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WOMEN for TOHOKU by FIAT 特別対談 「動物にも明日のスマイルを!」

2011年から「Share with FIAT」を合言葉に動物愛護や災害復興支援など、様々な社会貢献活動をサポートし続けているFIAT。今回は、同じ年に日本初の動物のための寄附サイト「アニドネ」を立ち上げた西平衣里さんにFCAジャパン マーケティング本部長のティツィアナ・アランプレセさんがインタビューしました。   東日本大震災から10年を迎えた東北地方のご紹介、3月8日の国際女性デー、そして「Share with FIAT」を合言葉にFIATが2011年から取り組んでいる動物愛護、災害復興支援などの社会貢献活動について、様々なコンテンツでお届けするオンラインイベント「WOMEN for TOHOKU by FIAT」が、2021年3月13日に開催。 同イベントの中で「動物にも明日のスマイルを!」というテーマのもと、「アニドネ」を立ち上げた公益社団法人「アニマル・ドネーション」代表理事の西平衣里さんに、動物愛護や取り巻く環境、そして活動への想いや今後の展望についてお話を伺いました。   10年間で約1億8千万円の寄附を動物関連団体へ     ティツィアナ:西平さん、こんにちは。私たちが展開しているCSV活動「Share with FIAT」と同じく、アニマル・ドネーションの活動も今年で10周年ですね。改めて、どのような活動に取り組んでいるのか教えてください。 西平:私たちアニマル・ドネーションは、「日本の動物福祉を世界トップレベルにする」をミッションに、動物のための寄附サイト「アニドネ(https://www.animaldonation.org/)」を運営しています。アニドネの役割は、動物のために寄附をしたい個人や企業と、動物のために頑張る関連団体とを繋ぐこと。個人や企業の皆さんにオンラインで寄附をしていただき、その寄附をアニドネが選んだ関連団体にお届けする形で活動を続け、この10年間で計約1億8千万円を24の団体にお届けすることができました。     ティツィアナ:すばらしいですね。「動物のために寄附をしたいけれど、どこに寄附すればよいかわからない」という人たちには、とても便利な仕組みだと思います。オンラインで思い立ったらすぐに寄附できるというのも、今の時代に合っていますよね。私たちが「Share with FIAT」でサポートしている動物保護団体ARK(アニマルレフュージ関西)も、アニドネの寄附先の1つですが、寄附先の団体はどのような基準で選んでいるのですか? 西平:選定にあたって、私たちが注目するのは主に次の5つの観点です。 ・「信頼性」(広く支持されていること、業界内での評判、情報公開や情報発信に積極的であることなど) ・「持続性」(組織が不安定でないこと、組織運営、事業実施におけるリスクに関する心構え、準備があることなど) ・「成長性」(ビジョン・計画・行動力があること、課題認識力、柔軟性、前向きさをもっていることなど) ・「先駆性」(常に新しい試みにチャレンジしていること。社会課題に先駆的に取り組んでいることなど) ・「動物福祉面」(飼育環境の快適さ、医療面でのサポートの充実、頭数に対する適切な人員配置など) これらをしっかり見極めるために、事前に何度もお会いしてヒアリングを重ね、審査をクリアした団体のみを認定させていただいています。       新型コロナによる変化を、動物福祉向上のチャンスに! ティツィアナ:これまでの活動を通じて、日本の動物を取り巻く状況についてどう感じていますか?特に昨年以降、新型コロナウイルス感染拡大の影響で在宅時間が増えたこともあり、ペットを飼い始める人が増えていると聞いていますが…。 西平:ペットを飼う人が増えていること自体は、とても喜ばしいことだと思います。特に今のような閉塞的な生活の中では、ペットの存在は大きな癒しになりますから、「飼いたい」と思う気持ちも良く理解できます。ただ、その一方で、ペットに関する知識や「一生飼い続ける」という覚悟がないままに衝動的に飼い始めてしまい、「思った以上に大変だった」と言って簡単に手放してしまう人がいることを強く懸念しています。当たり前のことですが、ペットには命があります。その命を一生守る覚悟があるかどうか、しっかり考えてから飼い始めてほしいですね。 こういったペットを取り巻く環境を総合的に考えると、残念ながら日本ではまだペットが「社会の一員」として認められていないのではないかと思っています。     ティツィアナ:たしかに、東日本大震災の際にもペットの同行避難が難しいケースがあったと聞きました。 西平:そうですね。避難するときにペットを一緒に連れていけない、置き去りにしてしまうというケースが相次ぎました。アニドネでは、そういった理由で飼い主と離れてしまったペットをレスキューする活動を行う団体を支援し、飼い主のもとに愛犬が戻れるまでの間の費用や医療費に充ててもらうよう、寄附をお届けしました。 ティツィアナ:そうだったのですね。ありがとうございます。まだ日本の動物福祉にはさまざまな問題がありますが、今後については、どんな展望をもっていらっしゃいますか? 西平:この1年、新型コロナウイルスの影響で私たちの生活にはとても大きな変化がありましたが、これは大きなチャンスでもあると思っています。というのも、コロナによって、これまで隠れていた様々な問題が浮き彫りになったからです。例えば、衝動的にペットを飼う人が増えたことで、ペットに関する正しい知識や情報を周知する必要性がますます強く問われるようになりましたし、コロナによる収入減で多頭飼育が崩壊した結果、不適切な環境で飼育されている動物がまだまだ多く存在していることが改めて明らかになりました。多くの人がペットの存在の大切さを実感している今こそ、ペット業界も飼い主も何らかのアクションを起こして、状況を変えていくべき時なのではないでしょうか。     ティツィアナ:これまでの活動の中で、忘れられないエピソードがあれば教えてください。 西平:近年日本では多頭飼育の崩壊が相次いでいて、2018年現在、多頭飼育による苦情が2,000件以上も寄せられています。アニドネでは崩壊の現場から1頭でも多くの犬や猫を救うため、10頭以上の多頭レスキュー専用の「アニドネ緊急支援基金」を設立し、崩壊現場でレスキューにあたる団体へ迅速に寄附を届けられる仕組みを整えました。これまでに、基金から約214万円の寄附を団体にお届けすることができたのですが、支援先団体の方とコミュニケーションした時に「以前は崩壊現場にレスキューにいくと、頭数がすごく多かったり、病気の動物がたくさんいたりして心が折れてしまいそうになることがありました。でも、今はアニドネの支援があるので自信をもってレスキューしてあげることができる。1頭でも多くの犬や猫を助けてあげられるよう頑張ろうって気持ちになれます」と言ってくださったんです。私たちは寄附したい人と団体とをつなぐ中間支援組織なので直接レスキューには行けませんが、支援の現場にいる方の力になれていることが実感できて、とても嬉しかったです。       SNSへの投稿が寄附になる!FIAT×アニドネのフォトコンテスト開催中 ティツィアナ:とても嬉しい言葉ですね!すばらしいです。今回のインタビューを読んで、きっと多くの方がアニドネに興味を持つと思うのですが、具体的にはどんな形でアニドネに寄附を寄せることができるのでしょうか? […]

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フィアットが大切にしているシェアの気持ち「Share with FIAT」

