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#イタリア

DRIVING

「日常に暮らす」FIAT〜イタリア、フランス編

イタリア生まれのFIAT。移動の道具だけでなく、街の一部としての役割も担うクルマとして愛されているのも特徴の一つ。   よく「オシャレ〜」といわれるイタリアの街並みですが、それは脇を固めるクルマたちという助演女優(男優?)たちのおかげであることにお気づきでしょうか?   日本と違い、自家用車であっても駐車場が住宅前の路上というケースが多い彼の国において(郊外以遠でないと戸建住宅は少ない)、いやがおうでも街の景観の一部を担う「クルマを選ぶ」という行為は、思いの外シビアなものです。 あまりに場違いなカラーなど選ぼうものの、町内における好感度はみるみる失墜します。 実はイタリア人は想像以上に衆目を気にします。ハデだ陽気だ自分勝手だなんていわれますが、日本人以上にシャイで周りに気を配っているのです。     さて、そんな彼らのクルマたちですが、日本のみなさんのようなピカピカな状態ではなく、適度に使い込まれてヤレていたり、見事に汚れていたりするんですが、それでもちょっとした看板やテントといった街並みのアイコンにあるときは溶け込み、あるときは見事なコントラストを見せてくれているのも、イタリアだなあと思わせる瞬間だったりします。 数百年を経た旧い建物の前でも、最新のゴージャスなショーウインドウの前でも、キリリとした存在感を放つのはイタリア車の最大の美徳の一つ。     排ガス規制などのせいで、かつてほど都市部の駐車に「自由」はなくなったものの、それでもいたるところにクルマが溢れていて、街とのアンサンブルを楽しむことができます。これが「オシャレ」を感じさせる理由なんでしょう。             さて、今度はちょっとイタリアを離れてフランスへ。 毎年2月にパリで行われる、欧州最大級の旧車イベント「RETROMOBILE」に出向いた際に出会ったFIATたちをご紹介します。   折しも、今年の日本同様、大変な寒波に見舞われた2月初頭のパリだったのですが、おかげでなかなか珍しい「雪のパリ」に佇むFIATたちと出会えました。     東京ほどではないにせよ、大変な交通量があるパリ。古く、入りくんだ路地も多い中、実はNuova500の時代から愛らしいデザインとサイズ感で、オシャレなパリジェンヌ、パリジャンに大人気。その流れは現行の500にも引き継がれています。     クルマが生活の一部になっている人たちに愛され続けるクルマ。それがFIAT。 日常に暮らす相棒として、国を問わず活躍している姿はなかなか素敵ではありませんか? […]

LIFESTYLE

イタリア自動車紀行〜FIATの街、トリノ vol.2

FIATのお膝元の街トリノでは、さまざまなFIATを見ることができます。 たとえば、タクシーもFIAT。日本では未発表ですが、500の派生モデルで、家族に優しいロングボディがイタリアで好評な500L。   旧FIATの工場リンゴット(LINGOTTO)をリノベーションしたホテルのロビーには、もちろんFIATとランチアのエンブレムやグッズが並んでいます。   同じ建物内には、イタリアが誇る名門トリノ工科大学があり、そのエントランスにはこんな個性的なプロトモデルが…。   市内中心部でも、特に日本でも根強い人気を誇る初代Pandaがまだまだ元気に駆け巡っています。   中には90年代後半にデビューした二代目600や2000年代の大ヒット作、グランデプントも、まだまだピカピカ。   そして現代の主役はやはり500。   全国的には明るい色が人気の500も、シックなトリノの街並みではダークカラーが良く映えます。   そもそもトリノという街は、ルネサンスやローマの影響よりも、バロック色が濃厚で、凛とした美しさと知性が感じられます。かの哲学者ゲーテが最期の土地として選んだ街としても有名。   アスファルトとは違う、雰囲気たっぷりの石畳。他のイタリアの都市とは異なり、極めて丁寧に整備され平坦さを保っているのは、北部イタリアが誇る自動車のメッカたるプライドか。路面電車との継ぎ目もキレイ。   街なかの信号待ちではご覧の通り。あっという間にFIATをはじめとするイタリア車に囲まれ、なんとも言えないホーム感を味わうことができます。   そんな街を見守ってきた美しきヨーロッパアルプス。必見の絶景です。   美しい街並みや山並みだけでなく、トリノといえばワインやチョコレート、コーヒーに各種トリュフなどのグルメ。そしてエジプト以外では最大のコレクションを誇るというエジプト博物館、街の最大の目玉であるイエス・キリストの聖骸布もある、歴史情緒たっぷりの街。   そしてなにより街なかを走り回るFIATを中心とした、多くのイタリア車や、自動車博物館まである楽しい街。 オーナーの方はもちろん、そうでない方も是非ともみなさん足を運んでみてはいかがでしょうか?   つづく […]

