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#500

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シンプルだけどほったらかしじゃない。人に優しいクルマ|FIATオーナー紹介

『Panda』のラゲッジルームに折り畳み自転車を積んで、出掛けることもあるという瀧川徹(たきかわ・とおる)さん。以前は、『500 TwinAir』にお乗りで、『Panda』でフィアットは2台目とのこと。そんな瀧川さんに、フィアットとの出会いや趣味にも大活躍の『Panda』との過ごし方について、自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。   自転車を積み込んで出掛けるときの『Panda』の使いやすさ それがどの街であれ、イタリアの街角に立ってグルリと周りを見渡すと、少なくとも1台や2台は『Panda(パンダ)』の姿が目に入ってきます。それもそのはず、『Panda』はイタリアで最も売れているクルマ。3代目にあたる現行のモデルのデータだけを見ても、2022年ではすべての月で販売台数はトップ、それも2位に大差をつけての記録です。デビューから10年以上が経過していることを考えたら、それは驚異的というべきこと。そして同時に“代わりになるクルマがない”ということの証でもあるのでしょう。 一体、なぜそれほどまでに『Panda』が支持されているのか。今回お話を伺った瀧川徹さんの言葉に、その理由がつまっているように感じました。     瀧川さんは奥さまとふたり暮らしの、ご職業はシステムエンジニア。2021年に『500(チンクエチェント)』から『Panda』に乗り換えたとのこと。それ以前は国産車に6年、ドイツ車に7年、英国ブランドのクルマに12年、そしてフィアットへと、輸入車を乗り継いでこられました。まずはフィアットとの出逢いから伺いました。 「私たち夫婦は小学校、中学校のときの同級生なんですけど、18〜19歳の頃にふたりで話しているときに、四角い初代の『Panda』で盛り上がったことがあったんですよ。でも、若い頃はイタリア車に乗ることがあまり現実的に思えなかったんです。そんなこともあって別のクルマに乗ってきたんですけど、フィアットの前のクルマに12年乗って、そこから先のメンテナンスや部品のことを考えて乗り換えを意識しはじめた頃、実際のところ『Panda』はどうなんだろうね?ってことでフィアットのショールームに行ったんです」   ▲瀧川徹さん   ところがそこで購入したのは、『Panda』じゃなくて『500』だったんですよね? 「そうなんです(笑)。奥さんの好みで、やっぱり『500』のデザインがいい、と。うちの場合、クルマは奥さんの好みで選んで、私が試乗をして決める感じなんです。はじめてのイタリア車だったので、メンテナンスのことなど少し心配していたところもあったんですけど、ディーラーの方にいろいろと訊ねて教えていただいて、納得して買い換えました。2017年のことでしたね」 『500』はどうでしたか? 「実はそれまで乗っていたクルマの最新型の購入も考えていたんですけど、ボディサイズが大きくなっちゃって、自分たちに合った大きさではないとか、感覚からズレちゃってたんです。それで国産車も含めていろいろ試乗もしたんですけど、やっぱり見た目が気に入らないと愛せないですよね。『500』は、ボディサイズもデザインもいい。それにツインエア エンジンも楽しいから、ずっと乗り続けていくつもりでいたんですよ。私たちは気に入ったものとは長く付き合いたいタイプなので、10年以上乗ろうって思っていたくらいでした。すごく気に入って乗っていたんです」 なのに、『Panda』に乗り換えられたのはなぜですか?   ▲『Panda』   「1回目の車検のときに奥さんといっしょにショールームに行ったら、『Panda』があるんですけどちょっと乗ってみませんか?って、勧められるがままに『Panda』に試乗しちゃったんです。『500』が気に入っていたから、買い替える気もない状態で(笑)。クルマの印象がすごくよかったから、はじめはいずれ乗り換えてもいいかもしれないね、ぐらいの話だったんです。でも世の中の状況が変わってきて、好きなクルマに乗るのもだんだん難しくなっていきそうだし、純粋なガソリンエンジン車もどんどん少なくなってきてる。加えて、コロナ渦に入ってからクルマの入荷が鈍くなる。そこでしばらくは好きな『500』を次の車検を通すか、その前に『Panda』に乗り換えるかで悩んでいたんですけど、今のタイミングを逃したら次に入荷する予定が見えなくなりそうと聞いて、最後の最後にふんぎりをつけました。乗り換えたのは2021年で、それから2年経って、今、走行距離は1万5,000〜6,000km。乗り換えたのは結果的には正解だったと思っています」     どんなところが正解だったんでしょう? 「自転車をクルマに積み込んで出掛けるときの、『Panda』の使いやすさです。例えば、私はカメラを肩から下げてポタリングをするのが趣味なんです。自宅から出発して近所を走ることもあるし、折り畳んだ自転車をかついで電車で遠くまで行って走ることもあります。また、クルマに積んで出掛けることも結構あるんです。週末になると、どこかしらを走っている感じですね。これは『Panda』や『500』に乗るずっと前からの趣味で、20〜30kmくらい走るときもあるし、思いのままに写真を撮りながら、どこにでも行っちゃうんですよ(笑)。目的地というよりもそこに至るまでのプロセスを楽しみたくて、ポタリングをやっています。そういう意味では、走ろうと思っている場所までどうやって行こうかを考えるのも楽しみのひとつなんですけど、『Panda』は自転車やそれに取り付けるポタリング用のバッグなどを積み込みやすいんです。『500』のときには工夫しながら積み込んでいたところがあったんですけど、『Panda』はそのまま難なく3台は積み込めますよ」     『Panda』の荷室容量はそのままで225リットル、リアシートを倒せば870リットルですから、積載能力は高いでしょうね。 「ボディサイズからしたら充分なスペースですよね。でも、その広さももちろんなんですけど、ラゲッジスペースのかたちがまたいいんですよ。実は去年、奥さんがしばらく空き家になっていたおばあさんの家を相続したので、この1年ぐらいは毎月『Panda』で南房総の海の近くに通って、中を片付けたりちょっとリフォームしたりして、やっと住めるようにしたんですね。そのときに向こうから荷物をいっぱい運んできてこっちで処分したり、逆にこっちから家電とかを持っていったり、それはもう散々荷物を積み込んできたんですけど、『Panda』のラゲッジルームは本当に使いやすいんです。今どき、バンでもワゴンでもないのにこんなふうに四角に積めるクルマ、そうそうないですよ。それが気に入っているところのひとつですね」     ほかにはどんなところがお気に入りですか? 「いろいろあるんですけど、背が高いのにロールが少ないので高速道路も安定して走れるし、素直に曲がってくれるところ。何の不安も不満もないです。それと走っていて楽しいこと。楽しくなかったら、たぶん買ってないです(笑)。それには、ツインエア エンジンの存在が大きいでしょうね。姿カタチからは想像できない音を聞かせてくれて、速くて、燃費もよくて、“走っている”っていう感覚が強いのもいい。シートがいいっていうこともあるんでしょうけど、エンジンが力強いから長い距離を走っても疲れない。『Panda』もツインエアだから乗り換えた、ツインエアだから乗っている、っていうところはあります。『500』のときは、見た目がかわいいから変な恰好して乗れないなって思っていましたけど、『Panda』は自然に街に馴染んでくれるので、気を使わずに普通に乗れますね。変に目立ったりはしないけど埋もれなくて、実によくできた洗練されたデザインだと思っています」   次のページ:【『Panda』は余計なものが何もついてない】 […]

