fiat magazine ciao!

#500

Vol016_pix01_ttl
LIFESTYLE

オーナー紹介〜FIAT 500に乗って、友達とジェラートが待つ八ヶ岳へ

文=友永文博 写真=太田隆生   きっかけは北海道行きの船の上 8月最後の週末、緑の高原の中、駐車場に停まった赤い500が遠くからでもよく映えます。「僕が塩原さんと初めて会ったのは、2台のバイクで妻と北海道へツーリングに向かう船上でした」。そう語るのが、先の500の持ち主・鈴木岳比古さん。同じテーブルに座る塩原幸彦さんも「僕も同様に友人とツーリングに出かけるところだったんです。30時間以上の船旅ではやることも少なく、自然と意気投合しました」と笑います。     場所を変えながら、30年を超えて続く交流 鈴木さんは塩原さんより10歳上。しかしそんな年齢差を感じさせないフラットなやり取りが印象的です。今では塩原さんの2人の娘さんも含めた家族ぐるみ、30年以上のお付き合いとか。その間、鈴木さん夫妻はずっと東京近郊住まい。一方、塩原さんは長野、上海、現在は青森県に単身赴任と仕事の関係で転居続き。この日、お2人が会っていたのは、塩原さんの幼馴染・横内洋祐さんが3年前に始めた八ヶ岳で人気のジェラート店『八ヶ岳Sereno』です。2組の家族は時に国を隔てても、行き来をずっと継続。今年会うのはGW以来の2度目、前回もこの場所だったと言います。     「目的があって予定を立てて、会っているわけじゃないんです。以前も奥様の石川の実家に帰る途中、高速道路のSAで落ち合ってお茶しただけ、ということも。この店ができて鈴木さんとも随分会いやすくなりました」と塩原さん。「スキーやキャンプにご一緒したり、諏訪の御柱祭りに参加させてもらったり、塩原さんは僕の遊びの先輩です。最近は、ジェラートを食べながらたわいない話を2、3時間して『じゃあ、また』って別れる場合がほとんどですね」と鈴木さん。「2次会はないのですか?」と尋ねると「ないですよ。また会えますから」。そしてこう続けます。「先々週も家内とここで数時間を過ごしました。好きなジェラートを食べるためだけに、わざわざ500を運転してやって来るのも楽しいもの。オーナーの横内さんからは『ずいぶん贅沢なジェラートですね』って笑われますが」。     音響メーカーのデザイナーだった鈴木さんは早めに会社をやめ、フリーでプロダクトデザインを手がけたり、多彩な趣味に力を注いだり。また乗り物はバイクから車へシフト。基本的に小回りの効く小型車を乗り継いできました。そして還暦を前にした6年前、ラッキーカラーの赤い車を探していて見つけたのが、この限定マジェンタカラーの500。即断で購入したそうです。以来、自分の仕事のわがままを快く許してくれた奥様・眞喜江さんと、好きなとき大切な人たちに会うために、なくてはならない相棒に。さらに、気分転換のためのもう一つのプライベートスペースでもあります。鈴木さん曰く「車中ではiPhoneにダウンロードしたジャズかビートルズの曲をよく聴いています。今は500のない生活は考えられないですね」。     『八ヶ岳Sereno』から小渕沢の『Wood note』へ しばらくすると『八ヶ岳Sereno』に鈴木さんの奥様の実弟、中川喜文さん夫妻が合流(なんと石川県の自宅からドライブ!)。大勢の笑い声が聞こえてきます。ただ鈴木さん夫妻には、もう1カ所、久しぶりに顔を出したい場所があるようです。塩原さんたちに別れを告げ、2人は小淵沢方面に向かいました。行き先は、友人の加藤成彦さん夫妻が営む家具工房とカフェを併設した『Wood note』。自作の素敵なウッドテラスに立って、加藤さんが鈴木さん夫妻をにこやかに迎えます。     東京で電機メーカーの広報・宣伝を長く担当された加藤さんは、前から決めていた通り55歳で早期リタイア。飛騨高山の木工の専門学校で2年間の寮生活を送りながら技術を取得。今はこの小淵沢へ居を移し、木工家具の注文製作を行っています。鈴木さんとは共通の複数の友人を通して知り合ったのだとか。「なぜか八ヶ岳周辺に友人が多く集まるんですよ」と鈴木さん。     昨年の正月に見舞われたハプニング 実は鈴木さんと加藤さんには、忘れられない出来事があります。それは昨年の正月2日。いつものように『八ヶ岳Sereno』を訪ねた帰途、ここ小淵沢で突然、鈴木さんが運転する500に不具合が。東京まで戻れるか不安だし、どこもクローズだしということで、急遽、加藤さんに電話。加藤さん宅までなんとか走らせて、修理業者が引き取りに来るまで預かってもらったのだそうです。 「息子さんたちも帰省しているご家庭に突如お邪魔して、おせち料理までご馳走に。正月のハプニングにも嫌な顔一つせず受け入れてくださった加藤さんに本当に感謝です」。そんな鈴木さんの話を、加藤さんがニコニコしながら聞いています。 ほどなくして、先ほど一緒だった鈴木さんの奥様の弟さん夫婦も到着。3家族の楽しい語らいが始まりました。     愛車のドアは3枚までがいい 気のおけない友人や好きな場所へと向かうため、距離など気にせず愛車を運転。ごく自然体でいながらも、そんな愛情あふれる、好奇心旺盛な日常を送る鈴木さん夫妻。塩原さん曰く「何をするわけではなく、一緒にいるのがとても心地いいんです。だから皆さん、お2人に会いたくなるんじゃないでしょうか」。 「実は500に乗る前に10年間、初めて4ドアの車に乗っていました。でもこの500に乗って、僕のクルマのドアはやっぱり3枚まで、“2ドアハッチ”がいいなあと改めて実感。そんな走る楽しみをもう一度、思い出させてくれたのがこの車なんです」と鈴木さん。隔たる距離を物ともしないタフな相棒、赤い500を伴ってのロングドライブはまだまだ続きそうです。       『八ヶ岳Sereno』 毎朝手作りされるジェラートは通常9種ほど。隣の堀内ファームの高原野菜や近隣の果樹園の果実などをふんだんに使用。その味わい深さとさっぱりした後味が評判に。今の季節は「ぶどう」「洋ナシ」「カボチャ」のほか、こだわりの低温殺菌牛乳を使用した自信作「搾りたて牛乳」などがオススメ。軽食・喫茶も可能。   SHOP DATA 店名 『八ヶ岳Sereno』 住所 長野県茅野市玉川11398-291 若葉台団地上エコーライン沿い 電話番号 0266-75-1013 営業時間 10:00〜17:00 定休日 火・水曜(1月〜4月中旬は土・日曜のみ営業、7月20日〜8月末は水曜のみ休) Webサイト https://www.facebook.com/yatsugatake.sereno/ […]