NEWS

トリノで行われた旧車イベント〜第36回、アウトモトレトロ Vol.1

トリノ、FIAT、蚤の市 いまから120年近くも前、1899年7月11日に創立されたFIATは、イタリア最古の自動車メーカー。ちなみに、この世に初めて「自動車=Automobile」という言葉が使われたのが同年1899年の1月のニューヨーク・タイムズ紙だといわれています。FIATが世界最古というわけではありませんが、自動車製造の黎明期に産声を上げた、数少ない歴史あるブランドであることに間違いはありません。   そんなイタリア(主に北中部)では、自動車関連のイベントは日常茶飯事。このいわゆる「蚤の市」的イベントは、真夏(7、8月)と真冬(12月、1月)を除けば、ほぼ毎週末、さまざまな規模や内容で各州、各都市、各市町村で行われており、週末の市民の楽しみとして長く愛されています。   トリノでの最大規模がこの「Automotoretro(アウトモトレトロ)」。今年で36回目を迎えるこのイベントは「自動車+バイク+レトロ」を意味するその名の通り、自動車やバイク、自転車などあらゆる車輪がついたもの、そしてその部品はもちろん、広告やノベルティといった関連商品からおもちゃに至るまで、様々な「旧いもの」が手に入る正真正銘の蚤の市なのです。     1923年に生まれたFIAT社の本社兼工場施設であったLINGOTTOの隣(昨年まではリンゴットの一部も使用していた)で開催されるお膝元どころか城内開催のような趣のイベントで、FIAT好きにはたまらないロケーションです。ちなみにこのリンゴット内には商業施設や映画館、ホテルなどもあるので会場までのアクセスも至便。そのロビーには同じトリノの名門、ランチアの旧車が展示されていたりと、ファンにはなかなかたまらない演出がなされています。     あくまでいち都市のローカルイベントでありながら、やはり多くのメーカーが林立していたトリノの引力のなせる技なのか、隣接するスイスやドイツ、フランスはもちろん、オランダやスペイン、ベルギーあたりからも高速をすっ飛ばしてやってくるファンたちも決して少なくない、人気のイベントとなっています。     ブームの裏に…。 FIATやアバルト、ランチアなど多くのイタリアの代表的メーカーや、ピニンファリーナやベルトーネといったイタリアを代表するカロッツェリアが立ち並んだトリノ。やはり本場ならではの「掘り出し物」や「お宝」が多いのもこのイベントの魅力です。   しかし、昨今の旧車ブームによって、多くのバイヤーがトリノに訪れるようになり、ここ数年では高額取引がなされる車両をはじめ、関連部品などの出展数も減少傾向。その煽りを受けてか、軒並み価格が高騰するという状況に見舞われています。   それでもやはりそこはトリノの底力とでも言うのでしょうか。進む高齢化に伴う「次世代へのバトンタッチ」は避けられず、ひょんなことで幻の名車や珍車が売りに出されることも少なくありません。そんな中にはワンオフ(別注・特注)やワンオーナーものがあったりしますので、旧車ファンとしてはやはり気が抜けません。     もうひとつの魅力は、オーナーズクラブの出展です。ここでは、まずお目にかかれないようなコンディションの名車や珍車にお目にかかるチャンスであり、また、ユーザー同士の交流や、情報交換ができるのも大きな魅力。これはSNS全盛となった今も変わらず続く伝統だといえます。     特にイタリアの自動車最大の魅力であるデザインは、紙面や画面で見るのと、間近に見たり触ったりするのとでは大違い。その圧倒的な存在感には、毎回ヤラれてしまいます。   長い歴史は、長く愛されてこそ生まれるものであり、そうした足跡や今も綿々と続く流れのようなものを感じさせてくれるのが、こうした特定ジャンルの蚤の市の魅力。   次回は「アウトモトレトロ」をもっと深掘りしていきたいと思います。 […]