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クルマの走らせ方、楽しみ方が変わった|FIATオーナー紹介

若い頃から熱心なクルマ好きで、車歴にはスポーツ志向の強いクルマが多かったという保坂光男(ほさか・みつお)さん。現在も、サーキット仕様のクルマやスーパーカーを所有する保坂さんが『500e』に魅了された理由について、自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。   今までで、いちばん運転しやすいクルマ『500e』 『500e(チンクエチェントイー)』は118psの最高出力と220Nmの最大トルクを発揮する42.0kWのモーターをフロントに搭載し、車両重量1,320kg〜1,360kgの車体を走らせます。最高速度は150km/hに制限され、0-100km/h加速タイムは9.0秒。スポーツモデルというわけではありませんが、『500 TwinAir(チンクエチェント ツインエア)』の0-100km/hが11.0秒であることを考えると、走りっぷりはなかなかのものといえるでしょう。 そのパフォーマンスは、スピードと慣れ親しんできたドライバーの目にはどう映るのでしょう? 今回お話を伺う保坂光男さんは、若い頃から熱心なクルマ好き。20代の頃は日本のスポーツモデル、それもカスタマイズを加えてパフォーマンスを高めたクルマで走りを楽しむドライバー。息子さんとのキャンプのために大柄な本格的SUVへと路線を変えていた頃もありましたが、30代ではドイツの、40代ではイタリアの、高性能モデルを乗り継いできています。そして50代となった現在は『500e』、サーキットを楽しむための『アバルト595』、さらにはいわゆるスーパーカーをも所有するエンスージアストです。   ▲保坂光男さん   「ずっと仕事を一生懸命がんばってきたのですが、それもこれもクルマ好きをなんとか続けたいがためでした」 車歴にあるのは、基本的には速いクルマ、高性能なクルマばかり。普段使いとして『500 TwinAir』に乗られていたこともありますが、それも程なくして『アバルト595』へと代わります。そうした極めてスポーツ志向の強い方が、なぜ電気自動車の『500e』に関心を持ったのでしょう? 「普段乗るつもりで『500 TwinAir』からアバルトに乗り換えたんですけれど、あまりに楽しすぎてサーキット専用にしてしまったんですね。それに僕は精密な部品加工を生業にしていて、リチウムイオン電池のための部品も作っているんです。バッテリーの製造には以前から関与していたので、手元に電気自動車やハイブリッドカーが1台ある方がいい。それならフィアットのEVがいいな、と思ったんですよ。だから最初は“体裁”ですね(笑)」   ▲『500e』   電気自動車そのものに興味があったわけでは……? 「なかったです(笑)。むしろ逆で、自分のライフスタイルには合わないと思っていました。ガソリンを爆発させて走るクルマが大好きだから、電気自動車っていうものにケチをつけてやろうぐらいの意地悪な気持ちもあったほどです。電気自動車っていうものにはほとんど期待はしていませんでした。ところが『500e』は、それをことごとく裏切ってくれるという……(笑)。この15年ぐらいの間に買った中で、いちばん乗り心地がよくて、いちばんスマートに走ってくれて、いちばん何の不安もなくて、いちばん運転しやすいクルマ。それが『500e』なんですよ。どこに行っても絶賛してしまう自分がいる(笑)。そして、推したいクルマのひとつになってしまった。電気自動車嫌いが電気自動車にはまってしまった。そんな感じです」     単に電気自動車というだけなら、ほかにも選択肢はあったと思うのですが? 「僕は、日常で乗るクルマには条件があって、コンパクトな作りであることが絶対なんです。でも、いくつかコンパクトな電気自動車に試乗してみたのですが、何かピンと来なかったんですね。そんなときに『500e』がデビューして、これは都合がいいぞ、と(笑)」     それは『500 TwinAir』や『アバルト595』で慣れ親しんだ世界観にあるクルマだから、ということですか? 「それはありましたね。実は実車を見る前に予約をしちゃったんですけれど、実車にはまったく違和感がありませんでした。ただ、自分が『500』に乗ってきたり『アバルト595』を持っているせいか、味というかクセというか、そういうところが強いのかと思っていました。けれどいい具合に洗練されていて、初めての人でも自然に運転できるクルマに仕上がっているんですよ。フィアットが電気自動車を作るとこうなるのかっていう、いい意味でのギャップは大きかったですね」   次のページ:【モーター駆動の瞬発力や力強さってすごいな、って思います】 […]

