母はイタリア人、父は日本人。大学までフランスで過ごし、夏休みになるとイタリアのノンナ(おばあちゃん)宅を訪れて手作りパスタを味わったというSimona Matsunoさん。卒業後は日本に拠点を置き、FCAジャパンに勤務した後、2016年から、長年夢見ていたバックパックの旅を決行。4年8ヶ月にわたって1人で21カ国を巡りました。そんなSimonaさんに、各国での発見と女性一人旅での経験についてインタビュー。旅先で撮影した約4万枚の中から選りすぐった写真とともに、ぜひご覧ください。
―約5年におよぶ一人旅を決行しようと考えたきっかけは何だったのでしょう?
20歳の頃からの友人がバックパッカーで、インドに半年とか南米に1年とか長期滞在している姿に憧れていました。彼の居場所をメールで聞いてはGoogle Mapで調べたりして。「私もいつか絶対行く!」と決めていたんです。
最初は「日本で2〜3年働いたら旅に出よう」と考えていましたが、やっぱり職場や友人関係の心地よさに慣れちゃいますよね。友達からも「仕事やお金はどうするの?将来は?本当に大丈夫?」「Crazyだね」とか言われて(笑)。本来の私は計画的で几帳面なので、そういう言葉に影響されたし、簡単にはいかなかった。まぁ、ビビってたんですよね(笑)。気がつくと結局東京で8年が過ぎていました。
旅をためらう最大の理由は経済的な心配。だったらそれを解消しようと調べていたら、「相手の願う仕事を行えば、宿と食が提供される」というマッチングサイトを見つけました。それが2015年中旬です。「食べ物と寝る場所があれば、行けるじゃん!」とテンションが上がりました。
―これまでに約23回のボランティアをしながら旅をされていていたそうですね?
4年8ヶ月のうち約8割がそうでしたね。宿代とご飯代、電気代も水道代もWi-Fiの使用料もかからない。全く問題なくやっていけますよね。
しかもローカルの人たちと直に触れあえるので、何でも教えてもらえます。毎日が勉強だし、私もいろんなことを教えました。そうやって、自分の知らない新しいことをシェアし合えるのもこういう自由なスタイルの旅だからこそです。
あらかじめ仕事を見つけてから行くわけじゃないので、正直不安もありました。初めての滞在先はブエノスアイレスで、顔では笑って自信満々そうにしていたけど、心の中は不安で震えてた(笑)。
でもいざ始めてみたらみんな親切で、毎日が最高!たまにオーナーと気が合わないこともあったけど、たまたま自分と合わないだけの話と思い、気持ちを切り替えて次の仕事を探していました。その日、その時限りの出会いだからこそ良いこともあって、そのひとつがイースター島での出来事です。
ある日の夜中の1時頃に、思いつきでヒッチハイクをしていたんです。すると一台のバイクが停まって、ピックしてくれたのは親切な養蜂家でした。その後に、前のボランティアを辞めた話を伝えたら「ちょうどいいタイミング!うちにおいで」と言ってくれて。彼の養蜂場で10日間、働くことになったんです!
計画的に動いていたら、この奇跡みたいな出会いはなかったはず。そういう経験を数えきれないほどしました。几帳面で計画的だった自分が、「風に任せて動くこと、Go with the flow」の魅力、大切さを知った瞬間でしたね。
―ボランティア先での出会いに加えて、ヒッチハイクも出会いの宝庫だったに違いありません。そもそもヒッチハイクの経験がある日本人はなかなかいないと思いますが、実際どんな感じだったのでしょうか?
最高ですよ(笑)。乗せてくれる人も、長く運転しているとつまらないから、1人よりも2人でおしゃべりしてたほうが楽しいと思うんです。並んで座って、相手をインタビューする感じでたくさん話しました。だから、ローカルしか知らない話をgetできる。最高でしょ?
―女性一人での旅やヒッチハイクは少し危ない印象もあるのですが?
