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オリジナルカレンダー

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ミラノはいつもクリスマス!〜MILANOのスポット特集〜

“イタリア各地をめぐるフィアット”がテーマの『フィアット オリジナルカレンダー 2023』。フィアット各モデルが6つの街とともに描かれた2カ月めくりスタイルです。11・12月は『MILANO(ミラノ)』。イタリアを代表する商業都市ならではの多様性を紐解いてゆきます。今回も、イタリア在住のコラムニスト・大矢アキオ氏にミラノの魅力を伺いました。 『フィアット オリジナルカレンダー 2023』はダウンロードも可能。方法は記事の最後に掲載しています。ぜひチェックしてみてください。   ファッションとデザインが輝く街、ミラノ イタリア北部ミラノは、自治都市として神聖ローマ帝国から独立。中世後期からはヴィスコンティ家とスフォルツァ家のもと、ミラノ公国として大きく繁栄しました。しかし、その後ふたたび神聖ローマ帝国や、スペイン・ハプスバルク家の支配を経験。18世紀には今度はオーストリア・ハプスブルク家のもとに収まりました。19世紀初頭にはフランスのナポレオンの影響を受け、さらにイタリア統一2年前の1859年までふたたびオーストリアの支配下にありました。北と南の接点として、さまざまな影響を受けてきたことが、今日に続くミラノの多様性と国際化の下地になったと考えることもできます。   ▲『ビショーネ』は14世紀末から15世紀にミラノ公国を治めたビスコンティ家の紋章。教会をはじめ、街のあらゆる場所で発見することができます。   第二次大戦後はイタリアの奇跡的経済成長の原動力として、ミラノは存在感を強めます。たとえば服飾産業。1960年代のプレタポルテ普及にともない、ミラノはファッション・シティの地位をパリから奪い始めます。同じロンバルディア州にある都市・コモの絹織物産業も、発展の一翼を担いました。こうして彼らは従来までフランス系ブランドの下請けであったイタリア服飾産業の地位向上にも貢献したのです。毎年6月と9月に開催されるファッション・ウィークは、今もモードの最先端である象徴です。   ▲市内北部、国鉄ポルタ・ガリバルディ駅周辺は2010年代から目覚ましい再開発が行われ、みるみるうちに高層ビル街に。街づくりという観点では、ミラノで最もダイナミックな街区です。   ちなみに、ミラノを端的に浮き彫りにしたカンツォーネといえば、戦後イタリアを代表するシンガー・ソングライターのひとり、ルーチョ・ダッラが歌った1979年『ミラノ』でしょう。「ドイツ語で尋ねれば、シチリア語が返ってくる街」といった情景が数々表現されています。さらには、「Milano è sempre pronta a Natale (ミラノはいつもクリスマス)」とも。続くのは「それが過ぎると涙を流す。そして傷つく」です。祝祭と直後の虚脱感の双方を繰り返しながら、ときが過ぎてゆくクールな都市。それも大都市ミラノの姿なのです。   ミラノを走るフィアットたち おすすめスポット紹介の前に、ミラノで見かけたフィアットたちの写真をご紹介します。   ▲ミラノはもとよりイタリアを代表する高級ブティック街。モンテ・ナポレオーネ通りにたたずむ『500(チンクエチェント)』。   ▲近年、再開発が進むブラマンテ通り周辺を行く『500』。   ▲かつては工場街、今日はデザイン街区として知られるトルトーナ通りで。2代目『Bravo(ブラーヴォ)』※日本未導入。   ▲同じくトルトーナ通りで。カーシェアリングの『500』。   ▲トルトーナのビストロ前に駐車中の『500』。   ▲市内の南、ポルタ・ジェノヴァ駅周辺で。   ▲モンテ・ナポレオーネ通りに近い裏道で。2代目『Tipo(ティーポ)』※日本未導入。   ▲ナイトスポットとしても知られるガリバルディ通りに佇む『Panda(パンダ)』と『500』。 次のページ:【ミラノのおすすめスポットをご紹介】 […]

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花の都は“外”から眺めるほど深い 〜歴史に触れるFIRENZEのスポット特集〜

