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毎年恒例!世界最大級のフィアット祭りFIAT PICNIC 2023レポート

10月28日(土)に『FIAT PICNIC 2023』が開催され、静岡県のボートレース浜名湖に全国各地からフィアットとアバルトが集結しました。今回で14回目となる『FIAT PICNIC』は、900台以上のフィアット・アバルト、そして約2,000名を超えるフィアットオーナーをはじめ、フィアットファンやお友達が参加。会場内に設置されたさまざまなエリアやステージの模様から、参加者インタビューまで自動車ライターの嶋田智之さんにレポートしていただきました。     快晴のボートレース浜名湖で『FIAT PICNIC 2023』がスタート! 10月28日、快晴の土曜日の朝7時半。静岡県湖西市のボートレース浜名湖対岸駐車場に僕たち取材チームが到着したときには、すでに色とりどりのフィアットが集まって整列しはじめていました。そこに到着するまでのロードサイドにあるコンビニエンスストアの駐車場でも、目につくのはフィアットばかり。対岸駐車場のまわりの道もフィアット、フィアット、そしてフィアット。イベントのスタートまで2時間半もあるというのに、その勢いです。     『FIAT PICNIC 2023』の開催日。世界最大級といっても過言ではない年に一度のフィアットのお祭りを、フィアット乗りたちがどれだけ楽しみにしていたかが伝わってきます。       続々と会場に入ってくる『NUOVA 500』『500』『500C』『500e』『500X』『Panda』『Doblò』といったフィアットたち、そしてアバルトたち……。年に何度かしか会えない遠方の仲間や日頃はSNSで親しく交流しているフィアット仲間たちの輪がたちまちあちこちに生まれ、見ているこちらも嬉しくなるほどの笑顔の花が次々と咲きはじめます。今回は毎年恒例となっているこのイベントの当日の様子を、お伝えしていきたいと思います。ただし、コンテンツがたっぷり過ぎるくらい用意されているイベントなので、駆け足での紹介になってしまうことをご了承くださいね。         午前10時になると、会場の最も奥にあるメインステージが一気に賑やかになりました。オープニングセレモニーのはじまりです。カウントダウンに続いて、ジャズ・サックス・カルテットバンドのサキソフォビアによるオープニングライブ。ホーンによる独特のアンサンブルが会場の気分を一気に高めてくれます。そして昨年に引き続きMCをつとめるお笑い芸人・レギュラーの思わずクスリとさせられてしまう軽妙なトークとともに本格的にイベントがスタート。途中から女性の声が加わったと思ったら、Stellantisジャパン株式会社のフィアットブランドマネージャー、熊崎陽子さんです。レギュラーのおふたりに負けていないよく通る声と明るく軽快なトークに、ステージ前に陣取ったフィアット乗りたちは思わず笑顔に。   ▲サキソフォビア   ▲レギュラーとフィアットブランドマネージャー 熊崎陽子氏   続いて、Stellantisジャパン株式会社の打越晋社長のご挨拶。打越社長は昨年の11月に就任されたので、このイベントには初めての参加です。 打越社長「FIAT PICNICは、ステランティスのイタリア3ブランドの中でも最も大切なイベントのひとつ。こういう素敵な場所に来ることができて、本当に本当に嬉しく思っています。みなさん、ご参加くださって、本当にありがとうございます。14回目となる今回は900台以上にご来場いただきまして、おそらく約2,000名を超えるお客様にご参加いただいています。今回は“友達といっしょ”ということをテーマに、我々のスタッフが一生懸命考えてみなさんといっしょに楽しんでいけるように頑張って、いろいろな催しを準備してきました。フィアットを愛してくださっているみなさまに、よりフィアットを、よりイタリアブランドを愛していただきたいという想いで、ステランティスのスタッフ一同で最大限サポートさせていただきます。今日の1日をたっぷり楽しんでいただければと思います」     挨拶の最後には、「スタッフは準備をがんばってきたけど私は何もがんばってこなかったので、社長特別賞を用意することにします」と、ユーザーのお好みに合わせてカスタマイズできる15万円相当のオーダーメイドジャーニーが贈られるSNSイベントについてのお知らせが。その次の瞬間にスマートフォンをポケットから出す人の姿の何と多かったことか。 そして、ステージを中心に参加者全員での記念写真を撮影した後は、ステージと会場に点在する各コーナーで、さまざまな催しが繰り広げられることになりました。     オープニングセレモニーに続くステージイベントは、『Tasty FIAT!×ファビオ飯 トークショー』。“ファビオ飯”のファビオさんはご存知のとおり、フィアットの公式アンバサダーであり、ご自身のYouTubeチャンネルでは登録者数50万人以上を集める人気のシェフです。イタリア車好きは十中八九、イタリア料理好き。YouTubeや著作を通じてイタリア料理の作り方をわかりやすく教えてくださるシェフの登壇とあって、会場にいたフィアット乗りたちが大注目していた様子は強く記憶に残りました。イタリアと言えば“クルマ”と“食”ですからね。気持ちはよくわかります。   ▲ファビオさん   続いて『デコレーションコンテスト』の紹介。こちらは自分の“相棒フィアット”を思い思いにデコレーションした8台がステージの両翼に並べられ、会場にいる人たちによるSNSからの投票で最優秀賞が決まるというもの。そのエントリー車両が1台ずつ紹介されていきます。       少し休憩をはさんで、『FIAT川柳入賞作品発表&表彰式』。“女性の活躍”をテーマにした川柳を事前に募集し、このステージで優秀作品にStellantisジャパンのマーケティングダイレクター、ジェイミー・アンさんから賞品が手渡されました。今年は“羽曳野のルパン三世さん”の「フィアットが 似合う女と 自画自賛」が最優秀賞です。     ▲マーケティングダイレクター ジェイミー・アン氏 […]