自分の幸せはもちろん、みんなの幸せを求める時代をつくっていきたい。フィアットは「Share with FIAT」を合言葉に様々なNPO法人と連携し、女性のエンパワーメントの向上や健康の促進、動物愛護、子供たちの教育環境の醸成、災害時の人道支援、そして若者の育成などの社会貢献活動を行なっています。これは国連の提唱するSDGs(持続可能な発展)に通じるアクションでもあります。ここではフィアットのパートナーであるNPO法人の2020年の活動を振り返ります。     アショカ・ジャパン 社会問題に取り組むチェンジメーカーを発掘しサポート   地球のみんなで社会問題を解決していく。そんな世界の実現を目指す社会起業家ネットワークASHOKA(アショカ)。いま世界では子どもの違法労働や、社会的弱者の差別、地球温暖化など、じつに様々な社会問題が生じています。複数の要因が複雑に絡み合ったこれらの問題の解決には、本質を探り出し、根本的に変革することが必要です。アショカではそうした取り組みを行う社会起業家を“アショカ・フェロー”として選出し、その取り組みが加速するようにサポートしています。     一方、世の中に次々に起こる社会問題に対し、その改善に取り組むチェンジメーカーの数は不足しているのが現状。そこでアショカでは、チェンジメーカーを育成する取り組みとして、12歳から20歳までの若者を対象に社会問題に取り組む人を支援する“アショカ・ユースベンチャー”を展開しています。同プログラムでは1年間の実験環境を通じて、彼ら・彼女らが向き合う社会の問題に、自らで解決策を見つけてアプローチする機会を提供しています。日本では2011年からアショカ・ジャパンとして活動を展開。2020年は新型コロナウイルス感染症という困難な事態が起こりましたが、アショカ・ジャパンではこの新たな問題に対する政府の対応に危機感を募らせ、不測の事態でも問題を見極めてアプローチできる人材の育成のため、ユースベンチャラーの数を増やす取り組みを強化。3年間で100人生み出すという、これまでの倍以上のペースに相当する野心的な目標を立ち上げました。   ユースベンチャラーの多くは他薦、すなわち積極的に発掘していかなければなりません。分野が特定されないなかで素質のある人材を見つけ出すのは至難のわざのようですが、そうしたなか人材発掘を進め、ユースベンチャーとして認定するかの可否を決めるパネル審査会を2ヶ月に1度ペースで実施。7月は2組、9月には3組、11月は2組を認定するなど、その数を着実に増やしています。このほか活動の認知拡大を図るアショカ・トークや、「社会を変える」をテーマとしたワークショップを学校で展開するなど、社会をより良くする活動に取り組む若者の発掘・支援や、若者が社会を変えるムーブメントを起こす活動に取り組んでいます。2021年も頻繁にパネル審査会を実施し、ユースベンチャラーを増やす取り組みを強化するなど、若者チェンジメーカーの育成に力を注いでいくとのこと。今後の活動に注目です。 ASHOKA JAPAN     ルーム・トゥ・リード・ジャパン 低所得国で暮らす子どもたちに学習の機会を 「子どもの教育が世界を変える」を理念に、南アジアやアフリカなどの低所得国で暮らす低学年の子どもたちに識字(読み書き)教育を提供する活動や、中高生の女の子に高校卒業までの道のりを支える女子教育プログラムを展開しているRoom To Read(ルーム・トゥ・リード)。識字教育については、教育者のトレーニングに始まり、現地語で書かれた絵本等の教材の開発および流通、図書館の開設まで、現地のスタッフが政府と共同で行っています。また女子教育プログラムでは、男女不平等が残る社会背景の環境下で、彼女たちが学園生活を送りやすくする手助けをし、自らの意思を持って人生の重要な決断をするスキルを身につけるサポートをしています。具体的には、授業とは別にライフスキルを学ぶ教育プログラムの提供や、メンターと呼ばれる女性によるサポートで学業やメンタル面のバックアップなどを行っています。     2020年はコロナウイルス感染症の影響により、ルーム・トゥ・リードが支援を行っている16カ国では軒並み学校閉鎖となるなど、学習環境に弊害がもたらされました。コロナ禍はオンライン化への切り替えが困難なインターネットアクセスが限られる地域では特に深刻な問題となり、失業者が増えれば経済的な困窮に追い込まれ、子どもたちの学習継続が危ぶまれます。そこでルーム・トゥ・リードでは急遽、ラジオやテレビを通じて読み聞かせの授業を行ったり、教材の郵送による配布や、保護者に子どもたちの学習の継続を呼び掛けたりするなどして、子どもたちの学習環境が失われてしまわないように努めています。また、無数の島々で構成されリモート環境が発展していたインドネシアで展開していた遠隔教育の設備をグローバルに解放し、世界各地の子どもがオンラインで児童書や教材を読めるようにする方策にも取り組んでいます。     日日本においては2020年末、コロナ禍においても子ども達が学び続けられる活動「Action for Education 2020 – IMAGINE みんなのアクションで子ども達に教育を!」を展開中。これはみんなの力を合わせ、クリスマスの贈りものにコロナ禍にある子ども達3,000名に教育というギフトを贈ろうという取り組みです。また、去る11月28日にオンラインイベントを開催し、これまでリアルイベントとして行っていた支援者への活動の報告や、支援を受ける子どもたちにとっても励みとなる番組の提供を行いました。オンラインイベントには、ルーム・トゥ・リード・ラオス女子教育プログラム卒業生で、現在日本語を勉強中の大学生からの日本語によるメッセージや、女子教育プログラムのメンターの方や、支援を受けているタンザニアの子どもたちからのメッセージを紹介するなど、ルーム・トゥ・リードの活動が詳しくわかる内容となっています。 ルーム・トゥ・リード・ジャパン     スマイリングホスピタルジャパン 病気の子どもたちが本物のアートに触れ、前向きな気持ちになるように   重い病気と闘う子どもたちに本物のアートと触れ、ワクワクしてもらいたい。そして前向きな気持ちで病気と闘ってもらいたい。そんな想いからマジシャンや音楽家、美術家などアーティストとともに病院を訪れ、子どもたちに本物のアートに親しんでもらう活動を行っているスマイリングホスピタルジャパン。全国の30の病院および14の施設に、年間で計500回以上訪問し、子どもたちの笑顔を引き出しています。しかし今年はコロナウイルス感染症の拡大により、病院への訪問が叶わなくなってしまいました。子どもたちはいま、両親との面会時間まで大幅に短くなってしまい、病室でほとんどの時間をひとりで過ごしながら、病気と闘っているのです。   こういう時期だからこそ、子どもたちに笑顔になってほしい。そうした思いからスマイリングホスピタルジャパンでは、訪問活動の代わりに、アーティストの方と協力して塗り絵や紙芝居セット、ステッカーといったアクティビティのプレゼントを行ったり、YouTubeの『スマイリングちゃんねる』で動画配信を行ったりしています。スマイリングちゃんねるでは、マジックや音楽遊び、実験など、子どもたちが観るだけでなく、一緒に手を動かして楽しめる動画を提供しています。すでにその数は計70作以上に!     スマイリングホスピタルジャパン代表理事の松本惠里さんは「病院にはいつ訪問できるようになるか見通しが立たない状況のなか、アクティビティの提供や動画配信を通じて、病院とも子どもたちともつながり続けることが大切だと思っています」と活動を続けていくことの重要性について話してくださいました。スマイリングホスピタルジャパンでは、寄付による支援のほか、ホームページやFacebookのシェアや、アーティストの動画編集のサポートなど様々なかたちで協力してくださる方を募集しています。また、スマイリングホスピタルジャパンをフィーチャーした本が2021年2月に英治出版から登場する予定も。ご興味のある方はぜひチェックしてみてください。 スマイリングホスピタルジャパン     ピースウィンズ・ジャパン 災害の緊急支援から復興まで幅広くサポート   自然災害や紛争、貧困などで生活の危機に瀕した人々を支援する国際NGO、ピースウィンズ・ジャパン。これまでに世界33の国や地域で活動を繰り広げ、数多くの人々に支援の手を差し伸べてきました。今年は新型コロナウイルス感染症の拡大や、各地で起こった自然災害への対応で古今東西、支援活動を繰り広げました。ピースウィンズ・ジャパンが運営する空飛ぶ捜索医療団ARROWS(アローズ)は、1月に中国・武漢へマスクなどの物資支援を開始したほか、長崎に停泊中のイタリア籍クルーズ船や、集団感染病院へ医療支援などを行い、コロナという見えない敵と対峙しました。このほか令和2年7月に日本を襲った豪雨への緊急支援、さらには世界各地での衛生啓発や緊急支援など、幅広い分野で活躍しています。   […]

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アジアの将来を豊かなものに。アジア女子大学の活動とその思いを聞く。

