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CULTURE

色と暮らす〜イランの大地が生み出す、もう一つのペルシャ絨毯「ギャッベ」

スマホの普及により、私たちはこれまで以上にデジタルな世界と過ごす時間が増えました。いっぽうで、その反動なのか、心が休まる“アナログ的”なモノを身のまわりに置きたい!という欲求が高まっているのも事実。 前回のチュニジアキリムに続き、今回はギャッベ(ギャベ)をご紹介します。   ギャッベとはイランの遊牧民カシュガイ族などの遊牧系民族が手紡ぎで作る草木染めの鮮やかな色合の染料を使う絨毯のこと。イランといえばシルク素材のペルシャ絨毯が有名ですが。ギャッベは原料がウール。チュニジアのキリム同様、日常の生活道具です。     ギャッベの文様にはひとつひとつ意味がある。たとえば生命の樹と呼ばれる文様は神の座と人が暮らす世界を表していて、その歴史は紀元前4世紀まで遡るそうです。四角は井戸、遊牧民の命綱を表し、狼の足跡は魔除けといった具合。       独特の風合いとユルさ、でも一種の安心を感じるのは、こうした意味と願いが込められているからなのかもしれません。ちなみに、ヨーロッパのファッションデザイナーにはギャッベコレクターが多いそうです。     「お店に行ったら、まず裏返して見るといいですよ。店員さんの態度が変わるから…。(笑)」   そう語るのは今回お邪魔した、「八ヶ岳高原アートギャラリー」館長の向村さん。 裏を見るべき理由は、縦糸と横糸の目が細かいほど上質なギャッベである証。実は近年のブームのおかげで、イラン以外の別の国で作られた粗悪品が出回りはじめているそうなので、こうした助言はありがたい。 いっぽうで、こうした人気の上昇とともに、絨毯商がプロデュースした物も増えており、厚手でしっかりしたものも登場し、選択の幅も増えているようです。   ちなみにオールド・ギャッベと呼ばれるものは薄く軽い。これは遊牧生活で運びやすくするため。理にかなっている。   「やはり永く付き合えるものを選んでほしいですね。イランの荒野に直に敷かれてきたオールドを見ると、ギャッベの丈夫さと丁寧な仕事を感じることができます。」 そう語る向村館長の言葉にはギャッベへの愛が満ち溢れている。     自然と心が和むデザインに囲まれる生活。まさにFIAT500をドライブのお供に選ぶのと同じ感覚とは言えないでしょうか? ちなみに、イタリアの高級ニットブランドで、ギャッベの影響を強く受けているところがあるそうで…。   楽しくやさしい暮らし。春の訪れとともに、ドライブがてら八ヶ岳まで足をのばしてみては? 色鮮やかな素敵なギャッベが、お部屋の模様替えに一役買ってくれるかもしれません。     取材&写真協力 高原アートギャラリー八ヶ岳 https://www.will-artg.com […]

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チュニジアキリムと暮らす~褐色の大地が産む色彩とデザインの奇跡