LIFESTYLE

イタリア自動車紀行〜FIATの街、トリノ vol.1

現在のイタリアの首都といえばローマ。 ではローマの前の首都はと聞かれると、わたしたち日本人は「?」となってしまうでしょう。 実はFIATの本拠地であるトリノこそ、今から150年ほど前、19世紀におきたイタリア統一運動の主力であったサヴォイア家の本拠。その後彼らが首都に定めた街だったのです。     「山の麓」を意味するピエモンテ州の州都トリノは、北に雄大なアルプスを構える美しい街。碁盤の目のような近代的な区画整理や、均整の取れた建物が溢れ、オリーブやブドウ畑、地中海といった典型的なイタリアの風景とはまた違う、きりりとした魅力溢れる美しき古都。     そんなかつての首都とともに栄えたのが、その名も「トリノ・イタリア自動車工業」であるわれらがFIAT。 1899年創立、以後「陸に海に空にFIATあり」というスローガンとともに、自動車以外にも鉄道、船舶、航空機などを製造し、文字通りイタリアを支える役割を担ってきました。           次号からは、そんなトリノで2月1日から行われたイベント「AUTOMOTORETRO(アウトモトレトロ)」の模様、現地のオーナーズクラブの情報、街中で活躍する新旧さまざまなFIATたちをお届けしたいと思います。お楽しみに!     つづく […]

LIFESTYLE

良質なココアを贅沢に使用 イタリア生まれの本格チョコレート「DOMORI(ドモーリ)」

  カカオ本来の味わいがそのままおいしさに イタリアが世界に誇る高級チョコレート「DOMORI(ドモーリ)」。世界に数あるチョコレートブランドのなかでもドモーリが注目されている理由は、全体の10%ほどしか取れない良質なファインカカオを原料に使い、製造方法にもこだわることで、カカオ本来の旨味が生きたおいしさを届けてくれるから。     カカオは、抗酸化効果が期待できるポリフェノールを豊富に含むことから近年ますます注目されている存在。ドモーリはカカオの味わいを最大限引き出すことに注力し、香料を使わずに発酵や焙煎、製造まですべてを自社で行っています。畑で獲れてから工場を出荷するまでのあらゆる工程で妥協せず、それによって実現するピュアな味わいは、グルメや健康志向の高い人をも魅了しています。     今回紹介するのは、ドモーリの真骨頂であるファインカカオの味わいを気軽に味わえる「CHACAO by DOMORI(チャカオ バイ ドモーリ)」。風味の異なる6種類がラインアップされています。   CHACAO by DOMORI 塩チョコレート(カカオ45%)     CHACAO by DOMORI塩チョコレートは、フランス・ブルターニュ地方のゲランドの塩をブレンドしたミルクチョコレート。カカオの豊かな香りと天日塩の思いもよらぬ出会いが口のなかでとろけ、豊かな芳香を楽しませてくれます。     フィアット正規ディーラーでは、2月3日(土)から14日(水)にかけてバレンタインシーズン限定のテストドライブキャンペーンを実施。期間中にフィアット車にご試乗された方に「CHACAO by DOMORI 塩チョコレート」を差し上げます。まいにちを楽しくしてくれるイタリア生まれのドモーリとフィアット。その運命的な出会いをあなたに。   バレンタイン テストドライブキャンペーンの詳細はこちら […]