“イタリア各地をめぐるフィアット”がテーマの『フィアット オリジナルカレンダー 2023』。フィアットの各モデルが6つの街とともに描かれた2カ月めくりのカレンダーです。9・10月に描かれている街は『FIRENZE(フィレンツェ)』。ジョットの鐘楼で有名なドゥオーモ(大聖堂)に代表される建築物や数々のフレスコ画、そして油彩作品は、いかに街がルネサンス文化の旗手であったかを今に伝えています。今回も、イタリア在住のコラムニスト・大矢アキオ氏にフィレンツェの魅力を伺いました。 『フィアット オリジナルカレンダー 2023』はダウンロードも可能。方法は記事の最後に掲載しています。ぜひチェックしてみてください。   ルネサンスの中心地、フィレンツェ 半島中部に位置するフィレンツェは、イタリアに20ある州のひとつ、トスカーナ州の州都です。コムーネと呼ばれる都市部の人口は、東京都新宿区(約33万人)より少し多い約36万7,800人。面積は102平方km。東京でいえば世田谷区と江東区を足した広さより、やや大きめといったところでしょうか。地形が盆地のうえ、湿潤温帯気候という分類が示すとおり、夏は湿気を強く感じます。 市内で最も古い橋『ポンテ・ヴェッキオ』には、当地を支配したメディチ家の専用通路も残ります。眼下のアルノ川はかつて水運をはじめ、さまざまな用途に使われてきました。同時に、1966年の洪水では歴史的美術品に大きな損害を与えるきっかけに。ゆえに、その流れは人々にさまざまな思いを抱かせます。 北には1770年にあのモーツァルトも越えたアペニン山脈を望み、南にはイタリア屈指の名産ワイン『キャンティ・クラシコ』のワイナリーが広がります。   ▲14世紀初頭に完成したヴェッキオ宮。メディチ家支配時代には、ときに血なまぐさい政争の場となりました。現在はフィレンツェ市庁舎です。   フィレンツェは、イタリア史において最も大きな役割を果たしてきた都市のひとつです。その主役となったのは、いうまでもなくメディチ家。14世紀に銀行家として頭角を現し、続く15世紀にはローマ教皇庁との繋がりを巧みに構築しつつ、フィレンツェ共和国の実質的支配者となります。ちなみに、当時の法定通貨単位はフィオリーノ(フローリン)。これは現在フィアット製商用車(日本未発売)のネーミングとして親しまれています。 メディチ家はフランス王室とも関係を築きました。16世紀、カトリーヌ・ド・メディシスは、アンリ2世のもとへ嫁ぎます。彼女はイタリアの食文化をはじめ、さまざまな風物をフランスに伝えたといわれています。さらにメディチ家は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ヴァザーリといったイタリア・ルネサンスにおける天才芸術家たちのパトロンを務めました。   ▲『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂』のファサード(奥)。奉献年は1436年ですが、ファサード部分は4世紀以上後の、1887年の完成です。   1569年にはコジモ1世がローマ教皇から大公に叙され、トスカーナは従来の共和国から大公国となります。その後、大公国はメディチ家の手を離れますが、ハプスブルク=ロートリンゲン家とフランスの支配時代を経て、イタリア統一が行われる前年の1860年まで続きました。つまり今からわずか160数年前まで、フィレンツェと一帯は独立した一国だったのです。その後イタリア王国が誕生しても、フィレンツェは重要な役割を果たしました。1865年から、首都が現在のローマに決まる1871年まで約6年にわたり首都機能を担ったのです。 いっぽう、第二次世界大戦後におけるフィレンツェの横顔のひとつはファッションです。1951年にイタリア初のショーがこの地で開催されました。毎年2回、世界からバイヤーやファッショニスタたちが訪れるメンズモードの見本市『ピッティ・イマージネ・ウオモ』は、その伝統を受け継ぐものといえましょう。   フィレンツェで見かけたフィアットたち おすすめスポット紹介の前に、フィレンツェで見かけたフィアットたちの写真をご紹介します。   ▲フィレンツェを象徴する橋『ポンテ・ヴェッキオ』を望むアッチャイウオリ通りで。   ▲フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅近くで。迷彩のカッティングシートを施された『Panda(パンダ)』。   ▲アニョロ通りは、旧刑務所を再開発した地区として知られています。『Nuova 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』の空冷エンジン音がこだまします。   ▲レプッブリカ広場近くのブルネレスキ通りに佇んでいた『500(チンクエチェント)』。   ▲レオナルド・ダ・ヴィンチの故郷であるヴィンチ村で発見した、懐かしい『127』。1977年以降のセリエ2です。   ▲絵付け陶器の町として知られるモンテルーポ・フィオレンティーノ。いかにフィアットが親しまれているかが窺える1コマです。   ▲モンテルーポ・フィオレンティーノで見つけた、アーチの向こうから顔を覗かせる『500』。   ▲ヴィンチ村の土産屋台横で発見した初代『Panda』後期型。後期型のベーシック仕様として人気を博したYoung(ヤング)です。   ▲昼下がりのヴィンチ村で。   次のページ:【フィレンツェのおすすめスポットをご紹介】 […]