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ミラノはいつもクリスマス!〜MILANOのスポット特集〜

“イタリア各地をめぐるフィアット”がテーマの『フィアット オリジナルカレンダー 2023』。フィアット各モデルが6つの街とともに描かれた2カ月めくりスタイルです。11・12月は『MILANO(ミラノ)』。イタリアを代表する商業都市ならではの多様性を紐解いてゆきます。今回も、イタリア在住のコラムニスト・大矢アキオ氏にミラノの魅力を伺いました。 『フィアット オリジナルカレンダー 2023』はダウンロードも可能。方法は記事の最後に掲載しています。ぜひチェックしてみてください。   ファッションとデザインが輝く街、ミラノ イタリア北部ミラノは、自治都市として神聖ローマ帝国から独立。中世後期からはヴィスコンティ家とスフォルツァ家のもと、ミラノ公国として大きく繁栄しました。しかし、その後ふたたび神聖ローマ帝国や、スペイン・ハプスバルク家の支配を経験。18世紀には今度はオーストリア・ハプスブルク家のもとに収まりました。19世紀初頭にはフランスのナポレオンの影響を受け、さらにイタリア統一2年前の1859年までふたたびオーストリアの支配下にありました。北と南の接点として、さまざまな影響を受けてきたことが、今日に続くミラノの多様性と国際化の下地になったと考えることもできます。   ▲『ビショーネ』は14世紀末から15世紀にミラノ公国を治めたビスコンティ家の紋章。教会をはじめ、街のあらゆる場所で発見することができます。   第二次大戦後はイタリアの奇跡的経済成長の原動力として、ミラノは存在感を強めます。たとえば服飾産業。1960年代のプレタポルテ普及にともない、ミラノはファッション・シティの地位をパリから奪い始めます。同じロンバルディア州にある都市・コモの絹織物産業も、発展の一翼を担いました。こうして彼らは従来までフランス系ブランドの下請けであったイタリア服飾産業の地位向上にも貢献したのです。毎年6月と9月に開催されるファッション・ウィークは、今もモードの最先端である象徴です。   ▲市内北部、国鉄ポルタ・ガリバルディ駅周辺は2010年代から目覚ましい再開発が行われ、みるみるうちに高層ビル街に。街づくりという観点では、ミラノで最もダイナミックな街区です。   ちなみに、ミラノを端的に浮き彫りにしたカンツォーネといえば、戦後イタリアを代表するシンガー・ソングライターのひとり、ルーチョ・ダッラが歌った1979年『ミラノ』でしょう。「ドイツ語で尋ねれば、シチリア語が返ってくる街」といった情景が数々表現されています。さらには、「Milano è sempre pronta a Natale (ミラノはいつもクリスマス)」とも。続くのは「それが過ぎると涙を流す。そして傷つく」です。祝祭と直後の虚脱感の双方を繰り返しながら、ときが過ぎてゆくクールな都市。それも大都市ミラノの姿なのです。   ミラノを走るフィアットたち おすすめスポット紹介の前に、ミラノで見かけたフィアットたちの写真をご紹介します。   ▲ミラノはもとよりイタリアを代表する高級ブティック街。モンテ・ナポレオーネ通りにたたずむ『500(チンクエチェント)』。   ▲近年、再開発が進むブラマンテ通り周辺を行く『500』。   ▲かつては工場街、今日はデザイン街区として知られるトルトーナ通りで。2代目『Bravo(ブラーヴォ)』※日本未導入。   ▲同じくトルトーナ通りで。カーシェアリングの『500』。   ▲トルトーナのビストロ前に駐車中の『500』。   ▲市内の南、ポルタ・ジェノヴァ駅周辺で。   ▲モンテ・ナポレオーネ通りに近い裏道で。2代目『Tipo(ティーポ)』※日本未導入。   ▲ナイトスポットとしても知られるガリバルディ通りに佇む『Panda(パンダ)』と『500』。 次のページ:【ミラノのおすすめスポットをご紹介】 […]