NEWS

美ファッションとパッションが交錯したイタリアンな夜 PASSIONE Presents ITALIAN NIGHT

  街ではクリスマスの飾り付けが始まった季節の夕暮れ。日本でも有数の高級住宅地、渋谷区松濤に位置するフィアットカフェ松濤に、たくさんの人々が集まりました。老若男女、年齢も性別もばらばらでしたが、彼らにはひとつの共通点で繋がっていました。それは、イタリアを愛しているということ。アリタリア-イタリア航空日本語版機内誌『PASSIONE(パッシオーネ)』の創刊3周年を祝うパーティの模様をお伝えします。   美しいもので人生の楽しみを広げるのがイタリア流     ここで、イタリアを愛する人々を迎えたフィアットカフェ松濤についても簡単に補足しておきましょう。フィアットカフェ松濤は、フィアット松濤店に併設されたユニークなカフェ。イタリアの食材を用いたフードイベントを開催するなど、クルマ以外のイタリアの魅力や文化、ライフスタイルを発信する基地として愛されている場でもあるのです。都心の一等地にあることとあわせて、パーティを開くのにうってつけというわけです。     イタリアで最も有名な高級スパークリングワインのひとつ、フランチャコルタの繊細な泡が来場者を歓迎し、ナポリの名店で修行を積んだ青木嘉則さんが焼くピザの香りが空腹を刺激します。そう、美味しいものや美しいもので人生を楽しむのがイタリア流。極めつけが料理研究家のベリッシモ・フランチェスコ氏の料理。登壇したフランチェスコ氏は、「ただ食べるだけでなく、土地の歴史や人柄とか、イタリアの美や食への文化を知ってもらいたく料理教室を開いています」と述べました。     フランチェスコ氏の言葉を聞きながら、ふと「料理」の部分を「クルマ」に置き換えても成立するのではと感じました。すなわち「イタリア車を知ることで、イタリアの文化を理解できる部分もあるのではないか」と思います。     さて、アリタリア-イタリア航空の客室乗務員のコスチュームを用いたファッションショーで会場のボルテージはさらに高まります。同航空会社の制服はこれまでにジョルジオ・アルマーニやアルベルト・ファビアーニといった錚々たる顔ぶれのデザイナーズブランドが手掛けており、2016年に18年ぶりに刷新された現在のワイン色の制服も、ミラノを拠点とするデザイナー、エットーレ・ビロッタの手によるもの。ファッションショーでは歴代の制服が一堂に会し、華やかなオートクチュール・コレクションを披露。イタリアを象徴する赤と緑を用いた色合いが見事でした。     さて、イタリアの美意識を堪能した後で、この日、最も会場を沸かせたトークセッションが行われました。壇上にあがったのは、『PASSIONE』の九島辰也編集長と、FCAジャパン マーケティング本部長のティツィアナ・アランプレセです。 九島さんは、「僕は自動車評論家の仕事もしているので、ティツィアナさんとは旧知の間柄。リラックスしすぎて、余計なことまでしゃべらないように気をつけます(笑)」と挨拶。 ティツィアナが、「私は学生時代に九州大学に留学して、日本をとても好きになりました。そして13年前に再び来日して、現在は、FCAというフィアットやアルファロメオなどのクルマを扱う企業でマーケティングの仕事をしています」と自己紹介したところで、愉快なトークセッションがスタートしました。 ここでは、ふたりのトークを抜粋してお伝えします。     九島 「フィアット500は日本でも人気がありますが、イタリア人ってホントにこのクルマが好きじゃないですか。実際、ミラノの街とかで見かけると映えるんです。なぜでしょうね?」 ティツィアナ 「人生って毎日が違う生活の連続ですよね。フィアット500は、ライフスタイルの変化に合わせやすいんだと思いますよ。どんな人でも、その人らしい使い方ができるというか」 九島 「カラーバリエーションも豊富で、性別や年齢を問わず、だれもが自分の好きな色を選べますね」     ティツィアナ 「そうです。特に若い人はカスタマイズしたりオプションを選んだり、自分にぴったりの1台を楽しんでいます。九島さんはファッションにもお詳しいけれど、ファッションを楽しむのにも似ていますよね」 九島 「おっしゃる通りで、フィアット500を楽しむ人は、ジャケットや靴を選ぶのと同じように、自分らしさを表現しているのだと思います」 ティツィアナ 「私は日本人になりたいと思ったくらいで、日本の文化をとても深く愛しています。一方で、イタリアの文化にはちょっと違うところがあって、でもそれも好きなんです」     九島 「たとえば、どんなところがイタリアの文化は違いますか?」 ティツィアナ 「自分らしさを大事にしたり、それを恥ずかしがらずに表現したり。だから私は、マーケティングの仕事を通じて、日本のみなさんにそうしたパッションを伝えられたらいいと思っています」 九島 「パッション、素敵な言葉ですよ。クルマにしろ旅行にしろファッションにしろ、情熱がなければ人生は楽しめませんから」 ティツィアナ 「ね? だからパッションを大事にして、恥ずかしがらずに自分を表現するために、九島さん、一緒に歌いましょうよ」 九島 「え? ここで歌うんですか?」 ティツィアナ「さあ、『オー・ソレ・ミオ』を始めるわよ!」 こうして、会場も巻き込んだ『オー・ソレ・ミオ』の大合唱でパーティは賑やかに幕を閉じることに。パッションと自分らしさを大事にして人生を楽しむ。参加者たちは、“イタリアンナイト”が発信したメッセージを満喫したはずです。     […]