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フィアットの故郷へようこそ!〜TORINOのとっておきスポット特集〜

フィアットファンに毎年大好評の『フィアット オリジナルカレンダー』。2023年のテーマは“フィアットとイタリアの街並み”です。2ヶ月ごとに、フィアットの各モデルが6つの街をめぐるイラストが描かれています。1月と2月に描かれているのは、フィアットの故郷『TORINO(トリノ)』。産業都市として、まさに近代イタリアのエンジンとなった街の“とっておき”スポットをお届けします。 なお、フィアット オリジナル 2023年カレンダーはダウンロードが可能。ダウンロード方法は、記事の最後に掲載しているので、ぜひチェックしてみてください!   ▲鉄道の玄関口であるポルタ・ヌオーヴァ駅付近を行く『500e(チンクエチェントイー)』。   フィアットの故郷“TORINO(トリノ)”とは? 北西部ピエモンテ州の州都であるトリノ。遠くアルプスの山々を見渡す街は、130平方kmに約84万人が住んでいます。ミラノが181平方km・約135万人ですから、ひとまわりコンパクトな街といえます。 11世紀にその歴史をさかのぼる名門・サヴォイア家は、ピエモンテだけでなく現在のフランスやスイスの一部も支配下に置いていました。そのため建築や方言には、フランスの影響がみられます。 やがて国家統一が果たされて1861年、ヴィットリオ・エマヌエレⅡ世を国王に据えたイタリア王国が誕生した際、トリノは3年にわたり首都機能の役割を担いました。   ▲トリノ旧市街を象徴する広場『ピアッツァ・サンカルロ』。周囲の館には、人々が冬の間、雨や雪を避けて歩けるようにポルティコ(屋根付き回廊)が設けられています。   20世紀のイタリアの近代化における原動力もトリノでした。ジョヴァンニ・アニェッリらが1899年にフィアットを興したのも、1927年に初めてラジオ局が開局したのもこの街。第二次大戦後は、多くの人々が南部から移り住んで工場で働き、復興を支えました。 その後、1988年から今日まで続く『ブックフェア』や2006年の冬季五輪などを通じて、国際イベント都市としても世界から注目されるようになりました。さらに2022年には『スマートシティ・インデックス』において、最もエコ・サステナブルなイタリア都市に輝きました。トリノは常にイタリアの未来を示し続けているのです。   ▲トリノはイタリア・ナンバーワンのエコ・サステナブル都市。EV(電気自動車)用充電ポールが充実していることもあり、『500e』もたびたび見かけます。   ▲裏道にたたずむ『500(チンクエチェント)』。碁盤の目のような道路は、サヴォイア家のカルロ・エマヌエーレ1世の号令で1620年に開始された都市計画の名残です。   ▲『500』は、イタリア屈指のカーシェアリングサービスの代表的車種としても有名です。   次のページ:【とっておきの!トリノのおすすめスポットをご紹介】 […]

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クルマに乗るときのワクワク感を取り戻した|FIATオーナー紹介