自分だけでなく、みんなの幸せを求める時代をつくっていきたい。そうした想いからフィアットは「Share with FIAT」を合言葉に、社会貢献活動をサポート。人と人との想いをつなぎ、社会に笑顔をひろげる活動を行っています。そのShare with FIATのパートナーのひとつであるアジア女子大学(https://asian-university.org)では、アジアの優秀な女性に高等教育の機会を提供し、社会・政治問題に取り組むリーダーの輩出を掲げています。今回はアジア女子大学支援財団の理事を務められ、ゴールドマン・サックス証券の副会長という顔も持つキャシー松井さんに、アジア女子大学の取り組みについてうかがいました。   社会を変革する女性リーダーを   アジア女子大学は、2008年にバングラデシュ・チッタゴンに設立された国際大学。南アジアや東南アジアの教育機会に恵まれない優秀な女子生徒に高等教育の機会を提供し、地域社会やコミュニティのリーダー育成を目指しています。彼女たちの学費は100%近く奨学金で賄われ、大学卒業者がいない家庭の子女を優先的に入学させているのが特徴。彼女たちの出身国では今なお貧困問題や男女不平等な社会環境が残っており、アジア女子大学ではそうした問題に提起できるリーダーを育て上げ、地域の制度を変革しようというビジョンを描いているのです。実際に、政府や非営利団体のリーダーとなった数多くの卒業生を輩出しています。       今回インタビューに応じていただいたキャシー松井さんは、アジア女子大学支援財団の理事を務めると共に、アジア女子大学の日本支援財団代表という立場で生徒の奨学金を捻出するファンドレイジングイベントの実施や、企業や組織に協力を求めるなどの活動を行い、学校運営や学生たちの支援をされています。また、ゴールドマン・サックス証券の副会長を務められ、日本株ストラテジストとして国内外の機関投資家に日本株式の投資戦略を提案する仕事をされています。1999年には「ウーマン」と「エコノミクス」を組み合わせた「ウーマノミクス」というレポートを書き、世間で半数を占める女性という人材の活用が、働き手としても消費者としても経済発展をけん引することを提唱されています。働く女性が増え所得が増えれば、消費も盛り上がり、経済にもプラスになるということを提示した松井さんのレポートは、のちに安倍政権の打ち出した経済政策「アベノミクス」の第三の矢である成長戦略として、女性の雇用拡大を推進する方針の裏付けとされました。松井さんは投資の世界のスペシャリストであり、女性への教育という投資のリターンが大きいことを確信されています。松井さんの提唱するウーマノミクスとアジア女子大学のビジョンは同じ方向を向いているのです。       アジア女性大学の取り組みについて、ご紹介いただけますでしょうか?   「これまでさまざまな学者や有識者の研究、そして私自身もウーマノミクスで提唱しましたが、女性の活躍が社会の成長につながることは社会の共通認識となっています。女性が高等教育の機会を得ると、経済的に独立したり、自らビジネスを立ち上げたり、将来的に自分の子どもに教育機会を与えたりと好循環なサイクルを生み出しやすい。つまり社会へのリターンが大きいのです。現在、アジア女子大学では東南アジアや南アジア、中東など19カ国の生徒が学んでいますが、例えばアフガニスタンやバングラデシュではそもそも高等教育の機関が少ない。あったとしても“これを覚えなさい”、という一方的な教え方をしていて、本当の意味でのリーダーが育ちやすい環境とは言いづらいのが現状です。女性が運転できないという理不尽な制度が残る国もあります。そのような地域では、法律や制度そのものを変えるリーダーを育てないと、これからも同じ状況が続くことになります。そこで未来を担うアジアの優秀な女性たちに高等教育の機会を作り、社会を変革できる人材を育て上げるようという思いから、2008年にアジア女子大学はスタートしました」。         アジア女子大学ではリベラルアーツ教育を掲げサイエンス分野も充実させていますが、教育プログラムも社会で活躍する人材育成を視野に入れたものなのでしょうか?   「そうですね。特定の学問を専門に扱うことも大事ですが、リーダーとなる人材には、オールラウンドな知識が求められます。専門知識があることに加え、討論や英語でプレゼンテーションもできる。そういうスキルを備える必要があります。理系分野では先進国でも男性が圧倒的に多いのが実情ですが、ここも問題だと思うので、理系分野で活躍できる女子を増やしていきたいと考えています。環境関連のサイエンスとか、公衆衛生といった分野はこれから需要が拡大します。今のコロナ問題を見ても、途上国で公衆衛生の問題が挙がっていますので、このような問題に対して解決策を考え、政策を実行できる人材を育てることに注力しています。たとえば2017年には武田薬品工業の協力により公衆衛生学の新たな寄付基金教授職が設置され、同分野における研究者や医師、政策立案者の育成が期待されています」。           アジア女子大学の現在の状況と今後の取り組みについて教えていただけますか。   「全校生徒数は2008年の創立時には120人程度でしたが現在は約900人にまで増えています。生徒数は今後も増やしていくつもりで、将来的には3000人規模まで増やしたいと思っています。もちろんそうなると奨学金だけでは賄いきれませんので、学費を負担できる生徒も含め、より多様性のある教育環境を作りたいというのが長期ビジョンです。連動してキャンパスも新設する予定で、現在はチッタゴン市のビル内で講義を行なっていますが、バングラデシュ政府から提供いただいた56万平方メートル(東京ドーム約12個分)の土地に常設のキャンパスが建設されます。そこに大学院を創設する計画もあります」。         生徒たちの卒業後の進路について教えてください。   「彼女たちの約85%は出身地に戻り、地域のコミュニティに貢献する職などに就き、残りの15%は大学院に進学しています。進路の決定はもちろん自由です。通常のカリキュラムが修了するまでに5年かかりますが、生徒は1年生や2年生の段階からインターンシップを経験します。たとえばユニクロさんにもインターンシップの機会を提供していただいており、生徒は同社のバングラデシュのヘッドクォーターでプロジェクトを与えられ、インターンシップの最後に、日本の本社でプレゼンテーションを行うという実践的な経験を積ませてもらっています。生徒たちはインターンシップ先の企業に就職するケースもありますし、進学を選択する生徒もいます。進学先はオックスフォード大学やスタンフォード大学、コロンビア大学など一流校の合格率もかなり高いです。彼女たちはハングリー精神が非常に強いので、就職や進学にも非常に熱心に取り組んでいます。ほとんどの生徒が寮住まいで共通言語は英語になりますから、語学力も同時に上達するのです」。         松井さんご自身も、生徒さんたちの奨学金の資金調達を行ったり、武田薬品工業さんやユニクロさんと交渉されたりとチャレンジングなお仕事をされていると思いますが、そのような大きな目標やプロジェクトに取り組む原動力となっているものはなんですか?   「自分の両親は奈良県出身の農家で高校までしか出ていないのですが、子ども4人を育て、高等教育の機会も与えてくれました。アジア女子大学の学生と一緒で、自分たちが大学を経験した第一世代なのです。結果、小さな種を蒔いたら色々な花が咲くということを自分自身の目で見てきましたので、次の世代、特に教育環境に恵まれないコミュニティの女性たちにそのことを伝えたいと思っています。それともうひとつは、日本とアジアの距離を縮めたいという思いがあります。日本は例えばアメリカとの距離は縮めようとしていますが、ずっと近いはずの東南アジアとの繋がりは希薄に感じます。日本も自力で成長したわけではなく、アジアに依存している部分が多いにも関わらず、得ているものに対して与えるものが少ないように感じられます。その辺を踏まえ、個人的には日本とアジアの架け橋というか、パイプを太くしたいという思いもあります」         フィアットも女性のエンパワーメントには力を入れていますが、社会貢献を行う企業活動についてどのように感じられますか?   「アジア女子大学はフィアットにお世話になっています。フィアットのような、自社の利益だけでなく、様々なコミュニティと積極的に関わりを持ち、企業として社会活動に積極的に参画する企業がもっと日本に増えることを願っています。今のコロナ禍の状況で、企業の考えや体質が浮き彫りになった部分もあると思います。危機に直面したことで、従業員の扱いやサプライチェーンの管理、危機管理の対応などの問題がクローズアップされましたね。自社の利益だけを追求するのではなく、もっと幅広いSDGs(持続可能な開発目標)といったことを考えていかないと、投資家の目が厳しくなる一方だと思います。私は投資の世界で生きている人間なので、そうした組織の対応力に目がいきます。企業にとしてお金を寄付することはもちろん立派ではありますが、それで終わりというのではなく、組織として社会貢献活動に参加する。そのような企業が日本にもっと増えていくことを期待したいですね」。 […]

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シェルターに保護される行き場を失った動物たちと新しい家族をつなぐ、 動物保護団体アニマルレフュージ関西の思い

