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LIFESTYLE

“料理×クルマ”シェフ・ファビオとフィアットがコラボレーション!〜Tasty FIAT!〜

YouTubeやメディアで大人気のシェフ・ファビオさんと、フィアットとのコラボレーションプロジェクトが実現!フィアットが大好きというファビオさんが、6ヵ月間にわたって『500e』をはじめとするフィアットのさまざまなモデルに乗り、各モデルをイメージしたスペシャルレシピを考案します。今回はそのプロジェクトのスタートにあたり、ファビオさんのこれまでの経歴や現在の活動をご紹介しつつ、『Tasty FIAT!』の意気込みやフィアットへの想いついてお話を伺いました。   16歳で出会ったイタリアの文化と料理 ──まずはファビオさんが料理に興味を持ったきっかけを教えてください。 そもそもで言うと小学2年生ぐらいのときに、実家で土日のお昼に「キッチンに立ってもいいよ」みたいな日があって、そのときに初めてウインナーを焼いたり、お味噌汁を作ったりしたのが最初です。そうしているうちにどんどん料理が楽しくなって、いつの間にか自分の中での習慣になり、家族の中でも自分が作る日みたいなのが少しずつできていきました。 僕は何かひとつのことにハマったらとことんハマる性格。料理以外でも、美術とかものづくりが好きで、料理を作り始めたら本当に楽しかったし、両親や兄弟が「おいしい!」って言ってくれたのもうれしかったんです。   ▲シェフ・ファビオさん   ──そこから夢として、仕事として料理人を志したのはなぜですか? 父が薬剤師をしていて、あるときにイタリアのローマに仕事で行くことになりました。僕は日本でずっとサッカーをやっていましたが、高校1年のときに足を悪くして、部活を辞めなきゃいけなくなってしまって。そんな高校1年の冬休みに、ふと父のいるローマに行ってみようかなと思って、16歳で初めてイタリアに行きました。そこで初めてイタリア料理に出会ったんです。 そのとき僕は、イタリアの料理だけではなく、クラシック音楽やフィアットなど、イタリアのカルチャーすべてにとても衝撃を受けて。漠然とですがイタリアで働きたいなと思い、そこから料理人を目指すようになり、20歳のときにイタリアに渡りました。父親がイタリアに行ってなかったらイタリア料理とは出会ってなかったでしょうから、いろいろな縁は感じています。     ──イタリア時代に、特に印象に残っているエピソードをお聞かせください。 当時は何もかも日本と違ったような気がしましたし、日本で閉塞感のようなものを感じていた時期にイタリアに行ったので、日本とは違う文化がとりわけ魅力的に映った部分はあったと思います。その結果として、イタリアの文化や料理をとことん現地で吸収できましたし、そこからイタリアが好きという気持ちが変わることなく今日まで来ています。     ──イタリア料理のどういった部分に魅力を感じたのでしょうか? 16歳の自分がイタリア料理を好きになった理由は、たぶん“簡単”だったからだと思います。“簡単”なのって料理に関して僕がいいと思っているところでもありますが、基本的に大体の仕事は成果が出るまでプロセスにけっこう時間がかかる中で、料理は完成までにそこまで時間がかからない。自分の考えたものが、すぐ形になるというところが素晴らしくて。料理もいろいろなジャンルがありますけど、その中でもイタリア料理はやっぱりシンプルで、素材を大切にしようっていう文化が日本料理とも似ている。そのシンプルさが、自分にはすごく魅力的だったのかなと思います。     あとは単純に美味しかった。食べて感動したんですよね。最初に行ったローマでは、カルボナーラやアマトリチャーナ、トリッパのトマト煮込みとかを食べたんですけど、すごく美味しくて。あとはオリーブオイルと塩だけで味付けして焼いた野菜も、シンプルだけど美味しかったんです。     シェフとしてイタリア料理を発信する『ファビオ飯』 ──20歳からイタリアやドイツの大衆店から星つきレストランまで6年修行し、日本に帰国されました。帰国してから現在のスタイルに至るまでの経緯を教えてください。 帰ってきたときはけっこう迷っていた時期でした。そのときの自分のレベル的には、お店のスーシェフ(副料理長)かシェフ(料理長)のポジションでしたが、どのジャンルでどうやっていくのかというのがちゃんと定まっていなくて。会社員としてレストラン勤務をしていましたが、特に迷走していた時期が25歳からの2年ぐらい。28歳のときに店を辞めて、フリーになってYouTubeでの動画配信を始めました。     ──料理を披露する場として、YouTubeを選んだ理由は何ですか? 本来はお店をオープンしてそこで料理を作るというのが一番いいと思いますが、単純にコロナの時期と重なったのもあり、将来的には自分のお店を作りたいという目標はあります。その目標の過程にYouTubeがあって、YouTubeはあくまでツールとして、自分が今まで10年間やってきた技術や経験をアウトプットする場所という捉え方をしています。     ──今ではチャンネル登録者数が50万人を超える大人気チャンネルになった『ファビオ飯』ですが、動画を作るにあたって意識していることはありますか? 元々はお店でずっとやってきた料理人なので、動画を撮り始めたころは、まず料理を作りながら喋るということが全然できなかったんです。その段階から始めているので、演者的なレベルは最初マイナス。でも、今ようやく400本ぐらいは動画をやってきて、なんとかできるようになったかなと思っています。 YouTubeで発信する内容に関しては、何を伝えたいのかということを明確にすることを心掛けています。自分が作りたい料理を作っても、再生回数が伸びるわけではない。やっぱり料理人目線になると難しい料理になってしまうし、世の中の多くの人たちが何を求めているのかをちゃんと考える必要がある。だから僕はイタリア料理がメインですが、配信しているものは主にパスタ料理と肉料理の2つなんです。パスタ料理はわかりやすいし、キャッチーだし、みなさん作りやすい。それに加えて、料理男子の中で最近特に需要がある肉料理。その2つに絞った配信をしています。   次のページ:【フィアットの多様なイメージを表現した料理が誕生】 […]