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フランクに接してくれる相棒|FIATオーナー紹介

クルマ好きのお客さんのガレージハウスを設計するなど、建築士として活躍している近藤光一(こんどう・こういち)さん。普段乗りできる楽しいクルマとして『500C TwinAir(チンクエチェントシー ツインエア)』を購入された近藤さんに、フィアットを選ばれた理由、そして『500』の魅力について自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。   『NUOVA 500』と同じオープントップ 今回登場していただく近藤光一さんは、ガレージハウスやビルトインガレージ住宅、店舗などを手掛ける建築士さん。趣味のフランス製クーペとハッチバック、イタリア製オープンスポーツカー、普段使いの日本製SUVと奥さま用のフランス製MPV、そして普段乗りもできる趣味のクルマとして2022年に『500C TwinAir(チンクエチェントシー ツインエア)』を増車したエンスージャストでもあります。 「僕は趣味のクルマの世界にはフランス車の方から入ってきているんです」とおっしゃる近藤さんが『500』のどんなところに惚れ込んでいるのか、お話を伺いました。   ▲近藤光一さん   フランス車の世界から入った、とはどういう流れなんですか? 「最初のうちは日本車を2、3台乗り継いでいたんですけど、途中で何か虚しくなっちゃったんですね。だけど、たまたまうちの近所でフランス車のハッチバックを試乗したら、よく走るし乗り心地もいいし安い。そこからフランス車の世界に入ったんです。日本車を乗り継いでいたときには足はガチガチが偉い、街の中では信号での出だしが速ければいいみたいに、クルマの価値観が凝り固まっていた部分があったんですけど、そのクルマに乗ってからはどうでもよくなっちゃいました。すべての方程式をそこから組み直した感じです」 『500』との出逢いは?   ▲近藤さんご自宅のガレージと『500C』   「実は、プロトタイプの『トレピウーノ』を見て興奮したタイプなんです(笑)。2004年に発表されたのを知って、早く出ろ、早く出ろ、って。デザインに惹かれて、欲しいと思ったんですね。僕はフランス車が好きな一方で、昔からクラシックなイタリア車に趣味で乗っていて、それが今持っているオープンカーなんです。イタリアやイタリアの文化、イタリアのクルマも大好きなんですよ。それで2007年の新型『500』デビューのタイミングに合わせてチンクエチェント博物館がイタリアツアーを企画してくれたので、僕も参加して『500』のインターナショナルミーティングにも行きました。実はそのとき、僕は新型『500』を買うつもりで行ってるんですよ。おつきあいさせていただいている博物館の伊藤精朗代表が誘ってくれたから、みんなで買いに行きましょう!って(笑)。そう言ったくせに、結局、15年間買わなくて……」     何か理由があったんですか? 「発表されたのは2007年でしたけど、クルマは2008年まで入ってこなかったじゃないですか。その間にいろんなクルマの誘惑があって、手元のクルマが増えちゃったんです。もうこれ以上は増やせないし、でもずっと気になっているし、っていう状態で15年が経っちゃったんですね」 15年の沈黙を破って『500』を購入することになった、そのきっかけは? 「コロナ渦と世界情勢の影響、ですね。ちょうど1年前の初夏、それらが原因で部品が入ってこなくなっちゃったんですよ。奥さんのクルマと古いオープンカー以外、あれもこもれもぜんぶ動かせなくなっちゃったんです。だから仕方なくエアコンもパワーステアリングもない、古いオープンカーを足に使っていたんですよ。真夏に(笑)。打ち合わせで現場にも行きたいしお客さんのところも行きたいんだけど、汗染みだらけの変な人が来たって思われたら嫌だなって考えていたら、友達がチンクエチェントのレンタカーがあることを教えてくれて、借りることにしたんです。そこで気がついたんですよ。僕は15年間、このクルマを買ってなかったって。結局3ヶ月借りて、秋に自分の『500C』を買いました。ツインエアにするか1.2ℓにするか迷いましたけどね」 『500C』を選んだのはなぜでしょう?     「最初の『NUOVA 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』のトップって、お尻の方まで開くんですよね。あのデザインこそが『500』だと思っていたんです。だから2009年の春先に『500C』が追加されたとき、それをモチーフにデザインしてくれたことが嬉しくて。ルーフの上の部分だけじゃなくてお尻の方までトップが降りてくる。これだよこれ!と思って、最初から『500C』を買うつもりでした」     ツインエアを選んだのは? 「1.2ℓの『500』のレンタカーに乗っているときに、高速道路の長い登り坂で個人的にトルク不足を感じたんです。僕なんかはデュアロジックでギアを落としてエンジンの回転を上げてしのぎますけど、奥さんは苦手みたい。それでショールームに行ってツインエアを試乗させてもらったら、やっぱり元気だなって感じたんです。トルクがありますよね。これなら大丈夫って確信しました。実際、僕の家のまわりも坂道が多いんですけど、力強さには不満はありませんよ」   次のページ:【一家に1台『500C』だな、って思う】 […]