キリムとの出会いは、自由が丘の路地裏。人気の雑貨店やカフェが並ぶ一角に、数日限定で開かれたマルシェのようなスペース。目を引く色使いと、フォークロアな素朴さを持ち合わせた布が床に積み上げられたり、壁に掛けられ、道往く人々が足を留めていた。聞けばチュニジア産だという。 キリムとは、イラン、トルコ、アフガニスタン、モロッコ、そして地中海にかけての遊牧民が作るパイルのない平織の総称。多くは羊毛で、地域によっては山羊やラクダなども使われ、絵柄や色合いなどもかなり違いがある。敷物として使われることが多いが、現地ではテントのように日よけになることも…。     最近では、人気雑誌でも取り上げられ、ソファに掛けたり、タペストリーとして楽しむ人も増えているとか。そんなブームの中で、チュニジアキリムは、特徴ある色彩や素朴な風合いが評判になっている。 その路地裏の店で、キリムを熱っぽく語っていたのが佐藤恵理さん。現地に赴き、買い付け、販売して4年になる。長い時には、作り手の家で二ヶ月間生活を共にするという。 「チュニジア旅行中にお世話になった運転手さんが、最終日の別れ際にキリムをくれたのがキッカケです。家族が作ったものだというそのキリムの色彩の見事さに目を奪われ、どうしたらこんな柄ができるんだろうとすっかり惚れこんでしまいました。トルコやイランのキリムと違って、当時、チュニジア産はほとんど知られていませんでしたし、ぜひ日本に紹介したいと思ったんです。まずは、織っているところを見たくて、その運転手さんのお宅にホームステイし、作業を見せてもらうところから始まりました。」 佐藤さんにとって、チュニジアキリムの魅力は、代々女性たちが伝えてきた手作業の温かさだという。 「他の地域では、機械化はもちろん、きちんとしたビジネスモデルも存在しているんですが、チュニジアではまだ手作業しか見たことがありません。あくまでも生活用品だからで、産業として捉えられていないんでしょうね。もともとは主婦が、家事や育児、農作業の合間に家族のためコツコツとやってきたものなので、作業時間も一定でなく、工業化、産業化という規模に至っていないのでしょうね。」     チュニジアキリムの特徴は、その色彩とデザインだ。日本では伝統的な文様も人気だが、デジタルな感覚さえ漂う幾何学模様や、ティーンエイジャー的でプラスティッキーなポップな色使いは、ヨーロッパの最先端ファッションにも通じるモダンさを漂わせている。 この地では、南から来る文化はアフリカそのものであり、北からはヨーロッパ文化が、東からはアジアが流れ込み、そこにイスラムの影響が加わってきた。そういったものが混じりあって、キリムに反映されてきた。 「昔は草木染めだけだったので、中間色やシックな色も多かったのですが、近代になり、いろいろな色が使えるようになると、こういう色使いが急に増えたんですよ。それは、コンピュータで計算しているわけではなく、すべて頭の中で創り出されます。あるとすれば、親から伝えられた技術だけ。デザインは、頭に思い浮かんだまま、それを織り込んでいくわけです」 そこにはチュニジアの自然も大きく影響しているようだ。     「大地は見渡すかぎり褐色で、外の風景に色がないのに、なぜこの発想が出てくるのか不思議です。でも、太陽の光が強烈なので、色が飛んじゃう。これくらいの強烈な色使いでないと、印象に残らないのかもしれませんね」 その魅力は近年、ヨーロッパの人々も虜にした。フィアットの故郷、イタリアからも、フェリーで地中海を渡り、4WDでチュニジアを一周してキリムを買い集める姿が目につくという。 欧州、特にラテン系の国の人々は歴史的に色に対する感度が高い。色とりどりのカラーリングやコーディネイトはFIATの伝統だが、やはり彩りのある暮らしは豊かで楽しいということをよく知っているのかもしれない。     チュニジアキリムのファンは多くが30~40代の女性だという。超絶技巧や圧倒的な手間の産物ではないので、値段が手ごろで気軽に手を出せるのも魅力だ。     「展示会で、こういうのを捜していたんです…って喜んでくださることも多くて。最初は、玄関マットサイズの60㎝×90㎝が買いやすいのではないでしょうか。2万円前後ですね。チュニジアでは、100万とか高額な物はまずありません。手軽に入手して。チュニジアの風土や民族性が産んだデザインアイテムとして取り入れ、生活に落とし込んでもらえたら嬉しいですね。メタリックなものにも不思議と合うんですよ。また、キャンプとかBBQ、お花見など、アウトドアに持ち出すのもお薦めです。     チュニジアの女性たちが家族のために作ってきたものですから、そこに込められた家族への愛情や、精一杯のアイデンティティ、創造力、芸術性を味わい、楽しんでほしいですね。」 購入する際のポイントは、自分の感覚で気に入ったデザインやカラーを選ぶのが一番とのこと。     「素朴さとカジュアルな感じ、気軽にじゃんじゃん使えるというのが、キリムの良さであり楽しみ方なのかもしれません。日々の暮らしのテキスタイルなので、端の部分の始末がきちんとできていないこともあるのでチェックするといいですね。自宅でお洗濯も可能なのでお手入れも簡単。ウール用の洗剤を溶いて浸し、軽く押したら、充分にすすいで、そのまま干します。無理に絞ったり、脱水機は禁物です。」     存在感がありながらも、日常にすっと馴染んで、時の流れさえ豊かな彩りを加えてくれる。そんなちょっとした歓びを運んでくるパートナーともいえるキリム。 ちょっとFIATにも似ていませんか? […]