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おいしいイタリア〜シンプルな漁師めし「アクアパッツァ」

巷では◎◎めしなるものがもてはやされている。 いろんなアイディアが詰まっていて手軽で美味しく味わえ、しかもコスパ抜群。そんな簡単レシピが大人気である。 アクアパッツァという料理をご存知だろうか? いうなれば南部イタリアの漁師めしなのだが、これまたシンプルなことこの上なく、さりとて日本で大人気なイタリアン、ペペロンチーノやピッツァ・マルゲリータ同様、実に奥の深い料理なのである。 日髙良実(ひだかよしみ)、日本を代表するイタリア料理のシェフのひとり。喫茶店で供されるナポリタンやミートソース、そして冷凍のピザくらいしか一般的には認知されてなかった時代、イタリアの名店で修行を重ね、本格的なイタリア料理を日本に広めたことで知られている。 今よりもずっと本格イタリアンが少なかった時代、彼の海外武者修行もフランス料理からスタートしている。しかし、当時のフランス料理は敷居が高く、そこに疑問を抱いていた彼はもっと身近に楽しんでもらえるイタリア料理を選んだ。     その男、南へ 日髙青年は、やがて単身イタリアへ渡り数々の名店で修行を重ねる。 イタリアは広い、そこで郷土料理も学ぶべきだという先輩シェフの言葉に、彼は南イタリアのナポリへ足を向けた。 そして、後の彼の店名でもある「アクアパッツァ」に出会うことになるのだ。 「塩とオリーブオイル、柑橘類くらいしか使わないのに奥が深い。衝撃でした。シンプル、そのひと言ですね。イタリアンの凄味を感じました」     極めればミニマルに 「毎日食べても飽きないんです。いやシンプルだからこそ飽きないのかな? これぞイタリア的な一皿だと思いました。」 アクアパッツァは、格式あるレストランでも食べられるが、同時に庶民的でもあるこの“漁師めし”は、オステリアやトラットリア、果てはターヴォラカルダといった場末でも楽しむことができるので、修行の合間に評判の名店を食べ歩いたという。 「最初は仕事に夢中でしたが、慣れてくるといつのまにかどんどんイタリアが好きになっていました。特にイタリア人の人がらでしょうね、朗らかで屈託がない。街の美しい景色は、この人たちあってのものなんだと実感しました。     修行する店のスタッフの実家へ遊びに行ったり、街を散歩するようになると、ますますイタリアの魅力に引き込まれていく。」 「ナポリって港町ですからね。新鮮な魚介類の料理を大勢で楽しんでいる。暖かい日差しが降り注ぐ街並、石畳の上にはちっちゃなフィアットたちがギュウギュウに停められている。あれは心象風景ですね、僕にとってのイタリアの。」 そう語る日髙氏がアクアパッツァを作ってくれるという。           長く愛される理由 ホールスタッフに取り分けてもらった一皿を前にすると香しさに包まれる。柔らかな白身を口にふくむ…。素材を活かすのがイタリア料理などという月並みな言葉が頭の中から吹っ飛んでしまった。気がつけばスープまで飲み干していた。一皿のカタルシス。日髙氏の言う衝撃とはこのようなものだったのだろうか? 庶民派という点ではFIAT 500もその代表格。しかも、ギュウギュウに路上に溢れていたチンクエチェントは日高氏と同い年の1957年生まれ。 「ますます親近感を覚えますね。使い込まれたチンクエチェントが元気に走り回る光景は私にとってイタリアそのものです。いまは忙しくて運転する機会と言えば横須賀のアクアマーレに行くくらいなのですが、いつかこういう車に乗って港町を巡る旅をしてみたいものです。」 笑顔で答える彼と、いつのまにかミケランジェロやダヴィンチといったイタリアの文化や芸術にも話が及ぶ。 「どちらもイタリアの人が作ったものだからなんでしょうね、アクアパッツァ的なものを、チンクエチェントに乗った時にも感じましたよ。イタリアの気質みたいなものでしょうか。しっかりと歴史が磨いていく感じなのかな…。 誰からも愛され、歴史が磨き続け、愛され続けるという点で、一皿のアクアパッツァとチンクエチェントには同じイタリアの精神が脈々と宿っていると改めて認識させられた。     リストランテアクアパッツァ 東京都渋谷区広尾5-17-10 EASTWEST B1F 03-5447-5501 2018年春より移転予定 […]