fiat magazine ciao!

#イタリア情報

DRIVING

「日常に暮らす」FIAT〜イタリア、フランス編

イタリア生まれのFIAT。移動の道具だけでなく、街の一部としての役割も担うクルマとして愛されているのも特徴の一つ。   よく「オシャレ〜」といわれるイタリアの街並みですが、それは脇を固めるクルマたちという助演女優(男優?)たちのおかげであることにお気づきでしょうか?   日本と違い、自家用車であっても駐車場が住宅前の路上というケースが多い彼の国において(郊外以遠でないと戸建住宅は少ない)、いやがおうでも街の景観の一部を担う「クルマを選ぶ」という行為は、思いの外シビアなものです。 あまりに場違いなカラーなど選ぼうものの、町内における好感度はみるみる失墜します。 実はイタリア人は想像以上に衆目を気にします。ハデだ陽気だ自分勝手だなんていわれますが、日本人以上にシャイで周りに気を配っているのです。     さて、そんな彼らのクルマたちですが、日本のみなさんのようなピカピカな状態ではなく、適度に使い込まれてヤレていたり、見事に汚れていたりするんですが、それでもちょっとした看板やテントといった街並みのアイコンにあるときは溶け込み、あるときは見事なコントラストを見せてくれているのも、イタリアだなあと思わせる瞬間だったりします。 数百年を経た旧い建物の前でも、最新のゴージャスなショーウインドウの前でも、キリリとした存在感を放つのはイタリア車の最大の美徳の一つ。     排ガス規制などのせいで、かつてほど都市部の駐車に「自由」はなくなったものの、それでもいたるところにクルマが溢れていて、街とのアンサンブルを楽しむことができます。これが「オシャレ」を感じさせる理由なんでしょう。             さて、今度はちょっとイタリアを離れてフランスへ。 毎年2月にパリで行われる、欧州最大級の旧車イベント「RETROMOBILE」に出向いた際に出会ったFIATたちをご紹介します。   折しも、今年の日本同様、大変な寒波に見舞われた2月初頭のパリだったのですが、おかげでなかなか珍しい「雪のパリ」に佇むFIATたちと出会えました。     東京ほどではないにせよ、大変な交通量があるパリ。古く、入りくんだ路地も多い中、実はNuova500の時代から愛らしいデザインとサイズ感で、オシャレなパリジェンヌ、パリジャンに大人気。その流れは現行の500にも引き継がれています。     クルマが生活の一部になっている人たちに愛され続けるクルマ。それがFIAT。 日常に暮らす相棒として、国を問わず活躍している姿はなかなか素敵ではありませんか? […]