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トリノで行われた旧車イベント〜第36回、アウトモトレトロ Vol.2

<聖地巡礼> ちょっと大げさにも聞こえる言葉が溢れる昨今ですが、まさにトリノのアウトモトレトロはFIATオーナーにとっての聖地といえるのかもしれません。 旧車のお祭りは、ある意味そのメーカーの持っているソコヂカラを見るには格好の舞台     です。その点FIATは創業100年を超える老舗なので、実に見ごたえたっぷりです。 Part1でもご紹介しましたが、欧州は空前のヴィンテージカーブーム。商品価値の向上とあわせて、クルマをレストアする環境も劇的に進化しました。 消耗品などはもちろん、実はとても大事なエンジンルームの主役の一つ、シャシープレートレプリカなどもたくさん売られています。こうしたコダワリは「走れば良い」から、大切にこれからも乗り続けるという決意の表れのようなものかもしれません。   そんなクルマ愛を支える人たちがオーナーズクラブ。     CLUB FIAT 500 TORINOのブースなのですが、なぜか1977,78,80年の世界ラリー選手権でFIATにマニュファクチャラーズタイトルをもたらした131アバルトラリー(公道用ホモロゲーションモデル)が。 売り物か?ときくと、「いや、自慢だ」と満面の笑顔で返されました。 会員100名、創立10年のクラブですが、500のクラブとしてスタートしつつも、いまではFIAT乗りならなんでもOKとのこと。自由なクラブです。     こちらは500や127などをベースにした、兄弟車アウトビアンキのオーナーズクラブ。会員数1,000名ほど。 写真右のA112は日本でも80年代大変な人気を呼び、鳥山明氏作の「Dr. SLUMP」に登場する則巻千兵衛博士の愛車としても有名です。     続いては、60年代後半にFIATが放った、ライトウェイトオープン「850スパイダー」のファンクラブ。スペシャルバージョン「Racer」が展示。激レアですが非売品。     その後継として登場した、70年代スーパーカーブームの流れを汲んだウェッジシェイプのX1/9(エックスワンナイン、イタリア名イクスウノノーヴェ)。日本では珍しい初期型。こちらには「売ります」のサインが…。     会場内にはもちろんX1/9のクラブが。現在85名の会員。みな楽しげにワイワイやってます。 マーケットに目を移すと…。     500のミニカーや歴史についての書籍たちが…。     いまやアートとしての価値が話題の、看板やポスターもそこかしこに溢れています。     旧い車には必須の資料類、購入の手引やマニュアル類も驚くほど充実。こうして次の世代にも旧車は引き継がれていくのです。     親子連れなど会場にはまさに老若男女が訪れ、ヨーロッパらしい「蚤の市」を肌で感じることができます。   ただ単にクルマを売ったり買ったりするのではなく、ちょっとしたコーディネートも見逃せないエッセンスです。 たとえば会場にはたくさんの500がいるのですが…。     キャリアに載せるレトロなバッグのセンスがオレンジのボディカラーと相まって、GOOD。   こちらは、1936年から55年まで生産された、500のご先祖様「トポリーノ」。     […]

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芝浦に160年。老舗寿司店の主人に聞く江戸庶民の気質と遊び

