文・大矢アキオ Akio Lorenzo OYA (イタリア文化コメンテーター)
2017年7月4日、フィアットNuova 500(チンクエチェント)が誕生60周年を迎えた。
1957年から1975年まで18年にわたり、400万台以上が造られたモデルである。ゆえに、今も世界でイタリアを語る際のアイコンとなっている。
故郷イタリアでは、ほとんどの人がNuova 500(イタリア人の多くは愛称でチンクイーノと呼ぶ)との思い出がある。60歳以上なら、少なくとも一度は所有もしくは運転したことがあるという人が大半を占める。
キャンティの小さな村に住む元郵便配達員マルコ・アニキーニさん。「Nuova 500は特別な車だ。昔、運転を覚えた車であること以上に、自分と同じ年に誕生した車だからね」
筆者の知人マリオ&ロザンナ夫妻もしかり。初期型の価格は49万リラで、平均的労働者の月給の10倍以上だった。若い頃買うのは大変だったのでは? そんな質問に対して彼らは「あの頃は毎年お給料が増えていったから、まったく心配なかった」と振り返る。“奇跡”といわれた戦後イタリア経済の活況を彷彿とさせる話である。
同じく知人のピエロ&ヌンツィア夫妻は、ミラノで交際していた時代、Nuova 500を各自持っていたと振り返る。「当時ミラノは、ナンバープレートの数字が偶数か奇数かで、走れる車の量をコントロールしていたのよ。運良く私のチンクイーノのナンバーは偶数、彼のは奇数だったから、毎日二人で走れたわ」とヌンツィアさんは笑う。
イタリアでは今も現役のNuova 500が少なくない。
今もNuova 500を毎日の足とする人もたびたび見かける。調査によると、イタリアでは今も38万8千台以上が現存している。街を走れば誰もが微笑むそのキャラクターだけが理由ではない。2970✕1320mmという極めて小柄なボディゆえ、歴史的旧市街にある古い馬小屋を改造したガレージにも収まってしまうのである。自家製生ハムやワインの樽に埋もれるようにしてNuova 500が眠っている光景も、よく目にする。
加えて、イタリアでは30年以上前に生産され、かつオリジナル・コンディションが維持されている車は、自動車税免除という“おまけ”もついてくる。
白いNuova 500が2台。このアングルから見ると、隣国フランスで「le pot de yaourt (ヨーグルト瓶)」のニックネームで呼ばれた理由が、どことなくわかってくる。
若い世代もNuova 500が大好きだ。現行500の人気に反応するかたちで、納屋に眠っていた車を引っ張り出して、復元を試みる若者が現れるようになった。
この地では結婚式に新郎新婦が洒落た車に乗って教会に乗りつけるのがおきまりだが、レストア完了したNuova 500にリボンで飾ってやってくる光景も近年目撃するようになった。かつてのポピュラーカーが晴れの日の車にとは、あっぱれではないか。
イグニッションキーの差し込み位置、寒い日に使うチョークレバー、キャンバストップの開け方、ちょっとした修理・・・Nuova 500の扱い方は、今でも多くのイタリア人が憶えている。
しかし、Nuova 500による最大の功績を忘れてはいけない。
イタリアでは多くの地域で、人々は中世に起源を遡る城壁内と、その周囲で生活が完結していた。城壁の中で生まれ、学び、結婚し、働いていたのである。
それは筆者が住むシエナで、11世紀末に起源を遡る病院の建物が、第二次大戦後まで同じ場所で同じ機能を果たしていたことからもわかる。
彼らの生活に劇的な変化をもたらしたのは、1950-60年代に訪れたモータリゼーションと、その主役であるNuova 500であった。
ルルルル・・・という空冷2気筒独特の軽やかな音が聞こえてきたら、まもなく角の向こうからNuova 500が現れるはずだ。
人々はNuova 500に乗って城壁を飛び出し、隣の町や村へいつでも楽に移動できるようになった。
自由な移動は、郊外住宅や商業施設、さらには工場の建設も加速させた。これだけ多くの人々が一斉に城壁の外で暮らし始めたのは中世以来の出来事だ。
週末のピクニックや、夏や冬のヴァカンスなど、レジャーという習慣も誕生した。
それを陰で支えたNuova 500は、イタリアの歴史を変えたといっても過言ではない。
写真左)フィアット創業の地トリノにある自動車博物館で。さまざまな自動車ブランド発祥の地をフロアに示した一室。オブジェは、名建築「モーレ・アントネリアーナ」をルーフに抱いたNuova 500である。
(写真右)フィアットの歴史的工場跡「リンゴット」の前で軽食堂を営むカルロさん。店内や壁面には、Nuova 500にまつわるグッズがいっぱい。
誕生60周年に際してイタリアのテレビ各局は、連日ニュースのヘッドラインで紹介し、主要新聞も軒並み文化欄に大きなページを割いた。
さらにイタリア郵便も。現行500のシルエットにNuova 500を重ねた、粋なデザインの記念切手だ。上部にはイタリア国旗のトリコローレが走る。
(写真左)60周年を記念して100万枚限定で発売された記念切手。『500』は、小さくとも人々の生活に変化を与えた偉大な存在だ。
(写真右)イタリアにおける中央郵便局の一例。これは中部シエナのもの。見上げれば、「郵便」や「電信電話」を巧みに取り入れた天井画が。
Nuova 500は、単なる生活の道具や車ではない。イタリアにおける20世紀の誇りなのである。
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