Vol019_pix01_ttl
LIFESTYLE

オーナー紹介〜「ルパン三世」作画監督が語る、相棒FIAT 500との秘密

文=髙橋 勝也 取材協力=叶 精二   アニメーター、そして作画監督として、長きにわたり日本のアニメーション界をけん引している大塚康生さん。 数え切れないほど手がけた作品の中でも、特に有名な作品のひとつが「ルパン三世」。 大塚さんが作画監督として手がけた映画「ルパン三世 カリオストロの城」で500が大活躍するシーンは、フィアットファンにとって特別な場面といえるでしょう。 自身もフィアットファンである大塚さんに、かつての愛車Nuova 500との思い出のカーライフを語っていただきました。   初めての500は、日本第1号車 アニメーション業界やファンの間で、無類のクルマ好きとして知られる大塚康生さん。そんな大塚さんが初めてフィアットオーナーになったのは、55年以上前のこと。 「若い頃、某国産車に乗っていました。ある時、馴染みのセールスマンから『今度、フィアット 500を取り扱うことになったんです』と聞き、実車を見る前に予約しました(笑)。購入の決め手は、デザインのかわいさとルーフがオープンになること。あと、大好きなリアエンジンだったことですね」。そして、大塚さんから驚きの発言が。「そのセールスマンが言うには、僕が初めて乗った500は日本輸入第1号車。つまり、僕が日本初の500オーナーみたいなんです」。 「いままでに乗ったクルマの中で、500が一番楽しかった!」と語る大塚さん。ホワイト、クリーム色、水色と3台乗り継ぐほど、500の魅力にのめり込んだそうです。     500といっしょに、日本各地をドライブ 「500とは、本当にたくさん遊びましたね」と笑顔で語る大塚さん。 日本各地を500で旅したことは、いまでも忘れられない楽しい思い出で、なかでも一番印象に残っているのは、九州へ行ったことだとか。「当時は、まだ高速道路も完備されていなかったので、東京の自宅から九州まで、ずっと下道でドライブしました。毛布を1枚載せて、車中泊をしながら何日もかけて旅行をしたことは、いまでもいい思い出です」。 そんな楽しい旅の中、フィアットオーナーならではのハートフルな出逢いもあったよう。「行く先々での、人との出逢いも楽しかったですね。その頃、日本にほとんど500が走っていなかったこともあって、声をかけてくる人が多かったですね。すぐに、意気投合したりして。ヒッチハイカーの高校生を乗せて、ドライブしたこともありましたよ」。 人と人との出逢いを生む。そんなフィアットの個性は、いまも昔も変わらないようです。         作品に描く、クルマ選びのポイント 仕事場まで、愛車の500で通っていた大塚さん。名作『ルパン三世 カリオストロの城』に登場する500は、常に愛車がそばにある環境の中で描かれたそうです。 「スタジオの窓から見えるところに500を停めていたこともあって、スタッフみんなで僕の愛車を見ながらスケッチをしていましたね。当時、僕の500は薄い水色だったんです。ルパン三世の500を黄色にしたのは・・・思いつきですかね(笑)」。日本のアニメーションにおいて、自動車の個性やモデルの特徴を初めて描き分けた草分け的な作品と言われている「ルパン三世」。 細部までこだわって、クルマを描いてきた大塚さんに、車種の選び方のポイントについて聞いてみました。「大切なのは、シンプルな形で描きやすいこと。そして、特徴的でキャッチーなことです。そういった意味でも個性的な500は、作品に描くのにピッタリでした」。 ときにスピーディーに、ときにコミカルに。まるで生き物のように走り回るアニメーションの中の500には、500の陽気な個性と大塚さんの楽しい経験が、たっぷりと活かされているのでしょう。         アニメーションの制作においても、そしてプライベートにおいても、大塚さんにとって欠かせない存在となった500。 インタビュー当日は、奇しくもフィアットの創立記念日である7月11日。しかも、その日は大塚さんの86歳の誕生日でした。そんな記念の日に、いまも愛してやまない500との思い出をにこやかに語る大塚さんの瞳は、まるで少年のようにキラキラと輝いていました。           大塚 康生 Yasuo Ohtsuka 1931年生まれ。アニメーター・作画監督。日本初のカラー長編アニメーション映画『白蛇伝』で動画・原画、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)で作画監督を務めた。『ムーミン』『ルパン三世』映画 『ルパン三世 カリオストロの城』『未来少年コナン』『じゃりン子チエ』などで作画監督を歴任。 50 年以上にわたり制作スタジオや専門学校で後進の指導を担い、高畑勲氏、宮崎駿氏を筆頭に幾多の人材を育成した。おもな著書に『作画汗まみれ』(徳間書店、文春文庫)、『大塚康生の機関車少年だったころ』(クラッセ)、『王と鳥 スタジオジブリの原点』(大月書店、高畑勲氏・叶精二氏らと共著)ほか。 自動車をこよなく愛しており、これまでに3台の『500』を所有。ルパン三世での500の活躍は、自身の体験に基づくところも多い。その他、フィアット車では『850』のオーナーとなったこともある。 […]

