくつかあって、かなり開放感があるんですよ。あとゴールデンウィークと夏休みには、『500』で行ける範囲で旅行もします。いちばん遠くまで行ったのは京都の日本海側ですかね。あるときInstagramで琵琶湖の湖畔の“#あのベンチ”っていうのを見て、行ってみたいと思って。湖とそれを眺めるベンチと木とクルマをいっしょに写真を撮れる、撮影スポットなんです。そしたら、そこから京都の海沿いまでわりと近いことに気づいて。加えて、知多半島や岐阜にも行ったので、4日間で1,500キロくらい走りました。『500C』はロングドライブでもあんまり疲れないんですよ。それに、マニュアル操作でその気になってドライブすると結構元気よく走ってくれて、楽しいですよね」 次のページ:【代わりになるものが思い浮かばない】
“イタリア各地をめぐるフィアット”がテーマの『フィアット オリジナルカレンダー 2023』。フィアットの各モデルが6つの街をめぐるイラストが描かれています。7月と8月はイタリア南部カンパーニャ州の『AMALFI(アマルフィ)』。ユネスコ世界遺産に指定された1997年の遥か以前から、イタリアを代表するリゾート地としてその名は広く知られてきました。世界中で人気のアマルフィ海岸の魅力を、イタリア在住のコラムニスト・大矢アキオ氏にたっぷり伺いました。 なお、『フィアット オリジナルカレンダー 2023』はダウンロードが可能。ダウンロードの方法は記事の最後に掲載しているのでぜひチェックしてみてください! 南イタリアの避暑地、アマルフィ海岸の歴史 アマルフィ海岸には、玄関口であるその名もアマルフィのほか、ヴィエトリ・スル・マーレ、ポジターノといった宝石のような町や村が連なります。アマルフィ海岸へのアクセスは、ナポリ中央駅から特急列車で約30〜40分のサレルノ駅で、バスもしくはフェリーに乗り継ぐのが便利です。バスだと約50分。カーブに差し掛かるたび、ステアリング片手に安全祈願の十字を切るドライバーに、この地の人々の信仰の篤さを垣間見ます。いっぽう、所要時間約30分のフェリーは波が荒い日も。それでも、断崖と海岸線に挟まれた小さな町や村が奏でる穏やかな雰囲気は、少しアドヴェンチャー的旅程をこなしたあとだけに喜びが倍増します。 ▲海岸の西端にある村、ポジターノ。劇作家ジョン・スタインベックがこよなく愛したことでも知られています。早くも3月末頃には、夏を待ちきれない北の国からの観光客が水着でビーチに繰り出すことも。 驚くべきはその歴史です。今日の穏やかなたたずまいとは対照的に、9世紀にナポリ公国から独立後、アマルフィ公国として地中海貿易で大きな力を発揮しました。アマルフィの町に残る造船所跡は、その名残です。アマルフィの町役場のウェブサイトには、“Antica Repubblica Marinara(古き海洋共和国)”の文字が、今も誇らしげに記されています。 ただし、公国が12世紀にシチリア王国に併合されると、一帯はひなびた港町になってしまいました。 ▲アマルフィ地方の伝統産品といえば、レモンとそれを用いた強いディジェステーヴォ(食後酒)。 そうした状況に、変化が訪れたのは20世紀に入ってからのことでした。アマルフィの隣村で、イタリアを代表する陶器『マヨルカ焼き』の産地でもあるヴィエトリ・スル・マーレ村は、1926年にユダヤ人迫害から逃れてきたドイツ人陶芸家マックス・メラメルソンを受け入れます。彼が注目されたことで、世界各地から同業者が集うようになりました。 第二次世界大戦後になると、さらなるムーブメントがもたらされます。1946年、映画監督ロベルト・ロッセリーニがロケ地に選定。1953年には、アメリカ人劇作家ジョン・スタインベックがポジターノを訪れて雑誌に紹介しました。それらをきっかけに、有名人の避暑地として注目を浴びるようになったのです。フィアット創業家の3代目で、イタリア戦後経済成長のシンボルでもあったジャンニ・アニェッリもしかり。1962年、アマルフィでジャクリーン・ケネディと過ごしています。その様子は、“ドルチェ・ヴィータ”の象徴として多くのパパラッチたちによって記録されました。