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フィアットは私の好きすぎる推し!|FIATオーナー紹介

フィアットに心惹かれてから、1年間ほど“フィアットファン”として過ごしていたという波多野(はたの)あゆみさん。その後、『500』を購入にいたった経緯やどんなところに魅力を感じているかについて自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。   少しずつ少しずつ“好き”が膨らんでいきました 「私、もともとはまったくクルマに興味がなかったんです。免許は取っていて、仕事に行くために必要だからクルマを買うことになったときも、安いし安全そうだからこれでいいか、っていう感じで何も考えずに決めていました。なのに、『500(チンクエチェント)』に出逢ってからガラッと変わっちゃいましたね(笑)」 そう笑うのは、波多野あゆみさん。数年前まではクルマに興味がなかったというのに、現在では6年前から愛車となっているカントリーポリタンイエローの『500』にずっと心を奪われ、クルマのことも大好きになった模様。いったいなぜそうなったのか、お話を伺ってみました。     あゆみさんは昨年の7月に結婚されたとのことですが、転機はのちの旦那さんの家に遊びに行ったときに訪れました。今から7年ほど前のことでした。 「彼の家でフィアットからのDMを見て、このオニギリみたいな形をしたかわいいクルマは何だろう?って思ったのがきっかけでした。ちょうど『500』がマイナーチェンジをして新しい顔になったよっていうお知らせで、ポップコーンをイメージした白の『500』がデザインされているDMでした。そこで気がついたんです。駐車場で彼のクルマの隣りにいつも停まっているクルマ、フィアットでしょ!って(笑)。それまでクルマに興味がなかったから、まったく気にしてなかったんですね。調べてみるとチャチャチャアズールカラーの『500』であることが分かって、それからすごく『500』を意識するようになって……」   ▲波多野あゆみさん   そこで『500』いいな、って思っちゃったんですね? 「そうですね。お隣のチャチャチャアズールがすごくよかったんです。デザインと色と雰囲気の完璧なクルマがたまたま近所にいて、ハマってしまいました。私はもともとオタク気質があって(笑)。ハマったら自分がどうなるか知っていたので……」 ハマるとどうなるんですか? 「『500』が出ている雑誌や新聞を見つけたら全部買って、ちょっとでも載っているところがあったら切ってノートに貼って。ほんとハマるとやばいですよね(笑)。これはもし自分がフィアットに乗ったら大変なことになると思って、推しのことは“かわいい”“かわいい”って楽しむだけにしよう、それですませておこう、って思っていたんです。それはそれで楽しかった。1年くらいずっとファンしていて、その当時は今ほど『500』が周りで走っていなくて、出会うのがちょっと珍しい感じだったので、出かけたときにすれ違うたび彼と大騒ぎしていました」     なるほど。最初のうちは“かわいいな”と思っても、自分で乗ろうとは思ってなかったわけですね。なのに、なぜ購入する方向に……? 「少しずつ少しずつ“好き”が膨らんでしまって。私、下調べをいっぱいしていたんですよ。実際に乗っている人のブログとかを見たりして、壊れないかとか、どういう仕様なのかとか、ちゃんと走るのかとか。かわいいだけじゃやっていけないから、ちゃんとクルマとして安心して乗れるのかとか。そうしているうちに“キュン”ってする気持ちがどんどん大きくなって、いつからか自分が乗りたいって思うようになっちゃったんです。好きすぎて『500』の絵を練習しはじめたりとか。乗るからには描けなきゃ、って(笑)」     ハマったらどうなるか、の一端がわかった気がします(笑)。購入されるときはどう踏ん切りをつけていったんですか? 「買いたいという気持ちが出てきた頃からフィアット貯金をはじめました。働きはじめてまだ少しだったから貯金が少なくて、1年ぐらいして頭金が貯まった頃に勇気を出してショールームに行きました。最初はチャチャチャアズールが欲しかったんですけど、ぜんぜんなくて、だけどもう乗りたい気持ちが膨らんじゃっているから、1ヶ月もたたないうちに今のカントリーポリタンイエローの『500』に決めちゃいました。全般的に黄色のものは好きだったので」   ▲カントリーポリタンイエローカラーの『500』   最初に『500』を意識した瞬間からたった1年で、激変しましたね(笑)。購入するときに試乗もしたと思うんですけど、最初に『500』に乗ったときにはどんなふうに感じました? 「それまで普通のクルマにしか触れてこなかったので、最初はちょっと癖があってビックリしました。デュアロジックは初めてだったので。でも運転していて慣れていく感じがしたから、ちっとも嫌じゃなかったです。というか、何より乗っている時間が本当に楽しかった。ついに運転しちゃった!って緊張で手が震えちゃって。試乗のときには彼が後ろに乗っていたんですけど、そのときの様子を写真で撮られてました(笑)。彼も『乗った方がいいよ、そんなに好きなんだったら買った方がいいよ』って、押し押しでした。憧れていたクルマ、すれ違うたびに私を笑顔にさせてくれたクルマが、とうとう自分のものになるんだ、好きすぎるこの推しに私が乗ることになるんだ、って本当に嬉しい気持ちになりましたね」   次のページ:【お気に入りのカフェのドアを開けた瞬間の気持ち】 […]

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花の都は“外”から眺めるほど深い 〜歴史に触れるFIRENZEのスポット特集〜

“イタリア各地をめぐるフィアット”がテーマの『フィアット オリジナルカレンダー 2023』。フィアットの各モデルが6つの街とともに描かれた2カ月めくりのカレンダーです。9・10月に描かれている街は『FIRENZE(フィレンツェ)』。ジョットの鐘楼で有名なドゥオーモ(大聖堂)に代表される建築物や数々のフレスコ画、そして油彩作品は、いかに街がルネサンス文化の旗手であったかを今に伝えています。今回も、イタリア在住のコラムニスト・大矢アキオ氏にフィレンツェの魅力を伺いました。 『フィアット オリジナルカレンダー 2023』はダウンロードも可能。方法は記事の最後に掲載しています。ぜひチェックしてみてください。   ルネサンスの中心地、フィレンツェ 半島中部に位置するフィレンツェは、イタリアに20ある州のひとつ、トスカーナ州の州都です。コムーネと呼ばれる都市部の人口は、東京都新宿区(約33万人)より少し多い約36万7,800人。面積は102平方km。東京でいえば世田谷区と江東区を足した広さより、やや大きめといったところでしょうか。地形が盆地のうえ、湿潤温帯気候という分類が示すとおり、夏は湿気を強く感じます。 市内で最も古い橋『ポンテ・ヴェッキオ』には、当地を支配したメディチ家の専用通路も残ります。眼下のアルノ川はかつて水運をはじめ、さまざまな用途に使われてきました。同時に、1966年の洪水では歴史的美術品に大きな損害を与えるきっかけに。ゆえに、その流れは人々にさまざまな思いを抱かせます。 北には1770年にあのモーツァルトも越えたアペニン山脈を望み、南にはイタリア屈指の名産ワイン『キャンティ・クラシコ』のワイナリーが広がります。   ▲14世紀初頭に完成したヴェッキオ宮。メディチ家支配時代には、ときに血なまぐさい政争の場となりました。現在はフィレンツェ市庁舎です。   フィレンツェは、イタリア史において最も大きな役割を果たしてきた都市のひとつです。その主役となったのは、いうまでもなくメディチ家。14世紀に銀行家として頭角を現し、続く15世紀にはローマ教皇庁との繋がりを巧みに構築しつつ、フィレンツェ共和国の実質的支配者となります。ちなみに、当時の法定通貨単位はフィオリーノ(フローリン)。これは現在フィアット製商用車(日本未発売)のネーミングとして親しまれています。 メディチ家はフランス王室とも関係を築きました。16世紀、カトリーヌ・ド・メディシスは、アンリ2世のもとへ嫁ぎます。彼女はイタリアの食文化をはじめ、さまざまな風物をフランスに伝えたといわれています。さらにメディチ家は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ヴァザーリといったイタリア・ルネサンスにおける天才芸術家たちのパトロンを務めました。   ▲『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂』のファサード(奥)。奉献年は1436年ですが、ファサード部分は4世紀以上後の、1887年の完成です。   1569年にはコジモ1世がローマ教皇から大公に叙され、トスカーナは従来の共和国から大公国となります。その後、大公国はメディチ家の手を離れますが、ハプスブルク=ロートリンゲン家とフランスの支配時代を経て、イタリア統一が行われる前年の1860年まで続きました。つまり今からわずか160数年前まで、フィレンツェと一帯は独立した一国だったのです。その後イタリア王国が誕生しても、フィレンツェは重要な役割を果たしました。1865年から、首都が現在のローマに決まる1871年まで約6年にわたり首都機能を担ったのです。 いっぽう、第二次世界大戦後におけるフィレンツェの横顔のひとつはファッションです。1951年にイタリア初のショーがこの地で開催されました。毎年2回、世界からバイヤーやファッショニスタたちが訪れるメンズモードの見本市『ピッティ・イマージネ・ウオモ』は、その伝統を受け継ぐものといえましょう。   フィレンツェで見かけたフィアットたち おすすめスポット紹介の前に、フィレンツェで見かけたフィアットたちの写真をご紹介します。   ▲フィレンツェを象徴する橋『ポンテ・ヴェッキオ』を望むアッチャイウオリ通りで。   ▲フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅近くで。迷彩のカッティングシートを施された『Panda(パンダ)』。   ▲アニョロ通りは、旧刑務所を再開発した地区として知られています。『Nuova 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』の空冷エンジン音がこだまします。   ▲レプッブリカ広場近くのブルネレスキ通りに佇んでいた『500(チンクエチェント)』。   ▲レオナルド・ダ・ヴィンチの故郷であるヴィンチ村で発見した、懐かしい『127』。1977年以降のセリエ2です。   ▲絵付け陶器の町として知られるモンテルーポ・フィオレンティーノ。いかにフィアットが親しまれているかが窺える1コマです。   ▲モンテルーポ・フィオレンティーノで見つけた、アーチの向こうから顔を覗かせる『500』。   ▲ヴィンチ村の土産屋台横で発見した初代『Panda』後期型。後期型のベーシック仕様として人気を博したYoung(ヤング)です。   ▲昼下がりのヴィンチ村で。   次のページ:【フィレンツェのおすすめスポットをご紹介】 […]