Vol011_pix01_ttl
CULTURE

生誕60周年! Nuova 500がイタリアで記念切手に!

文・大矢アキオ Akio Lorenzo OYA (イタリア文化コメンテーター)   2017年7月4日、フィアットNuova 500(チンクエチェント)が誕生60周年を迎えた。 1957年から1975年まで18年にわたり、400万台以上が造られたモデルである。ゆえに、今も世界でイタリアを語る際のアイコンとなっている。 故郷イタリアでは、ほとんどの人がNuova 500(イタリア人の多くは愛称でチンクイーノと呼ぶ)との思い出がある。60歳以上なら、少なくとも一度は所有もしくは運転したことがあるという人が大半を占める。     筆者の知人マリオ&ロザンナ夫妻もしかり。初期型の価格は49万リラで、平均的労働者の月給の10倍以上だった。若い頃買うのは大変だったのでは? そんな質問に対して彼らは「あの頃は毎年お給料が増えていったから、まったく心配なかった」と振り返る。“奇跡”といわれた戦後イタリア経済の活況を彷彿とさせる話である。 同じく知人のピエロ&ヌンツィア夫妻は、ミラノで交際していた時代、Nuova 500を各自持っていたと振り返る。「当時ミラノは、ナンバープレートの数字が偶数か奇数かで、走れる車の量をコントロールしていたのよ。運良く私のチンクイーノのナンバーは偶数、彼のは奇数だったから、毎日二人で走れたわ」とヌンツィアさんは笑う。     今もNuova 500を毎日の足とする人もたびたび見かける。調査によると、イタリアでは今も38万8千台以上が現存している。街を走れば誰もが微笑むそのキャラクターだけが理由ではない。2970✕1320mmという極めて小柄なボディゆえ、歴史的旧市街にある古い馬小屋を改造したガレージにも収まってしまうのである。自家製生ハムやワインの樽に埋もれるようにしてNuova 500が眠っている光景も、よく目にする。 加えて、イタリアでは30年以上前に生産され、かつオリジナル・コンディションが維持されている車は、自動車税免除という“おまけ”もついてくる。     若い世代もNuova 500が大好きだ。現行500の人気に反応するかたちで、納屋に眠っていた車を引っ張り出して、復元を試みる若者が現れるようになった。 この地では結婚式に新郎新婦が洒落た車に乗って教会に乗りつけるのがおきまりだが、レストア完了したNuova 500にリボンで飾ってやってくる光景も近年目撃するようになった。かつてのポピュラーカーが晴れの日の車にとは、あっぱれではないか。     しかし、Nuova 500による最大の功績を忘れてはいけない。 イタリアでは多くの地域で、人々は中世に起源を遡る城壁内と、その周囲で生活が完結していた。城壁の中で生まれ、学び、結婚し、働いていたのである。 それは筆者が住むシエナで、11世紀末に起源を遡る病院の建物が、第二次大戦後まで同じ場所で同じ機能を果たしていたことからもわかる。 彼らの生活に劇的な変化をもたらしたのは、1950-60年代に訪れたモータリゼーションと、その主役であるNuova 500であった。     人々はNuova 500に乗って城壁を飛び出し、隣の町や村へいつでも楽に移動できるようになった。 自由な移動は、郊外住宅や商業施設、さらには工場の建設も加速させた。これだけ多くの人々が一斉に城壁の外で暮らし始めたのは中世以来の出来事だ。 週末のピクニックや、夏や冬のヴァカンスなど、レジャーという習慣も誕生した。 それを陰で支えたNuova 500は、イタリアの歴史を変えたといっても過言ではない。     誕生60周年に際してイタリアのテレビ各局は、連日ニュースのヘッドラインで紹介し、主要新聞も軒並み文化欄に大きなページを割いた。 さらにイタリア郵便も。現行500のシルエットにNuova 500を重ねた、粋なデザインの記念切手だ。上部にはイタリア国旗のトリコローレが走る。     Nuova 500は、単なる生活の道具や車ではない。イタリアにおける20世紀の誇りなのである。 […]

Vol018_pix01_ttl
LIFESTYLE

湘南ライフに寄り添うFIATの魅力を再発見!