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COSTIERA AMALFITANA 小さな港は、いつも世界へ向いていた 〜アマルフィ海岸のスポット特集〜

“イタリア各地をめぐるフィアット”がテーマの『フィアット オリジナルカレンダー 2023』。フィアットの各モデルが6つの街をめぐるイラストが描かれています。7月と8月はイタリア南部カンパーニャ州の『AMALFI(アマルフィ)』。ユネスコ世界遺産に指定された1997年の遥か以前から、イタリアを代表するリゾート地としてその名は広く知られてきました。世界中で人気のアマルフィ海岸の魅力を、イタリア在住のコラムニスト・大矢アキオ氏にたっぷり伺いました。 なお、『フィアット オリジナルカレンダー 2023』はダウンロードが可能。ダウンロードの方法は記事の最後に掲載しているのでぜひチェックしてみてください!   南イタリアの避暑地、アマルフィ海岸の歴史 アマルフィ海岸には、玄関口であるその名もアマルフィのほか、ヴィエトリ・スル・マーレ、ポジターノといった宝石のような町や村が連なります。アマルフィ海岸へのアクセスは、ナポリ中央駅から特急列車で約30〜40分のサレルノ駅で、バスもしくはフェリーに乗り継ぐのが便利です。バスだと約50分。カーブに差し掛かるたび、ステアリング片手に安全祈願の十字を切るドライバーに、この地の人々の信仰の篤さを垣間見ます。いっぽう、所要時間約30分のフェリーは波が荒い日も。それでも、断崖と海岸線に挟まれた小さな町や村が奏でる穏やかな雰囲気は、少しアドヴェンチャー的旅程をこなしたあとだけに喜びが倍増します。   ▲海岸の西端にある村、ポジターノ。劇作家ジョン・スタインベックがこよなく愛したことでも知られています。早くも3月末頃には、夏を待ちきれない北の国からの観光客が水着でビーチに繰り出すことも。   驚くべきはその歴史です。今日の穏やかなたたずまいとは対照的に、9世紀にナポリ公国から独立後、アマルフィ公国として地中海貿易で大きな力を発揮しました。アマルフィの町に残る造船所跡は、その名残です。アマルフィの町役場のウェブサイトには、“Antica Repubblica Marinara(古き海洋共和国)”の文字が、今も誇らしげに記されています。 ただし、公国が12世紀にシチリア王国に併合されると、一帯はひなびた港町になってしまいました。   ▲アマルフィ地方の伝統産品といえば、レモンとそれを用いた強いディジェステーヴォ(食後酒)。   そうした状況に、変化が訪れたのは20世紀に入ってからのことでした。アマルフィの隣村で、イタリアを代表する陶器『マヨルカ焼き』の産地でもあるヴィエトリ・スル・マーレ村は、1926年にユダヤ人迫害から逃れてきたドイツ人陶芸家マックス・メラメルソンを受け入れます。彼が注目されたことで、世界各地から同業者が集うようになりました。 第二次世界大戦後になると、さらなるムーブメントがもたらされます。1946年、映画監督ロベルト・ロッセリーニがロケ地に選定。1953年には、アメリカ人劇作家ジョン・スタインベックがポジターノを訪れて雑誌に紹介しました。それらをきっかけに、有名人の避暑地として注目を浴びるようになったのです。フィアット創業家の3代目で、イタリア戦後経済成長のシンボルでもあったジャンニ・アニェッリもしかり。1962年、アマルフィでジャクリーン・ケネディと過ごしています。その様子は、“ドルチェ・ヴィータ”の象徴として多くのパパラッチたちによって記録されました。2023年に天国に旅立ったロック歌手、ティナ・ターナーもポジターノの小道を歩くのがお気に入りでした。 この夏も多くのセレブリティが訪れ、その様子は週刊誌のグラビアを飾り始めています。ヴィエトリ・スル・マーレにも陶器工房で自身の作品を形にすべく、引き続きクリエイターが集います。穏やかな風景から想像できないほどの、外に向かった繋がりと寛容性。十世紀以上も前の海洋国家の気風は、今も脈々と息づいています。   ▲夜のアマルフィ。夏この地を訪れる人々は、誰もが遅い日没を存分に楽しみます。     アマルフィ海岸で見かけたフィアットたち おすすめスポット紹介の前に、アマルフィ海岸で見かけたフィアットたちの写真をご紹介します。   ▲アマルフィの町で。ジェラテリア前に停車する『500(チンクエチェント)』。   ▲昼過ぎ、アマルフィの町で。ナイフやフォークの音が聞こえてくる窓の下で、『Nuova 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』も小休止です。   ▲かつていくつもの鍛冶屋が店を構えていたというアマルフィのドージ広場で。断崖とビーチにはさまれた町で、小回りが効くフィアットは、人々の頼れるモビリティです。   ▲ポジターノで。『Panda(パンダ)』と並んでいるのは、狭い道での取り回しを考慮した、この一帯で多くみられる小型バスです。   ▲陶器の町ヴィエトリ・スル・マーレのショップ前に佇む初代『Panda』。   ▲アマルフィで。町の人にとっては見慣れた足である『Nuova 500』ですが、観光客にはイタリアン・ムードを盛り上げてくれる大切な名優です。   次のページ:【アマルフィ海岸のおすすめスポットをご紹介】 […]