1800年代には人口が百万に達し(※)、世界最大級の都市といわれた江戸。 そこでは300年余の間に生活のあらゆる部分が独自の発展を遂げ、明治、大正、昭和を経て現在に受け継がれたものも少なくありません。今回は、創業160年を数える老舗寿司店のご主人に、今も息づく江戸の庶民文化について伺います。 ※当時行なわれた町人対象の人口調査に、記録のない武家や公家などの推計を加えたもの   「小粋」を尊ぶ江戸の暮らし 「小粋」、辞書を引くと、なんとなく気が利いていたり、しゃれていることを指す言葉だと記されています。小粋の小は一歩下がった謙虚な表現で、これみよがしではなく、さりげなく漂う洗練を小粋と呼んできたわけですね。 こういった感性を大切にしたのが江戸の人々で、それは明治維新を経て東京となった今も息づいています。東京湾に面し、運河が走る港区の芝浦界隈もそのひとつ。多摩川など多くの川が流れ込む豊饒な海は、良質な魚介を産し、それは江戸前の由来にもなりました。 この地に徳川幕府の時代、安政から160年続く寿司店があります。   現当主で五代目という「おかめ寿司」は、江戸前の伝統を守る老舗。店主でありながら、同じく江戸庶民に愛された「江戸前の小物釣り」や「落語」も愛する長谷文彦さんは、小粋な暮らしを平成の世に実践する現役の江戸っ子です。今回は、今も残る江戸の嗜みや愉しみを伺いました。     切って、握る…シンプルだからこその奥深さ おかめ寿司の創業は安政2年(1856年)、徳川幕府が終焉に向かう時代でした。 「江戸時代、ここには漁港と河岸がありましてね。この先の東禅寺にイギリスの公使館ができて、ウチの初代が魚介を納めるようになりました。その頃、巷では“イギリス人が娘の生き血を呑んでる”なんてウワサが広がってたんです。おそらく、それはワインだったんでしょうねぇ(笑)。そんなわけで、飯炊きに若い娘を出入りさせるなんておっかない! というわけで27歳(当時じゃこれで大年増といわれたそうです)だった初代の女将さんが選ばれて、そこで初代と出会い夫婦になったんです。で、その後独立して寿司屋を始めたというあんばいです。」   明治維新前夜、激動の時代に歩みを始めたおかめ寿司ですが、寿司はシンプルだからこそ奥が深いと言います。 「塩や酢でしめたりしますが、結局は切って、握るだけの仕事なんです。でも、切り方によって、同じ魚でもさっぱり感じたり、そうでなかったりするんです。包丁で魚のよさを引き出せるんですよ」 昨今、ウニやイクラの軍艦巻きなど、かつては江戸前寿司になかったものも出すようになりましたが、160年間変わることのない伝統もあるとか…。   「アジ、サバ、小肌の締め方ですね。塩引きだけで旨みを出すっていうのもこだわりがあって。夏場のスズキだってちょっとクセがありますが、塩をやって、そのあとで洗うとクセが抑えられて、旨みが出てきます。寿司は男、それも職人も多かった江戸の街で、気が短くて味にうるさい連中が育てた文化ですよね。だから昔の寿司は大きかったんです。祖父の話では、今の三倍くらい。仕事帰りとかの食べ物ですからそうなったのだと思います」 時代と共に、客層もその好みも変化します。今ではトリュフを使った創作寿司を出すような店もあるほど。伝統は革新の積み重ねと言いますが、寿司の大きさだけでなく、おかめ鮨も、世の中の動きにアンテナを張って、新たな素材や味にも可能性を探ります。   「うちもカリフォルニアロールを出せなんて言われて最初は面食らいましたが、最近では、カウンター8席全部外国の方なんてこともありますからね。やっぱりそこは柔軟に対応するということも必要なのかなと思いましたよ。でないと絶滅した恐竜みたいになっちゃう…。」と、長谷さん。老舗ののれんを守る努力も忘れません。     江戸の人々が愛した小物釣りの深淵 運河や水路が縦横に走る江戸の街は「東洋のベニス」と讃えられたと言います。