行き場を失った動物たちを保護し、愛情を持って迎えてくれる里親を探す活動を行っている動物保護団体のアニマルレフュージ関西(以下アーク(ARK:  Animal Refuge Kansai)。1990年設立以降、犬猫あわせて6,000頭以上の動物たちを保護し、新しい家族に譲渡してきました。アークを立ち上げたのは、英国人のひとりの女性、エリザベス・オリバーさん。なぜ来日し、アークを立ち上げたのか。30年の歩みとアークへの思いをインタビューさせていただきました。   NPO法人アニマルレフュージ関西代表理事 エリザベス・オリバー 旅先で訪れた日本が気に入り、1968年に日本へ。英語教師として生計を立てるかたわら個人で動物保護活動を開始。1990年動物保護団体「アニマルレフュージ関西」、通称「アーク(ARK: Animal Refuge Kansai)」を設立。1999年にNPO(特定非営利活動法人)団体として承認され、2016年には認定NPO法人として所轄庁の認定を受ける。また2012年、英国女王が国家と社会に貢献した個人に贈る勲章、大英帝国五等勲爵士を受勲     アークのはじまり、動物保護団体を立ち上げたオリバーさんが日本に来た理由は?   動物を愛し、共に生き、積極的に救いの手を差し伸べようとしている人のネットワークをつくることを目的に、1990年に設立されたアーク。そもそも、日本で活動を開始したきっかけはどのような理由だったのでしょうか。 「実は最初は日本に行くことは考えていませんでした。きっかけは大学を卒業後、旅先で出会った日本人の方です。イギリスからモスクワ、北京、香港と旅をしていたのですが、その旅の途中で日本人の方と知り合い『日本に来たら遊びに来てくださいね』と名刺をいただきました。香港でオーストラリアに行くか日本に行くか悩んでいたときに、ちょうど港から神戸行きの船が出航するタイミングで、思い切って船に乗り込んだのです。日本に到着後は名刺をいただいた方に会いに行きました。その方は驚いていましたがとても親切にしていただきましたね(笑)。しばらくは英語の教師をしながら日本に住みましたが、もっともっと日本語を覚えなければ!と思い直し、いったんイギリスへ戻って大学で1年間、日本語を学びました。」 旅先で出会った日本の雰囲気を気に入ったオリバーさんは、再び日本に戻り、英語教師で生計を立てて、日本に住むことに。 「空いた時間では動物保護団体で週に一度、ボランティアをするようになりました。また犬と猫もレスキューセンターから引き取り新しい家族を迎えました。しばらくして、自然豊かな能勢町にある、家を購入しました。その家の裏には牛小屋があったので、幼き頃から好きだった馬を2頭迎えました。馬は3歳半から乗っていて、7歳のときには自分の馬を飼っていたのでずっと馬も飼いたかったのです。」 7歳で馬を飼う際に、オリバーさんはお母様と「責任を貴方がとれるなら馬を飼いましょう」という大きな約束があったそうです。当時オリバーさんはきちんと約束を守り、自分のことよりも馬の世話を優先させました。『命』を預かる責任を7歳のときから十分に理解していたのです。     最初は個人から始めた動物保護の活動。そして団体へ   オリバーさんが能勢町に移り住んだことがアークのはじまりにつながります。 犬と猫と、馬2頭との暮らしと、ボランティア。最初は動物が好きという理由からボランティアに参加していたオリバーさんでしたが、だんだんと動物たちの窮状を知るにつれ、自身で何か動物たちの幸せのために手助けすることができないかと考えるようになっていきました。 「ボランティアをしていた団体にはかなりの数の犬、猫たちがいました。でもある一定期間を過ぎると安楽死の選択がなされていました。私自身は、安楽死は反対派ではありませんが、人がサポートすることで生活の質が保てるのであれば、何とかして命を守り、里親を見つけて新しい家族と出会ってほしいという思いが強くなっていきました。その想いを形にしたのが個人で始めたアークの前身です。英語教師を続けながら、自宅で保護した犬たちの世話をする生活が始まりました。サポートは友人やボランティアの人たちです。次第に動物たちが増えていき、個人ではお世話が難しくなってきたので、1990年、個人から団体に切り替えて活動するようになりました。」     阪神淡路大震災がアークの大きな転機に   1990年にアークを設立。そしてその5年後、アークに大きな転機が訪れます。それは1995年に起きた阪神淡路大震災です。 「神戸で震災があって、アークの活動は本当に大きく変わりました。震災で保護する動物が約600匹に増えて、1年間で3倍になりました。当時は寝食ともにしていた友人、ボランティアの方とともに避難所に行って動物を探す日々。朝5時に帰ってきて1時間仮眠をとって、6時に仕事を始めるような日が続きました。犬だけでなく、猫やうさぎ、鳥も預かりましたね。動物たちのお世話ができなくなった人たちの中には放棄したくない方もいましたので、アークでお預かりした子たちもいました。急激に増えた動物たちを保護し、良い環境でお世話するためには、動物たちが安心して過ごすための住まいとなるシェルターと、多くのスタッフが必要になることを痛感した出来事でした。」     アークの3つの活動拠点、すべては動物たちの幸せのために   1990年設立以来「今目の前にいる子たちのために何ができるのだろう?」と常に自問自答し、ひとつずつ問題を解決してきたオリバーさんに、改めて、今のアークの活動拠点、仕事について伺いました。 「現在アークは、大阪府の北西部、自然豊かな山間地区に位置する、能勢町と兵庫県の丹波篠山市に動物たちの保護シェルターを所有しています。能勢にある大阪アークは約1000坪の広さで犬と猫を、2014年に新しく作った篠山アークは約7000坪という広大な敷地を持ち、犬とウサギを保護しています。東京にも事務所があり、ここでは保護した動物たちを里親に出す前に、家庭で預かってお世話をする「フォスター制度」の手配や、里親会の開催、各種チャリティーイベントなどを開催し、アークの広報活動を行っています。 アークの活動は動物たちの保護をするだけでなく、治療をはじめ、人や他の動物たちとの触れ合い、トイレや散歩など総合的な社会化のトレーニングなどの心身のケアを行っています。同時に里親探し、望まれない犬や猫をなくすための不妊去勢手術の推奨を行っています。また保護するだけでは根本の問題は解決しないので、日本の動物福祉水準の向上のための啓蒙活動や、飼い主さんや子供たちへの教育、行政への働きかけなどさまざまな取り組みを行っています。 日本の動物福祉は歴史が浅く、動物関連の法律もまだまだ弱い。動物たちを守るためにはまだまだ改正が必要なのです。」     コロナ禍の現在。アークの取り組みや変わったこと   コロナ禍でさまざまなイベントが中止になっていますが、アークで変わったことはありますか? 「1年に一度、アークを卒業した犬たちが里親さんと共に集まる同窓会やイベントなどが中止になったことはとても残念なことですが、オンラインで開催されたイベントへ参加したり、インスタライブを配信するなど、初の試みをしました。今後も形を変えて発信を続けていきたいと思っています。 今もっとも深刻なのは、経済の問題です。コロナ禍で仕事を失った方が増えてきています。仕事が無くなり、家も引っ越しするなどで環境が変わったことで、動物たちを飼うことができなくなり手放すというケースです。これは今後も増えるだろうと考えています。また少し子猫が街に増えたという影響も。これは猫を捕獲して(Trap:トラップ)、避妊不妊去勢手術(Neuter:ニューター)を行い、元の場所に戻す(Return:リターン)というTNR活動がコロナ禍で自粛または縮小していることが影響していると思います。」     アークとフィアットとの関係   現在、保護している動物は約120頭。これらは専従のスタッフ約20名を中心に動物たちの世話や施設の維持をしています。それらの活動資金は全て寄付や会費でまかない、さらに多くのボランティアの方々がアークの活動を支えています。「Share with FIAT」を合言葉に、さまざまな社会貢献活動をサポートしているFIATもアークを応援するパートナーのひとつ。改めてアークとFIATの関係はどのようなものなのでしょうか。 […]

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ペットを家族に迎える前にこれだけはしてほしい! より幸せなペットライフを送る、たったひとつのコツ

ペットを家族に迎え入れようとするとき、あなたは何を見て決めていますか? 見た目の可愛さや、インスピレーションで決める方は少なくないでしょう。たしかに、心ときめくペットとの暮らしは素晴らしいものです。しかし、それだけで決めるのはちょっと待って。その前に少しだけペットのことを「知る」だけで、その後のペットライフが、もっと素晴らしいものに変わるはずです。 2020年7月3日にオンライン開催された「FIAT PICNIC 2020」では、月間1,000万人が利用する日本最大のペット総合メディア「PECO(ペコ)」の望月奈々海さんと、動物保護団体「アニマルレフュージ関西」(以下、アーク)の秋山晴奈さんと共に、「ペットを家族に迎え入れるにあたって」というテーマでトークセッションを開催。 これから新しくペットを家族に迎え入れようとしている人、また、今、大切なペットと暮らしている人に向けて、より幸せなペットライフを送るコツを伺ってきました。   聞き手:アキラ 100%     ゲスト紹介   はじめに、ゲストにご登場いただいたおふたりの活動をご紹介いただきたいと思います。よろしくお願いします!   動物好きに大人気! ペット総合メディア「PECO」   望月さん:PECOはですね、可愛い動物の動画や、動物との暮らしに役立つ情報を発信する、ペットの総合メディアです。動画は月間だいたい3億回くらい見ていただいているんですよ。 3億回! すごいですね。動画は毎日アップしているんですか? 望月さん:そうです。ちなみに、今はお家時間が増えたこともあり、4月は月間6億回再生まで伸びてきていて、国内No.1のペットメディアとなっています。     ユーザーの方にはどういった方が多いんですか? 望月さん:ユーザーの70%は女性ですが、年代は20代〜50代の方までと幅広くご利用いただいています。「動物の動画を見て幸せな気分になりたい」「動物と楽しい生活を送りたい」というモチベーションで見てくださっている方が多いですね。   ペットの引き取りから里親探しまでを行う動物保護団体「アーク」   秋山さん:私たちアークは、1990年に現在の代表、エリザベス・オリバーによって設立されました。主な活動は、さまざまな理由で飼育が難しくなった飼い主さんから動物を引き取り、里親探しをすること。不妊手術やマイクロチップの埋め込み、動物に応じた必要な処置を行い、その子の性格を把握してから里親募集にかけるようにしています。そのほかにも、劣悪な環境に置かれている動物のレスキューや、災害時の保護活動も行っています。     秋山さん:この子は、イタリアン・グレーハウンドの「ネモ」。この子も今、里親を募集している3歳の男の子です(編集部注:放送後、新しい家族が決まったそうです!)。すごくフレンドリーな子なんですよ。 望月さん:今日も現場に着いてすぐ、スタッフみなさんに挨拶してましたね。 秋山さん:そうなんです、今はちょっと緊張してるみたいですけどね(笑)。 アークでは、学校などに訪問する教育活動にも力を入れています。保護動物の現状や命の大切さを伝えるのはもちろん、小さなお子さんの場合、犬を見つけたときに「可愛い〜!」と急に触ってしまうことが多いので、その触り方だと怖がらせてしまうよ、というような、動物との接し方などの基本的なお話もさせていただいています。 秋山さん自身は、こういう活動を始めるきっかけとかってあったんですか? 秋山さん:私自身がアークに入ったきっかけは、SNSで劣悪な環境のブリーダーの元にいる動物の写真を見たことでした。私もずっと犬を飼っていたので、その写真にすごく衝撃を受けて……。何か手伝えることはないかとアークのボランティアを始めて、そこからスタッフになりました。     ペットを迎え入れるにあたり、心がけてほしいこと   犬や猫をはじめ、さまざまな動物がペットとして暮らしていますが、ペットを迎え入れるにあたっての心がけや、気をつけたほうがいいことがあれば教えてください。 望月さん:PECOのメディアとしての役割とも重なりますが、やっぱり「情報を知る」ことが一番大事だと思っています。「犬」とひと言で言っても、犬種によって特徴が全然違うんですよね。 そうなんですね。 望月さん:たとえば、私の実家ではノーフォークテリアという犬種の子を飼っているんですが、テリアは定期的に人が毛を間引いてあげないと毛が綺麗に保たれないんです。また、ボーダーコリーはとにかく元気なので、たくさん運動させてあげられる環境が必要です。そうなると、広い公園が近くにあったほうがいい、など、ライフスタイルにも密接に関わってきますよね。 たしかにそうですね。 望月さん:だから、同じ「犬を飼う」と言っても、どういう犬種の子なのか、その子はどんな特性を持っているかを事前に知っておいたほうがいいと思います。かかりやすい病気なども知ることができれば、何に気をつけてあげればいいかも分かると思うので。 見た目の可愛さとか第一印象だけで選んでしまいがちですが、事前に、その子がどういう性格なのか、どういう体質なのかを少しでも調べると全然違うかもしれませんね。 望月さん:そうですね。やっぱり一緒に生活していくことを考えると、今後の人生の中でどんな風にペットと暮らしたいかをイメージしてから迎え入れてほしいと思います。     秋山さん:アークにも、「ペットショップで一目惚れをして犬種の特性を知らずに飼ってしまい、半年後に40kgに成長してしまい飼えなくなったので手放す」というような、知識不足が原因の引き取りが絶えずあります。なので、今望月さんが仰ったような勉強は必ずしておいてほしいですね。 それって、知っておけば防げるケースですもんね……。 秋山さん:あとは、本当にペットを迎え入れられるのか、必ず家族で話し合ってほしいです。ほかの家族の同意を得られていない状態で飼っても、協力を得られません。今は、ペットの寿命も伸びていて、犬なら15〜20年ほど生きると言われています。それだけの年月をきちんと世話できるのか、そのとき家族の年齢はどうなっているか、ライフスタイルは変わっていないか、そういったことまで事前にシュミレーションをしていただきたいですね。 […]

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毎年恒例のイベント「FIAT PICNIC」が、史上初のオンライン配信で開催!