2023年に天国に旅立ったロック歌手、ティナ・ターナーもポジターノの小道を歩くのがお気に入りでした。 この夏も多くのセレブリティが訪れ、その様子は週刊誌のグラビアを飾り始めています。ヴィエトリ・スル・マーレにも陶器工房で自身の作品を形にすべく、引き続きクリエイターが集います。穏やかな風景から想像できないほどの、外に向かった繋がりと寛容性。十世紀以上も前の海洋国家の気風は、今も脈々と息づいています。 ▲夜のアマルフィ。夏この地を訪れる人々は、誰もが遅い日没を存分に楽しみます。 アマルフィ海岸で見かけたフィアットたち おすすめスポット紹介の前に、アマルフィ海岸で見かけたフィアットたちの写真をご紹介します。 ▲アマルフィの町で。ジェラテリア前に停車する『500(チンクエチェント)』。 ▲昼過ぎ、アマルフィの町で。ナイフやフォークの音が聞こえてくる窓の下で、『Nuova 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』も小休止です。 ▲かつていくつもの鍛冶屋が店を構えていたというアマルフィのドージ広場で。断崖とビーチにはさまれた町で、小回りが効くフィアットは、人々の頼れるモビリティです。 ▲ポジターノで。『Panda(パンダ)』と並んでいるのは、狭い道での取り回しを考慮した、この一帯で多くみられる小型バスです。 ▲陶器の町ヴィエトリ・スル・マーレのショップ前に佇む初代『Panda』。 ▲アマルフィで。町の人にとっては見慣れた足である『Nuova 500』ですが、観光客にはイタリアン・ムードを盛り上げてくれる大切な名優です。 次のページ:【アマルフィ海岸のおすすめスポットをご紹介】
赤い『500』から赤い『500C』へと乗り換えた、織戸秀行(おりと・ひでゆき)さんと真梨子(まりこ)さんご夫妻。“今では完全に趣味=『500』”というお二人に、フィアットによって変化したライフスタイルについて、自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。 いつかこういう“かわいいクルマ”に乗りたいな、って思ったのが最初 2021年に行われた『500オーナーによる座談会』に参加してくださった織戸秀行さんと真梨子さんご夫妻。当時はその1年前に購入された『500 TwinAir』を溺愛していたご様子でしたが、2022年7月に『500C TwinAir Dolcevita(チンクエチェントシー ツインエア ドルチェヴィータ)』に乗り換えられたと聞きました。同じ『500』のハッチバックからオープンエアへ。赤いカラーから同じ赤いカラーへ。織戸さんご夫妻にどんな心境の変化があったのか、そもそもなぜ『500』なのか。お話を伺ってきました。 おふたりと『500』の物語は、どうやら真梨子さんがイタリアで暮らしていた頃に源流があるようです。 真梨子さん「大学を卒業してから1年間、イタリアに留学していたことがあるんです。イタリアが大好きで、実際に住んでみたくなってしまって。その頃に昔の『Nuova 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』とか四角い初代『Panda(パンダ)』が走っているのをまいにちのように見ていて、いつかこういうかわいいクルマに乗りたいな、って思ったのが最初でした。けれど帰国してから調べたら、当時は『Multipla(ムルティプラ)』しか売ってなくて、私が望んでいるのはもっと直球でかわいいフィアットだぞ、って(笑)。それからしばらくの間は忘れていたんですけど、何かのきっかけで思い出してまた調べてみたら、『出ているじゃない、かわいいクルマが!』と、気持ちが膨らんだ感じでした」 そのかわいいクルマとは、もちろん2008年に日本に上陸した現在の『500』の初期モデルです。 真梨子さん「でも、その頃の私はまだ独身の実家住まいで、いいな、とは思っていたんですけど、家にはクルマがあるし、自分でクルマを買うほどでもなかったんです。