“イタリア各地をめぐるフィアット”がテーマの『フィアット オリジナルカレンダー 2023』。フィアットの各モデルが6つの街をめぐるイラストが描かれています。7月と8月はイタリア南部カンパーニャ州の『AMALFI(アマルフィ)』。ユネスコ世界遺産に指定された1997年の遥か以前から、イタリアを代表するリゾート地としてその名は広く知られてきました。世界中で人気のアマルフィ海岸の魅力を、イタリア在住のコラムニスト・大矢アキオ氏にたっぷり伺いました。 なお、『フィアット オリジナルカレンダー 2023』はダウンロードが可能。ダウンロードの方法は記事の最後に掲載しているのでぜひチェックしてみてください! 南イタリアの避暑地、アマルフィ海岸の歴史 アマルフィ海岸には、玄関口であるその名もアマルフィのほか、ヴィエトリ・スル・マーレ、ポジターノといった宝石のような町や村が連なります。アマルフィ海岸へのアクセスは、ナポリ中央駅から特急列車で約30〜40分のサレルノ駅で、バスもしくはフェリーに乗り継ぐのが便利です。バスだと約50分。カーブに差し掛かるたび、ステアリング片手に安全祈願の十字を切るドライバーに、この地の人々の信仰の篤さを垣間見ます。いっぽう、所要時間約30分のフェリーは波が荒い日も。それでも、断崖と海岸線に挟まれた小さな町や村が奏でる穏やかな雰囲気は、少しアドヴェンチャー的旅程をこなしたあとだけに喜びが倍増します。 ▲海岸の西端にある村、ポジターノ。劇作家ジョン・スタインベックがこよなく愛したことでも知られています。早くも3月末頃には、夏を待ちきれない北の国からの観光客が水着でビーチに繰り出すことも。 驚くべきはその歴史です。今日の穏やかなたたずまいとは対照的に、9世紀にナポリ公国から独立後、アマルフィ公国として地中海貿易で大きな力を発揮しました。アマルフィの町に残る造船所跡は、その名残です。アマルフィの町役場のウェブサイトには、“Antica Repubblica Marinara(古き海洋共和国)”の文字が、今も誇らしげに記されています。 ただし、公国が12世紀にシチリア王国に併合されると、一帯はひなびた港町になってしまいました。 ▲アマルフィ地方の伝統産品といえば、レモンとそれを用いた強いディジェステーヴォ(食後酒)。 そうした状況に、変化が訪れたのは20世紀に入ってからのことでした。アマルフィの隣村で、イタリアを代表する陶器『マヨルカ焼き』の産地でもあるヴィエトリ・スル・マーレ村は、1926年にユダヤ人迫害から逃れてきたドイツ人陶芸家マックス・メラメルソンを受け入れます。彼が注目されたことで、世界各地から同業者が集うようになりました。 第二次世界大戦後になると、さらなるムーブメントがもたらされます。1946年、映画監督ロベルト・ロッセリーニがロケ地に選定。1953年には、アメリカ人劇作家ジョン・スタインベックがポジターノを訪れて雑誌に紹介しました。それらをきっかけに、有名人の避暑地として注目を浴びるようになったのです。フィアット創業家の3代目で、イタリア戦後経済成長のシンボルでもあったジャンニ・アニェッリもしかり。1962年、アマルフィでジャクリーン・ケネディと過ごしています。その様子は、“ドルチェ・ヴィータ”の象徴として多くのパパラッチたちによって記録されました。2023年に天国に旅立ったロック歌手、ティナ・ターナーもポジターノの小道を歩くのがお気に入りでした。 この夏も多くのセレブリティが訪れ、その様子は週刊誌のグラビアを飾り始めています。ヴィエトリ・スル・マーレにも陶器工房で自身の作品を形にすべく、引き続きクリエイターが集います。穏やかな風景から想像できないほどの、外に向かった繋がりと寛容性。十世紀以上も前の海洋国家の気風は、今も脈々と息づいています。 ▲夜のアマルフィ。夏この地を訪れる人々は、誰もが遅い日没を存分に楽しみます。 アマルフィ海岸で見かけたフィアットたち おすすめスポット紹介の前に、アマルフィ海岸で見かけたフィアットたちの写真をご紹介します。 ▲アマルフィの町で。ジェラテリア前に停車する『500(チンクエチェント)』。 ▲昼過ぎ、アマルフィの町で。