『FIAT 500』の誕生日である7月4日に配信された「FIAT PICNIC 2020」! 史上初めてオンライン配信での開催となった本イベントは、日本全国のフィアットファンはもちろん、イタリアファンや自動車ファン、そして出演者のファンなど、大変多くのみなさんにご覧いただき、大盛況となりました。今回は、その模様をダイジェストでご紹介します。   イタリアを感じるコンテンツが満載! 青空の下、毎年開催されてきた「FIAT PICNIC」。 今回12回目を迎えた本イベントが、史上初めてのオンライン配信で開催されました。 『FIAT 500』の誕生日である7月4日に開催された本イベントは、バースデーソングからスタート! 駐日イタリア大使であるジョルジョ・スタラーチェ大使閣下やFCAジャパン代表取締役社長兼CEOのポンタス・ヘグストロムからのメッセージも届き、序盤からお祝いムード満点! さらに、ミニチュアアーティスト・みすみともこさんが制作してくれた小さな小さなバースデーケーキも、お祝いムードに花を添えてくれました。 みすみさんからは「先日、友人と“500”いいよねぇと話していたばかりなんです。 なので、今回の作品がお届けできてとても嬉しいですし、運命を感じました。 バースデーケーキも、クイズのプレゼントのイタリアンジェラートや板チョコもすべて一点ものなので、手にした方は大切にしていただけると嬉しいです」とコメントをいただきました。   青空とそよ風を感じるバイオリンの音色にうっとり 「FIAT PICNIC 2020」の最初のコンテンツには、世界的バイオリニスト・古澤巌さんが登場。 本イベント3度目の参加となる古澤さんのライブに、観ているみなさんも、現場のスタッフも大満足。イタリア映画「ニューシネマパラダイス」のタイトル曲をはじめ、清々しさと爽快感、そしてノスタルジーを感じる素晴らしい楽曲を披露。 その音色は、オンラインを介しても変わらぬ感動をお届け! 「青空とそよ風を感じることができた」「涙が出た」「イタリアを感じた」「またイタリアに行きたくなった」など、たくさんのうれしい感想をいただきました。   豪華賞品がいっぱい!フィアットクイズ 「FIAT PICNIC 2020」では、正解者の中から抽選で200名様に豪華商品がドドーンと当たる「フィアットクイズ」を開催! フィアットの歴史やモデルに関する問題はもちろん、マニアックな問題、そして調べてもなかなか答えが見つからない問題まで幅広く出題。 初級編・中級編・上級編に分けて各3問ずつ出題されたクイズに、難しすぎるというコメントも。しかし、フィアットオーナーやフィアットファンからは大好評! 今回しか手に入らないアイテムやレア商品が当たるということもあり、番組中はもちろん、クイズ解答の締め切り間近まで、大変多くのご解答をいただきました。   ステイホームで大注目!吉川めいさんのヨガ対談は必見 フィアットがすべての女性を応援するプロジェクト「ciaoDonna」の一環として行われたHAPPY LIFE トークを「FIAT PICNIC 2020」内で配信。 ゲストに、日本人女性初のインド総本山KPJAYI公認アシュタンガヨガ・インストラクターである吉川めいさんをお迎えして、今日からできるヨガや呼吸法などをレクチャー。 そして、日々の心構えや心のあり方など、まいにちをよりハッピーに過ごすためのヒントをお話しいただきました。 女性のみなさんはもちろん、ステイホームの状況が続く中、運動不足やストレスでお悩みの方にとっても、見逃せないコンテンツとなりました。   大人気アーティストが初遭遇!話題満載の気になるトークに注目 フィアットのプロジェクト「#MyFirstFIAT」に出演中のVRアーティスト・せきぐちあいみさんと、2014年のカリカチュア世界王者である田中ラオウさんという、いま世界中から大注目のおふたりによるトークショーが奇跡の実現! アーティスト活動をはじめたきっかけやアートの魅力、自身の作品についてなど、注目の話題がいっぱい。 せきぐちあいみさんからは海外でパフォーマンスしたときのエピソード、また田中ラオウさんは似顔絵をうまく描くコツなど、興味深い話が続々。 なかでも「人物を描くとき、特に大切なのは髪の毛を含めた輪郭なんです」という田中ラオウさんの意外な言葉に、一同ビックリ! これからのおふたりの活躍にますます注目したくなる、楽しいトークが繰り広げられました。   動物好き必見!素敵なペットライフを過ごすためのヒントを紹介 フィアットオーナーやファンにも、動物好きは多いはず。そんなみなさんへ、ペットライフをより楽しく、より豊かに過ごすためのヒントをご紹介するコンテンツをご用意。 月間6億回の再生回数を誇る大人気ペット総合メディアPECO(ペコ)の望月奈々海さんと、動物保護団体アニマルレフュージ関西(ARK)の秋山晴奈さんが対談。 ペットを迎え入れる際の注意点やライフスタイルに合ったペット選び、ペットにまつわる現在の環境のことなど、様々な情報をご紹介。 […]

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“無名の偉人”木全ミツさんに聞く、公私共にうまくやるコツ