結婚してクルマを買ったりするときになったら欲しいな、いつかは乗りたいな、とは思っていたんですけれど」 ▲真梨子さん 一方、真梨子さんが就職した先で出会って結婚された秀行さんは、当初は『500』にあまり関心がなかったのだとか。 秀行さん「僕はその頃に乗っていた自分のクルマが気に入っていて、小さいクルマには興味がなかったんです。輸入車に乗るならもっと大きいクルマがいいな、って思っていました。だけど妻が『500』を好きだっていうのは知っていたので、一度見に行って試乗したら気がすむだろう、とショールームに行ったんですね。まさか後に自分が『500』に乗ることになるなんて思いもせず(笑)。そのときは『500 1.2pop(ポップ)』と『500 TwinAir(ツインエア)』の両方に試乗したんですけど、妻は『このエンジン音がいい、めっちゃいい、断然ツインエアでしょ!』と。そんなこと言うんだ、って軽く驚きました(笑)。本当に好きなんだな、って新鮮でしたね」 ▲秀行さん 真梨子さん「私はかなり欲しかったんですけど、主人が自分のクルマを好きだっていうことを知っていて。なので、試乗だけで今は買わないだろうなって思って、特に提案したりもしなかったんですけど……」 それから徐々に、秀行さんの気持ちの中に変化が生まれた模様です。 秀行さん「実はクルマを見に行ったときに、ハンドルが白かったり、インパネがボディと同色だったりっていう、インテリアのデザインの見事さに惹かれてはいたんです。それから自宅でパンフレットを眺めたり、インターネットでいろいろデータをチェックしていたんですよ。そうこうしているうちに、自分が乗っていたクルマのモデルチェンジがあったんですね。それが自分の好みだったら、もしかしたらそっちを選んでいたかもしれないんですけど、あまりタイプじゃなかったんです。だったらフィアットにしよう。せっかく妻も好きなクルマなんだし。と、それで気持ちが購入に傾きました」 そして2019年、織戸さんご夫妻は2度目の試乗に向かいます。 秀行さん「小さいクルマだし、エンジンのパワーもそう大きくないから、高速走行や加速力とかも気になっていたんです。それで高速道路も含めてしっかり試乗させてもらったら、想像していたよりもぜんぜん速いし、加速もいい。まったく問題ないな、これなら大丈夫だなって思って、ついに購入しました」 写真を撮りたくなるクルマ 納車になったのは2020年。『500 TwinAir』と暮らすようになってから、ご夫妻のライフスタイルに変化が訪れます。 ▲500オーナーによる座談会に参加された際の織戸さんご夫婦と『500』 秀行さん「前のクルマでは一度もなかったのに『500』に乗るようになってから、クルマの写真を撮るのが好きになったんです。SNSにも興味はなかったのに、Instagramもはじめたりして。みなさんがいろいろなところに行って撮った写真を投稿しているので、それを見て自分もその場所でクルマの写真を撮りたいって思って、本当にいろいろなところに写真を撮りに出掛けるようになりましたね。写真を撮りたくなるクルマなんですよ」 真梨子さん「主人がInstagramをはじめてすごく楽しそうだったので、私もはじめました。ふたり一緒に『500』に乗って行くので写真は同じ場所で撮るんですけど、違うカットを撮って投稿しています。前のクルマのときにはそんなに遠出をしなかったんですけど、『500』が写っている雰囲気のいい写真を見ると、『私たちも行ってみない?』みたいな感じで週末の旅行の予定をたてて行ってみたりとか。クルマに乗る機会というか、クルマで旅行することがすごく増えましたね。『500』がいろんな場所に連れてってくれるんです」 秀行さん「特に決めているわけじゃないんですけど、近場も含めると月に1〜2回は写真を撮りに出掛けていますね。もちろん出掛ける前にもふたりで下調べをしたり、よさそうな場所の写真を見つけて、『ここどう?』『採用!』なんて相談したり。行った先でも地図アプリを見ながら調べて、航空写真に切り換えてチェックして、いい写真が撮れそうな場所に印をつけて。行くからには、いろいろ撮ります(笑)。そういうのがすごく楽しいんですよね」 真梨子さん「写真を撮るために、4〜5時とか、ものすごく早起きして出掛けます。