そこではフナやタナゴ、ハゼなどの釣りが楽しまれ、武士や町人の憩いの場となっていました。浮世絵にも釣りを楽しむ人々が多く描かれ、女性の釣り姿も目につきます。長谷さんが長年愛する江戸前の小物釣りについて伺ってみました。   「大名が楽しんだというタナゴ釣りなど小物釣り文化は現代にも受け継がれてきました。釣り糸は生娘の黒髪に限る…。なんて話もあって、私も女房の髪で真似したもんですよ(笑)。旦那衆も“ちょっと組合の寄り合いに…”とか言って、女将さんに内緒で釣りに行ってたんですね。そんな時、タナゴとかの小継(こつぎ)の竿は都合がいいんです。胸の内ポケットに隠せるから、仕事の合間にちょいと1時間って…。」     江戸前の釣道具は、指物(さしもの・板を指しあわえて作られた家具や器具の総称)や漆の高い技術がふんだんに盛り込まれつつも、これ見よがしな華美に走らない江戸の感性が漂っています。コンパクトでありながら、求められる機能は満たされていました。       「享保の倹約令(第8代将軍徳川吉宗による幕政改革)の影響かもしれませんが、表地より裏地に凝るなんてのが粋とされていました。でも、やろうと思えば絢爛豪華にもできたと思うんです。そうはせずに、しかし凝る所には凝る…。釣具で言えば1本の篠竹を切ったっていいのに、節が詰まってる竹を捜したり、それぞれの部分に合った竹を吟味して継竿にしたのは、他人より粋で優れた道具がほしい釣り師と、それに応えようとする職人達のいい関係があったからでしょうね。釣り師はパトロン的な存在で、若い職人を育てようとする……呉服屋の旦那衆とか日銭で金回りのいい釣り師は、見込みのある若い船頭がいると、何人かで金を出し合って船を1艘造ってやるんです。でも、客としてきちんと金を払って乗り、恩着せがましいことは一切言わない。そんな粋なことをしてたんです。」     見栄と我慢と意地っ張り…人情あふれる落語の愉しみ 落語も江戸っ子の楽しみでした。明治大学の落語研究会であの三宅裕司さんの後輩である長谷さんにとって、この小粋な芸能も幼い頃から生活の一部だったといいます。   「先々代が、和服着て小唄、端唄、常磐津、踊りを嗜み、歌舞伎の大向こうでした。先代の勘三郎さんが麻雀仲間でよく来てましたよ。出前の帰りに、芝居をひと幕見てくるような人でした。ウチは、仕事が休みの忌み日ってのがあって、先々代と墓参りに行くんですけど、帰りに上野でとんかつ食って、鈴本演芸場寄って落語聞いたり、浅草公会堂行ったり…。そんな風に落語と接していたんです。で、寄席の落語の真似を学校でやるとウケるわけですよ。こりゃ面白いなぁ…って。それで大学で落研(落語研究会)に入ったんです。」   落語は庶民の娯楽であると同時に生活の鏡でもありました。 「江戸の落語に出てくる気風のよさとか、見栄と我慢と意地っ張り、やせ我慢の大人って、わたしの子供の頃は普通にいたんです。でも、昭和50年頃を境に減っていきましたね。職人仕事の工場が郊外に移転したからなんですね。」         切る、締める、握る…シンプルだからこそ、ごまかしがきかず、技術とセンスがそのまま現れる寿司の世界。小さな魚を釣る楽しみを、コンパクトな道具や釣法に昇華させていった小物釣り。そして、粋を尊び、細やかさを身上とする市民の息づかいを描き出した落語。   文化を守るという意味ではイタリアも頑固である。こと、楽しいことに対する徹底的な姿勢は、こうした江戸っ子の気質にも近いものがある。 「フィアット500で、春の小物釣りとか行ってみたいですね。小さな道具を積んで、ウインドウからの景色が違って見えると思うんだよねぇ。水郷とかにタナゴとかフナとか、お弁当作ってさらっと遊びに行ったらいいだろうなぁ」。そういって笑った長谷さん…。 寿司職人が作るお弁当。それを彩るステキな小物たち。小粒だけど、あっけらかんとした開放感が十八番の500。是非ともそんな組み合わせで、ニッポンの桜を愛でてみたいものです。 […]