東大医学部を卒業し、労働省に入省。ワーキングマザーとして公務に尽力し、 労働官僚30年のうち15~6年を開発途上国に対する国際技術協力等国際関係の仕事に奔走、49歳で国連公使としてニューヨークに単身赴任。その後、ザ・ボディショップジャパンの初代社長に就任。のちにNPO法人「JKSK 女性の活力を社会の活力に」を設立、日本やアジアにおける女性のリーダーシップの育成に尽力されるなど、数々の輝かしい実績を積み上げてこられた木全ミツさん。その生い立ちや実績は、『仕事は「行動」がすべて 無名の偉人・木全ミツの仕事』(伊藤彩子 著 WAVE出版)に綴られています。 この本で“無名の偉人”と表現されているように、木全さんは表に立って采配を振るうというよりは、後ろから押すタイプ、というのでしょうか。周囲の人を巻き込み、取りまとめて大きな力を生み出し、プロジェクトを成功に導いています。フィアットとは、Share with FIATの活動を通じ、東日本大震災復興支援プロジェクト(関連記事)や、アジアの優秀な女性に教育の場を提供する活動(関連記事)などに共に取り組みました。今回は木全さんに豊かな経験をお持ちの大先輩として、仕事や日常をスムーズにこなすコツや、意識の持ち方についてアドバイスを伺っていきます。 自立心が芽生えたのは9歳の時 ──まず率直にうかがいたいのですが、木全さんはなぜそんなに優秀なのでしょうか? 「優秀と言われますけど、私は子どもの頃、ごく普通の女の子でした。兄弟姉妹が9人。6人が男の子、3人が女の子で私は次女。誰からも期待をされていない、どうでもいい普通の女の子であったと思います。兄や姉は優秀で、常にクラスで一番だった。でも私は、 “クラスで一番”ということにあまり関心を持ってませんでした。1番をとったこともありますが、常にではなかったので家庭内ではデキが悪いと思われて、親から期待される子ではなかったのではないでしょうか」 木全さんが9歳のとき、その後の人生に大きな影響を与えたという出来事が起こります。木全さんのお父さまは第二次大戦のとき陸軍の軍医大佐をされておられ、木全さんが小学生の頃、家族皆で満州の新京(現在の中国の長春)に移住。侵攻国の軍の幹部として、なんでも手に入るような生活を送っていたそうです。しかし、そんな生活に変化が訪れます。戦局が悪化すると木全さんのお父さまは子どもたちを集めて、次のように伝えたそうです。 “いいか、これからはお母さんのいうことをよく聞いて、日本に帰って生活するのだ”。お母さんと子どもたちは、その地に残る父を心配しながらも言われるがまま満州を後にしました。 「満州を離れて、朝鮮半島を汽車で移動していきました。1945年8月15日、日本が敗戦したという報を一家は今の北朝鮮の首都,ピョンヤンで聞きました。日本の敗戦を知った朝鮮の人たちは、それを喜び、日本から痛めつけられてきたことに対する怒りをあらわに、“憎き日本人を殺せ!”と暴動を起こし、私達日本人に襲い掛かってきました。その時、私たち家族の面倒を見てくれていた父の部下の軍部の人が、“この穴に入りなさい”とおっしゃり、母と一緒に真っ黒い穴に入りました。やがて、ガタンという音と共に穴の入り口が締まり、その後、ゴトン、ゴトンという音と共に動きだしました、当初はわからなかったけれども、それは石炭を運ぶ貨車だったのです。その貨車に人間が乗っていることは疑われず、無事に朝鮮半島を後に、舞鶴にたどり着きました。満州からの引き揚げ船の第一号でした。たどり着いた日本は焼け野原、浮浪児がごろごろとした状況でした。母と一緒に福岡・久留米にたどり着きました。その頃、母のお腹には8人目の子がいました。久留米では、生活力のない母のもと、どん底の生活を強いられました。母は日本の陸軍大将の妻になるというのが夢でした。でも敗戦後の彼女の生活は、生活保護を受けながらのぎりぎりの生活でした。国家を信じ、夫を信じて生きながら、将来は日本の陸軍大将の妻になるという夢のはしごを、自分の力とは関係のないところで外された、哀れな母でした。子どもたちはお腹が空いたといって母を苦しめると、母は配給されたかぼちゃの一切れをお皿にのせ、“まだ、夕食には、時間が早いけど、食べたら動かないのよ、お腹が空くから”と言いました。“ああ、いやだいやだ、あんな哀れな女にはなりたくない。私は、どんな時代、どんな環境に置かれても自分の二本の足で立ち、歩んでいく人間になりたい”と、本当にそう思いました。それが私の自立心の基本であり、職業意識の芽生えでした。9歳の時です」 戦時下での混沌のなか、児童期に天と地のように違う生活を経験したことを振り返ってくださった木全さん。そうした経験も糧に“偉人”となったご自身のスタイルを3つ挙げてもらいました。 1   誰にも頼らないで生きていく 「どんな時代、どんな環境下に置かれても、誰にも頼らないで生きられる人間になりたい。9歳の時に強く思ったその気持ちは、その後ずっと変わっていません。自立するということは、まず、経済的にひとり立ちするということです。ですから私はひとりでも生きられるように就職して収入を手にするようになって以来、今日まで収入の20%を貯金することを原則として守ってきました」 2 何事も自分で決める 「もうひとつ大切なことは、“自ら選んだ道、自分が決めたことではないか”という考えです。それが自分の人生を支えてきました。進学の際の専攻、職業の選択、結婚の決定も、誰からの推薦、アドバイスでではなく、すべて自分で決めました。そして誰からも強制されたものではないからこそ、自分で責任が取れるのです。言い換えると、決定したことがうまくいかなくても“貴女が自分で決めたことではありませんか”ということが背中をおしてくれ、勇気をもって対峙してきたことにより、問題を解決していけたのだと思います。自ら行動をとることの重要性。私はこのことを、人生を通じて学んできました。だから人生でなにひとつ後悔はありません」 3 どんな経験や体験も自分の血となり肉となる 「人はそれぞれ違う体験をして生きていきます。なかには、反り(そり)が合わない人もいるでしょう。でもそうした人とも一緒に物事を進めていく、という場面は仕事においても日常でも多々あります。そのようなとき、嫌だなと思ってやるのと、前向きに受け入れて進めていくのでは大きな違いが出てきます。後述しますが、どのような人でも、自分にはない優れた一面を持っています。それぞれが持っている“良さ“とお付き合いをしていこう、自分なんか大した人間ではないと。そうした相手との経験から何を学ぶか。そしてそれを血として肉とすることで、人生の豊かさは変わってくるということを学んでまいりました」 ──職場のなか、組織のなか、あるいは家庭のなかであっても、自分の信念が周りの人々の考えと対立したり、価値観の違う人とぶつかったりすることはあると思います。そのような時は、どのように折り合いをつけるのでしょうか? 相手のすばらしい面とお付き合いする 「相手は自分が気に入らない点を持っているかもしれませんが、自分にはない良さが必ずあります。私は、相手のその良さとどうやって付き合って行こうかということを必死に考え、そのすばらしさとお付き合いしていこうと心掛けてきました。もし相手とぶつかった時、非難したり、罵倒したりして、された人はハッピーでしょうか? また罵倒した本人はそれでハッピーになりますか? そんなことをしても上手くいくわけがない。自分と意見が異なることがある場合、必ずそこに理由があるので、その理由を冷静に考え、解決する努力をした方がずっと早く、良い方向に向かうのではないでしょうか。そしてその経験は自分を成長させてくれ、その後の実績をあげる力になるのだと思います」 ──仕事の話になりましたので、もう少しお聞きしたいと思います。仕事やプロジェクトを進める際に大切なことはなんでしょうか。 1 どんな仕事も自分ひとりで成し遂げることはできない 「私はどんな仕事やプロジェクトもひとりでできることはないと思っています。だから、成し遂げた結果に対して、これは誰それの功績だという言い方も適切ではないと思います。個人だけでできることというのは、あっても小さいのではないでしょうか。“自分はたいしたものではない”と自覚するべきだと思いますね。賛同者がいて、共感する人がいて、価値観を共有できる人々がいて、それで一緒にやっていこうと繋がった時に大きな力が生まれるのだと思います」 2 自分の考え、方針を明確に打ち出すことは大事 「ただし、チームでプロジェクトを進めていくときに、私はこういう考えであるということは、押し付けではなく、相手にお伝えすることは重要だと思います。その考えが他の方と同じでなくてもいいんです。賛同が得られることもあるし、意見は違う場合はまず耳を傾け、理解し、ひとりひとりを大切にすることが大切です。そして、自分が誰よりも一番働くことに努めてきました。そうすると周りの人はその姿を見て、自分のやることを考えて動いてくれますから。会社だったら社長、プロジェクトだったらそのリーダーが一番の小使に徹するべきだと思いますね」 3 成果を同志とともに分かち合い、喜び合う 「そしてその仕事を成し遂げたら、喜びを一緒に分かち合う。それが次のエネルギーになるのです。私も同志を家にお招きして手料理を振る舞ったり、お酒を一緒に飲んだりします。実感を分かち合える場を作る、ということは、とても大切なことではないでしょうか」 不可能なことはない ──これまでのお話でもわかるように、木全さんは個を尊重し、人を大切にされます。そして人から頼まれたことは断らないといいます。なぜなのか。うかがってみました。 「There is no word of impossible in my dictionary。私の辞書には不可能という言葉はない。なんでもやってみるべきだと思います。したがって人から頼まれて断ったことはありません。小さなことでも大きなことでも、やればやれると思っています。成果に差はあるかもしれないけど、まずはやってみることだと思いますね」 「戦後の混乱のなか、私たち子どもたちは食べるものがなく、みんなお腹を空かしていたお話をしました。そういう生活をしていたとき、軍部で父の部下だった方が時々、様子を見にきてくれていました。私は母にお腹が空かない生活をするには、月にいくら位必要なの? と聞いたことがあります。“3,000円くらいあればねえ”いう母の言葉がずっと耳に残っていました。小学校をあと2年、そして中学3年間を終わらないと働くことができないと思い込んでいましたが、訪ねてきたおじさんに、“早く、義務教育を終え、お金を稼ぎたい、母を助けたい”と心情を伝えると、“お嬢ちゃんにもできることはありますよ。パンを9円で仕入れて12円で売りなさい”と。そして、おじさんがパンの仕入れを手伝ってくれ、私は一軒一軒訪問しました。“パンを買ってください”、“いくらなの?”、“12円です”、“高い、10円にしなさい”、“10円にしたら、わたしの儲けがなくなります”という会話を交わしながら、毎週日曜日に、100個を目標に売って歩いた。数ヶ月実行し3,000円を貯めて母に渡したら、最初は泣いて受け取ってくれませんでしたが、最後に喜んでくれた。その時のことは、今でも鮮明に覚えています。子どもが多かったので、すべての子に目を配ることもできなかった母でしたので、母は私の訪販の体験には気が付いていなかったようです。その時、私は“やればできる。人生に不可能なことはない”ということを学びました。小学4年、10歳の時です。そして、この体験から得た信念が、私の人生の屋台骨の一つとして今日まで支えてくれています」 ──人のために尽くす。木全さんのそうしたお考え、そしてこれまでの実績をみると、自分のためではなく、社会のため、あるいは少し大げさかもしれませんが、世界のために働いているというか、そういう意識を感じます。 「自分のためじゃなく、日本人として、アジアの一員として、世界の一員として行動する、という意識は常にあります。大学の専攻で公衆衛生を選んだのも、そのような理由からでした。当時、医者にかかれる人はまだ少なかった。そんな時代でした。医者にかかれる数人のために働くのではなく、医者にかかれない大勢のことを考えて生きたい。それが“社会のため”という意識を持つようになった始まりでした。父も応援してくれました」 「シベリアに抑留された父には、“家族は、全員、朝鮮半島で皆殺しにあった”という報が届けられていたようです。“すべての家族を失った自分には、帰国をする理由がない、若い将来のある部下たちを優先的に帰国させよう”と心に決め、部下たちを優先的に、シベリアからの引き上げ船に送り込んでいた。他方、子どもの私達は音信不通の父について、生死もわからない中で、父に手紙を送り続けました。そのうちの一通が父に届いたようです。子どもが日本で生きていることを知った父は、最後の引き揚げ船で帰ってきました。一人でも生きていればという思いで帰ってきたら、皆生きていたという喜びの中で、父は子どもたちを前に、“俺は、社会的地位も、名誉も、財産も失った。しかし、諦めていた子どもという宝があるじゃないか。私は医者だ。再起可能だ。日本に将来があるとすれば、それはテクノロジーだ。これからの日本の社会には、男も女もない。能力があるなら大学に行け。そして専攻は理系を選べ”と。さらに、“ひとつだけお父さんに協力してほしい。国立大学に進んでほしい”と。私が中学2年の時でした。そして、後に東京大学の医学部で公衆衛生を学ぶことにいたしました」 家庭内の問題をスムーズに進めるコツ 大学時代に勉学に励んだ木全さん。そこでご主人となる方と出会うこととなりました。 「夫は、医学部の3歳年上。彼からラブレターをもらいました。私は、21歳、恋だ、結婚だ、などということはまったく眼中にもなく、そんな気持ちのかけらもなかったころです。“九州から東京まで出てきて勉強しているのは、伊達や酔狂ではない。勉強以外のことに時間を取られたり、エネルギーを注いだりしたくない、理解していただきたい“ といったような内容の返信を送りました。しかし、ある日、同じサークル(ソヴィエト医学研究会)の活動を終え友人たちとワイワイ言いながら本郷のキャンパスからお茶の水駅まで帰っている時に、今まで避けていた彼と視線がぶつかった。どういう訳か、胸の高まりを覚えた。そのことを私の女友達に話したら、彼女は後で彼に “脈なしにあらず”と伝えたようです。その友人の計らいが発端で、私達のデートが始まりました。結婚まで3年半お付き合いを経ましたが、デートの時はいつも、“私は自分の道を自分の足で生きていく”ということを必死に伝え、ディスカッションも重ねました。その結果、120%理解をし合い結婚することになりました。結婚してやがて60年になりますが、今日に至るまで、ケンカもなく実にうまくいっています。夫の人間性の素晴らしさもあり、お互い尊重し、感謝し合う。そんな関係を築くことができています」 ──ご主人のお話が出ましたのでお聞きします。家庭をうまくいかせるため、相手とぶつからないでうまくやっていくには、どうしたらよいとお考えですか? 1 ひとりの人間として相手の人格を尊敬、尊重する […]