ナイフやフォークの音が聞こえてくる窓の下で、『Nuova 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』も小休止です。 ▲かつていくつもの鍛冶屋が店を構えていたというアマルフィのドージ広場で。断崖とビーチにはさまれた町で、小回りが効くフィアットは、人々の頼れるモビリティです。 ▲ポジターノで。『Panda(パンダ)』と並んでいるのは、狭い道での取り回しを考慮した、この一帯で多くみられる小型バスです。 ▲陶器の町ヴィエトリ・スル・マーレのショップ前に佇む初代『Panda』。 ▲アマルフィで。町の人にとっては見慣れた足である『Nuova 500』ですが、観光客にはイタリアン・ムードを盛り上げてくれる大切な名優です。 次のページ:【アマルフィ海岸のおすすめスポットをご紹介】
10年間『500』に憧れ続け、現在は『500 Dolcevita』に母娘で乗るサチエさんと、エミナさん。親子ふたりで楽しんでいるというチンクエチェントライフについて、自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。 10年間ずっと欲しかったクルマだったので、感動的でした 今回お話をお伺いするのは、2021年に即完売となった限定モデルの『500 Dolcevita(チンクエチェント ドルチェヴィータ)』を幸運にも手に入れることができたサチエさんと、免許取り立てのエミナさんです。 ▲サチエさん(左)、エミナさん(右) サチエさんは2009年頃に街で『500』と出逢い、ひと目惚れ。けれどその後は、10年以上も思いを募らせるばかりでした。 サチエさん「なんてかわいいクルマなんだろう!って衝撃を受けたんです。それからは街で『500』とすれ違うたびに『いいな。かわいいな。欲しいな』って、いつもクチにしていました。クルマに対してそんな気持ちになったこと、なかったんです。でも、日本車の販売店に勤めている友達にずっとお世話になってきたから、買い換えたいって言えなくて……」 エミナさん「母が『ああ、かわいい、やっぱりかわいい』って言っていた記憶はありますね(笑)。私もクルマのことは何も知らなかったけど、でも母がずっと『かわいい』って言っているクルマだっていうことはいつの間にか認識できていて、その後もずっとずっと『かわいい』って言い続けていたから、いつ買うんだろう?って思ってました(笑)」 転機が訪れたのは、サチエさんがフィアットの公式Instagramを見るようになってから。ある日、『500 Dolcevita』の写真を見て、胸が高鳴ったとおっしゃいます。 サチエさん「白いレザーシート!これだ!って思いました。好みにドンピシャだったんです。すでに『500』に乗っていた友達に相談したら、早くしないとなくなっちゃうよって言われて、でも意味がわからなくて(笑)。フィアットの限定車はすぐに売り切れちゃうこと、知らなかったんですよ」 ▲『500 Dolcevita』 サチエさん、エミナさんが一緒にショールームを訪ねると、残り1台で商談待ちが2組。ドキドキしながら待っていると、何と2組とも購入には至らず。商談の権利が巡ってきたそうです。 サチエさん「地方に単身赴任をしていた主人に17時頃に電話が繋がって、『あと1台しかなくて、しかも19時までに返事をしなくてはいけないの』と購入を懇願したら、『ずっと欲しかったんだもんね。いいよー』と言ってくれたんです。思わず泣きそうになりました」 『500』のどんなところに、そこまで惚れ込んだんですか? サチエさん「かわいいところに尽きますね。正面の顔が笑っているように見えるところとか、お尻がキュッてあがっているところとか。いや、全部ですね。ホワイトのボディカラーも赤いダブルのストライプも。クロームのエンジンフードのラインも、ホイールも、“500”ロゴの入ったサイドモールもリアゲートの“Dolcevita”のロゴも。それに、アイボリーを基調としたエレガントなインテリア!ポルトローナフラウ製の赤いパイピングがついた白いレザーシート、ナチュラルウッドのパネル、beatsのスピーカー。すべてがお気に入りです。