“イタリア各地をめぐるフィアット”がテーマの『フィアット オリジナルカレンダー 2023』。フィアットの各モデルが6つの街とともに描かれた2カ月めくりのカレンダーです。9・10月に描かれている街は『FIRENZE(フィレンツェ)』。ジョットの鐘楼で有名なドゥオーモ(大聖堂)に代表される建築物や数々のフレスコ画、そして油彩作品は、いかに街がルネサンス文化の旗手であったかを今に伝えています。今回も、イタリア在住のコラムニスト・大矢アキオ氏にフィレンツェの魅力を伺いました。
『フィアット オリジナルカレンダー 2023』はダウンロードも可能。方法は記事の最後に掲載しています。ぜひチェックしてみてください。
半島中部に位置するフィレンツェは、イタリアに20ある州のひとつ、トスカーナ州の州都です。コムーネと呼ばれる都市部の人口は、東京都新宿区(約33万人)より少し多い約36万7,800人。面積は102平方km。東京でいえば世田谷区と江東区を足した広さより、やや大きめといったところでしょうか。地形が盆地のうえ、湿潤温帯気候という分類が示すとおり、夏は湿気を強く感じます。
市内で最も古い橋『ポンテ・ヴェッキオ』には、当地を支配したメディチ家の専用通路も残ります。眼下のアルノ川はかつて水運をはじめ、さまざまな用途に使われてきました。同時に、1966年の洪水では歴史的美術品に大きな損害を与えるきっかけに。ゆえに、その流れは人々にさまざまな思いを抱かせます。
北には1770年にあのモーツァルトも越えたアペニン山脈を望み、南にはイタリア屈指の名産ワイン『キャンティ・クラシコ』のワイナリーが広がります。
フィレンツェは、イタリア史において最も大きな役割を果たしてきた都市のひとつです。その主役となったのは、いうまでもなくメディチ家。14世紀に銀行家として頭角を現し、続く15世紀にはローマ教皇庁との繋がりを巧みに構築しつつ、フィレンツェ共和国の実質的支配者となります。ちなみに、当時の法定通貨単位はフィオリーノ(フローリン)。これは現在フィアット製商用車(日本未発売)のネーミングとして親しまれています。
メディチ家はフランス王室とも関係を築きました。16世紀、カトリーヌ・ド・メディシスは、アンリ2世のもとへ嫁ぎます。彼女はイタリアの食文化をはじめ、さまざまな風物をフランスに伝えたといわれています。さらにメディチ家は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ヴァザーリといったイタリア・ルネサンスにおける天才芸術家たちのパトロンを務めました。
1569年にはコジモ1世がローマ教皇から大公に叙され、トスカーナは従来の共和国から大公国となります。その後、大公国はメディチ家の手を離れますが、ハプスブルク=ロートリンゲン家とフランスの支配時代を経て、イタリア統一が行われる前年の1860年まで続きました。つまり今からわずか160数年前まで、フィレンツェと一帯は独立した一国だったのです。その後イタリア王国が誕生しても、フィレンツェは重要な役割を果たしました。1865年から、首都が現在のローマに決まる1871年まで約6年にわたり首都機能を担ったのです。
いっぽう、第二次世界大戦後におけるフィレンツェの横顔のひとつはファッションです。1951年にイタリア初のショーがこの地で開催されました。毎年2回、世界からバイヤーやファッショニスタたちが訪れるメンズモードの見本市『ピッティ・イマージネ・ウオモ』は、その伝統を受け継ぐものといえましょう。
おすすめスポット紹介の前に、フィレンツェで見かけたフィアットたちの写真をご紹介します。
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