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FIATとアショカ・ジャパンが支援するよりよい社会をめざす若者チェンジメーカーたちの熱い思い

社会貢献活動をする団体へのサポートを通じて人と人との想いをつなぎ、社会にもっと笑顔をひろげる活動 「Share with FIAT」。その団体のひとつであるアショカ・ジャパンが「アショカ・ユースソーシャルベンチャー 資金集めピッチ大会」を開催しました。 アショカ・ジャパンとは? アショカは、1980年にアメリカで設立された、世界最大の社会起業家グローバルネットワークです。「Everyone a Changemaker(誰もがチェンジメーカーの世界)」をビジョンに掲げ、1980年米ワシントンでの発足以来、現在世界90カ国以上で活動中。社会起業家の発掘・支援のほか、若者チェンジメーカーが育つ環境づくりにも取り組んでいます。2011年には東アジア初の拠点としてアショカ・ジャパンを設立しました。 アショカ独自の基準で選出された「アショカ・ユースベンチャー」は、12歳から20歳の若者を対象としています。それぞれの若者たちが、日常生活のなかで感じた疑問や違和感に対して、自らの意思と行動をもって働きかけ、社会をより良くしようと、個性豊かな取り組みを行っています。 チェンジメーカーとサポーターが直接つながることができる場所 今回のピッチ大会には、アショカ・ユースベンチャーをはじめ「U30アショカフレンズ・メンバー」など約100人の中から、13人の若者チェンジメーカーが立候補しました。その内4人の若者ソーシャルベンチャーが選出され、限られた時間でそれぞれが活動内容についてピッチを行いました。来場者は、登壇者と直接意見交換することも可能。終了後には、応援したいと思った若者にその場で寄付できるのが今回の大会のポイントです 。 “おかしいと思ったら自分で行動する”4人のチェンジメーカー 今回登壇した4人の目的は、事業拡大のための資金集めや自分の活動内容をより多くの人に広めること。大会では、それぞれの熱意が感じられるピッチが繰り広げられました。 矢野大地さん(27)は、ある日耳にした「生きている充実感を味わいたい」、「働くことの意義がわからない」といった若者の声をきっかけに、若者の自己肯定感をあげる方法を模索。 若者たちが“本気でワクワク生きることができる社会”をつくるべく、NPO法人ひとまきを立ち上げ、高知県の山奥で長期または短期で滞在できる場を設けました。ここでは参加者が大切にしていることを否定せず、それぞれが抱える課題に向き合い、チームとして一丸となれる場づくりを実施しています。 スタートから3年で800人が参加し、34人の移住者を増やすという結果を残しました。また、地域の活性化も視野に入れ、2022年までに活動拠点を100箇所に広げたいと宣言。LINE@を利用した生き方相談窓口の開設や運用をはじめ、様々な取り組みを行うことを目標に掲げました。 工藤柊さん(20)は、2年ほど前からヴィーガン生活をスタート。しかし、ヴィーガンに対応する飲食店や食事が少ないこと、周囲からの理解度や認知度が低いことを知り、日本でヴィーガンを実践することの難しさを実感しました。  そこで“Hello Vegan!”な社会の共創をめざし、 NPO日本ヴィーガンコミュニティを設立。誰もがヴィーガンを実践できる社会をつくるため、コミュニティの整備やwebメディアでの情報発信などの活動を行ってきました。  なかでも、ヴィーガン向けのレシピを投稿・閲覧できるサイト「V-cook」は今年7月に始まったばかり。5年後の2024年には、レシピの投稿・閲覧だけでなく、植物性の食材を購入したい人、販売したい人が集まるヴィーガンのプラットフォームにすることを目標に事業計画を話しました。 NPO法人スポーツコーチング・イニシアチブの小林忠広さん(26)は、小学生のときからラグビーをはじめ、自身もラグビーのコーチをするなかで、日本の指導環境が整っていないことに気付かされたそうです。 日本では、正しい指導を学ばないまま次の指導者や保護者たちにネガティブな指導法が受け継がれる、負の循環が起こっていると解説。さらに、勝利至上主義のスポーツは成果至上主義の問題を抱える日本企業の裏返しと考え、スポーツが変われば社会が変わる可能性も提示しました。 問題解決のため、小林さんはアメリカのNPO法人PCAが提唱する“ダブルゴール・コーチング”というスポーツ教育に着目。その指導法を日本各地に広めようと、2019年にはPCAの取り組みを伝える教材の作成や日本での育成効果の測定を行うと話しました。来場者とのワークショップも交え、今後のスポーツ教育について考えさせられるピッチとなりました。 原田奈実さん(24)は、高校2年生のときに東日本大震災のボランティアに参加。それをきっかけに東北の魅力に気付かされ、大学時代は京都在住ながら毎月東北に通うように。 はじめは、寄付金を募り学生を無料で東北に連れて行く活動の京都代表を務めていましたが、“もっと気軽に東北に関わる方法”はないかと考えるようになったそうです。そこで、2014年に東北の食材を使った食事を通して東北に思いを馳せる場としてきっかけ食堂をスタート。毎月11日、東日本大震災の月命日に開催し、全国6箇所に拠点を広げるまでに成長しました。 2020年には、東北以外の都市から東北生産者のPR支援を行う新規事業の開始や、きっかけ食堂の10拠点での定期開催化を目標に掲げ、きっかけ食堂を東北と関わるためのプラットフォームにしたいと語りました。 活躍しつづけるアショカ・フェロー 4人の登壇者のほかに、医療事業を行うケアプロ創設者・代表の川添高志さん(2013年選出アショカ・フェロー)がゲストスピーカーとして登壇しました。川添さんは、看護師として働くなかで、健康診断を受けていない人が多いことに気づきました。患者の「面倒だから受診しなくなる」という意見を聞き、1項目500円でできるセルフ健康診断の仕組みを考案。 実際に病気が見つかったという患者さんが出はじめたことで事業を拡大し、2013年にアショカ・フェローに選出されました。  現在は、“交通医療”の始動に向け、一人での移動が難しい人のサポーターを、クラウドマッチングを利用してウェブ上で募集する事業を準備しています。ゆくゆくは日本がモデルとなり、交通医療を世界につなげて行きたいと話しました。 若者たちの姿勢に感動 大会終了後、来場者は支援したいと思った登壇者にその場で寄付することが可能です。実際に投資した人からは、「取り組みへの関心が深まり、継続してほしいと感じました」、「それぞれの活気が感じられて、感動しました。自分にも何かできればいいなと考えさせられました」という声があがりました。投資した人々はみな、自分事と考え、若者チェンジメーカーをサポートしたいと感じたようです。 FIATとアショカがつなげる心の輪 2011年にはじまったShare with FIATの輪は、着々と世界に広がっています。それと同じように、チェンジメーカーたちのネットワークをつなげていくアショカ・ジャパン。ともに社会をよりよくしたいとの想いから、社会起業家たちのチャレンジをサポートしていきます。 Share with FIATの活動はコチラ アショカ・ジャパン公式サイトはコチラ  […]

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FIAT PICNIC 2019開催 フィアットの120周年と500の誕生日を祝っチャオ!