ただ、私が購入したときにはすでに売り切れていた青と白のボーダー幌の『500C Dolcevita(チンクエチェントシー ドルチェヴィータ)』への憧れがあって、ガラスルーフのサンシェードやフィアットのバスケットを青と白のボーダーで装飾して楽しんでいます」 いざ『500』と暮らすことになって、初めて走らせたときにはどんな気持ちでしたか? サチエさん「ニヤニヤが止まりませんでした。エンジンをかけると“Dolcevita”の文字がモニターに浮かび上がるのですが、それだけでもううれしくて。ああ、私『500』を運転してる!って。10年間ずっと欲しかったクルマでしたから、感動的でしたね」 エミナさん「まわりから見たらあやしく思われそうなくらい、嬉しさのオーラがすごい感じでした」 毎日一緒に過ごしてみて、『500』はいかがですか? サチエさん「2年ちょっと経ちましたけど、毎日かわいいですね」 エミナさん「一緒に乗っていると、母はクルマから降りるときに必ず『ああ、今日もかわいい』って言うんです。たしかにかわいいけど、普通、そんなに毎日『かわいいかわいい』って言わないですよね(笑)」 エミナさんは免許を取ったばかりだそうですけれど、『500』を初めて運転したときはどんな気持ちでしたか? エミナさん「免許を取った次の日だったので、ちょっと緊張しました。ずっと助手席に乗っていたので感動はそんなにはなかったんですけど、でも、このかわいいクルマを運転しているんだ、気分が上がるな、って感じましたね。『500』を運転している友達はひとりもいないので、自分のクルマじゃないんですけど、特別な感じがしてちょっと嬉しいな、って思いました」 次のページ:【『500』は誰にでも愛されちゃうから】
4月15日(土)・16日(日)に代々木公園で開催された『アースデイ東京2023』。毎年、地球・自然・人間・文化など、幅広いテーマで活躍する企業や団体が集まる世界規模のこのイベントに、フィアットは今年もブースを出展!入り口では、フィアットが目指す“地球環境にやさしいカーライフ”を体現した人気のEV(電気自動車)『500e OPEN』と人気のコンパクトモデル『500 1.2 Cult』が来場者を出迎えました。今回は、イベントレポートと併せて、ブースに参加したフィアットのCSVパートナーである『特定非営利活動法人アニマルレフュージ関西』と『認定NPO法人スマイリングホスピタルジャパン』にフォーカスし、各団体のご担当者にお伺いした活動内容などをご紹介します。 ファミリーアース 〜誰もが歓迎されるやさしい場所へ〜 1970年4月22日にスタートし、現在では世界175カ国、約5億人が参加する世界最大の地球フェスティバル『アースデイ』。日本では毎年4月22日を中心に、代々木公園をはじめとする複数の会場で『アースデイ東京』が開催されています。 22年目となる今年の開催コンセプトは、“ファミリーアース 〜誰もが歓迎されるやさしい場所へ〜”。人だけではなく、地球を構成するあらゆるものが、かけがえのない大切なファミリーアースの一員であると捉え、年齢・性別・立場を超えて多種多様な人々が集い、お互いを尊重し、地球の未来をいっしょに考えることをさまざまな切り口から提案。今年はNPO・NGO、クリエイター、ファッションや暮らしのアイテムを扱う自然に根ざしたスモールブランドなど、200を超える団体がブースを出展。より身近に、かつ実感的にアースデイのビジョンに触れられる機会とあって、代々木公園に遊びに来た若者たちや小さなご家族連れ、ご高齢のご夫婦までさまざまな方が来場。開催1日目はあいにくの雨にも関わらず多数の来場者により、会場内は色とりどりの傘で一層華やいでいました。 そして、エコフレンドリーなカーブランドとして『アースデイ東京』に毎年参加しているフィアット。今回は、セレスティアル ブルーの『500e OPEN(チンクエチェントイー オープン)』とシチリア オレンジの『500 1.2 CULT(チンクエチェント 1.2 カルト)』が入り口で来場者を出迎えました。 ▲左から『500e OPEN』、『500 1.2 CULT』(写真提供:Stellantisジャパン株式会社) 昨年6月の発売以来、ますます注目度が高まっている『500e OPEN』に触れられる機会とあって、環境を想うフィアットの理念と最新機能が搭載された可愛らしいルックスに多くの方が足を止め見入っていました。また今回、会場でクルマについてのアンケートに答えてくださった方には、普段使いできるノベルティグッズをプレゼント。エコロジカルな暮らしに役立つアイテムに喜びの声があがっていました。 ▲アンケートにお答えいただいた方に、TOPO FIAT ぬいぐるみ、オリジナル アイスクリーム スプーン、オリジナル ポータブル ストローをプレゼント。 Share with FIATのパートナーをご紹介! 環境、教育、医療、貧困などを扱う世界中のNPOおよび非営利団体のサポート活動を2011年から行っているフィアット。自動車メーカーの枠組みを超え、“社会と共有できる価値の創出”を意味する『CSV(Creating Shared Value)パートナー』たちと力を合わせ、豊かな世界をつくり上げていくための取り組みを続けています。 今回は、Share with FIATのパートナーとしてアースデイに出展した『ARK(特定非営利活動法人アニマルレフュージ関西)』と入院中の子どもたちに本物のアートを届ける『認定NPO法人スマイリングホスピタルジャパン』のブースのレポートと活動内容についてご紹介します。 ① ARK(特定非営利活動法人アニマルレフュージ関西) 災害や飼い主の放棄、多頭飼育崩壊などのさまざまな理由により、行き場を失った動物たちのための活動を行っている、特定非営利活動法人アニマルレフュージ関西。動物たちの保護、ケア、里親探し、啓蒙活動など、国内外の動物にまつわる問題を改善するための活動を行なっています。
“イタリア各地をめぐるフィアット”がテーマの『フィアット オリジナルカレンダー 2023』。2ヶ月ごとに、フィアットの各モデルがイタリアの6つの街をめぐるイラストが描かれています。5月と6月は、イタリア人のみならずヨーロッパ各国の人々にとっても憧れの地『VAL D’ORCIA(オルチャ渓谷)』です。本連載を執筆しているコラムニスト大矢アキオ氏は、渓谷の玄関口であるシエナ県をベースにして27年。在住者ならではの視点で、エリアの魅力をたっぷり紹介してもらいましょう。 なお、『フィアット オリジナルカレンダー 2023』はダウンロードが可能。方法は記事の最後に掲載しているので、ぜひチェックしてみてください! ▲サン・クイリコ・ドルチャとピエンツァを繋ぐ道沿い、歴史を1590年にさかのぼる『ヴィタレータの聖母礼拝堂』。羊飼いの前に現れたとされる聖母マリアを祀ったものです。 世界遺産にも登録されているオルチャ渓谷 オルチャ渓谷は、イタリア中部に位置するシエナ県の南部・主にオルチャ川流域を指します。面積は、東京23区(約627平方キロメートル)に近い610平方キロメートル。牧歌的な丘に糸杉が連なる風景と、ローマに至る巡礼ルート『フランチージェナ街道』は、長年にわたって芸術家たちのインスピレーションを刺激し続けました。2004年にはユネスコの世界遺産に指定され、さらに世界から注目されるようになりました。 ▲バーニョ・ヴィニョーニの中心にある『源泉の広場』。この地の温泉水は遠くエトルリア時代から人々に愛されています。15世紀後半、イタリアのルネサンス最盛期にメディチ家の当主であったロレンツォ・デ・メディチも通っていました。 ▲『Via dell’amore(愛の小径)』と名づけられた場所で。15世紀のローマ教皇ピウス2世が、故郷を理想都市にすべく改造を試みたのが、今日のピエンツァ村です。 最上級格付けであるDOCGワイン『ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ』、羊乳のチーズ『ペコリーノ』などグルメ垂涎の地としても知られています。 ▲高級ワイン『ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ』を手掛けるワイナリーのひとつ、チャッチ・ピッコローミニ・ダラゴーナ。その歴史は17世紀末の修道院長による領地に始まります。 