さまざまなイタリア車を乗り継ぎ、現在は『500e』に加え、『500』も所有されている日高正博(ひだか・まさひろ)さん。その中でも日常生活では、ほとんど『500e』にお乗りという日高さんに、『500e』の魅力や過ごし方について、自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。   『500e』の写真を見て、デザインがすごくいいと思った イタリア本国では2020年にデビュー、日本では2022年の6月に発売開始となった『500e(チンクエチェントイー)』。世界に向けてデリバリーされるプロダクションモデルとして、フィアット初のEV(電気自動車)となったモデルです。1957年に誕生して今も世界中で愛されている『Nuova 500』こと2代目『500』の世界観や存在感を新しい時代に向けて再解釈しなおした電気自動車として高く評価され、2代目『500』同様、世界中で愛される存在となっています。日本ではEVそのものの普及がゆっくりなこともあってまだ少数派ではありますが、この『500e』の存在が気になっている人も多いようです。 今回はいち早く『500e』との生活を楽しんでいる、日高正博さんにお話を伺いました。 日高さんは20代前半の頃からさまざまなクルマを乗り継いで来られましたが、そのほとんどがイタリア車。それもスポーティなモデルが中心でした。現在も世界のトップクラスのハンドリングを誇るイタリアンSUV、そして1.2リッターのFIREエンジンを積んだ『500(チンクエチェント)』を所有されています。イタリア車のべテランといえる方の目に、はたして電気自動車の『500e』はどのように映っているのでしょうか。   ▲『500e』   まずはガソリンエンジンの『500』について伺います。『500』の1.2ℓモデルは、ご自身のクルマとして購入されたんですか? 「購入したとき、僕は別のクルマを気に入っていてそれに乗っていたから、どちらかといえば家族用という感じでした。娘がちょうど免許を取ったタイミングだったんですよ」 娘さんが『500』のかわいらしいスタイリングを好きになって、とか……? 「いや(笑)。僕が半分むりやり決めちゃったようなものでした。しかも『500』が家に来たら、乗ると楽しいものだから、ついつい僕がそっちにばっかり乗ってしまうという……」   ▲日高正博さん   娘さんというよりお父さんが乗りたかったんですね(笑)。 「そうですね、完全に(笑)。でも、どうせ買うなら楽しいクルマがいいじゃないですか」 SUVと『500』があるのに『500e』を買われたのはなぜですか? 「娘が家を出ることになって、『500』を持っていくことになったんですよ。妻とふたりの生活になって、だんだん小さなクルマでも十分なんじゃないかと感じるようになってきたんですね。そんなときに『500e』の話を聞いたものですから」     電気自動車にはもともと関心があったんですか? 「1ミリもなかったです(笑)。というか、他社のEVの試乗に行ったことはあったんですけれど、おもしろいなとは思いつつも、自分が所有する、所有したいっていう気持ちにはまったくなれなかったんです。でもたまたま『500e』が発売されるという話を聞いて、ちょっと気になっていろいろと調べたんですね。僕は興味を持つとわりと調べたくなるタイプなので、そうしているうちに、これはいいんじゃないかな、おもしろいんじゃないかな、という印象がどんどん強くなってきたんです」     「加えて、ちょうど娘夫婦に子どもが生まれたタイミングで、『500』だと少しずつ大変になりそうだから、娘夫婦にSUVを渡して僕が『500e』に乗ればいいんじゃないかな、なんて思うようになったんです。妻に『500e』を買う説明をするための、後付けの理由だったんですけどね(笑)。『500e』が来た今になっても、まぁそこはいろいろ考えています。『500』が戻ってきても置いておくことはできるので、『500』が2台並んでもいいかな、とか」 EVにあまり関心がなかったのに『500e』には興味を持ったというのは、なぜですか? 「最初に写真を見て、デザインがすごくいいと思ったんですよ。『500』なのは間違いないけど古臭いわけじゃなくて、抜群に上手いですよね。今の自分の気分にピッタリはまるな、という感じでした。それでいろいろな情報を集め出して、海外も含めてインプレッションの記事とかを読んだり動画を観ていたりしたら、クルマとしてのクオリティーは高そうだし相当おもしろそうだなって思えたんです。モータージャーナリストの方々がほぼ絶賛で、みなさんも本当に気に入ったんだなっていうことが伝わってきたんです。電気自動車でそういうのって珍しいなって感じたんですよ。これは間違いないなって思いました」     オーダーをしたのはどのタイミングですか? 「発売よりずいぶん前でしたね。初めて実車を見たのがショールームにクルマが入ったタイミングで、試乗をさせてもらったら、直感は大当たりでした。ものすごくいいな、って感じました。不安があったわけじゃないですけれど、早くにオーダーを入れていた自分は正しかった、って思いましたね」   次のページ:【『500e』の満足度はどれくらい?】 […]

CULTURE

イタリアと日本の文化を愛するイラストレーター、ビオレッティ・アレッサンドロの“POP・PRETTY・FUNNY”なメッセージ

広告・キャラクターデザイン・挿絵・漫画・絵本など、幅広い媒体で活動しているイラストレーターのビオレッティ・アレッサンドロさんは、フィアットと同郷のイタリア・トリノ出身。幼少期から“絵描きになること”と“日本に住むこと”への想いを募らせ、27歳のときに偶然の出会いを機に日本で絵本を出版。2015年5月からは日本に移り住み、現在はフリーランスのイラストレーターとして活躍中です。そんなビオレッティさんに、自身の活動のテーマやイタリアと日本の文化について、そして同郷であるフィアットの印象を伺いました。   夢は“絵描きになること”と“日本に住むこと” ──まずは日本に移り住むことになったきっかけを教えてください。 18歳のときに初めて日本に観光で来て、それから27歳までトリノに住みながら、日本へ行き来していました。そんなある日、出版社の編集者の方と偶然出会って、「絵本を出版しませんか?」と声をかけていただいたんです。それがきっかけで、絵本の出版後にアーティストビザを取得することができて、2015年からは日本に住んでいます。   ▲ビオレッティ・アレッサンドロさん   ──小さいころから絵を描くことに興味はありましたか? はい。幼いころから絵を描くことは好きで、7歳ぐらいのときには「絵の仕事をしたい」「絵を描いて生きていきたい」って思うようになりました。   ▲インタビューマガジン『世田谷十八番』   ──ビオレッティさんの幼いころのエピソードで、おじいちゃんが持っていた70年代の日本の写真集を見たことがとても印象に残っているそうですね。 それも7歳のときです。“日の丸”が描かれた本がおじいちゃんの本棚にあって、気になって手に取ってみたら、日本の70年代の写真集でした。僕のおじいちゃんはトリノにある『ラ・スタンパ』という新聞社で仕事をしていて、ジャーナリストと出会う機会がたくさんあり、その中のひとりからいただいたそうです。それを見たとき自分は、「日本はなんて面白い国なんだ!」って思いました。   ──それがビオレッティさんにとって、日本に興味を持つ原体験だったんですね。 はい。そこからどんどん興味が湧いてきて、“絵描きになりたい”と“日本に住みたい”っていう気持ちが合わさり、日本で絵描きができないかなって。そのあとは16歳から日本語の勉強を始めて、先ほど言ったようにイタリアと日本を行き来しながら、2012年ごろに出版社の方と出会い、2014年に『みつけてアレくん!せかいのたび』という絵本を出版しました。     ──絵本の出版によって、念願の日本暮らしが叶った面も? そうですね。「これをきっかけに日本に住めるんじゃないか……」っていう気持ちは正直ありましたね。日本に住むようになって、観光で訪れたときよりももっと深く、“日本の1日”を感じられました。そこはイタリアの1日のペースとは違いましたけど、今ではイタリアと日本の考え方やライフスタイルを、うまく自分の中でミックスできているように感じます。   ──日本に来てフリーランスのイラストレーターとして活動する傍ら、デザイン事務所の勤務なども経て、独立されたのは2019年。そこからは漫画や絵本のみならず、さまざまなブランドやイベントにおける広告のイラストなども数多く手掛けていますよね。 自分としてはひとつひとつのお仕事を大切に、とにかく100%で描いてきました。なので、何かこの仕事がきっかけで注目を浴びた、という感覚はないですね。日本人らしく言えば“コツコツ一生懸命”取り組んで、自分が納得できるクオリティの作品を出すことをいつも心掛けてきました。   ▲スーパーマケット成城石井でのイラスト制作   ──ちなみにビオレッティさんの作風が確立されたのはいつごろですか? ちょっとずつのプロセスの積み重ねではあると思いますが、根本的な部分で言うと、昔から“線を繋ぐ”ことが好きだったんですね。そこから自分の中の個性をもっと生かせないかなって考えていくうちに、フォルムや体の作りが独特な、誰も描いたことのないキャラクターを描くようになりました。自分の中でそこはアーティスティックな部分で、ちょっとずつ進化して今に至ります。   ──イラストには“POP・PRETTY・FUNNY”という3つのキーワードがあるそうですね。 まず僕の絵をパッと見て、その印象をひとつの言葉で表現するならPOP。ただそれだけじゃなくて遊び心、つまりFUNNYな要素も加えて、PRETTYな絵になるように表現しています。   ▲2022年9月に発売した新作絵本『なぞなぞショッピングモールでおかいもの』   次のページ:【ビオレッティさんのDNAにあるイタリアとは?】 […]