ライフスタイルが大きく変わりましたね。特に主人はスマホやスニーカーをクルマに合わせて赤にしたりとか、スマホのケースにマイアーニの包み紙からチョキチョキ切り出した『500』の姿を入れたりとか、もうビックリするくらい『500』の影響を受けています。ここまでハマるとは思ってなかったです(笑)」 ▲秀行さんが撮影されたお写真 秀行さん「人生、激変ですね(笑)。生活の中心といったら言い過ぎかもしれないけど、『500』がなければ今の生活が成り立たないようなところはあります。今では完全に趣味=『500』、です」 次のページ:【幸せを運んでくれるクルマ、家族みたいなクルマ】
バイクをメインのフィールドに、モデル・タレント・ライターとしてマルチに活躍されている多聞恵美(たもん・めぐみ)さんが、ご自身初の愛車として選んだのが『500C』。バイク乗りの多聞さんが『500C』を選んだ理由について、自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。 運転席に座った瞬間、いろんなものがしっくりきた 上信越自動車道の碓井軽井沢インターから県道43号を軽井沢駅方面へ5kmほど走ると、左側にカナリアイエローの小さな建物が見えてきます。そこは『SHINICHIRO ARAKAWA 軽井沢 Canarino』という、パリコレデザイナーとしても著名なSHINICHIRO ARAKAWAのバイクウェアショップ。傍らの駐車場には、赤い『500C(チンクエチェントシー)』が停まっています。このお店のカフェカウンターを担当する、多聞恵美さんの愛車です。 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、多聞さんはバイクの世界では著名な方。タレントやモデルとしての経歴もさることながら、バイク好きが高じてバイク系メディアで連載を持ったり試乗記を書いたりとライターとしても活動され、ツーリングと食をからめた著作も3冊あります。さらには、バイク関連イベントのMCやテレビ/ラジオ番組でのパーソナリティも。モデル+ライター+ライダーで“モデライダーの多聞恵美”。その名前はバイク業界全体に行き届いているといっていいでしょう。 ▲多聞恵美さん ここしばらくは、ふたりめのお子さんの出産のためにすべての仕事をお休みしていましたが、復帰した途端に連載は再開、MCの仕事も入りはじめ、バイク乗りのお客さんたちが待つカフェにも戻り……と、いきなり多忙になってきた様子。お訪ねしたのはちょうどそんなタイミングでした。 『500C』は多聞さんにとっての最初の愛車ということですけれど、ずっとバイクにお乗りだったんですか? 「10代からずっと、でした。バイクでこと足りていたので、クルマに興味が向かなかったんです。すべてが自分の手の届く範囲にある感覚が好きで、それに馴染んでいたから、クルマの大きさだと四隅に責任が持てないって感じてもいましたし。免許は20歳の頃に取りましたけど、それもモデルの仕事で教習所のプロモーションビデオの仕事をさせていただいて、ご縁だからそこで免許を取ろうっていう感じでした。クルマに乗りたいっていう想いはなかったですね」 クルマにはまったく乗っていなかったんですか? 「母が軽自動車に乗っていたので、必要なときに借りることはありました。でも、そうじゃないときは、ずっとバイクでした。バイクは何台か乗り継いで、20代前半の頃からバイクの仕事をいただくようにもなって、排気量の大きめなイタリア車も2台乗りましたよ」 なのにクルマに、それも初めてのクルマとして『500C』に乗るようになったのはなぜですか? ▲『500C』 「31歳のときに最初の子どもを授かったのがきっかけでした。家には主人のクルマがあって、それが私にはちょっと大きかったんです。それに私、免許はマニュアルで取ったんですけど、ほとんど運転してこなかったので……。主人はいろんな含みを持った言葉で、心配だからって乗らせてくれなかったんですね(笑)。仕方がないから教習所でマニュアル講習を受けて、次に主人を乗せてテストしたんですけれど、坂道発進ができなくて“やっぱりダメ”っていわれて(笑)。