“イタリア各地をめぐるフィアット”がテーマの『フィアット オリジナルカレンダー 2023』。フィアット各モデルが6つの街とともに描かれた2カ月めくりスタイルです。11・12月は『MILANO(ミラノ)』。イタリアを代表する商業都市ならではの多様性を紐解いてゆきます。今回も、イタリア在住のコラムニスト・大矢アキオ氏にミラノの魅力を伺いました。
『フィアット オリジナルカレンダー 2023』はダウンロードも可能。方法は記事の最後に掲載しています。ぜひチェックしてみてください。
イタリア北部ミラノは、自治都市として神聖ローマ帝国から独立。中世後期からはヴィスコンティ家とスフォルツァ家のもと、ミラノ公国として大きく繁栄しました。しかし、その後ふたたび神聖ローマ帝国や、スペイン・ハプスバルク家の支配を経験。18世紀には今度はオーストリア・ハプスブルク家のもとに収まりました。19世紀初頭にはフランスのナポレオンの影響を受け、さらにイタリア統一2年前の1859年までふたたびオーストリアの支配下にありました。北と南の接点として、さまざまな影響を受けてきたことが、今日に続くミラノの多様性と国際化の下地になったと考えることもできます。
第二次大戦後はイタリアの奇跡的経済成長の原動力として、ミラノは存在感を強めます。たとえば服飾産業。1960年代のプレタポルテ普及にともない、ミラノはファッション・シティの地位をパリから奪い始めます。同じロンバルディア州にある都市・コモの絹織物産業も、発展の一翼を担いました。こうして彼らは従来までフランス系ブランドの下請けであったイタリア服飾産業の地位向上にも貢献したのです。毎年6月と9月に開催されるファッション・ウィークは、今もモードの最先端である象徴です。
ちなみに、ミラノを端的に浮き彫りにしたカンツォーネといえば、戦後イタリアを代表するシンガー・ソングライターのひとり、ルーチョ・ダッラが歌った1979年『ミラノ』でしょう。「ドイツ語で尋ねれば、シチリア語が返ってくる街」といった情景が数々表現されています。さらには、「Milano è sempre pronta a Natale (ミラノはいつもクリスマス)」とも。続くのは「それが過ぎると涙を流す。そして傷つく」です。祝祭と直後の虚脱感の双方を繰り返しながら、ときが過ぎてゆくクールな都市。それも大都市ミラノの姿なのです。
おすすめスポット紹介の前に、ミラノで見かけたフィアットたちの写真をご紹介します。
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