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オルチャ渓谷の大自然に身を委ねて 〜もう街には帰れない、VAL D’ORCIAのスポット特集〜

“イタリア各地をめぐるフィアット”がテーマの『フィアット オリジナルカレンダー 2023』。2ヶ月ごとに、フィアットの各モデルがイタリアの6つの街をめぐるイラストが描かれています。5月と6月は、イタリア人のみならずヨーロッパ各国の人々にとっても憧れの地『VAL D’ORCIA(オルチャ渓谷)』です。本連載を執筆しているコラムニスト大矢アキオ氏は、渓谷の玄関口であるシエナ県をベースにして27年。在住者ならではの視点で、エリアの魅力をたっぷり紹介してもらいましょう。 なお、『フィアット オリジナルカレンダー 2023』はダウンロードが可能。方法は記事の最後に掲載しているので、ぜひチェックしてみてください!   ▲サン・クイリコ・ドルチャとピエンツァを繋ぐ道沿い、歴史を1590年にさかのぼる『ヴィタレータの聖母礼拝堂』。羊飼いの前に現れたとされる聖母マリアを祀ったものです。   世界遺産にも登録されているオルチャ渓谷 オルチャ渓谷は、イタリア中部に位置するシエナ県の南部・主にオルチャ川流域を指します。面積は、東京23区(約627平方キロメートル)に近い610平方キロメートル。牧歌的な丘に糸杉が連なる風景と、ローマに至る巡礼ルート『フランチージェナ街道』は、長年にわたって芸術家たちのインスピレーションを刺激し続けました。2004年にはユネスコの世界遺産に指定され、さらに世界から注目されるようになりました。   ▲バーニョ・ヴィニョーニの中心にある『源泉の広場』。この地の温泉水は遠くエトルリア時代から人々に愛されています。15世紀後半、イタリアのルネサンス最盛期にメディチ家の当主であったロレンツォ・デ・メディチも通っていました。   ▲『Via dell’amore(愛の小径)』と名づけられた場所で。15世紀のローマ教皇ピウス2世が、故郷を理想都市にすべく改造を試みたのが、今日のピエンツァ村です。   最上級格付けであるDOCGワイン『ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ』、羊乳のチーズ『ペコリーノ』などグルメ垂涎の地としても知られています。   ▲高級ワイン『ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ』を手掛けるワイナリーのひとつ、チャッチ・ピッコローミニ・ダラゴーナ。その歴史は17世紀末の修道院長による領地に始まります。   毎年初夏にはヒストリックカー・ラリー『ミッレ・ミリア』が、秋にはレトロ自転車走行会『エロイカ』がオルチャ渓谷をコースにするのも、数百年時計が止まったような自然と村が残っているからこそです。 ちなみに私の知人のフランス人やドイツ人は、毎年オルチャ渓谷でバカンスを過ごしたあと、途中の街に脇目もふらず国境まで帰っていきます。夢から醒めたくないといわんばかりに。それはこのエリアが、あまりに魅力的であるからに他なりません。   ▲その名も『糸杉の道』。“イタリアで最も美しい温泉地”と言われる小さな分離集落のバーニョ・ヴィニョーニとバーニ・ディ・サン・フィリッポを結ぶ州道2号線に現れます。   オルチャ渓谷を走るフィアットたち 今回もおすすめのスポット紹介の前に、オルチャ渓谷で見かけたフィアットたちの写真をご紹介します。   ▲トッレニエリで。春の丘を下る『500(チンクエチェント)』。   ▲ピエンツァ村を駆け抜ける2代目『Doblò Cargo(ドブロ カーゴ)』。ルネサンス建築と不思議と調和するデザインがイタリアン・ブランドらしいところです。   ▲サン・クィリコ・ドルチャのプレトリオ宮前を曲がる『500X(チンクエチェントエックス)』。この町は長年伝統的な自動車レース『ミッレミリア』の通過地点です。そのため、イタリアの伝説的ドライバー、タツィオ・ヌヴォラーリの像も建立されています。   ▲ピエンツァの細い路地からひょっこり姿を現した初代『Panda(パンダ)』。それも先代『500』に起源をもつ空冷2気筒エンジンの“30”型です。   ▲サン・クイリコ・ドルチャに11世紀から建つ『被昇天のマリア教会』で。初代『Panda 4×4』は、その走破性と強靭さから今も人気のモデルです。   次のページ:【オルチャ渓谷のおすすめスポットをご紹介】 […]