実は主人がかなりのイタリア車好きで、そのクルマもイタリア車で、大のお気に入りだったからでしょうね(笑)」 なるほど、ご主人の影響を受けての選択だったんですね。 「ぜんぜん違います(笑)。結果的には増車になったんですけれど、私が運転できる小さいクルマに買い換えようってことになって。最初、『500C』は候補じゃなかったんです。もちろんフィアットは前から知っていたし、仕事で知り合った4輪のプロの方たちからお話を聞いたりもして、小さくてかわいくていいなと感じてはいたんですよ。でも、かわいいって思うのと買おうって考えるのはぜんぜん違うじゃないですか。もともとクルマに趣味性みたいなものはまったく求めてなくて、子どもが大きくなってファミリーカーとして使うのならスライドドアは便利だし、そんないい選択肢はないでしょ、なんて考えていたくらいですから」 ▲Canarinoで食べることができるホットドッグ。 なのに、なぜ『500C』に? 「実は私、車種がどうっていうより、せっかくならサンルーフで構わないから屋根が開くクルマがいいな、って思っていたんですよ。バイクの仕事でお世話になった方のクルマに乗せていただいたとき、当たり前のようにサンルーフを開けてくださって、こういうのっていいな、って感じたことがあったんです。それを主人に伝えたらいくつも候補を上げてくれて、それこそ軽自動車から輸入車まで、いろいろ見に行ったり試乗しに行ったりしたんですね。そしたらファミリーカーとして最良に思えたクルマたちって、とっても便利なんですけれど、おもしろくなかったんですよ。最後に見に行ったのが『500』で、これはないだろうなと思いながら運転席に座ったら、その瞬間、ああ、これだ!って思ったんです(笑)」 「なにがどうって説明しにくいし、直感といえば直感なんですけれど、いろんなものがしっくりきたんです。それで、3ドアだけど何とかなるだろう、って(笑)。そのときに試乗したのはハッチバックだったんですけれど、“屋根が開くクルマがいいんでしょ?”っていうことで、1.2の『500C』がうちに来ることになりました」 次のページ:【多聞さんが感じているフィアットの魅力とは…?】
9月も中旬、そろそろ秋の気配が感じられる頃となりました。今回の『インスタしチャオ!』のテーマは、“夕日とフィアット”。Instagramに投稿されているたくさんの写真の中から、美しい夕日や夕暮れの空をバッグに撮影されたフィアットの投稿を7つご紹介。『500(チンクエチェント)』、『500C(チンクエチェントシー)』、『Panda(パンダ)』オーナーのみなさんに、写真を撮影したときのエピソードなどをお伺いしました。 1. 夕時の横浜とチンクエチェント Hawaiisun Styleさん(@anelaisao ) 場所:神奈川県横浜市 「雲ひとつない快晴よりも、このくらい雲が多いときが好きです。刻々と色や形を変えて織りなす光のグラデーションは、数分間のショータイムという感じで心癒されるひとときです。(Hawaiisun Styleさん)」 深いオレンジの夕日と、シチリア オレンジのボディカラーがマッチしている素敵な写真です。 2. 夕暮れの空と『500』のお尻 まさたろうさん(@masataro) 場所: 東京都八王子市某所 「夕焼けがあまりに綺麗だったので、夕日が一番色づいている角度と、お気に入りの前期型のテールランプが入るような画角で写真を撮りつつ、フォロワーさんたちに入籍のお知らせを交えて投稿しました。(まさたろうさん)」 夕焼けに染まる幻想的な雲が広がった、とても綺麗な空と『500』の一枚です。ご入籍おめでとうございます! 3. 電車越しの夕日を眺める『500』 モジェ(25)さん(@moje_giulietta) 場所: 愛知県 豊橋鉄道渥美線沿線 夕日がちょうど少し電車に差し掛かっていて、それを眺めているような『500』の写真。 「電車が通るタイミングを狙って撮影しました。田舎なので本数は少ないですが、待ち時間に『500』を眺めるのも至福のひととときです。撮影時のポイントは、夕焼けの色が綺麗に写るように、逆光で少し暗めに撮影すること。