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乗ってみて初めてわかる、楽しさがあふれるクルマ|FIATオーナー紹介

クルマ仲間と気軽に集まることの出来るイベント『新舞子サンデー』を主催したり、チンクエチェント博物館のイベントのお手伝いをしたりと、イベントのディレクターとして活躍される猪飼是尋(いかい・ただひろ)さん。イタリア車好きの猪飼さんの愛車『500』について、購入のきっかけや魅力などを自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。   自分を穏やかにさせてくれる雰囲気が、本当に大好き 東海エリアのクルマ好きの間でよく知られている『新舞子サンデー』というイベントがあります。6月から8月を除く毎月第3日曜日に愛知県知多市の新舞子マリンパークで開催されているいわゆる“置き系”イベントで、毎回300台を越えるクルマたちが集まって楽しい時間を過ごします。 そのイベントを2010年にはじめ、現在もディレクターとして運営を取り仕切っているのが、今回登場していただいた猪飼是尋(いかい・ただひろ)さんです。その手腕を買われて、チンクエチェント博物館が主催する“ミラフィオーリ”や“トリコローレ”といった全国に広く知られるイベントのディレクターとしても活躍されています。   ▲猪飼是尋さん   猪飼さんはイタリア車好きとしても知られていて、その愛車の1台が『500(チンクエチェント)』。2010年に300台限定で販売された、ブルー ヴォラーレの『500 Azzurra(アッズーラ)』です。もともとは現在も並行して所有するイタリア・ミラノのブランドのクルマの愛好家でもあるのですが、同時に「これからの僕の人生の中で『500』というクルマを持たない時期はもうないだろうなって思っています」というほど、トリノのブランドの小さなクルマがお気に入りの様子。その理由を訊ねてみました。 まずは『500』を購入することになったきっかけを教えてください。 「実は最初、自分が買うべきクルマだとは思っていなかったんです。もちろんフィアットは好きだったし、試乗して欲しいと思ったこともあったんですけど、すでに趣味のクルマが別にありました。あと、何より高校生と中学生の娘3人がいる5人家族なので、家族全員で乗ることを考えたら『500』だとやっぱり小さいんですね。それで家族用に国産のハイブリッドカーも所有しているんですけど、1年半前に職場の移転で公共交通機関からクルマ通勤に切り替える必要が出てきて、どうせならイタリア車で通勤したいっていう気持ちが強くなり、『500』を購入することにしました」   ▲『500』   いいチャンスだったんですね。実際まいにち乗るようになってみて、いかがでしたか? 「こんな楽しいクルマ、なかなかないな、と。乗ってみて初めてわかる良さ、楽しさっていうのが、あふれるように伝わってくるクルマなんですよね。仕事では日々せわしくしているんですけど、『500』ってゆっくり走っても誰にも何も言われないし、自分のペースで走れるんですよ。ほかのクルマに乗るときとは、右足への力の入り方が変わるんです。『500』のいいところってそこで、それは買った当初も今も変わってないです」     たしかにそういうキャラクターの持ち主ではありますね。 「そうですね。この“キャラクター”っていうのがすごく大切で、そんなに急がなくてもいいよ、せかせか生きなくていいよ、って言われている感じがするんです。今までいろんなタイプのクルマに乗ってきて右レーンを走ることが多かったんですけど、『500』だと基本は左レーン。僕はどっちかというと少し早めに現地に着こうって思うタイプなんですけど、『500』に関してはゆっくり走った方が楽しいから、それを見越して早く出発するんです。不思議ですよね。すごく穏やかな気持ちにしてくれるクルマ。平和な空気感というか、自分を穏やかにさせてくれるこのクルマの雰囲気が、本当に大好きなんですよね」 『500』には意外とスポーティな一面もあるわけですが、そっちの方は……? 「がんばって走ると、たしかにそれはそれで楽しいです。ワインディングロードのようなところを走ると、気持ちよく曲がってくれますからね。『500』の1.2ℓのファイアエンジンは設計も古いし非力といえば非力なんだけど、よく回ってくれて楽しい。シーケンシャル操作でギアを変えながら回転を上まで引っ張っていくと、結構速い。普段はATモードで走っていますけど、そういう道に行ったときにはシーケンシャル操作で走りを楽しんだりしています。まったりと元気の両方が楽しめるのも『500』のいいところですね」   次のページ:【この先ずっと『500』と名のつくクルマに乗っていこうと思っています】 […]