フィアットオーナーやファンのみなさんが一堂に会する毎年恒例の最大級のイベント「FIAT PICNIC」が、2019年7月7日(日)に開催されました。会場となった富士山パーキング(山梨県富士吉田市)で約700 台、約1,400 名もの参加者とともに、ライブパフォーマンスやアクティビティ、そしてたくさんの笑顔があふれる1日を過ごしました。 あいにくの空模様となった当日ですが、開場の朝6時にはすでに大勢の参加者が集い、10時のオープニングセレモニーを待ちわびていました。  500を中心に、新旧フィアット、アバルトが続々集合。このイベントを通して親交を深めたオーナーさまが1年ぶりの再会を喜ぶシーンや、初対面でも好きなものが同じだから自然と会話がはずむシーンなど、フィアットを通して人と人の輪がたくさんできていました。  オープニングセレモニーでは、FCA ジャパン マーケティング本部長のティツィアナ・アランプレセがご挨拶。「今年、フィアットは創業120周年、500は62回目の誕生日を迎えます。フィアットファンのみなさんと一緒にお祝いできることを嬉しく思います。みなさんとの出会い、そして再会を心待ちにしていました。みんなで楽しめば、これくらいの雨なんてへっちゃらですね! 一緒に盛り上がりましょう」とのかけ声に会場は沸き立ちます。  スペシャルゲストとして、イタリア文化会館館長パオロ・カルヴェッティさんが登場。「イタリア人にとってフィアットは人生の一部です。私の最初の愛車もフィアットでした。古い500でデートしたことを今でも覚えています」とコメント。カルヴェッティさんからもフィットへの愛情が伝わってきました。 すっかりおなじみとなった、お笑いコンビ・ハイキングウォーキングのお二人によるスペシャルMC。今回で3年目ということで、彼らとアランプレセの息もピッタリ?! 絶妙なトークで会場は終始笑いに包まれました。 最高のパフォーマンスに魅了されます ステージライブのトップバッターは、世界的ヴァイオリニスト・古澤 巌さんによる演奏。美しい音色が富士山の裾野に響き渡り、観客はすっかり魅了されました。ちなみに古澤さんは、新旧フィアットやアバルトを複数台所有しているフィアットファンのおひとりでもあります。 古澤さんの演奏に続いて、イタリア出身のDJ・ブライアン Jさんの緩急をつけたプレイが会場の熱気をさらに盛り上げます! #MY FIRST FIATにもご登場いただいているフォトパフォーマーARISAKさんによる「自撮り教室」にも多数ご参加者いただきました。「三脚とリモコンのシャッターを使えば、簡単です!」とのこと。愛車と一緒に「映える写真」を撮る方法をみなさん興味津々で教わっていました。「500は丸みを帯びたデザインだから、体を添わせやすい。だから自撮りもしやすくって、本当にフォトジェニックなクルマです」とARISAKさん。  オーナーさま参加の「デコレーションコンテスト」は今年もにぎやかです! 新旧さまざまなフィアット&アバルト車をオーナーさまが思い思いに飾り付ける「デコレ ーションコンテスト」。ユニークさや美しさ、可愛らしさを競います。今回のテーマは「 祝 FIAT 120周年」。優勝者は`65年式の500Fを“イタリアンカフェ”風にデコレーションした馬場達也さん・由美子さんご夫婦。「500Fは子供の頃から憧れていたクルマです。花や瓶で飾ってFIATをお祝いしました。優勝できて本当に嬉しいです」と、喜びのコメントをいただきました。 「FIAT♡PETSファッションコンテスト」では、イタリアをテーマにしたファションを身にまとったワンちゃんたちが登場。みんなしっかりとキャットウォークならぬドッグウォークを披露し、ポージングも決まっていました。ワンちゃんとフィアットTシャツでペアルックを披露する飼い主さんの姿も。 ファミリーでの参加者が多いのもFIAT PICNICの特徴。子供たちが楽しめるアクティビティがとにかく豊富なのです。今回はスペシャルゲストとして「NHKおかあさんといっしょの体操のおにいさん」として大人気の「よしおにいさん」こと小林よしひささんが登場。イタリア語バージョンのラジオ体操に始まり、イタリアの子供たちにおなじみの遊び「Giro Giro Tondo(ジロ ジロ トンド)」や歌、手遊びなどなどのパフォーマンスに、子供だけでなくお母さんもお父さんも夢中です。そして、最後はもちろんおなじみの「ブンバ・ボーン!」でみんな大はしゃぎ!  Share with FIATのブースも笑顔がいっぱい こちらは、フィアットの社会貢献活動「Share with FIAT」でコラボレーションしている団体の活動をご紹介するブース。  『ピースウィンズ・ジャパン』(写真右上)は、紛争や災害、そして貧困などの脅威にさらされている世界各地の人びとに支援活動を行うNPO。今回は東日本大震災からの復興に取り組む「物づくりの町、南三陸町」のクラフトワークショップを開催。  『スマイリングホスピタルジャパン』(写真右下)は入院中の子どもたちに芸術家が訪問して、豊かな時間を共有し闘病生活をサポートするNPO。今回は子供たちにも大人気の大道芸人のクラウンぴのこさんがご来場。バルーンアートなどで楽しませてくれました。  『ARK』(写真左上)は、行き場を失った多くの動物に安心してくらせる避難所(シェルター)を提供するNPO。今回は2010年12月に母犬と兄弟犬と一緒にARKに来た生後2〜3ケ月の子犬を理事の岡本ジ ュリーさんが翌年3月末に引き取り、愛犬として愛情いっぱいに大切に育てられた「ゆずちゃん」にもご参加いただきました。 FIAT×Made In Japan PROJECTのブースでは、日本各地の伝統文化と優れた職人技術とフィアットとのコラボレーションにより創作された数々の作品を展示。長岡京の竹工芸(京都))や燕三条のカトラリー(新潟)、雄勝硯(宮城)、日光彫り(栃木)など、唯一無二の素晴らしい逸品に釘付けとなりました。 フィアット、アバルトを愛するオーナーさまをご紹介 神奈川県平塚市から参加した近藤裕章さんと奥さま。自宅近くのショールームに飾ってあったブルー ヴォラーレの500が気に入って、「その展示車両、購入します!」となったとか。「この500ほど海岸線に似合うクルマはありません」と大満足のお二人! 500Xで参加の吉本昌史さん(左端)は、トリノの自転車ブランド「3T」のアンバサダーを務めています。そして、奥さまもご両親(右)も大のフィアット好き、イタリア好き。「信州の山奥で暮らす我々にとって、500Xの安定した走破性と快適な居住性はありがたいです」と、購入したばかりのこのクルマがお気に入りのご様子です。 愛知県春日井市からABARTH 595で参加の藤田義信さん。「高回転まで回るエンジンやそのサウンドがもてはやされますが、実はブレーキこそがこのクルマのいちばんの魅力だと思います」とそのパフォーマンスを絶賛しています。 バルーンチャレンジで白熱! 4チームに分かれて500C と595Cの車内に風船を投げ込む競技「バルーンチャレンジ」も大盛り上がり。最高で119個のバルーンがクルマの中に入りました! 参加者の皆様、おつかれさまででした! さまざまなアクティビティに参加した後は、当然お腹が減りますね。 FIAT PICNICのもう一つお楽しみ、それは会場の芝生広場の片側に並んだ8台のキッチンカーです。イタリア人シェフが作る『Lasagna Italiana』のラザニアや、デュラムセモリナ粉100%を使用した『CUCINA DAINO』のボロネーゼなど、たくさんのイタリア料理がみなさんの食欲を満たしてくれます! また、『chez uma』の山梨の桃を贅沢に使用したクレープや、『FARMERS BLEND』の新鮮なスムージー、ジェラートなどのデザートも充実 。 お腹が満たされたら『FIAT CAFFE』の本格エスプレッソを飲みながらショッピング。『FIAT STORE』では先行発売のビーチサンダルや携帯扇風機、FIATロゴ入りのコークシクル、車載用アロマディフーザーなどを販売。  『MT.FUJI STORE』では山梨県産の新鮮かつ無農薬の野菜・果物が並んでいました。 「フィアット&アバルト試乗会」では、新型500X、500、ABARTH 595、ABARTH 124スパイダーをご用意。愛車とは違う“気になる”モデルに乗り込み、富士山パーキングの周りを15分ほどのミニドライブ体験。500Xを試乗した工藤里志さんは、「乗り心地がいいし、高級感もありますね。アバルトオーナーなのですが、アウトドアを楽しむためにこれも欲しいですね」と大満足の様子でした。 フィナーレに向け、さらにボルテージはアップ! フィナーレに向けてますます会場のボルテージは上がってきます。すっかりおなじみになった「フィアットダンス」の時間です。今回はよしおにいさんによる、とってもわかりやすいレクチャーもあり、ハンドルを回す動きなどフィアット車でのドライブをイメージしたダンスをみんなで踊ります。雨が降っていることなんてすっかり忘れてしまいました。  そして、いよいよ閉会式。これまたすっかりおなじみの、バースデーソング(イタリア語バージョン)の大合唱タイムです。7月4日の500のお誕生日をみんなでお祝いします。  […]

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