LIFESTYLE

バイクは私の時間、クルマは家族の時間|FIATオーナー紹介

バイクをメインのフィールドに、モデル・タレント・ライターとしてマルチに活躍されている多聞恵美(たもん・めぐみ)さんが、ご自身初の愛車として選んだのが『500C』。バイク乗りの多聞さんが『500C』を選んだ理由について、自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。   運転席に座った瞬間、いろんなものがしっくりきた 上信越自動車道の碓井軽井沢インターから県道43号を軽井沢駅方面へ5kmほど走ると、左側にカナリアイエローの小さな建物が見えてきます。そこは『SHINICHIRO ARAKAWA 軽井沢 Canarino』という、パリコレデザイナーとしても著名なSHINICHIRO ARAKAWAのバイクウェアショップ。傍らの駐車場には、赤い『500C(チンクエチェントシー)』が停まっています。このお店のカフェカウンターを担当する、多聞恵美さんの愛車です。 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、多聞さんはバイクの世界では著名な方。タレントやモデルとしての経歴もさることながら、バイク好きが高じてバイク系メディアで連載を持ったり試乗記を書いたりとライターとしても活動され、ツーリングと食をからめた著作も3冊あります。さらには、バイク関連イベントのMCやテレビ/ラジオ番組でのパーソナリティも。モデル+ライター+ライダーで“モデライダーの多聞恵美”。その名前はバイク業界全体に行き届いているといっていいでしょう。   ▲多聞恵美さん   ここしばらくは、ふたりめのお子さんの出産のためにすべての仕事をお休みしていましたが、復帰した途端に連載は再開、MCの仕事も入りはじめ、バイク乗りのお客さんたちが待つカフェにも戻り……と、いきなり多忙になってきた様子。お訪ねしたのはちょうどそんなタイミングでした。 『500C』は多聞さんにとっての最初の愛車ということですけれど、ずっとバイクにお乗りだったんですか? 「10代からずっと、でした。バイクでこと足りていたので、クルマに興味が向かなかったんです。すべてが自分の手の届く範囲にある感覚が好きで、それに馴染んでいたから、クルマの大きさだと四隅に責任が持てないって感じてもいましたし。免許は20歳の頃に取りましたけど、それもモデルの仕事で教習所のプロモーションビデオの仕事をさせていただいて、ご縁だからそこで免許を取ろうっていう感じでした。クルマに乗りたいっていう想いはなかったですね」 クルマにはまったく乗っていなかったんですか? 「母が軽自動車に乗っていたので、必要なときに借りることはありました。でも、そうじゃないときは、ずっとバイクでした。バイクは何台か乗り継いで、20代前半の頃からバイクの仕事をいただくようにもなって、排気量の大きめなイタリア車も2台乗りましたよ」 なのにクルマに、それも初めてのクルマとして『500C』に乗るようになったのはなぜですか?   ▲『500C』   「31歳のときに最初の子どもを授かったのがきっかけでした。家には主人のクルマがあって、それが私にはちょっと大きかったんです。それに私、免許はマニュアルで取ったんですけど、ほとんど運転してこなかったので……。主人はいろんな含みを持った言葉で、心配だからって乗らせてくれなかったんですね(笑)。仕方がないから教習所でマニュアル講習を受けて、次に主人を乗せてテストしたんですけれど、坂道発進ができなくて“やっぱりダメ”っていわれて(笑)。実は主人がかなりのイタリア車好きで、そのクルマもイタリア車で、大のお気に入りだったからでしょうね(笑)」     なるほど、ご主人の影響を受けての選択だったんですね。 「ぜんぜん違います(笑)。結果的には増車になったんですけれど、私が運転できる小さいクルマに買い換えようってことになって。最初、『500C』は候補じゃなかったんです。もちろんフィアットは前から知っていたし、仕事で知り合った4輪のプロの方たちからお話を聞いたりもして、小さくてかわいくていいなと感じてはいたんですよ。でも、かわいいって思うのと買おうって考えるのはぜんぜん違うじゃないですか。もともとクルマに趣味性みたいなものはまったく求めてなくて、子どもが大きくなってファミリーカーとして使うのならスライドドアは便利だし、そんないい選択肢はないでしょ、なんて考えていたくらいですから」   ▲Canarinoで食べることができるホットドッグ。   なのに、なぜ『500C』に? 「実は私、車種がどうっていうより、せっかくならサンルーフで構わないから屋根が開くクルマがいいな、って思っていたんですよ。バイクの仕事でお世話になった方のクルマに乗せていただいたとき、当たり前のようにサンルーフを開けてくださって、こういうのっていいな、って感じたことがあったんです。それを主人に伝えたらいくつも候補を上げてくれて、それこそ軽自動車から輸入車まで、いろいろ見に行ったり試乗しに行ったりしたんですね。そしたらファミリーカーとして最良に思えたクルマたちって、とっても便利なんですけれど、おもしろくなかったんですよ。最後に見に行ったのが『500』で、これはないだろうなと思いながら運転席に座ったら、その瞬間、ああ、これだ!って思ったんです(笑)」     「なにがどうって説明しにくいし、直感といえば直感なんですけれど、いろんなものがしっくりきたんです。それで、3ドアだけど何とかなるだろう、って(笑)。そのときに試乗したのはハッチバックだったんですけれど、“屋根が開くクルマがいいんでしょ?”っていうことで、1.2の『500C』がうちに来ることになりました」 次のページ:【多聞さんが感じているフィアットの魅力とは…?】 […]