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NEWS

FIAT〜写真展のおしらせ 「La 500 : piccola grandiosa」

2017年12月17日(日)から12月29日(金)まで、東京銀座のギャラリー「BASEMENT GINZA」で写真展が開かれます。 その名も「La 500 : piccola grandiosa」 「小さくて、偉大なチンクエチェント」という意味なのですが、イタリア人の生活の一部としてのFIAT 500を垣間見ることができます。   クルマを撮るのではない 美しい街並み、美しい夜。そこで暮らす人間味溢れる温かい人たち。 圧倒的な歴史と文化を誇り、時に優雅で、時に間抜けで、それでいてどこか憎めないキャラクターをもちあわせる国イタリア。 たとえそれが素朴で質素であっても、こと人生を楽しむという点において「達人」といわれる彼の国の人々ですが、それが色濃く溢れているのがイタリアの南部だといいます。     そんな人々の暮らしや生き様に惹かれ、20年近くもイタリアに通いシャッターを切リ続ける写真家が加納 満(かのうみつる)さん。彼は、イタリア人の暮らしや人生を撮り続けるうちに、その傍らにいつも寄り添う愛らしいクルマ、FIAT 500の存在を意識するようになったといいます。     「そもそも僕は、「画」つまり「クルマが主体の写真」としてチンクエチェントを撮るつもりでシャッターを切りはじめたワケじゃないんです…。サルデーニャで、シチリアで、バーリで、人々やその暮らしに「出会う」のと同じように、気づくとごく自然にFIAT 500との出会いを漏らさず記録し続けていたんです。」     「情熱の赤に憧れて」 この写真展の共謀者、小野光陽(おの こうよう)さん。編集者にしてプロデューサーの彼もまた、イタリアとの縁が深い。なんといっても若い頃イタリアの情熱の代名詞ともいえる跳ね馬のエンブレムに憧れ、単身モデナに乗り込んだというツワモノ。 「ネジ一本組み付けるだけの仕事でもいいんです。それでもあのクルマたちを生み出す現場に加わりたかったんです…。」 情熱の国に相応しい熱いものをお持ちの小野さん。その後も4年以上にわたりイタリアで生活をされたという小野さん。現地の生活をよくご存知なのは言うまでもありません。     そんな彼と加納さんとの出会いは、とある雑誌の企画での偶然から。 その後も共にお仕事をなさっていたそうですが、ふとしたきっかけで加納さんのSNSに頻繁に登場するFIAT 500を見た小野さんが、この企画を思いついたといいます。     「もちろん加納さんの写真が好きだったということもあるんですが、彼の写真には、ステレオタイプで表面的なイタリアの街や暮らしではなく、僕の知っている一歩踏み込んだイタリアがそこにはあるんです…。人と街と暮らしとクルマ、そうした距離感に“これだ!”と思ったんです。」     モノは長く愛することで、愛着はもちろん心すら宿るといいますが、1957年にデビューし、その後20年に渡り製造され続けたNuova 500(ヌオヴァ・チンクエチェント)は、まさにその次元に突入しているものが多いようです。     「色あせようが、ボディやバンパーが凹んでいようが、人間が老い、顔に皺が寄るように年輪を重ねている様が、何かクルマ以上のものを僕に訴えかけてくるんです。生活や風景に馴染んで日々共に暮らしているというか。僕はそうした部分すべてを見ていただければと思っています。」 そう語る加納さん。     やっと人が通れるくらいの路地に、ありえないほど壁にギリギリに停められた濃紺チンクエチェント。加納さんとFIAT 500の「はじめの一枚」とともに、世界に愛されるイタリアの名車、今も同じくイタリア人の生活に溶け込んでいる「チンクエチェント」の真実の姿を覗いてはみませんか?       加納 満 […]