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おでかけFIAT〜小さな高級魚ワカサギにみる「小粋」という価値

時代が求める小さな美味 SNSの発展とともに、かねてからのグルメブームはさらに加速しました。とりわけ高級肉などが好例ですが、同じくらいの人気を集めるのが「お魚さん」。大間のマグロ、氷見のブリ、日本海のノドグロなどなど、その多くは脂の乗りを身上とする、派手な顔ぶれがほとんど。確かに美味い。間違いなく幸せなおいしさがそこにはあります。 ところが、そうした重量級のスターたちに負けず劣らずの支持を受けているのが、たとえば琵琶湖のホンモロコ。長く小さな高級魚として食通の間で珍重されてきたのですが、最近では若い女性の間でも流行の古都の旅で、虜になる人が続出しているとか…。その需要を受けて各地で養殖も始まったといいますから、ちょっとしたブームの予感すら感じられます。 ギラギラとした豪華さや派手さばかりが上質ではない! という流れが世界的に巻き起こる現在、自然に人々は真の豊かさやモノの本質に、以前よりも気をとめるようになったのかもしれません。 魚に限らず、こうした個性的でキラリと光るキャラクターをもつ食材や料理に対する注目度は、これからさらに上がるでしょうし、むしろちょっと小粋でオシャレにすら映るのかもしれません。 さて、今回は、同じように人差し指ほどの姿でありながら、徳川家の将軍を虜にし、天皇に捧げられた魚…。「ワカサギのお話です。 えっ?ワカサギが? そう思う方も多いでしょう。スーパーでも魚屋でもごく普通に売られていて、甘露煮や南蛮漬けなど惣菜店でもおなじみのアノ魚です。 ワカサギは「公魚」と書き、第11代将軍徳川家斉の時代、霞ヶ浦に近かった麻生藩はワカサギを年貢として献上することが許されていました。つまり、公儀御用の魚=「公魚」というわけなのです。“小さな高級魚”として江戸幕府の将軍たちはこの美味に目を細めていたのです。     今も箱根に残る「献上公魚」 今や世界的な観光地として人気も高く、年間2000万を超える人々が訪れる箱根。その地の中心にある芦ノ湖は、蒼い湖面に朱の鳥居が映え、霊峰富士山を臨む美しい湖ですが、ここで育ったワカサギは、刺網漁が解禁となる毎年10月1日に、天皇陛下、皇太子、秋篠宮、常陸宮の各宮家へ献上されているのをご存知でしょうか? 皇室の避暑地として「函根離宮が置かれていたこともあって、昭和天皇はことのほか箱根を愛していました。そして、昭和24年の植樹行事をきっかけに献上が始まったという経緯があります。     採捕されたワカサギは同湖の漁業協同組合により、湖畔にある九頭龍神社へ奉納され、午前7時から公魚献上奉告祭を迎え、やがて皇居内の宮中三殿と呼ばれる三つの神殿へ向けて旅立っていきます。     そんなワカサギは、一方で実は誰もが簡単に気軽に楽しめる釣りのターゲットでもあります。その大きさからは想像がつきにくいのですが、実はサケの親戚なので好奇心が非常に強く、闘争心も旺盛。可憐な姿に似あわず、群れの中で激しく餌を奪いあったり、光るものや動くものに激しく反応するので、芦ノ湖では餌をつけずにハリだけでも釣る事が可能。ふらりと手ぶらで訪れ、道具をレンタルし簡単に楽しめる手軽さも芦ノ湖のワカサギの魅力です。   小さな身体に潜む奥深い味わい 甘露煮や佃煮も有名ですが、フライや天ぷら、素焼きといったシンプルな調理法やアレンジでこそワカサギの素材力が浮き上がってきます。     炭火でじっくりと炙っていくと、さらりとした上品な味の脂がにじみ、やがて皮の焼ける甘い香りが立ちのぼり、噛みしめるときめ細やかな身がフワっとほぐれていきます。あっさりとしているのに、じんわりと広がっていく旨み…。その他ピザに載せたりなどしてもとても美味しいワカサギ。ドライブのついでや日帰りキャンプに是非ともお試しいただくことをオススメします。     肩肘を張らないという特技 そんなワカサギにまつわる話には、日本人とイタリア人の間にある共通点を見出すことができます。美や歴史、何より食を重んじるところはもちろんなのですが、派手さにとらわれず、ちょっとしたコトやモノにも価値を見出す「小粋」という感覚を持ち合わせることがその最たるものかもしれません。     北に上質なポルチーニがあると聞けば北へ、最高のピスタチオがあると聞けば南へと躊躇なく数百キロも走るイタリア人は、本当の上質が意味するものが何なのかを身体で知っています。 四季折々、各地方の田舎町の名産を嗜むのは最高の贅沢として広く一般的ですが、戦後のイタリア人にそれを体感させたのは、他でもないFIATの小型車たちなのです。     街からアルプス、城塞都市や農道など、あらゆる景色に自然に溶け込むデザインを持ちあわせる小さな相棒たち。多彩な景色や文化、なにより豊富な食文化を持つ日本にも自然にフィットするはずです。 さあ、あなたもFIATで日本を味わい尽くしてみませんか?   参考文献 九頭竜神社社報 […]