DRIVING

秋のクルマの注意点は? フィアットの点検&メンテナンス事情

秋風が肌寒く感じるこの季節。まだまだ寒暖の差も大きく、夏の疲れが溜まった身体を整えようと、食事や睡眠などに気遣う人も多いと思います。みなさんの愛車も同じように、猛暑を乗り越えたことであちこちに負担がかかり、放っておくと不調の原因になりやすいときです。 秋はそんな愛車を労わるのにピッタリの季節。これからまた、クルマにとって過酷な冬がやってくる前に、愛車をしっかりと気遣い、メンテナンスなどで万全な状態に戻してあげるためのポイントを解説します。今回はフィアット/アバルト松濤でメカニックとして活躍している、この道25年以上のベテランである追川信人(おいかわ・のぶと)さんにご紹介いただきました。   秋にチェックしたいメンテナンスポイントをご紹介 まずは、どんなクルマでも「ここは必ずチェックしておきましょう」というポイントから。 「今年も猛暑でしたので、やはりいちばん心配なところはバッテリーですね。乗られる頻度が多いお客様は、わりとバッテリーの持ちもいいのですが、月に1,2回など乗る機会が少ないお客様の方が、実はバッテリーの劣化が大きいことがあります」   ▲メカニック・追川信人さん(フィアット/アバルト松濤)   久しぶりに愛車で出かけようとしたら、エンジンが掛からなくなっていた、という事態になる前に、バッテリーの状態をチェックすることが大切です。 「最近は、ドライブレコーダーで駐車中の常時監視機能を使っているお客様も多いので、それが原因となってバッテリー上がってしまい、入庫される方が増えています」 ドライブレコーダーをはじめ、スマホやタブレットの充電など、バッテリーへの負担が大きいのが最近のドライブ事情。夏の間はエアコンもフル稼働だったという人も多いと思いますので、しっかりチェックしておきたいですね。 「最近のバッテリーはカバーで覆われてしまっていて、外から見ただけではチェックできないものがほとんどです。定期的に愛車をフィアット正規ディーラーに診せていただいて、専用のテスターでバッテリーの状態をチェックすることが、トラブルを防ぐためには重要だと思います。お客様の使用環境などをお聞きしながら、長持ちさせるためのアドバイスなどもさせていただいています。また、できれば週に一度でもいいので愛車に乗ってあげることも、バッテリーを長持ちさせる秘訣だと思います」     忙しい合間でも、愛車でドライブする時間を持ちたいものですね。もし、放っておいてバッテリー交換ということになると、工賃を含めて数万円ほどはかかってしまうそうなので、早めのチェックをおすすめします。 続いてのポイントは、エンジンオイルです。 「よく、『オイルは何kmごとに交換すればいいですか?』という質問をいただくのですが、正直なところそれは早ければ早いほどいい、という答えになります。オイル交換をずっとしなくてもクルマは走るのですが、異音や振動が出始めたときには、もうエンジンは壊れて手遅れになっていると考えた方がいいですね。例えばフライパンに油を引いて火にかけますよね。ずっと火にかけていると焦げて、そのうち大変なことになりますが、エンジンオイルを長いこと交換せずに走るのはその状態を続けているのと同じです。危険な状態で走っている、ということ意識していただきたいと思っています。猛暑が過ぎた今はまさに、オイル交換をするのにいい時季だと思います」     そして、秋ならではのチェックポイントとして、追川さんが教えてくださったのはボディのメンテナンス。 「夏の間は樹木の成長が活発なので、ボディにはたくさんの樹液が飛び散っていると思います。また、高速道路を走った後などはフロントマスクなどに虫の死骸もたくさんついてしまいますよね。それらをそのままにしておくと、落ちなくなってボディの劣化につながってしまいます。マメに洗車してあげることが基本ですが、スポンジで擦ると傷がつきやすいので、プロにお願いする方が安心です」 ついつい、雨が降ると汚れも落ちたような気になって、洗車を後回しにしてしまうこともあると思いますが、それではどんどんボディが劣化してしまうのですね。ツヤが欲しいときはコーティングもおすすめで、こまめにきれいにしてあげると樹脂類の持ちもぜんぜん違ってくるとのこと。「洗車をサボっている人のクルマはすぐわかります」ということなので、手を抜かないようにしたいものです。     「また、秋は落ち葉が多くなりますので、クルマのいろんな隙間に落ち葉が溜まったままになると、雨の日や洗車の際の水の流れ(排水)が変わってしまいます。細かい草や泥が詰まって、雨漏りをしてしまうこともあるので、マメに落ち葉を取り除いて欲しいです」 溜まりやすい場所としては、フロントガラスとボンネットの間や、リアゲートの開閉部分。乗り込む前に、ささっと手で払うだけでも違ってくるそうです。自宅の駐車場に樹木があるという人はもちろん、公園や山などへドライブに出かけた際にも注意したいですね。       さらに、落ち葉や砂などはフロントガラスにも落ちてきますが、前が見えないからといきなりワイパーを動かすのは、愛車を痛める原因になってしまいます。 「ワイパーは水滴や汚れを取り除いてくれるものですが、汚れがひどいときにいきなり作動させるとガラスに線傷がついてしまいます。まずはウエスなどで拭き取ってから、ワイパーを動かすようにするといいと思います。夏の直射日光などでワイパーのゴムも痛んでいることが多いので、劣化しているようなら新品に交換した方がいいですね」 続いて、夏の間に大きな負担がかかっていたタイヤも、今一度しっかりチェックして欲しいポイント。 「溝があとどのくらいあるかを見るのも大事ですが、ヒビ割れがないか、ゴムが硬くなってないか、そして製造年月をいっしょに確認することをおすすめします。空気圧は最低でも1ヶ月に1回はチェックして欲しいです。フィアット車は空気圧が低下してくると、メーター画面内にチェックランプが点灯するので、不安になってしまうお客様もいらっしゃいますが、事前の警告なので、ガソリンを入れる時など、警告が出る前に空気圧をチェックすることが重要です」     指定空気圧は取扱説明書に記載されているので、一度確認しておくといいですね。秋は台風が発生しやすく、雨の日のドライブも多いかもしれません。溝が減ったタイヤや硬くなったタイヤは滑りやすくなるので、ぜひ早めの点検、交換をおすすめします。 次のページ:【フィアットならではのチェックポイントをご紹介!】 […]