そしてテールランプを点けているのもこだわりポイントです。(モジェ(25)さん)」 4. 富士山と雲間から輝く夕日 Kensuke Imamuraさん(@imaimaquen ) 場所: 静岡県裾野市 パノラマロード付近 「富士山は四季で表情が刻々と変化するので、それがまた楽しい。夏は冠雪がありませんが、その分シルエットを楽しむことができます。富士山と『500』のコラボ、飽きませんね。(Kensuke Imamuraさん)」 撮影当日は、雲間から射す夕日が凄まじかったとのこと。夕日の光芒(こうぼう)を写真におさめた、印象的な一枚です。 5. 遠くに浮かぶ夕日と一緒に ワさん(@saw_rld.fiat) 場所:熊本県某所 「他のオーナーさんたちがたくさん良い写真を撮ってらっしゃるので、私も“私だけのチンクちゃん”を上手に撮りたいと言って、家族とお出かけしたときの写真です。道を間違って狭い狭い山道を走っていたところ、綺麗な景色を見つけ、思わず降りて写真を撮りました(ワさん)」 ブルーからオレンジのグラデーションの空が綺麗な一枚。ぽっかり浮かぶ夕日に癒やされます。 6.
栃木県宇都宮市でイタリアンレストランを営む池田俊一さんは、10年ほど前に『500C(チンクエチェントシー)』を購入し乗り続けています。さらにはお店の中に『500(チンクエチェント)』のパーツを集めてフロント周りのオブジェを作り上げてしまうほど愛しているご様子。そこで今回は池田さんに『500』の魅力について語っていただきました。 どうしてもツインエア エンジンが欲しい 初めて購入した軽自動車以降、気に入った欧州車を乗り継いできた池田さんは生粋のエンスージアストです。しかも、乗る以上に自ら手を入れてメンテナンスまで行う手先の器用さも持ち合わせています。ご自身も「クルマ好きというより、メカ好きなんでしょうね。長距離ドライブはあまり得意ではありませんし、それよりも自分でクルマをいじるのが好きなんです」とおっしゃいます。フィアットを最初に意識したのは『ローマの休日』に出てきた『トポリーノ』。その後『ルパン三世』を見て、そこに出てくるマニアックなクルマ達とともに、『Nuova 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』に惹かれていったそうです。 ▲池田俊一さん そんな池田さんの目に留まったのが『500(チンクエチェント)』でした。「当然クルマが好きなので、新車が出るとチェックしていましたし、出た当初から『500』も知っていました。その後、ツインエア エンジンが発売されたのでこれは良いなと思ったのです」と池田さん。「もともとメカ好きなので、エンジンから伝わって来る振動やメカニカルノイズを聞きながら走らせることに魅力を感じていました」とのことでさっそくクルマを見に行ったそうです。 「そのときは4気筒とツインエア エンジンの2種類でしたが、どうしても2気筒のツインエア エンジンの方が欲しくて」と当時を振り返ります。さらに「何とパール ホワイトなんです。ほかの白とは違うボディカラーでこれも気に入りました」と池田さん。 ▲500C デザインについても『Nuova 500』の雰囲気を感じさせていて「よくここまでできたなと思います。角度によって可愛らしさがありますよね。例えば女性が左の下から写真を撮ってほしいとかお気に入りの角度があるように、この『500』にも自分の好きなポイントがあります。例えばフロントではちょっとしたカーブやでっぱりがあって、そこからくる可愛さがありますよね」とのことでした。 そして、通常のルーフとオープントップの2種類のボディバリエーションはオープントップの『500C』を選択。池田さんによると「以前持っていたクルマのルーフがキャンバストップで、ルーフを開けるのが好きだったのです。サンルーフとは違いもっと解放感がありますが、かといってフルオープンではないところが良いんです。フルオープンは、格好は良いんですけど実用的にはちょっと厳しいですよね」と選択理由を話してくれました。 フルオープンの場合は幌などを畳む場所が必要となるので、荷室容量や後席スペースが犠牲になってしまうのです。