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生誕60周年! Nuova 500がイタリアで記念切手に!

文・大矢アキオ Akio Lorenzo OYA (イタリア文化コメンテーター)   2017年7月4日、フィアットNuova 500(チンクエチェント)が誕生60周年を迎えた。 1957年から1975年まで18年にわたり、400万台以上が造られたモデルである。ゆえに、今も世界でイタリアを語る際のアイコンとなっている。 故郷イタリアでは、ほとんどの人がNuova 500(イタリア人の多くは愛称でチンクイーノと呼ぶ)との思い出がある。60歳以上なら、少なくとも一度は所有もしくは運転したことがあるという人が大半を占める。     筆者の知人マリオ&ロザンナ夫妻もしかり。初期型の価格は49万リラで、平均的労働者の月給の10倍以上だった。若い頃買うのは大変だったのでは? そんな質問に対して彼らは「あの頃は毎年お給料が増えていったから、まったく心配なかった」と振り返る。“奇跡”といわれた戦後イタリア経済の活況を彷彿とさせる話である。 同じく知人のピエロ&ヌンツィア夫妻は、ミラノで交際していた時代、Nuova 500を各自持っていたと振り返る。「当時ミラノは、ナンバープレートの数字が偶数か奇数かで、走れる車の量をコントロールしていたのよ。運良く私のチンクイーノのナンバーは偶数、彼のは奇数だったから、毎日二人で走れたわ」とヌンツィアさんは笑う。     今もNuova 500を毎日の足とする人もたびたび見かける。調査によると、イタリアでは今も38万8千台以上が現存している。街を走れば誰もが微笑むそのキャラクターだけが理由ではない。2970✕1320mmという極めて小柄なボディゆえ、歴史的旧市街にある古い馬小屋を改造したガレージにも収まってしまうのである。自家製生ハムやワインの樽に埋もれるようにしてNuova 500が眠っている光景も、よく目にする。 加えて、イタリアでは30年以上前に生産され、かつオリジナル・コンディションが維持されている車は、自動車税免除という“おまけ”もついてくる。     若い世代もNuova 500が大好きだ。現行500の人気に反応するかたちで、納屋に眠っていた車を引っ張り出して、復元を試みる若者が現れるようになった。 この地では結婚式に新郎新婦が洒落た車に乗って教会に乗りつけるのがおきまりだが、レストア完了したNuova 500にリボンで飾ってやってくる光景も近年目撃するようになった。かつてのポピュラーカーが晴れの日の車にとは、あっぱれではないか。     しかし、Nuova 500による最大の功績を忘れてはいけない。 イタリアでは多くの地域で、人々は中世に起源を遡る城壁内と、その周囲で生活が完結していた。城壁の中で生まれ、学び、結婚し、働いていたのである。 それは筆者が住むシエナで、11世紀末に起源を遡る病院の建物が、第二次大戦後まで同じ場所で同じ機能を果たしていたことからもわかる。 彼らの生活に劇的な変化をもたらしたのは、1950-60年代に訪れたモータリゼーションと、その主役であるNuova 500であった。     人々はNuova 500に乗って城壁を飛び出し、隣の町や村へいつでも楽に移動できるようになった。 自由な移動は、郊外住宅や商業施設、さらには工場の建設も加速させた。これだけ多くの人々が一斉に城壁の外で暮らし始めたのは中世以来の出来事だ。 週末のピクニックや、夏や冬のヴァカンスなど、レジャーという習慣も誕生した。 それを陰で支えたNuova 500は、イタリアの歴史を変えたといっても過言ではない。     誕生60周年に際してイタリアのテレビ各局は、連日ニュースのヘッドラインで紹介し、主要新聞も軒並み文化欄に大きなページを割いた。 さらにイタリア郵便も。現行500のシルエットにNuova 500を重ねた、粋なデザインの記念切手だ。上部にはイタリア国旗のトリコローレが走る。     Nuova 500は、単なる生活の道具や車ではない。イタリアにおける20世紀の誇りなのである。 […]