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フィアットは自分のアイコンみたいな存在|FIATオーナー紹介

山形県を中心に、フリーランスの映像作家かつクリエイティブディレクターとして、マルチな活動をしている菊地翼(きくち・つばさ)さん。あまりクルマに詳しくないとおっしゃる菊地さんが、フィアットを好んで乗り続けている理由について、自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。   乗っているクルマで見られ方って変わるんだ 「今ではもう自分のアイコンみたいな存在になっていますね。僕はクルマに詳しくはないし、ドライブに出掛ける趣味もなくて、あくまでも実務のために乗っているようなものなんですけど、本当にいいクルマと出逢えたな、って思っています」 そう語ってくださるのは、菊地翼さん。山形市内に軸足を置き、山形県内を東奔西走しながら活動している映像作家かつ、クリエイティブディレクターです。その“クリエイティブ”の中には写真あり、デザインあり、企画あり、イベントあり、と活動は多岐に渡ります。それらは、すべて映像の仕事を核にして広がっていったもの。同様に映像の仕事から派生した、自治体と協力し合うかたちでの町づくりにも力を注いでいて、山形市から北西20km少々の大江町では、昔の銀行跡をリノベーションしてカフェやギャラリー、レンタルホールを備えた、町の住人と町を訪ねる人をつなぐ『大江町まちなか交流館 ATERA』のプロデュースと運営を担っています。   ▲菊地翼さん   また山形市から南西36kmほどの高畠町で、大正時代からの巨大な石切場跡の史跡を会場にした『岩壁音楽祭』というイベントを2回にわたって開催した運営メンバーの中心人物のひとりで、2025年に再び開催を予定しているとのことです。 昔から関心があったのは映像に音楽にクリエーション。クルマにはまったく興味はなくて、動いてくれさえすれば何でもよかった。しかも愛車である『500』は欲しくて買ったというわけでもない。菊地さんはそんなふうに振り返ります。     「最初は家族から譲り受けた小さな国産車に乗っていました。クルマは用事が済ませられれば何でもよかったし、壊れるまではそれでいいって思っていました。ところが、数年乗ったら壊れまして(笑)。以前、僕は山形のFM局に数年間つとめていたんですが、その頃に仕事を通じて知り合ったディーラーの方が紹介してくれて、とあるフランス車を買うことになったんです。乗っているクルマで見られ方って変わるんだ、ということを知りましたし、わりと気に入ってもいたんですけど、それも4年乗ったらエンジンがかからなくなっちゃったんです。それで次は国産車に変えたんですけど、そのクルマも乗れなくなってしまい、同じディーラーの方に再び相談してみることにしました。その方の会社はいろいろなブランドを取り扱うディーラーをやっていて、今度はフィアットを紹介されたんです。でも、僕はその時点ではフィアットに乗りたいとは思ってなかったんですよ。」     それはいったいなぜだったんでしょう? 「まず、小さいこと。現場に行くときには機材とかも積み込まなきゃならないんです。それにあんまりよく走らないんじゃないか、っていう先入観もあったんですよ。かわいいクルマに乗っている人って見られそうなことにも抵抗がありました。でも、よくしてくださっているディーラーの方が結構マジメに勧めてくるし、僕もアシがなくて困っていたので、興味本位でフィアットに乗りはじめたんです。ほかのフィアットに乗っている方は好きで欲しくて購入するんでしょうけど、僕の場合はほかにいい選択肢がなくて『500 TwinAir Pop(チンクエチェント ツインエア ポップ)』を選んだ、っていう感じです」   ▲『500 TwinAir Pop(チンクエチェント ツインエア ポップ)』 次のページ:【想像していたクルマとは違ったフィアット】 […]