『500C』を実際に乗ってみると「電動で開閉できるのはとても良いですね。走りながら安全に開閉できますから」と、とても気に入っているようでした。 好きなものに囲まれていたい いま『500C』は奥さまが通勤などにお使いですが、購入当時は奥さま用の日本車がありましたのでクルマが増える形でした。その頃も手元に複数台あったことから奥さまからは「何台持つの?全部を一度に運転してみてごらんなさい」とまでいわれたそう。池田さんは「はい、ごもっとも」と。それでも、諦めきれなかった池田さんは購入に踏み切りました。しかし、ちょうどいま経営されているお店を立ち上げて忙しくなった頃と重なり「1年ぐらいは乗らずにずっと屋根の下に置いておいたんです。ですので、1年半ぐらいで500km乗ったかな。そうしているうちに、家内が乗っていたクルマが古くなったので、それと入れ替えで『500C』に乗るようになったんです」といまに至る経緯を教えてくれました。 実は池田さんは、お店も本当はご自身の手で建てたかったそうです。しかし「家族に危ないなどと反対されてしまったので、自分でデザインを考えて、設計者に具現化して建ててもらいました。そんなこともあり、自分のほとんどの時間はお店のことでいっぱいでしたので、買ったのはいいですが、乗る時間がなくなってしまったのです。でも本当に欲しかったんですよ。乗るというよりも、所有したい、ツインエア エンジンを自分のものにしたかったんです」と熱い思いを語ります。その心境を池田さんは「ドライブするよりも、機械として、モノとして置いておきたいんですね。おもちゃを買ってもらったみたいなイメージです。ちらっとでも見えたら満足です」と楽しそうに話します。 『500C』というおもちゃを手に入れた池田さんは、それだけでは飽き足らず、お店にオブジェも作ります。 「そもそものきっかけは、バブル期には色々なクルマのフロント周りやリア周りだけがお店に飾られていたものです。そのイメージが頭の中にありました」そして「(お店は)一人ですべてをこなしているのでカウンター周りで精一杯なんです。そこで、以前テーブルとイスを置いていたところに好きな植木や、趣味のものを置き始め、やはりクルマ好きですからこのアイディアを思い立ちました」 ちょうどコロナ禍でお店を閉めていたこともあり、ネットオークションでコツコツパーツを集め、元々の手先の器用さもあり、一人で1年かからずに完成。 「溶接で組み立てて、後ろ側は木のフレームで組んであります。よく見るとタイヤも半分にしてくっついているんですよ」とその出来栄えは素人目にも素晴らしいものです。 ▲500のパーツを使って組み立てたフロントのオブジェ 「やはり好きなものに囲まれたいという基本的な欲求があるのです。だから『500C』も乗る時間がなくても買ったのです。そういう意味では自分の手が届くところに、見えるところに『500』(の顔)があるのは嬉しいです。もしお店をやっていなかったとしても、家の中に置くところさえあれば、多分置いていたと思います」と相当の思いが詰まっているようです。 池田さんの手元に『500C』が来て10年近くがたちましたが「全然古くなったなという感じはしませんね」と池田さん。実際に乗るとパドルシフトがお気に入りとのこと。「信号で減速の時に使ったりしています。マニュアルのクルマに多く乗って来たので、そういう操作が出来るのは面白いところですね」と乗っても満足そうなご様子です。 次ページ:【奥さまもお気に入り、『500C』のサンルーフ】