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泉の魔法が効いたなら〜ロマーニに愛されてきたROMAのスポット特集〜

“イタリア各地をめぐるフィアット”がテーマの『フィアット オリジナルカレンダー 2023』。2ヶ月ごとに、フィアットの各モデルが6つの街をめぐるイラストが描かれています。3月と4月に描かれているのは、イタリアの首都『ROMA(ローマ)』。今回も、イタリア在住のコラムニスト・大矢アキオ氏にローマの魅力をたっぷり伺いました。 なお、『フィアット オリジナルカレンダー 2023』はダウンロードが可能。ダウンロード方法は、記事の最後に掲載しているので、ぜひチェックしてみてください!   ▲『フォロ・ロマーノ』は、2千年前の古代ローマの寺院&官庁街跡。いっぽう右側には1935年に完成した『ヴィットリオ・エマヌエレⅡ世記念堂』が。時空を超越した建築物が混在するのも、この街の魅力です。   観光スポット満載のイタリアの首都・ローマ 地域ごとに深い歴史・文化をもち、独特の魅力を放つ国イタリア。ゆえに目的地選びは悩むものです。そうしたなか、年間旅行客数が約3千万人と国内第1位を誇るのがローマです。そのローマで“トレヴィの泉”といえば、1960年の映画『甘い生活』でマルチェッロ・マストロヤンニとアニタ・エクバーグが水に入って戯れたシーンで有名です。「後ろ向きにコインを投げ入れると、ローマに帰って来ることができる」という伝説から、実際にやってみた方も多いのではないでしょうか。   ▲トレヴィの泉。現在の姿は18世紀前半に造られたバロック様式で、海神ネプチューンの像などが据えられています。   ただし、別の映画『ローマの休日』の名ロケシーンであるスペイン階段しかり、あまりの賑わいに圧倒されてしまった方も少なくないはず。そこで今回は、ある日トレヴィのおまじないが効いてローマを再訪するあなたのために、生粋のロマーニ(ローマっ子)や、首都という土地柄セレブリティたちに愛されてきた店を2つほどご紹介。いずれも当主は創業家の出身。知り合いが気軽に「コメ・スタイ(よう、元気か)」と声をかけて入ってくるのも、地元の店ならではの風景です。 そして、伝説の『Nuova 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』で巡るツアーをプロデュースしているローマ生まれの紳士も。彼がナビゲートするのは、イタリア人でも知らない場所ばかり。これを読めば「もうローマは知り尽くしたから」なんていう言葉は出てこないかも……。 早速、スポット紹介に移りたいところですが、その前にローマの街で見かけたフィアットたちの写真をお届けします。   ローマの街を走るフィアットたち ▲『パンテオン』の裏で。リストランテの前に佇む『500e(チンクエチェントイー)』。   ▲近年若者に人気のナイトスポットであるピニェート通りで。初代『Panda(パンダ)』がポップな雰囲気の壁面と似合っています。   ▲イタリア首相官邸である『キージ宮』近くで。ターヴォラ・カルダ(軽食堂)の前に路上駐車する『500X(チンクエチェントエックス)』。   ▲ローマが最も領土を拡大した時期の皇帝名にあやかった『トラヤヌスのフォルム』を見渡すエリアで。フィアットのマルチパーパスカー 二代目『Doblo(ドブロ)』。   ▲画家カラヴァッジョの連作がある『サン・ルイージ・ディ・フランチェージ教会』近くで。『500e』2台と脇を走り抜ける『Panda』。いつの時代もフィアットはローマの一風景です。   ▲夕刻、トラステヴェレ地区のリストランテで。アイキャッチ役を務めているのは第二次大戦後イタリアにおけるポピュラーカーである『500C』。『トポリーノC』というニックネームで親しまれています。   次のページ:【ローマのおすすめスポットをご紹介】 […]