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創業260年を迎えるトリノ最古のカフェ、Bicerinのフィロソフィーを紐解く。

1763年創業のイタリア・トリノの老舗カフェ・Bicerin(ビチェリン)が作る、北イタリアの郷土菓子『バーチ・ディ・ダーマ』。マカロンの原型とも言われる、アーモンド生地でチョコレートを挟んだキュートな焼き菓子です。今回は、Bicerinの歴史や魅力、『バーチ・ディ・ダーマ』のこだわりについて、Bicerin広報室長の柴さやかさんにお話を伺いました。 なお、フィアットでは『500』の限定車『500 1.2 Dolce』の登場を記念して、ただいま『SWEET LIFE WITH FIAT』キャンペーンを実施中。10月は“ココロに残っているスイーツとの思い出”をTwitterに投稿していただくと、抽選で『バーチ・ディ・ダーマ』をプレゼント! キャンペーンの詳細は記事の最後に掲載していますので、ぜひ参加して、心ほどけるひとときを提供する甘~いスイーツを手に入れてください。   イタリア・トリノ最古のカフェ、Bicerinが築いてきた伝統 Bicerin(ビチェリン)をご存じですか。日本上陸は2018年と比較的最近なので、知らない方も多いかもしれません。一方、イタリアでは伝説の老舗カフェとして、全土に名を知らしめています。 Bicerinは、日本の江戸時代にあたる1763年に、フィアットの本拠地でもあるイタリア・トリノに誕生した、トリノ最古のカフェです。トリノのコンソラータ大聖堂の前に質素なテーブルとベンチを並べた小さな店がその始まりでした。   ▲イタリア・トリノにあるCaffè Al Bicerin(カフェ・アル・ビチェリン)店   創業当時、カフェは男性たちが集う場所でしたが、初代の店主ジュゼッペ・デンティスの後、女主人たちがカフェを仕切ってきたこともあってか、女性からも高い人気を集めました。 「もともとは女性のサロンのような場所でもあったと聞いています。現在のオーナーは男性ですが、長く女性がオーナーを務める時代が続いていました。なかでも、1910年から1975年にかけて店を切り盛りしていたカヴァリ家の女性たちの遺産を引き継ぎ、Bicerinの名を世界的なものにしたのは、女主人のひとりであるマリテ・コスタの功績です」(柴さん) 1983年に店を引き継いだ彼女は、かつてトリノに花開いたチョコレート文化を研究し、そのオリジナルともいうべきレシピを再現。また、店や家具を19世紀当時そのままの姿へと復元することに情熱を注いだそうです。マリテは2015年に他界していますが、Bicerinが築いてきた伝統は、マリテの家族と長年彼女を支えてきた女性たちの手によって、現在、そして、未来へ引き継がれていきます。     Bicerinの歴史は、フィアットが推進している女性の社会進出やエンパワーメントを応援するプロジェクト『#ciaoDonna(チャオドンナ)』の理念にもリンクします。Bicerinは創業以来、女性をはじめとしたさまざまな人の時間を豊かに演出してきました。 260周年を間近に控えるBicerinは、その歴史のなかで、多くの偉人にも愛されてきました。トリノに花開いたチョコレート文化の保存にも尽力したことでも知られる、イタリア初代首相、カミーユ・ベンソ・ディ・カヴールもその一人で、入口近くの大理石のテーブルが彼の指定席だったそうです。『三銃士』『モンテクリスト伯』の著者であるアレクサンドル・デュマ・ペールは、友人に送った手紙の中で「トリノを去りがたい理由」としてBicerinをあげ、また、「トリノで見逃せないもののひとつ」とも書き記しています。 そんなBicerinが日本に上陸したのは、前述のとおり2018年とごく最近のことです。   ▲Bicerin 銀座店   「もともとイタリアには、店をチェーン展開していくことを良しとしない文化があります。特にBicerinはファミリー色が強い企業。フランチャイズ化の依頼も断り続けていたそうです。弊社も最初は断られたのですが、伝統を引き継いでいくことに魅了されていた弊社の社長が何度も足を運び、ファミリービジネスに対するイタリアのカルチャーを大事にしていることを理解していただき、ついにアジア展開の許可をいただきました。 実際、いっしょに仕事をしてみると、伝統を大事にしながら、革新を取り入れ、進化させられるものは進化させていくといった、企業の気概を強く感じます。日本独自の企画についても、好意的に受け入れてくれます」(柴さん) 次のページ:【プレゼント商品『バーチ・ディ・ダーマ』 についてご紹介!】 […]

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