2019年8月、世田谷区奥沢にオープンした「世田谷トリュフ」。“日本茶にあうチョコレート”をコンセプトに毎月6種類のフレーバーを創作・提案している、知る人ぞ知るトリュフ専門店です。そして、同店でショコラティエールを務めるのは、田原俊彦さんの代表曲「ハッとして!Good」をはじめ、数々のポピュラー音楽を手がけてきた作詞作曲家・宮下 智ことYumiko Womackさん。数々のヒット曲を生み出してきた天才作曲家がつくるこだわりのチョコレート、気になりませんか? 今回は、Yumikoさんとともにお店を経営するMami Lyonさんのおふたりに「世田谷トリュフ」誕生までの経緯と一粒に込められた想いについて伺いました。 極上の一粒を求めて、「500C」で街をドライブ 「世田谷トリュフ」があるのは、世田谷区・奥沢のパワースポットとしても知られる奥澤神社すぐそばの閑静な通り。賑やかな自由が丘から奥へ一歩入った、落ち着きのあるエリアの一角にあります。 今回は、オープンエアで心地よい風を感じられるフィアット500C(チンクチェント シー)で、未知なる美味しさを求めて街をドライブ。都会的でありながら緑あふれる穏やかな世田谷の街並みに、愛嬌たっぷり存在感抜群な500Cの佇まいが映えます。 500C(チンクエチェント シー) ボサノバ ホワイト / アイボリー 500Cの特徴といえば、ソフトトップを用いた開閉できる電動オープントップ。ボタンひとつで操作は簡単、オープンエアでドライブすれば見慣れた景色にウキウキ気分を添えてくれます。 取材当日は、気持ちのいい晴天!真っ青な初夏の空をオープンエアで満喫しました。 ソフトトップは、半開(後部座席途中くらいまで)と、リアウインドーまで全開との2段階で切り替え可能。日差しが強い場面では半開にして日陰を作るなど、必要に応じてボタンひとつで操作できるのはとても便利! 開けても閉めてもおしゃれな、電動ソフトトップを装備。バックミラー横のボタンひとつで操作も楽々。 小回りの利くコンパクトな車体はもちろんのこと、街乗りドライブの楽しさを増幅させてくれる充実した機能も魅力の一つ。 メディアプレイヤー機能やハンズフリー通話をはじめ、スマートフォンとの連動も可能な「Uconnect®」を搭載し、シームレスな操作で安全かつ楽しいドライブをアシストしてくれます。 ハンドルのステアリングスチッチで、ドライブ中の通話や音声入力も快適に。 芸能界からショコラティエールへの転身、「世田谷トリュフ」が出来るまで 最寄駅の東急大井町線「奥沢駅」からは徒歩3分。車の場合は、目黒通りを自由が丘方向へ。コーヒーストリートの愛称で知られる「自由通り」を道なりに進み、自由が丘の先の奥沢駅手前にある「大蛇通り」を左折、奥沢病院の先にあるマンション1階の角が「世田谷トリュフ」です。 一見、ギャラリーのような店構えの「世田谷トリュフ」。ガラス張りの軒先を覗き込んでいたところを満面の笑顔で出迎えてくれたのは、ショコラティエールのYumikoさんとPRご担当のMamiさん。 世田谷トリュフ PR Mami Lyonさん(左) とショコラティエールYumiko Womackさん(右) もともとは、それぞれ芸能界で活動するなかで共通の知人を介して知り合ったというおふたり。そのお付き合いは、30年以上になるのだとか。毎月発表される新しいフレーバーのテーマやお店の内装は、おふたりでインスピレーションを共有しながら作り上げているそうです。 そんな「世田谷トリュフ」がスタートしたきっかけは、Yumikoさんが芸能界を離れ、結婚を機にアメリカへ移住した1990年代に遡ります。 Yumikoさん:それまでの慌ただしい生活から一転、すごくゆっくりとした時間を過ごすようになったんです。そんな毎日の中で、よくお菓子をつくっては家族や友達に振舞うようになりました。なかでもチョコレートはすごく評判が良くて。そのうち「本格的にチョコレート作りを学びたい」という気持ちが高まって、フランス・リヨンに渡り、ショコラティエのもとで基礎から学びました。 以降、Yumikoさんはカリフォルニア州ナパのワイナリーと提携し、ワイントリュフづくりをスタート。その味わいはファーマーズマーケットで好評を呼び、たまたま現地を訪れた著名グルメライターの目に留まったことを追い風に、一躍ビジネスとして軌道に乗ったそう。 ところが2017年10月、カリフォルニアで発生した大規模な山火事によりに生活は一変。Yumikoさんの住まいは全焼、ナパ・ヴァレー一帯にも甚大な被害が及びました。このことを機に、ワイントリュフづくりはやむなく中断になり、Yumikoさんは帰国することに。このときのことをYumikoさんとMamiさんはこう振り返ります。