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“料理×クルマ”シェフ・ファビオとフィアットがコラボレーション!〜Tasty FIAT!〜

YouTubeやメディアで大人気のシェフ・ファビオさんと、フィアットとのコラボレーションプロジェクトが実現!フィアットが大好きというファビオさんが、6ヵ月間にわたって『500e』をはじめとするフィアットのさまざまなモデルに乗り、各モデルをイメージしたスペシャルレシピを考案します。今回はそのプロジェクトのスタートにあたり、ファビオさんのこれまでの経歴や現在の活動をご紹介しつつ、『Tasty FIAT!』の意気込みやフィアットへの想いついてお話を伺いました。   16歳で出会ったイタリアの文化と料理 ──まずはファビオさんが料理に興味を持ったきっかけを教えてください。 そもそもで言うと小学2年生ぐらいのときに、実家で土日のお昼に「キッチンに立ってもいいよ」みたいな日があって、そのときに初めてウインナーを焼いたり、お味噌汁を作ったりしたのが最初です。そうしているうちにどんどん料理が楽しくなって、いつの間にか自分の中での習慣になり、家族の中でも自分が作る日みたいなのが少しずつできていきました。 僕は何かひとつのことにハマったらとことんハマる性格。料理以外でも、美術とかものづくりが好きで、料理を作り始めたら本当に楽しかったし、両親や兄弟が「おいしい!」って言ってくれたのもうれしかったんです。   ▲シェフ・ファビオさん   ──そこから夢として、仕事として料理人を志したのはなぜですか? 父が薬剤師をしていて、あるときにイタリアのローマに仕事で行くことになりました。僕は日本でずっとサッカーをやっていましたが、高校1年のときに足を悪くして、部活を辞めなきゃいけなくなってしまって。そんな高校1年の冬休みに、ふと父のいるローマに行ってみようかなと思って、16歳で初めてイタリアに行きました。そこで初めてイタリア料理に出会ったんです。 そのとき僕は、イタリアの料理だけではなく、クラシック音楽やフィアットなど、イタリアのカルチャーすべてにとても衝撃を受けて。漠然とですがイタリアで働きたいなと思い、そこから料理人を目指すようになり、20歳のときにイタリアに渡りました。父親がイタリアに行ってなかったらイタリア料理とは出会ってなかったでしょうから、いろいろな縁は感じています。     ──イタリア時代に、特に印象に残っているエピソードをお聞かせください。 当時は何もかも日本と違ったような気がしましたし、日本で閉塞感のようなものを感じていた時期にイタリアに行ったので、日本とは違う文化がとりわけ魅力的に映った部分はあったと思います。その結果として、イタリアの文化や料理をとことん現地で吸収できましたし、そこからイタリアが好きという気持ちが変わることなく今日まで来ています。     ──イタリア料理のどういった部分に魅力を感じたのでしょうか? 16歳の自分がイタリア料理を好きになった理由は、たぶん“簡単”だったからだと思います。“簡単”なのって料理に関して僕がいいと思っているところでもありますが、基本的に大体の仕事は成果が出るまでプロセスにけっこう時間がかかる中で、料理は完成までにそこまで時間がかからない。自分の考えたものが、すぐ形になるというところが素晴らしくて。料理もいろいろなジャンルがありますけど、その中でもイタリア料理はやっぱりシンプルで、素材を大切にしようっていう文化が日本料理とも似ている。そのシンプルさが、自分にはすごく魅力的だったのかなと思います。     あとは単純に美味しかった。食べて感動したんですよね。最初に行ったローマでは、カルボナーラやアマトリチャーナ、トリッパのトマト煮込みとかを食べたんですけど、すごく美味しくて。あとはオリーブオイルと塩だけで味付けして焼いた野菜も、シンプルだけど美味しかったんです。     シェフとしてイタリア料理を発信する『ファビオ飯』 ──20歳からイタリアやドイツの大衆店から星つきレストランまで6年修行し、日本に帰国されました。帰国してから現在のスタイルに至るまでの経緯を教えてください。 帰ってきたときはけっこう迷っていた時期でした。そのときの自分のレベル的には、お店のスーシェフ(副料理長)かシェフ(料理長)のポジションでしたが、どのジャンルでどうやっていくのかというのがちゃんと定まっていなくて。会社員としてレストラン勤務をしていましたが、特に迷走していた時期が25歳からの2年ぐらい。28歳のときに店を辞めて、フリーになってYouTubeでの動画配信を始めました。     ──料理を披露する場として、YouTubeを選んだ理由は何ですか? 本来はお店をオープンしてそこで料理を作るというのが一番いいと思いますが、単純にコロナの時期と重なったのもあり、将来的には自分のお店を作りたいという目標はあります。その目標の過程にYouTubeがあって、YouTubeはあくまでツールとして、自分が今まで10年間やってきた技術や経験をアウトプットする場所という捉え方をしています。     ──今ではチャンネル登録者数が50万人を超える大人気チャンネルになった『ファビオ飯』ですが、動画を作るにあたって意識していることはありますか? 元々はお店でずっとやってきた料理人なので、動画を撮り始めたころは、まず料理を作りながら喋るということが全然できなかったんです。その段階から始めているので、演者的なレベルは最初マイナス。でも、今ようやく400本ぐらいは動画をやってきて、なんとかできるようになったかなと思っています。 YouTubeで発信する内容に関しては、何を伝えたいのかということを明確にすることを心掛けています。自分が作りたい料理を作っても、再生回数が伸びるわけではない。やっぱり料理人目線になると難しい料理になってしまうし、世の中の多くの人たちが何を求めているのかをちゃんと考える必要がある。だから僕はイタリア料理がメインですが、配信しているものは主にパスタ料理と肉料理の2つなんです。パスタ料理はわかりやすいし、キャッチーだし、みなさん作りやすい。それに加えて、料理男子の中で最近特に需要がある肉料理。その2つに絞った配信をしています。   次のページ:【フィアットの多様なイメージを表現した料理が誕生】 […]