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フィアットの故郷へようこそ!〜TORINOのとっておきスポット特集〜

フィアットファンに毎年大好評の『フィアット オリジナルカレンダー』。2023年のテーマは“フィアットとイタリアの街並み”です。2ヶ月ごとに、フィアットの各モデルが6つの街をめぐるイラストが描かれています。1月と2月に描かれているのは、フィアットの故郷『TORINO(トリノ)』。産業都市として、まさに近代イタリアのエンジンとなった街の“とっておき”スポットをお届けします。 なお、フィアット オリジナル 2023年カレンダーはダウンロードが可能。ダウンロード方法は、記事の最後に掲載しているので、ぜひチェックしてみてください!   ▲鉄道の玄関口であるポルタ・ヌオーヴァ駅付近を行く『500e(チンクエチェントイー)』。   フィアットの故郷“TORINO(トリノ)”とは? 北西部ピエモンテ州の州都であるトリノ。遠くアルプスの山々を見渡す街は、130平方kmに約84万人が住んでいます。ミラノが181平方km・約135万人ですから、ひとまわりコンパクトな街といえます。 11世紀にその歴史をさかのぼる名門・サヴォイア家は、ピエモンテだけでなく現在のフランスやスイスの一部も支配下に置いていました。そのため建築や方言には、フランスの影響がみられます。 やがて国家統一が果たされて1861年、ヴィットリオ・エマヌエレⅡ世を国王に据えたイタリア王国が誕生した際、トリノは3年にわたり首都機能の役割を担いました。   ▲トリノ旧市街を象徴する広場『ピアッツァ・サンカルロ』。周囲の館には、人々が冬の間、雨や雪を避けて歩けるようにポルティコ(屋根付き回廊)が設けられています。   20世紀のイタリアの近代化における原動力もトリノでした。ジョヴァンニ・アニェッリらが1899年にフィアットを興したのも、1927年に初めてラジオ局が開局したのもこの街。第二次大戦後は、多くの人々が南部から移り住んで工場で働き、復興を支えました。 その後、1988年から今日まで続く『ブックフェア』や2006年の冬季五輪などを通じて、国際イベント都市としても世界から注目されるようになりました。さらに2022年には『スマートシティ・インデックス』において、最もエコ・サステナブルなイタリア都市に輝きました。トリノは常にイタリアの未来を示し続けているのです。   ▲トリノはイタリア・ナンバーワンのエコ・サステナブル都市。EV(電気自動車)用充電ポールが充実していることもあり、『500e』もたびたび見かけます。   ▲裏道にたたずむ『500(チンクエチェント)』。碁盤の目のような道路は、サヴォイア家のカルロ・エマヌエーレ1世の号令で1620年に開始された都市計画の名残です。   ▲『500』は、イタリア屈指のカーシェアリングサービスの代表的車種としても有名です。   次のページ:【とっておきの!トリノのおすすめスポットをご紹介】 […]