CULTURE

トリノで行われた旧車イベント〜第36回、アウトモトレトロ Vol.2

<聖地巡礼> ちょっと大げさにも聞こえる言葉が溢れる昨今ですが、まさにトリノのアウトモトレトロはFIATオーナーにとっての聖地といえるのかもしれません。 旧車のお祭りは、ある意味そのメーカーの持っているソコヂカラを見るには格好の舞台     です。その点FIATは創業100年を超える老舗なので、実に見ごたえたっぷりです。 Part1でもご紹介しましたが、欧州は空前のヴィンテージカーブーム。商品価値の向上とあわせて、クルマをレストアする環境も劇的に進化しました。 消耗品などはもちろん、実はとても大事なエンジンルームの主役の一つ、シャシープレートレプリカなどもたくさん売られています。こうしたコダワリは「走れば良い」から、大切にこれからも乗り続けるという決意の表れのようなものかもしれません。   そんなクルマ愛を支える人たちがオーナーズクラブ。     CLUB FIAT 500 TORINOのブースなのですが、なぜか1977,78,80年の世界ラリー選手権でFIATにマニュファクチャラーズタイトルをもたらした131アバルトラリー(公道用ホモロゲーションモデル)が。 売り物か?ときくと、「いや、自慢だ」と満面の笑顔で返されました。 会員100名、創立10年のクラブですが、500のクラブとしてスタートしつつも、いまではFIAT乗りならなんでもOKとのこと。自由なクラブです。     こちらは500や127などをベースにした、兄弟車アウトビアンキのオーナーズクラブ。会員数1,000名ほど。 写真右のA112は日本でも80年代大変な人気を呼び、鳥山明氏作の「Dr. SLUMP」に登場する則巻千兵衛博士の愛車としても有名です。     続いては、60年代後半にFIATが放った、ライトウェイトオープン「850スパイダー」のファンクラブ。スペシャルバージョン「Racer」が展示。激レアですが非売品。     その後継として登場した、70年代スーパーカーブームの流れを汲んだウェッジシェイプのX1/9(エックスワンナイン、イタリア名イクスウノノーヴェ)。日本では珍しい初期型。こちらには「売ります」のサインが…。     会場内にはもちろんX1/9のクラブが。現在85名の会員。みな楽しげにワイワイやってます。 マーケットに目を移すと…。     500のミニカーや歴史についての書籍たちが…。     いまやアートとしての価値が話題の、看板やポスターもそこかしこに溢れています。     旧い車には必須の資料類、購入の手引やマニュアル類も驚くほど充実。こうして次の世代にも旧車は引き継がれていくのです。     親子連れなど会場にはまさに老若男女が訪れ、ヨーロッパらしい「蚤の市」を肌で感じることができます。   ただ単にクルマを売ったり買ったりするのではなく、ちょっとしたコーディネートも見逃せないエッセンスです。 たとえば会場にはたくさんの500がいるのですが…。     キャリアに載せるレトロなバッグのセンスがオレンジのボディカラーと相まって、GOOD。   こちらは、1936年から55年まで生産された、500のご先祖様「トポリーノ」。     […]

LIFESTYLE

イタリア自動車紀行〜FIATの街、トリノ vol.2

FIATのお膝元の街トリノでは、さまざまなFIATを見ることができます。 たとえば、タクシーもFIAT。日本では未発表ですが、500の派生モデルで、家族に優しいロングボディがイタリアで好評な500L。   旧FIATの工場リンゴット(LINGOTTO)をリノベーションしたホテルのロビーには、もちろんFIATとランチアのエンブレムやグッズが並んでいます。   同じ建物内には、イタリアが誇る名門トリノ工科大学があり、そのエントランスにはこんな個性的なプロトモデルが…。   市内中心部でも、特に日本でも根強い人気を誇る初代Pandaがまだまだ元気に駆け巡っています。   中には90年代後半にデビューした二代目600や2000年代の大ヒット作、グランデプントも、まだまだピカピカ。   そして現代の主役はやはり500。   全国的には明るい色が人気の500も、シックなトリノの街並みではダークカラーが良く映えます。   そもそもトリノという街は、ルネサンスやローマの影響よりも、バロック色が濃厚で、凛とした美しさと知性が感じられます。かの哲学者ゲーテが最期の土地として選んだ街としても有名。   アスファルトとは違う、雰囲気たっぷりの石畳。他のイタリアの都市とは異なり、極めて丁寧に整備され平坦さを保っているのは、北部イタリアが誇る自動車のメッカたるプライドか。路面電車との継ぎ目もキレイ。   街なかの信号待ちではご覧の通り。あっという間にFIATをはじめとするイタリア車に囲まれ、なんとも言えないホーム感を味わうことができます。   そんな街を見守ってきた美しきヨーロッパアルプス。必見の絶景です。   美しい街並みや山並みだけでなく、トリノといえばワインやチョコレート、コーヒーに各種トリュフなどのグルメ。そしてエジプト以外では最大のコレクションを誇るというエジプト博物館、街の最大の目玉であるイエス・キリストの聖骸布もある、歴史情緒たっぷりの街。   そしてなにより街なかを走り回るFIATを中心とした、多くのイタリア車や、自動車博物館まである楽しい街。 オーナーの方はもちろん、そうでない方も是非ともみなさん足を運んでみてはいかがでしょうか?   つづく […]

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CULTURE

生誕60周年! Nuova 500がイタリアで記念切手に!