文=友永文博 写真=加瀬健太郎   「湘南Fes」X FIATのコラボレーションが実現 車好きが『T-SITE』に集まって自慢の愛車を披露したり、親交を深めたり、といったユニークなイベントが「モーニングクルーズ」。その第41回目、湘南の魅力を発信する新たな試み「湘南Fes」の一環でもある今回はFIATが協賛。「イタリアの小さなクルマ」をテーマに8月6日に『湘南T-SITE』で実施されました。イベント当日は早朝からFIATその他の、新旧多彩なクルマが続々集合。そのラインアップは最新モデルから、ファンが見惚れるほどの貴重なヴィンテージカーまで! やはり湘南開催ならではの、こだわりあふれるユニークな車が多い印象。集まった方々は、気の合う仲間を見つけて車談義を楽しんだり、憧れの車に見入ったり、思い思い自由にイベントを楽しんでいました。     「モーニングクルーズ」には“イタリアの小さな名車”が大集合! そして会場内でもひと際目を引いた一台が、クリームイエローのボディに赤いレザーシートの71年式の500。奥様と2人で訪れていたオーナーの鈴木明さんはカジュアルな休日の装いながら、センスを感じさせる素敵なスタイル。またグラマラスなオープンのバルケッタで参加した山崎雄さんは500、ABARTH、ABARTHと乗り継いできた生粋のFIATファン。そんなモーターライフを満喫している大勢の方々が集まった会場は、とてもハッピーで和やかな雰囲気に!               500の最新モデルを体感できる試乗会も併催 輝かしい伝統を次世代に引き継ぎつつ、絶妙なアップデートを果たしてきたFIAT 500。来場された多くの人に、その最新モデルも気軽に体験していただきたいと、当日は車両展示と一緒に試乗会も実施。500と500Xの2台を揃え、スタッフが同乗して細やかな説明も受けられるとあって、一組20分間隔の予約枠は数時間先まで絶えず満杯に。目立ったのは、小さな子ども連れのファミリーの皆さん。同じ500をご主人と奥様と別々に、それぞれじっくり乗り心地を確かめたり、奥様が積極的に500と500Xの2台のハンドルを握ったりと、女性ドライバーからの関心も高いよう。それぞれ快晴下、気持のちいい湘南ドライブを楽しんでいました。そして充実した試乗を満喫した後は、書店ほか施設内の個性派ショップを巡ったり、ブック&カフェでお茶をしたり、アンケートに答えた方に進呈されるランチプレート券を利用して昼食をとったり……リラックスした湘南のウィークエンドを誰もが満喫。           トータルに魅せる、FIATのある湘南ライフ 今回は実車を使ったイベントのほかにも、FIATと湘南で暮らすことで、より楽しい毎日が送れることを想像していただきたいと、本があふれるスタイリッシュな館内3カ所で、FIATのスペシャルコーナーを設置。「湘南アクティブライフ」「湘南NEW STYLE」「湘南スローライフ」の3つのスタイル別に、それぞれオリジナルポスターとその日常の一コマを表現したジオラマのほか、関連するFIATオフィシャルグッズや書籍を集めてトータルに展開。FIATを相棒とした、湘南にぴったりの憧れのライフスタイルを身近に感じられる仕掛けも。 もちろん車両展示スペースに関しても地元の造園会社、湘南グリーンサービスに特別に依頼。自然と車が共存する、ピースフルなムードがいっぱいのモダンなガーデンガレージを提案いただきました。           『湘南T-SITE』の多彩なコンテンツを存分に生かしながら、FIATのある魅力的な湘南ライフを間近に感じることができた今回のイベント。さまざまな地域の魅力とFIATと共に暮らす楽しみ——それを皆さんの近くでも、提案できる機会をこれから作っていきたい、と思っています。 […]