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小さくて、偉大なクルマ!イタリア人に愛された『Topolino』がEVで帰ってきた

イタリア人にとって懐かしい名前のクルマが復活。フィアットが2023年7月4日に欧州で発表した小型のシティーコミューターEV(電気自動車)『Topolino』です。イタリア在住のジャーナリスト・大矢アキオ氏に、新『Topolino』の解説とともに、その偉大なルーツをひも解いていただきました。   ▲『Topolino Dolcevita(トポリーノ ドルチェヴィータ)』。オプションパーツのカタログには簡易シャワーも。   イタリア流・近距離モビリティ! この度、発表された新たな『Topolino(トポリーノ)』は、都市部や近距離移動を主な用途とした2人乗りのEV(電気自動車)です。全長×全幅×全高は2,535mm×1,400mm×1,530mm、そしてホイールベースは1,730mm。最高出力6kWhのモーターで前輪を駆動します。最高時速は45 km/hで、満充電からの航続可能距離(WMTCモード)は75kmです。 フィアットは、EVならではのカーボン(二酸化炭素)フットプリントやサウンド(騒音)フットプリントの削減、そしてコンパクトなサイズによるスペースフットプリントの削減という、都市で持続可能な自由を実現するためのすべてを備えている、と強調しています。   ▲ミラノ・スカラ座近くの風景を背に走る『Topolino』。フロントフェイスは1957年『Nuova 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』のイメージを継承しています。   控えめなパワーとスピードには理由が。欧州連合の『ライト・クアドリサイクル』という超小型車規格に準拠しているのです。このカテゴリーは、長年ヨーロッパで主に小さなメーカーが手掛けてきましたが、近年はいくつかの主要自動車ブランドが参入を試みています。超小型車扱いとなることで、『Topolino』もイタリアでは14歳から原付二輪免許で運転が可能です。   ▲おしゃれなインストルメントパネル。最小回転半径は3.6m。   ▲メーターパネルもミニマリズムを貫いています。   車型はクローズドボディと、『ドルチェヴィータ』と名付けられたオープンの2タイプ。『ドルチェヴィータ』はドアさえ持ちません。1960年代の『Nuova 500』や姉貴分である『600』をベースに、数々の外部製作者が手掛けたビーチカーのデザインが反映されています。   ▲クローズドボディ仕様のパノラミックルーフ。『Topolino』はモロッコもしくはポーランドで生産される予定です。   ▲『Topolino Dolcevita』   ▲『ドルチェヴィータ』は1960年代に一世を風靡したビーチカーを思い出させるドアレスのモデルです。   2つのボディタイプともカラーは『ヴェルデ・ヴィータ』の1色。ホイールデザイン、インテリアも1種類と、ラインアップでもミニマリズムが実践されています。   ▲イタリアの220ボルト2.3kW家庭用電源を使って、0%から満充電までの所要時間は約4時間です。   偉大な先代『Topolino』の歴史 “Topolino(トポリーノ)”とはイタリア語で“小ネズミ”を意味します。実はこの名前、1936年にデビューしたフィアットの小型車にも使用されていたのです。正式名は『500(チンクエチェント)』といいます。 ここで疑問を抱く方のために説明すると、実は“500”というネーミングは、この初代『500 Topolino』が最初でした。つまり、今日多くの人が思い描く1957年『500』より前に『500』は存在したのです。1957年『500』を呼ぶとき、あえて“新しい”を意味する“nuova”を加えて、『Nuova 500』とするのは、そのためです。 『500 Topolino』の開発に参画したダンテ・ジャコーザは、後年フィアット史上に残る名設計者となります。でも、実は彼がいたグループは、それまで乗用車をデザインしたことがありませんでした。おかげで、既成概念にとらわれず、シンプルなシャシー(車台)+全体の剛性に貢献するボディワークというアイデアを生むことができたのです。   ▲『500 Topolino』は1936年にデビューしました。   では、なぜ“小ネズミ”なるニックネームが付いたのか?答えは、そのデザインにあります。初期型である『500 Topolino A』および、それに続く『500 Topolino B』のラジエターグリルは、1930年代に流行した流線型を巧みに取り入れた形状でした。下に向かって三次元に絞られており、あたかも小ネズミの顔をイタリア人に連想させるデザインでした。2人乗りに割り切ったボディ形状も、すばしっこく走り回るネズミに似ていたことは想像に難くありません。   ▲『500 Topolino A』。後輪の後ろを覗くと、カンチレバー方式のため、板バネが後方まで繋がっていません。 […]

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『500』のデザインにはまったく隙がない|FIATオーナー紹介