女性一人でヒッチハイクって危なくない?とよく聞かれるのですが、女だから危険、男だから大丈夫ということはありません。実際、女性の一人旅は普通です。女だから危ないという考え方はチェンジして、「自分しだい」「心の持ち方しだい」という意識を持ったほうがいいと思います。
長期間ヒッチハイクしながらバックパッカーを続けていると、出会う男性たちがリスペクトしてくれるんです(笑)。今の時代、女性のほうが強いんじゃないですかね。それにヒッチハイクをしていた時に、乗せてくれる人は女性が多くて、メキシコのバハ・カリフォルニアでピックしてくれた子に聞いてみたら「男性にピックされるの嫌でしょ?」って(笑)。女性同士で協力しようよ、守り合おうよみたいな、あたたかい雰囲気を感じたのを覚えていますね。
―「旅の醍醐味は人との出会い」といいますが、Simonaさんの話を聞いていると本当にそう思えますね。
出会う人みんなが親切でした。世界はいい人、寛大な人であふれてる!と思います。
たとえば旅行中はバックパックを前に持つのが常識ですが、あるときコロンビアのボコタで「昼間だし」と思って後ろに背負っていたら、見知らぬおばちゃんがわざわざ寄ってきて「危ないから前にしなさい」って言ってくれました。ブラジルのサルヴァドールで、路線バスが急に動かなくなったときも、乗り合わせた19歳の女の子が「どこまで行くの?」と一緒にチケット売り場に行ってくれて、途中から別の人に「この人を正しい電車に乗せてあげて」とお願いしてくれた。親切すぎるでしょう、みんな!
自分がハッピーで笑顔をキープしていたら、周りも同じように返してくれる。良いエネルギーを発していたら、良いエネルギーが集まります。もうホント、空気もマインドも自分しだい。
その事実に以前はここまで確信を持てなかったけど、実際に旅をしてきた今は心からそう思えます。人から学べる、人に教えられる、最高のシェアリングができる、それが「旅」です。
―21カ国を旅されて、どこもきっと魅力的だったと思いますが、中でもあえてTOP3を選ぶとしたら?
どの場所もそれぞれ、day by dayでもう一度行きたいので、選ぶのは難しいですね!でも、もしも明日が人生における旅のラストチャンスだとしたら……ボリビアのCoqueza(コケサ)です。20世帯ぐらいしか住人がいない小さな村なんですけど、旅をしていた人にたまたま薦められて、ぜひ行ってみたい! と。でも、周辺の人たちも「そんな場所は知らない」って感じで。4日間かけて執念で探し出しました(笑)。人も土地も最高に気に入って、5年間で3回、延べ2ヶ月滞在しました。コケサのホテルオーナーが私の旅のスタイルを知って喜んで迎えてくれ、ホテルの仕事を手伝ったりもしていました。また絶対に行きたい場所ですね。
そして、ブラジル。ビザの関係で3ヶ月だけでしたが、「1年は住んでみたい」と思うくらい、人が本当にいい。最高に親切で明るくてすばらしい人たち。すごくお世話になった人に何かお礼をしたいと思っても、どの国でも「旅人なのだから、気にしないで。あなたのお金は大切にキープしておきなさい」と何も受け取ってくれない。これはブラジルに限ったことではありませんが、みんな旅人を応援してくれます。キューバで出会った人も旅人であることを伝えたらコーヒーをご馳走してくれたり。何度も言うけど、世界には本当にいい人が多すぎます。
あとは、エクアドルのガラパゴス諸島、コロンビアのプロビデンシア島、チリのイースター島などの島生活ももう一度経験したい!今言った島にはそれぞれ6週間ずつ滞在しましたが、どの島も自然が壮大で最高に綺麗。大自然の中で生きているからか、人ものんびりしていて優しい人ばかりで、毎日が本当に幸せでした。もともと山の人間でしたが、いつか日本に帰ったら島暮らしがしたい!と思ったきっかけの場所でもあります。
―日本に帰国されたのは2020年8月。今現在は小笠原諸島の母島にいらっしゃるそうですが、どんな暮らしをされていますか?