Vol022_pix01_ttl
LIFESTYLE

オーナー紹介〜詩人・谷川俊太郎さんが語る「クルマへの愛」

文=和田紀子 写真=加瀬健太郎   フィアット500のために書き下ろした詩 500の10年目の誕生日を祝って、500のオーナーでもある谷川俊太郎さんから、なんとオリジナルの詩のプレゼントが! それが以下に掲載させていただいたもの。人間と同じように感情を持った500と家族との物語が目に浮かぶようで、本当に素敵ですね。そこで本日は、谷川さんと車のこと、あれこれもう少し伺いたくて、杉並にあるご自宅を訪問しました。     谷川さんの車ヒストリー 幼稚園の頃から車が好きで、自分の車を持つのが夢だったという谷川俊太郎さん。 「一番最初に買った車がシトロエンの2CV。その後、モーリスのオックスフォードのワゴン、モーリス1100とイギリス車を乗り継いで、そろそろ気分を変えてイタリア車に乗ってみようかと購入したのが、フィアット1100でした。中古で、確か薄いブルーみたいな色だったかな。それが1960年代の東京オリンピック前後くらい」   ——フィアットのどんなところが気に入ったのでしょうか? 「全体にアルミっぽくて軽かったの。あとはキビキビした走りの感じがすごくよくて、それが僕の中でのイタリア車の印象になっているんです。なんだか温かくて人間味があって、イタリアの国の感じがイタリア車には出ていますよね」     そして再びフィアットへ その後は「僕、浮気症だから」と国産車をはじめ、さまざまな車を乗り継いで、再びフィアットに戻ってきたのが90年代。 「Puntoのカブリオレでした。当時はまだトップが電動で開くタイプが珍しかったんです。その後、もう2台Puntoに乗って、2台目はオートマティックのミッションがすごく良くて気に入っていたんですが、だんだん年を取ってくると、車は小さいほうが楽だっていうので、5~6年前に今の500に買い替えました。“ワカモレ”という名前で売り出された限定車で150台しかなくて。僕、アボカドが好きなもんだから、そういうのもあって、なんとなく買っちゃったんです」   ——乗り心地はいかがですか? 「オートマなんだけどシングルクラッチだから自分で操作している感じがあって、それがけっこう気持ちがいいのね。あとは水を冷やすファンが付いていないのかな? っていうくらい静かで、おとなしいのもすごく気に入っているところです」     車って自由。だから新しい発見がある 現在は、都内での移動はもっぱら地下鉄で、車に乗るのは、北軽井沢にある山の家に行くときくらいだそう。約160㎞の道のりを、休憩を一回挟んで約2時間かけて運転していきます。   ——谷川さんにとっての車とは、そうした「目的地への移動」や「移動手段」以外に、どんな意味があるのでしょうか? 「まず基本的には『個人の移動の自由』というのがありますね。鉄道やバスといった公共の交通手段は、他人といっしょくたで、時間も決まってしまっています。でも車なら、思い立ったらいつでもどこへでも出かけられる。しかも、韓国の釜山と九州の間にフェリーがあれば、ヨーロッパまで車で行けるかもしれない……。そして、車が走っていくというのは、風景をパーンしているわけです。スピードに合わせて、風景がどんどん切り変わっていくのがすごく気持ちがいい。それが僕の書く詩にも影響しているんじゃないかと思います。風景が流れていったり、突如として違う風景が現れたりする。そういう経験は歩いていてはできない、車ならではのものだと思いますね。そんなふうに流れていく風景の中で音楽を聴くと、部屋の中で座って音楽を聴くのとでは、まったく違ったものに聴こえます。音楽を聴く場所としての車というのが僕は好きなんですね。聴くのはもっぱらクラシック。カーステレオがなかった時代から、ポータブルのラジオをぶら下げて、運転しながら音楽を聴いていました」     ——車の中を自分の部屋のようにカスタマイズしたりするのでしょうか? 「そういう趣味は全然ないですね。ただ、以前アメリカに朗読旅行に行ったとき、僕の詩の翻訳者であるアメリカ人の車に乗せてもらったら、それがワーゲンのワゴンで、なんと掘り炬燵がついていたんです。そこでみんなで喋ったり、ご飯を食べたり。それはすごく楽しかったんだけど、僕にとって車というのは、できるだけシンプルで機能本位なものであってほしい。だからフィアットが好きなんです。スピードも正直どうでもよくて、デザインのほうに惹かれます。それも、メカとしてよりも、パッケージとしてのデザイン。そういう意味では、実は今、一番興味があるのが軽自動車なんです。ギリギリの空間をいかに有効活用するか、非常によく考えられている。ああいうミニマルな世界というのはすごく日本に合っていると思います」   ——500の空間についてはどうですか? 「ちょうどいいですね。若い頃は大荷物で移動することもあったけど、今はどんどん物を少なくしていきたい。断捨離です。なので、あのくらいで全然満足。今の自分の年齢と暮らしにすごくフィットしていると思います。年を取ると欲がなくなります。もういい車を欲しいとも思わない。今は死ぬまで500に乗ろうみたいな感じです。こちらから免許を返納するつもりは全然ありませんから(笑)」       Shuntaro Tanikawa 1931年東京生まれ。詩人。1952年第1詩集『二十億光年の孤独』を刊行。1962年「月火水木金土日の歌」で第4回日本レコード大賞作詞賞、1975年『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞、1982年『日々の地図』で第34回読売文学賞、1993年『世間知ラズ』で第1回萩原朔太郎賞、2010年『トロムソコラージュ』で第1回鮎川信夫賞など、受賞・著書多数。「Punto」をはじめフィアット車を長く乗り継ぐ。現在の愛車はアボカドグリーンがさわやかな「500 ワカモレ」。 […]