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#相棒フィアット〜プロが教える「もっと楽しくなる」写真の撮り方

Twitterなどで、日に日に盛り上がりを見せている 「#相棒フィアット」。今回はSNS投稿がもっと楽しくなる写真の撮り方について、プロカメラマンさんにお話を伺いました。 今回の「相棒」は、500X Pop Star Plus。現在実施中の『Ciao! Weekend 500X モニターキャンペーン』に参加される方も必見です! FIAT Japanのつぶやきから始まった #相棒フィアット   お客様の中にどなたか きいろいフィアットのオーナーさんはいらっしゃいませんかー!🍋 写真といっしょにきいろの #相棒フィアット で愛車自慢をお願い致します〜! pic.twitter.com/x8YWbqqL0t — FIAT フィアット (@FIAT_JP) 2016年10月12日 国民的アニメでの『Nuova 500』登場にちなんだツイートだった この投稿をきっかけとして、フィアットライフを送るオーナーさんの間で「#相棒フィアット」は浸透。今ではすっかりドライブの楽しみの一つとして定着しました。   またお花見行きたいなぁ… 🌸#相棒フィアット pic.twitter.com/6RPg3H9uRo — EMIRRY (@emirry1227) 2017年2月21日   フィアットでのドライブは単なる車ではない“相棒”との楽しいひと時。「誰かとシェアしたい」「素敵な写真を記念に残したい」という方のために『FIAT CULTURE MAGAZINE』でも活躍中のカメラマン・コタニシンスケさんに、写真の基本の“き”から教えてもらいました。     カメラマンさんとイチからおさらい   お気に入りの後ろ姿🚘#相棒フィアット pic.twitter.com/oCJWTPkTq0 — みゅ〜1 (@myu_1c) 2017年2月23日   ——縦長と横長、それぞれの写真の向きのメリットは? 「スマホでSNSを楽しむ人の大半が、縦向きにして操作しますよね。そこで投稿に興味を持った人が画像をタップしたとき画面上で大きく表示され、インパクトを与えられるのが縦長のメリットです。」   「一方横長で撮れば、タイムライン上でトリミングされずに表示され、写真全体が見られるのがメリットです。」   […]

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