帰国後は北海道のリゾートホテルで働いていましたが、コロナ禍で仕事がなくなって。ネットでバイトを探していたら、小笠原諸島のカフェに求人があったんです。小笠原はずっと行ってみたいと思っていたので、「なんてすばらしいタイミング!」とテンションが上がりっぱなし(笑)。これは運命だ、絶対行く! と思い、電話をしてバイトが決まりました。
カフェは母島にあります。父島にも2泊しましたが、母島のほうが小さな島で人も店も少ないんです。私はすぐに母島が大好きになったので、ここで働ける毎日は本当にラッキー。ワイルドで美しい自然に囲まれていて、とても素晴らしいところです。フェリーは週一回しか運行しないけど、みなさんにぜひ来てほしいです!
―世界各地を巡ってきたSimonaさんですが、改めて「旅」で何を学べたと思いますか?
「自然を尊重すること」ですね。世界中の島々でサンゴや生き物が無くなっていたり、山では森が消えていってる中で、壮大な自然が残る場所を訪れて感じたことです。そこに住む人たちも自然を本当に大切にしていて、人にも優しい。もっと自然がもたらしてくれる癒しや幸せに感謝するべきだと感じました。日本人は自然を大切にする意識が世界の中でも高い方だけど、世界ではゴミを平気で投げ捨てる国もたくさんあるんです。母島にも、毎日ゴミがたくさん流れ着きます。ゴミがたくさん増えてしまっていることと、コロナのせいもあって、島のアクティビティができなくなっていたりという問題もあります。水がたくさんあることだって、蛇口からすぐに水が出るのだって、一部の国では当たり前じゃない。だからこそ私は、毎朝目が覚めると豊かな自然に感謝しています。
―最後まで読んでくださったみなさんに、「旅人の先輩」としてメッセージをお願いします。
私は常に今を楽しみたいです。将来のことは考えないし、明日のプランも立てたくない(笑)。考えても意味なかったな、とりあえず動くのが正解だなと、旅を通して実感しているから。あとは、小さなことにも日々感謝したいです。発展途上国では、必死に働いても生活は楽にならない。お金があっても自由に旅先を選べない国もあります。どこに生まれたかで、すでに運命はある程度決まっていて、それが切ない。自分はラッキーすぎるから、毎朝起きたら今の環境や生活に「ありがとう」って思っています。
それと、今、本を書き始めているんです。「旅に出ようよ」っていう内容(笑)。私は旅をしたことで、本当に幸せになれたのでそれをみんなにシェアしたいんです。
とにかく笑顔で、ハッピーな気持ちでいること。旅することが、笑顔とハッピーの手助けをしてくれます。コロナがいつ落ち着くのかわからないけど、まずは小笠原諸島に来て! 今がチャンスですよ! って言いたい。私もとりあえず1年は住んでみるつもりなので、母島でお待ちしています(笑)。
<Simonaさんの5年間の「旅」を振り返るキーワード>
-バックパック:40L
-Kms:北アメリカから南アメリカまで110,000km
-SIMカード:4
-片道飛行機:27
-ヒッチハイク:150
-ヒッチハイクを待つ最長時間:4時間30分
-ヒッチハイクを待つ最短時間:3秒
-カウチサーフィン:40
-ホテル:65
-ボランティア:23
-話した言語:9
-ビール:2,000
-叫び:2
-笑い:30,000
-ハンモックの夜:31
-最長ボート移動:7日
-最長バス移動:60時間
-最長列車移動:3日
-最長1日歩行:30km
-セーター:3
-ハイキングシューズ:4
-ビーサン:8
-1カ国の最長滞在:6ヶ月
-1カ国の最短滞在:1ヶ月
-撮影した写真:40,000
-流れ星:50
-病気:3
-代理店経由のツアー:3
-登った最高峰:6,088m
-すごい人:1,000人
<Simonaさんの「旅」で一緒に巡ったFIAT>
Simona Matsuno
https://www.instagram.com/simonamatsuno/
Text by Kaoli Kidoue
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