NEWS

イタリアの魅力に触れる「イタリア・アモーレ・ミオ!」

文=友永文博 写真=太田隆生   六本木ヒルズが再びイタリア色に染まった2日間 昨年、イタリアと日本の国交樹立150周年を記念して初めて行われた2日間のフェスティバル「イタリア・アモーレ・ミオ!」。会場となった六本木ヒルズにイタリアのトップブランドが集結、その魅力を間近に体験できたほか、アーティストたちがパフォーマンスやコンサートを繰り広げ、多くの人々を魅了しました。その人気イベントが大好評のため、舞台を同じくして今年も開催。当日の5月20日(土)、21日(日)は天気にも恵まれ、昨年同様、大きな盛り上がりを見せました。     2台の個性際立つ展示が人気だったフィアット&アバルト フィアットも昨年に続きこのイベントに参加、六本木ヒルズ2階の大屋根プラザにブースを展開しました。今回は“One Soul, Two Roads”のコンセプトのもと、FIAT 500とABARTH 595を並べて展示。同一のボディとシャシーを用いながらも、シティ・コミューターとレース対応も可能な高性能車という、コンセプトの異なる2つの車の魅力をアピールしようという試みです。     期間中は、イタリア車ならではのチャーミングな外見とともに、対照的な個性を際立たせる展示スタイルにも注目が集まり、来場者が続々。老若男女、国籍も多様な人々がブースを訪れました。そして、それぞれ熱心にスタッフに質問したり、自らiPadを操作してスペックを確認したり。また大部分が展示車両のシートに体を預け、そのファッショナブルな空間とハンドルを握ったときのワクワクする感覚を存分に楽しんでいたよう。中には、さっそく試乗の予約を取り付けたファンまでも! 誰もがつかの間のドラマティックな体験を満喫し、ハッピーな笑顔でブースを後にしていました。     吉本ばななさんのトークショーでイタリアの美しさを再認識 また20日の17時からは、作家の吉本ばななさんが登場。『ヒルズカフェ』でトークショーが開かれました。吉本さんの作品の多くはイタリア語に翻訳・出版され、現地でも大人気。そんな作家の目に映った「イタリアについてぜひ話を聞いてみたい」と会場は満員に。FCAジャパンのマーケティング本部長ティツィアナ・アランプレセがインタビュー役となり、子どもの頃から大好きだったという日本の漫画や映画監督ダリオ・アルジェントから、翻訳者ジョルジョ・アミトラーノさんたちと一緒に巡ったトスカーナやシチリアの旅の思い出まで、幅広い話題について語っていただきました。     さらには、この日のために書き下ろしたという「イタリアがくれたもの」という短いエッセイを自身で朗読。そこで紡がれていたのは、吉本さん曰く「形容詞がいくらあっても足りない」ほどのイタリアの美しさを描いた、詩的で少しセンチメンタルな言葉の数々。それらは空間を共有する聴衆の心を一瞬で魅了し、インタビュアーのティツィアナも「思わず涙が出てしまった」と感動するほどでした。 またトークショーの最後に設けられた吉本さんへの質問コーナーでは、会場から「一番心に残っているイタリアの思い出は?」との問いが。それに対して「一つに決めるのは本当に悩ましいけれど、あえて選ぶならサルデーニャ。あの柔らかい光で映し出される夕刻の海辺や花が咲き乱れる山々など、移動中の車窓から見た景色やシーフード料理の美味しさは今でも忘れられません」と回答した吉本さん。とても印象的なイベントの締めくくりとなりました。     来年の再会を願って。CIAO TUTTI! 今年の「イタリア・アモーレ・ミオ!」にも、イタリアから歌姫ARISAやピアニストのマウリツィオ・マストリーニなど多彩なアーティストがゲストとして参加。コンサートやパフォーマンスを披露してくれました。まさに誰もが忘れられない思い出を刻んだ2日間。イタリアの陽気でエネルギッシュな魅力をいっぱいに浴び、訪れた来場者はもちろん、ゲストや主催者側のスタッフまでも一緒になって、夢のような時間を楽しんでいました。今年も大成功に終わったこのイベント、来年も絶対に戻ってきてもらいたいですね。     […]

NEWS

海の“青”をまとった500でたどる、ジャック・マイヨールの足跡

フィアットの限定車『500 MareBlu(マーレ ブル)』。美しく澄んだ青色は、海の水面が織りなす“青”から生まれました。また80年代の世界的名作である映画『グラン・ブルー』にも、実はゆかりがあるのです。   海からインスピレーションを受けた限定車“マーレ ブル”   藍や紺、ネイビー、コバルト、セルリアン、群青。“青”とひと口にいっても、その色彩はさまざまであり複雑です。たとえば頭上に広がる空の色にも、じっと目をこらせば濃淡があることに気付く。昨日見上げた空と今日の空も、けっして同じ青色ではないはずです。     青(ブルー)——この色から、あなたは何をイメージしますか? このたびフィアットでは限定車『500 MareBlu(マーレ ブル)』を発売します。海を連想させるこの深淵な青、映画『グラン・ブルー』の青に通ずるところがあります。     青に魅せられた世界的ダイバー、ジャック・マイヨール   1988年公開の映画『グラン・ブルー(Le Grand Bleu)』は、世界新記録を次々に塗りかえてゆく天才的な潜水能力をもった、実在するダイバーの半生を描いた作品です。 フランス国内の観客動員数は1000万人、パリでは187週連続上映という異例の記録を生んだ本作は世界各地でも反響を呼びます。ハイティーンを中心としたファンを「グラン・ブルー・ジェネレーション(Grand Bleu Generation)」とする造語が生まれるなど、一時は社会現象にもなりました。       作中の主人公であるジャック・マイヨールは、映画公開当時61歳。すでにダイバーの最前線からは引退していましたが、作品がブームとなったことを皮切りに、本の執筆業や国内外のテレビ出演など活動の幅を広げました。 しかし『グラン・ブルー』公開から約20年が過ぎた2001年。彼の生涯は突如、イタリアのエルバ島にて幕を閉じました。     フランスで生まれたジャックがダイバーを志すことになったのは、ここ日本でのある出来事がきっかけでした。初めて海へ足を運んだ4歳から数年の月日が経ち、10歳の頃に佐賀県の海を訪れたジャック。そこで出あったイルカに大きなインスピレーションを受け、ダイバーの道を歩みはじめます。 世界各地の海を旅するように潜り続けたジャックは、素潜りの世界記録を更新した後に、再び日本と深い関わりをもつこととなりました。その地は東京湾の入口に位置する千葉県の館山市です。     ジャックの愛した館山の海をたずねて ジャックが「国籍の違う弟」と呼び、生涯信頼の絆を結んだ唯一の日本人である成田均(なりたひとし)さんをたずねて、私たちは館山へ向かいました。 二人の出会いは、成田さんが日本代表としてブルーオリンピック(素潜り魚突き世界選手権)に参加した1969年。翌年、成田さんの故郷の秋田へ12日間の素潜りツアーへ誘い出して以来、30年にわたる友情が育まれたといいます。     成田さんは、館山で「シークロップ」というダイビングスクールを営んでいます。ジャックは、鮮やかなサンゴや魚が美しい館山の海をこよなく愛し、来日するたびに成田さんのもとを訪れました。成田さんが提供した古民家は「ジャックス・プレイス」と呼ばれ、最長9か月滞在したとのこと。     館山の最南端にある自然豊かな安房自然村へ案内されました。能忍寺裏手の展望台からは、富士山や伊豆の島々を望む雄大な海景を眺めることができます。5万坪の敷地内には、ホテルや温泉、散策路もあります。 成田さんは現在、ここの山林を舞台にジャックのメッセージを伝える場として、ホモ・デルフィナスの森づくりに取り組んでいます。同時に、かつてジャックとともに語り合った“豊かな海”を取り戻す活動も、精力的に継続しています。     「ジャックは海に潜りながら、生きとし生けるものが支え合い、共存していく姿を、大好きなイルカたちから学んでいたのだと思います」。ジャックを成田さんはそのように振り返ります。 ホモ・デルフィナスの森からふとふもとを見下ろすと、太陽の光を受けてさまざまな青を帯びる、館山の海が広がっていました。       自然をこよなく慈しみ、イルカから受けたインスピレーションを生涯信じ続けたジャック。彼のメッセージは、今を生きる私たちに遺された特別なものです。 次の休日は千葉県でのんびりと時を過ごすのもいいかもしれません。ジャックを抱いた館山の海が、きっと陽光にきらめいていることでしょう。   […]