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LIFESTYLE

おいしいイタリア〜シンプルな漁師めし「アクアパッツァ」

巷では◎◎めしなるものがもてはやされている。 いろんなアイディアが詰まっていて手軽で美味しく味わえ、しかもコスパ抜群。そんな簡単レシピが大人気である。 アクアパッツァという料理をご存知だろうか? いうなれば南部イタリアの漁師めしなのだが、これまたシンプルなことこの上なく、さりとて日本で大人気なイタリアン、ペペロンチーノやピッツァ・マルゲリータ同様、実に奥の深い料理なのである。 日髙良実(ひだかよしみ)、日本を代表するイタリア料理のシェフのひとり。喫茶店で供されるナポリタンやミートソース、そして冷凍のピザくらいしか一般的には認知されてなかった時代、イタリアの名店で修行を重ね、本格的なイタリア料理を日本に広めたことで知られている。 今よりもずっと本格イタリアンが少なかった時代、彼の海外武者修行もフランス料理からスタートしている。しかし、当時のフランス料理は敷居が高く、そこに疑問を抱いていた彼はもっと身近に楽しんでもらえるイタリア料理を選んだ。     その男、南へ 日髙青年は、やがて単身イタリアへ渡り数々の名店で修行を重ねる。 イタリアは広い、そこで郷土料理も学ぶべきだという先輩シェフの言葉に、彼は南イタリアのナポリへ足を向けた。 そして、後の彼の店名でもある「アクアパッツァ」に出会うことになるのだ。 「塩とオリーブオイル、柑橘類くらいしか使わないのに奥が深い。衝撃でした。シンプル、そのひと言ですね。イタリアンの凄味を感じました」     極めればミニマルに 「毎日食べても飽きないんです。いやシンプルだからこそ飽きないのかな? これぞイタリア的な一皿だと思いました。」 アクアパッツァは、格式あるレストランでも食べられるが、同時に庶民的でもあるこの“漁師めし”は、オステリアやトラットリア、果てはターヴォラカルダといった場末でも楽しむことができるので、修行の合間に評判の名店を食べ歩いたという。 「最初は仕事に夢中でしたが、慣れてくるといつのまにかどんどんイタリアが好きになっていました。特にイタリア人の人がらでしょうね、朗らかで屈託がない。街の美しい景色は、この人たちあってのものなんだと実感しました。     修行する店のスタッフの実家へ遊びに行ったり、街を散歩するようになると、ますますイタリアの魅力に引き込まれていく。」 「ナポリって港町ですからね。新鮮な魚介類の料理を大勢で楽しんでいる。暖かい日差しが降り注ぐ街並、石畳の上にはちっちゃなフィアットたちがギュウギュウに停められている。あれは心象風景ですね、僕にとってのイタリアの。」 そう語る日髙氏がアクアパッツァを作ってくれるという。           長く愛される理由 ホールスタッフに取り分けてもらった一皿を前にすると香しさに包まれる。柔らかな白身を口にふくむ…。素材を活かすのがイタリア料理などという月並みな言葉が頭の中から吹っ飛んでしまった。気がつけばスープまで飲み干していた。一皿のカタルシス。日髙氏の言う衝撃とはこのようなものだったのだろうか? 庶民派という点ではFIAT 500もその代表格。しかも、ギュウギュウに路上に溢れていたチンクエチェントは日高氏と同い年の1957年生まれ。 「ますます親近感を覚えますね。使い込まれたチンクエチェントが元気に走り回る光景は私にとってイタリアそのものです。いまは忙しくて運転する機会と言えば横須賀のアクアマーレに行くくらいなのですが、いつかこういう車に乗って港町を巡る旅をしてみたいものです。」 笑顔で答える彼と、いつのまにかミケランジェロやダヴィンチといったイタリアの文化や芸術にも話が及ぶ。 「どちらもイタリアの人が作ったものだからなんでしょうね、アクアパッツァ的なものを、チンクエチェントに乗った時にも感じましたよ。イタリアの気質みたいなものでしょうか。しっかりと歴史が磨いていく感じなのかな…。 誰からも愛され、歴史が磨き続け、愛され続けるという点で、一皿のアクアパッツァとチンクエチェントには同じイタリアの精神が脈々と宿っていると改めて認識させられた。     リストランテアクアパッツァ 東京都渋谷区広尾5-17-10 EASTWEST B1F 03-5447-5501 2018年春より移転予定 […]

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CULTURE

生誕60周年! Nuova 500がイタリアで記念切手に!