広告制作会社にお勤めの小島潤一(こじま・じゅんいち)さんにアートディレクターの目線で、13年間乗り続けている『500C』について語っていただきました。フィアットを選んだ理由やデザインの魅力について、自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺います。 昔から全般的にクラシカルなデザインのものが好き 今回ご登場いただく小島潤一さんは、日本でも有数の広告クリエイティブを手掛ける会社にお勤めの、アートディレクター。企業や商品、大型施設などのブランディングを取りまとめ、TVCMの企画からロゴ・パッケージ・空間まで多岐にわたる分野のデザインも手掛けてこられました。またプライベートでは1961年式の英国製ライトウェイトスポーツカーを長年所有しつづけてきたエンスージアストでもあります。 そしてもう1台の愛車が、2010年に50台限定で販売された、テックハウス グレーのボディに赤いソフトトップが組み合わせられた『500C VINTAGE(チンクエチェントシー ヴィンテージ)』。優れた審美眼や絶妙なバランス感覚、そして豊かな遊び心が要求されるお仕事につき、クルマ趣味の酸いも甘いも体験してきている小島さんが、新車で購入されてから13年間、なぜ『500』に乗り続けているのか、お話を伺いました。   ▲小島潤一さん   小島さんの車歴は、誰もが知っている英国製の小さな名車からはじまったのだそうです。 「19歳のときに買って、6年乗りました。でもエンジンを降ろすことになりお金がかかりそうだったので、フランス製の洒落た小型ハッチバックに乗り換えたんです。でも、しっくりこなくて、半年ぐらいで国産オープンスポーツカーに。すごくダイレクトで、レスポンスもよかったし、ここでオープンの魅力を知りました。まわりにはヒストリックスポーツカーに乗っている知り合いがたくさんいて、こういうブレーンがいれば古いクルマに乗っても平気かな、と思って今の1961年式の英国製オープンスポーツカーに乗り換えたんです。30年ぐらい前の話ですね」   ▲小島さんご自宅のガレージ   そのクルマが持つ独特の世界観と、全身で楽しさを感じられるドライビングフィールに魅せられてしまった、ということなのでしょう。でも、驚いたことに小島さんはそれから20年ほど、その小さなスポーツカー1台で過ごしてこられたのだとか。その間に結婚もされ、奥さまも“クルマっていうのはこういう(長く乗る)ものだ”と思ってこられたのだそうです。にも関わらず、2010年に突然『500』を購入されたのはなぜなのか、やはり気になります。 「小さいクルマが好きだし、昔から全般的にクラシカルなデザインのものが好きだったから、古い『500』もすごく好きだったんです。以前、かつての名車をモダンにデザインしなおしたようなクルマがいろいろなメーカーから出たじゃないですか。その流れの中でフィアットからも『500』がデビューして、『これはやばいな』と思ったんです。普段使いのクルマの必要性を感じていたから。でも、なぜか踏み出せなかったんですよ。そのあと、アンテナを張っていたらテックハウス グレーに赤いソフトトップのモデルが出て、昔の『500』のルーフをパタパタって開けるのに似ていて、即、買っちゃったんです。ショールームですぐに売り切れちゃうと思うっていわれて、ほとんど一目惚れの衝動買いですね(笑)」   ▲『500C VINTAGE』       イタリアはデザインの国なんだな、と改めて思う ひとりのデザイナーとして、『500』のデザインをどうご覧になりますか? 「購入の決め手がデザインってくらい、かなりレベルが高いと感じますね。まったく隙がなく、旧型のコンセプトを継承しつつ、モダンにかわいくまとめている。昔の『500』もそうだけど、ヘッドライトのところからボディを1周する筋があって、そこから下がもっこりしている感じは今の『500』も受け継いでいる。日本車だったらこういうところにモールを入れて分けちゃうところなんでしょうけど、でも『500』はそこを面の構成による光の反射だけで表現している。そういうところが好きですね。内装が昔と同じボディ色のインストルメントパネルっていうのも、今のクルマではなかなかないじゃないですか。シートにあしらわれた白いパイピングとか、その洒落ている感じにも惹かれます。イタリアはデザインの国なんだな、と改めて思いますね」       オープンの『500C』を選んだのは、やっぱりオープンが好きだからですか? 「もちろんです。僕たちの仕事はここまでやれば“OK”っていうことがないから、平日は予想外に仕事の予定がみっちりになっちゃうんです。だから週末にオープンで走っていると、たとえ近所の買い物とかでも気持ちが開放されるので」     普段どんなふうに『500』に乗っているんですか? 「日頃は横浜の街乗りばっかりですね。月イチで開催されるマルシェに食材を買いにいって、そこでトートバッグいっぱいに買って帰ってきたり。『500C』って、そういうときの使い勝手は見た目以上にいいですよ。ハッチバックと比べると荷物の入るスペースが小さいと思っている人が多いですけど、実は開口部が狭いだけで容量はあまり変わらないんです。大きな荷物をドンと積むとかでなければ、積める量はほとんど同じなので不自由はないです」     『500』でどこかへ出掛けたりはしますか? 「年に5〜6回、三浦半島に行ったりはしますよ。母親の実家があって、幼い頃から馴染みがあるんです。昔からドライブは三浦半島ですね。家から1時間以内で行けるし、海もあるし丘もある。ヨットハーバーみたいのもいくつかあって、かなり開放感があるんですよ。あとゴールデンウィークと夏休みには、『500』で行ける範囲で旅行もします。いちばん遠くまで行ったのは京都の日本海側ですかね。あるときInstagramで琵琶湖の湖畔の“#あのベンチ”っていうのを見て、行ってみたいと思って。湖とそれを眺めるベンチと木とクルマをいっしょに写真を撮れる、撮影スポットなんです。そしたら、そこから京都の海沿いまでわりと近いことに気づいて。加えて、知多半島や岐阜にも行ったので、4日間で1,500キロくらい走りました。『500C』はロングドライブでもあんまり疲れないんですよ。それに、マニュアル操作でその気になってドライブすると結構元気よく走ってくれて、楽しいですよね」   次のページ:【代わりになるものが思い浮かばない】 […]

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