Vol023_pix01_ttl
LIFESTYLE

オーナー紹介〜藤トモ的「FIAT 500」のお気に入りポイント

「500(チンクエチェント)」に乗っていると、周りの人からオーナーとしての感想を聞かれることがよくあります。そこで今回は、わたくし藤トモが「500」を所有して満足している点を紹介したいと思います。 取り回しのしやすさや狭い道路での走りやすさなどで人気を集めているコンパクトカー。かくいう私も、コンパクトカーを所有しています。8年前にひと目惚れして購入した「FIAT 500」です。このクルマに乗っていると、知人から「イタリア車ってどうなの?」とか「国産のコンパクトカーと比べてどう?」「やっぱり軽自動車とは違う?」などと聞かれることがあります。そこで今回はそれらを踏まえた個人的な意見として、私が「500」の気に入っている点を紹介したいと思います。     さて、改めて「500」と国産コンパクトカー(軽自動車も含め)の違いを考えてみると、違いは色々ありますが、意外と近い部分も少なくありません。なんといっても日本はコンパクトカー大国。なかでも軽乗用車は、国内乗用車販売の約4割弱を占めるほど。その競争の激しさもあって、低燃費を追求したり、装備や小物入れを充実させたりと、日常の使い勝手を徹底的に磨き込んだ日本ならではのきめ細かな配慮が行き届いているものが多いです。そこに魅力を感じる人は多いと思います。     そこで試しに「500」と軽乗用車でボディサイズを比べてみましょう。まず「500」は全長3.57m×全幅1.625m×全高1.515m。軽乗用車は、規格で定められた最大寸法は全長3.4m以下、幅1.48m以下、高さ2m以下で、全長と全幅は規格の上限ぎりぎりで作られているものが多いです。つまり「500」は、それに比べて17cm長く、幅は15cmほど大きいことになります。それほど大きな差ではないので、取り回しに不満が出ることはないと思います。     次に燃費。生活に直結しますのでクルマを選ぶ上では大切な要素ですね。私も「500」を購入するときに経済性は気に掛けました。現在販売されている「500」のエンジンは1.2リッターと875ccターボエンジンの2タイプで、前者の燃費は19.4km/L、後者は24.0km/L(JC08モード)です。参考までに軽は、いま日本でもっとも売れているモデルで21km/Lから26km/Lほど。ここは両者ともに優秀といえますね。 「500」には、信号待ちで無駄な燃料消費を抑える「START&STOPシステム」が全車に、エコ走行を促す「ECOスイッチ」が875ccターボエンジン車に備わっています。個人的な印象としては、「500」は走りに余裕があることと、実用燃費に加え、長距離移動時の燃費がいいことに満足しています。     では私にとっての「500」のお気に入りポイントを紹介しましょう。速度域の高い高速道路やカントリーロードを走ることも想定して鍛えられた「500」は、カーブや高速道路の車線変更などでも不安定になりにくく、安心感が得られます。この操縦安定性に優れた走りが運転の喜びを与えてくれること。それに、がんばり過ぎないキャラクターというか身の丈感に愛着が湧いてきて、いつの間にか虜にされてしまうのです。     愛嬌満点のキャラクターは周囲からの評判もいいですし、ほんわかした雰囲気のおかげか、乗っている私までフレンドリーに見られることがあるのもうれしいポイント。そうそう、「500」はフレンドリーなオーナーさんが多いので、お友達も随分増えました。また、クルマにあわせて身に付ける服までお洒落にキメたくなってしまうところもあります。そういうことも含めてクルマがオーナーに与えてくれる影響は絶大。私自身もこのクルマを所有して、そうした変化を前向きに楽しむようにしています。     クルマは移動手段として日常を支えるものですが、そうしたなかでも「500」は単なる「便利な乗り物」の域を超え、オーナーに満足感や心の変化を与えてくれるものです。クルマを所有して変わる自分自身。この部分を楽しめるのが「500」の大きな魅力だと感じています。     文 藤島知子 写真 荒川正幸 […]

Vol044_pix01_ttl
NEWS

「Amore FIAT Birthday 2016」千葉県で開催!