文・大矢アキオ Akio Lorenzo OYA (イタリア文化コメンテーター)   2017年7月4日、フィアットNuova 500(チンクエチェント)が誕生60周年を迎えた。 1957年から1975年まで18年にわたり、400万台以上が造られたモデルである。ゆえに、今も世界でイタリアを語る際のアイコンとなっている。 故郷イタリアでは、ほとんどの人がNuova 500(イタリア人の多くは愛称でチンクイーノと呼ぶ)との思い出がある。60歳以上なら、少なくとも一度は所有もしくは運転したことがあるという人が大半を占める。     筆者の知人マリオ&ロザンナ夫妻もしかり。初期型の価格は49万リラで、平均的労働者の月給の10倍以上だった。若い頃買うのは大変だったのでは? そんな質問に対して彼らは「あの頃は毎年お給料が増えていったから、まったく心配なかった」と振り返る。“奇跡”といわれた戦後イタリア経済の活況を彷彿とさせる話である。 同じく知人のピエロ&ヌンツィア夫妻は、ミラノで交際していた時代、Nuova 500を各自持っていたと振り返る。「当時ミラノは、ナンバープレートの数字が偶数か奇数かで、走れる車の量をコントロールしていたのよ。運良く私のチンクイーノのナンバーは偶数、彼のは奇数だったから、毎日二人で走れたわ」とヌンツィアさんは笑う。     今もNuova 500を毎日の足とする人もたびたび見かける。調査によると、イタリアでは今も38万8千台以上が現存している。街を走れば誰もが微笑むそのキャラクターだけが理由ではない。2970✕1320mmという極めて小柄なボディゆえ、歴史的旧市街にある古い馬小屋を改造したガレージにも収まってしまうのである。自家製生ハムやワインの樽に埋もれるようにしてNuova 500が眠っている光景も、よく目にする。 加えて、イタリアでは30年以上前に生産され、かつオリジナル・コンディションが維持されている車は、自動車税免除という“おまけ”もついてくる。     若い世代もNuova 500が大好きだ。現行500の人気に反応するかたちで、納屋に眠っていた車を引っ張り出して、復元を試みる若者が現れるようになった。 この地では結婚式に新郎新婦が洒落た車に乗って教会に乗りつけるのがおきまりだが、レストア完了したNuova 500にリボンで飾ってやってくる光景も近年目撃するようになった。かつてのポピュラーカーが晴れの日の車にとは、あっぱれではないか。     しかし、Nuova 500による最大の功績を忘れてはいけない。 イタリアでは多くの地域で、人々は中世に起源を遡る城壁内と、その周囲で生活が完結していた。城壁の中で生まれ、学び、結婚し、働いていたのである。 それは筆者が住むシエナで、11世紀末に起源を遡る病院の建物が、第二次大戦後まで同じ場所で同じ機能を果たしていたことからもわかる。 彼らの生活に劇的な変化をもたらしたのは、1950-60年代に訪れたモータリゼーションと、その主役であるNuova 500であった。     人々はNuova 500に乗って城壁を飛び出し、隣の町や村へいつでも楽に移動できるようになった。 自由な移動は、郊外住宅や商業施設、さらには工場の建設も加速させた。これだけ多くの人々が一斉に城壁の外で暮らし始めたのは中世以来の出来事だ。 週末のピクニックや、夏や冬のヴァカンスなど、レジャーという習慣も誕生した。 それを陰で支えたNuova 500は、イタリアの歴史を変えたといっても過言ではない。     誕生60周年に際してイタリアのテレビ各局は、連日ニュースのヘッドラインで紹介し、主要新聞も軒並み文化欄に大きなページを割いた。 さらにイタリア郵便も。現行500のシルエットにNuova 500を重ねた、粋なデザインの記念切手だ。上部にはイタリア国旗のトリコローレが走る。     Nuova 500は、単なる生活の道具や車ではない。イタリアにおける20世紀の誇りなのである。 […]

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