毎年初夏にはヒストリックカー・ラリー『ミッレ・ミリア』が、秋にはレトロ自転車走行会『エロイカ』がオルチャ渓谷をコースにするのも、数百年時計が止まったような自然と村が残っているからこそです。 ちなみに私の知人のフランス人やドイツ人は、毎年オルチャ渓谷でバカンスを過ごしたあと、途中の街に脇目もふらず国境まで帰っていきます。夢から醒めたくないといわんばかりに。それはこのエリアが、あまりに魅力的であるからに他なりません。 ▲その名も『糸杉の道』。“イタリアで最も美しい温泉地”と言われる小さな分離集落のバーニョ・ヴィニョーニとバーニ・ディ・サン・フィリッポを結ぶ州道2号線に現れます。 オルチャ渓谷を走るフィアットたち 今回もおすすめのスポット紹介の前に、オルチャ渓谷で見かけたフィアットたちの写真をご紹介します。 ▲トッレニエリで。春の丘を下る『500(チンクエチェント)』。 ▲ピエンツァ村を駆け抜ける2代目『Doblò Cargo(ドブロ カーゴ)』。ルネサンス建築と不思議と調和するデザインがイタリアン・ブランドらしいところです。 ▲サン・クィリコ・ドルチャのプレトリオ宮前を曲がる『500X(チンクエチェントエックス)』。この町は長年伝統的な自動車レース『ミッレミリア』の通過地点です。そのため、イタリアの伝説的ドライバー、タツィオ・ヌヴォラーリの像も建立されています。 ▲ピエンツァの細い路地からひょっこり姿を現した初代『Panda(パンダ)』。それも先代『500』に起源をもつ空冷2気筒エンジンの“30”型です。 ▲サン・クイリコ・ドルチャに11世紀から建つ『被昇天のマリア教会』で。初代『Panda 4×4』は、その走破性と強靭さから今も人気のモデルです。 次のページ:【オルチャ渓谷のおすすめスポットをご紹介】
赤い『500』から赤い『500C』へと乗り換えた、織戸秀行(おりと・ひでゆき)さんと真梨子(まりこ)さんご夫妻。“今では完全に趣味=『500』”というお二人に、フィアットによって変化したライフスタイルについて、自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。 いつかこういう“かわいいクルマ”に乗りたいな、って思ったのが最初 2021年に行われた『500オーナーによる座談会』に参加してくださった織戸秀行さんと真梨子さんご夫妻。当時はその1年前に購入された『500 TwinAir』を溺愛していたご様子でしたが、2022年7月に『500C TwinAir Dolcevita(チンクエチェントシー ツインエア ドルチェヴィータ)』に乗り換えられたと聞きました。同じ『500』のハッチバックからオープンエアへ。赤いカラーから同じ赤いカラーへ。織戸さんご夫妻にどんな心境の変化があったのか、そもそもなぜ『500』なのか。お話を伺ってきました。 おふたりと『500』の物語は、どうやら真梨子さんがイタリアで暮らしていた頃に源流があるようです。 真梨子さん「大学を卒業してから1年間、イタリアに留学していたことがあるんです。イタリアが大好きで、実際に住んでみたくなってしまって。その頃に昔の『Nuova 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』とか四角い初代『Panda(パンダ)』が走っているのをまいにちのように見ていて、いつかこういうかわいいクルマに乗りたいな、って思ったのが最初でした。けれど帰国してから調べたら、当時は『Multipla(ムルティプラ)』しか売ってなくて、私が望んでいるのはもっと直球でかわいいフィアットだぞ、って(笑)。それからしばらくの間は忘れていたんですけど、何かのきっかけで思い出してまた調べてみたら、『出ているじゃない、かわいいクルマが!』と、気持ちが膨らんだ感じでした」 そのかわいいクルマとは、もちろん2008年に日本に上陸した現在の『500』の初期モデルです。 真梨子さん「でも、その頃の私はまだ独身の実家住まいで、いいな、とは思っていたんですけど、家にはクルマがあるし、自分でクルマを買うほどでもなかったんです。