2008年の「500(チンクエチェント)」の導入以来、毎年恒例となったバースデーイベント。会場となった千葉県のキャンプ場には今年も多くの人が集まり、さまざまなアクティビティを一緒に楽しみました。 梅雨時であることを忘れさせる快晴の7月3日(日)、今回で9回目となる「500」(チンクエチェント)のバースデーイベント「Amore FIAT Birthday 2016」が 千葉県・市原市のキャンプ場、一番星ヴィレッジで開催されました。     開場となる8時を過ぎると次々とカラフルな「500」が場内に並び始めました。来場者の中には、「500」の2代目モデル「Nuova 500」を一台ずつ乗って来られたご夫婦の姿も。その真っ赤な「Nuova 500」を目の前にし、当時同じモデルを愛車にしていたという年配の男性が 「懐かしい!」と目を細めて眺めていました。     グングン上がる気温とオーナーたちの熱気により、会場があたたまったところで開会式へ。大きな木の下がステージとなり、よしもと芸人のインディアンスさんのMCのもと、FCAジャパン マーケティング本部長 ティツィアナ アランプレセの天気に負けないくらい明るい笑顔と「Amore!」ということばでイベントのスタートとなりました。     ステージプログラムのスペシャルゲストとして登場したのは、ちょうど一年前に「Nuova 500」でイタリアを出発し、ヨーロッパとアジア約14ヶ国を旅してきたというイタリア人のAndreaさんとLucaさん。ふたりは、「チャレンジし続ければ、何でもできる!」という夢を世界中の子どもたちに見せたくて、今回のプロジェクトを実行。「どこの国の人もみな親切で、元気をもらってここまで来られた」と、爽やかに語ってくれました。「Nuova 500」と共に、ふたりも世界中の人たちに愛され、勇気を与えて来たのですね。     この日、「500」のバースデーをお祝いするために集まってくれたフィアットオーナーやファンの皆さまには、たくさんの催しが用意されました。 体を動かしたい人はアクティビティエリアで、ラテン音楽に合わせてダンスをするズンバ体操や、青空の下でヨガをしてリフレッシュ。男の子たちも元気に元Jリーガー、矢野マイケルさんといっしょに元気にサッカーを楽しみました。       ワークショップエリアでは、塗り絵コーナーで女の子たちが「500」や「Panda」に好きな色を塗りながら、おしゃべりに夢中に。また、パスタブランド“Barilla”のブースでは、大人も子どもも集中してパスタをフォトフレームにくっつけ、オリジナルの作品を作って楽しみました。     “Share with FIAT”ご紹介コーナーでは、病気の子どもたちにわくわくする時間を提供しているNPO法人スマイリングホスピタルジャパン提供のストリートパフォーマンスが開催。大道芸人によるユーモア溢れるショーに、子どもたちも大喜び。そして行き場を失った多くの動物に安心して暮らせる避難所(シェルター)を提供するNPO法人ARKがワンちゃんと一緒に、その活動内容を紹介していました。       フードエリアでは、“ツジ・キカイ”によるイタリアンピッツァづくり教室が開催され、本格釜で焼いた手作りのマルゲリータを美味しそうに頬張る人たちの姿が見られました。       会場の端に建てられた可愛らしい丸太小屋では、昨年に引き続き、イタリアエスプレッソ協会公認のバリスタ中川直也さんが、本場ナポリ「KIMBO(キンボ)」のエスプレッソコーヒーを淹れてくれました。「砂糖をめいっぱい入れて、チョコレートのようにして飲むのがイタリアンスタイル」なのだそう。小屋の中では、募金をすると、“SHOP ITALIA”のオリーブオイルや、トマトソースなどのイタリア食材を進呈してくれます。KINBOのエスプレッソと、SHOP ITALIAで集めた募金は、FIATの社会貢献活動“Share with FIAT”コラボレーション団体として、この日参加してくれたNPO法人スマイリングホスピタルジャパンと、NPO法人ARKへ寄付されるとのこと。美味しいコーヒーやイタリアの食材をいただいて募金ができるなんて“あい”のある、フィアットのイベントらしい発想ですね。     思わずワインが飲みたくなる、イタリアンなお惣菜がたくさん詰まった“エリオ”プロデュースによるランチボックスを楽しんでいると、ステージから何やら心地良い音楽が聴こえてきました。DJ AMIGAさんに続き、ファンクバンド“K-106”さんによるライブパフォーマンスが始まったようです。木の下のステージを見上げ、芝生のフロアで気持ちよさそうに体を揺らして音楽を楽しんでいる人たちの姿がありました。       […]

1 10 11 12 13 14