文・大矢アキオ Akio Lorenzo OYA (イタリア文化コメンテーター)   2017年7月4日、フィアットNuova 500(チンクエチェント)が誕生60周年を迎えた。 1957年から1975年まで18年にわたり、400万台以上が造られたモデルである。ゆえに、今も世界でイタリアを語る際のアイコンとなっている。 故郷イタリアでは、ほとんどの人がNuova 500(イタリア人の多くは愛称でチンクイーノと呼ぶ)との思い出がある。60歳以上なら、少なくとも一度は所有もしくは運転したことがあるという人が大半を占める。     筆者の知人マリオ&ロザンナ夫妻もしかり。初期型の価格は49万リラで、平均的労働者の月給の10倍以上だった。若い頃買うのは大変だったのでは? そんな質問に対して彼らは「あの頃は毎年お給料が増えていったから、まったく心配なかった」と振り返る。“奇跡”といわれた戦後イタリア経済の活況を彷彿とさせる話である。 同じく知人のピエロ&ヌンツィア夫妻は、ミラノで交際していた時代、Nuova 500を各自持っていたと振り返る。「当時ミラノは、ナンバープレートの数字が偶数か奇数かで、走れる車の量をコントロールしていたのよ。運良く私のチンクイーノのナンバーは偶数、彼のは奇数だったから、毎日二人で走れたわ」とヌンツィアさんは笑う。     今もNuova 500を毎日の足とする人もたびたび見かける。調査によると、イタリアでは今も38万8千台以上が現存している。街を走れば誰もが微笑むそのキャラクターだけが理由ではない。2970✕1320mmという極めて小柄なボディゆえ、歴史的旧市街にある古い馬小屋を改造したガレージにも収まってしまうのである。自家製生ハムやワインの樽に埋もれるようにしてNuova 500が眠っている光景も、よく目にする。 加えて、イタリアでは30年以上前に生産され、かつオリジナル・コンディションが維持されている車は、自動車税免除という“おまけ”もついてくる。     若い世代もNuova 500が大好きだ。現行500の人気に反応するかたちで、納屋に眠っていた車を引っ張り出して、復元を試みる若者が現れるようになった。 この地では結婚式に新郎新婦が洒落た車に乗って教会に乗りつけるのがおきまりだが、レストア完了したNuova 500にリボンで飾ってやってくる光景も近年目撃するようになった。かつてのポピュラーカーが晴れの日の車にとは、あっぱれではないか。     しかし、Nuova 500による最大の功績を忘れてはいけない。 イタリアでは多くの地域で、人々は中世に起源を遡る城壁内と、その周囲で生活が完結していた。城壁の中で生まれ、学び、結婚し、働いていたのである。 それは筆者が住むシエナで、11世紀末に起源を遡る病院の建物が、第二次大戦後まで同じ場所で同じ機能を果たしていたことからもわかる。 彼らの生活に劇的な変化をもたらしたのは、1950-60年代に訪れたモータリゼーションと、その主役であるNuova 500であった。     人々はNuova 500に乗って城壁を飛び出し、隣の町や村へいつでも楽に移動できるようになった。 自由な移動は、郊外住宅や商業施設、さらには工場の建設も加速させた。これだけ多くの人々が一斉に城壁の外で暮らし始めたのは中世以来の出来事だ。 週末のピクニックや、夏や冬のヴァカンスなど、レジャーという習慣も誕生した。 それを陰で支えたNuova 500は、イタリアの歴史を変えたといっても過言ではない。     誕生60周年に際してイタリアのテレビ各局は、連日ニュースのヘッドラインで紹介し、主要新聞も軒並み文化欄に大きなページを割いた。 さらにイタリア郵便も。現行500のシルエットにNuova 500を重ねた、粋なデザインの記念切手だ。上部にはイタリア国旗のトリコローレが走る。     Nuova 500は、単なる生活の道具や車ではない。イタリアにおける20世紀の誇りなのである。 […]