結婚してクルマを買ったりするときになったら欲しいな、いつかは乗りたいな、とは思っていたんですけれど」 ▲真梨子さん 一方、真梨子さんが就職した先で出会って結婚された秀行さんは、当初は『500』にあまり関心がなかったのだとか。 秀行さん「僕はその頃に乗っていた自分のクルマが気に入っていて、小さいクルマには興味がなかったんです。輸入車に乗るならもっと大きいクルマがいいな、って思っていました。だけど妻が『500』を好きだっていうのは知っていたので、一度見に行って試乗したら気がすむだろう、とショールームに行ったんですね。まさか後に自分が『500』に乗ることになるなんて思いもせず(笑)。そのときは『500 1.2pop(ポップ)』と『500 TwinAir(ツインエア)』の両方に試乗したんですけど、妻は『このエンジン音がいい、めっちゃいい、断然ツインエアでしょ!』と。そんなこと言うんだ、って軽く驚きました(笑)。本当に好きなんだな、って新鮮でしたね」 ▲秀行さん 真梨子さん「私はかなり欲しかったんですけど、主人が自分のクルマを好きだっていうことを知っていて。なので、試乗だけで今は買わないだろうなって思って、特に提案したりもしなかったんですけど……」 それから徐々に、秀行さんの気持ちの中に変化が生まれた模様です。 秀行さん「実はクルマを見に行ったときに、ハンドルが白かったり、インパネがボディと同色だったりっていう、インテリアのデザインの見事さに惹かれてはいたんです。それから自宅でパンフレットを眺めたり、インターネットでいろいろデータをチェックしていたんですよ。そうこうしているうちに、自分が乗っていたクルマのモデルチェンジがあったんですね。それが自分の好みだったら、もしかしたらそっちを選んでいたかもしれないんですけど、あまりタイプじゃなかったんです。だったらフィアットにしよう。せっかく妻も好きなクルマなんだし。と、それで気持ちが購入に傾きました」 そして2019年、織戸さんご夫妻は2度目の試乗に向かいます。 秀行さん「小さいクルマだし、エンジンのパワーもそう大きくないから、高速走行や加速力とかも気になっていたんです。それで高速道路も含めてしっかり試乗させてもらったら、想像していたよりもぜんぜん速いし、加速もいい。まったく問題ないな、これなら大丈夫だなって思って、ついに購入しました」 写真を撮りたくなるクルマ 納車になったのは2020年。『500 TwinAir』と暮らすようになってから、ご夫妻のライフスタイルに変化が訪れます。 ▲500オーナーによる座談会に参加された際の織戸さんご夫婦と『500』 秀行さん「前のクルマでは一度もなかったのに『500』に乗るようになってから、クルマの写真を撮るのが好きになったんです。SNSにも興味はなかったのに、Instagramもはじめたりして。みなさんがいろいろなところに行って撮った写真を投稿しているので、それを見て自分もその場所でクルマの写真を撮りたいって思って、本当にいろいろなところに写真を撮りに出掛けるようになりましたね。写真を撮りたくなるクルマなんですよ」 真梨子さん「主人がInstagramをはじめてすごく楽しそうだったので、私もはじめました。ふたり一緒に『500』に乗って行くので写真は同じ場所で撮るんですけど、違うカットを撮って投稿しています。前のクルマのときにはそんなに遠出をしなかったんですけど、『500』が写っている雰囲気のいい写真を見ると、『私たちも行ってみない?』みたいな感じで週末の旅行の予定をたてて行ってみたりとか。クルマに乗る機会というか、クルマで旅行することがすごく増えましたね。『500』がいろんな場所に連れてってくれるんです」 秀行さん「特に決めているわけじゃないんですけど、近場も含めると月に1〜2回は写真を撮りに出掛けていますね。もちろん出掛ける前にもふたりで下調べをしたり、よさそうな場所の写真を見つけて、『ここどう?』『採用!』なんて相談したり。行った先でも地図アプリを見ながら調べて、航空写真に切り換えてチェックして、いい写真が撮れそうな場所に印をつけて。行くからには、いろいろ撮ります(笑)。そういうのがすごく楽しいんですよね」 真梨子さん「写真を撮るために、4〜5時とか、ものすごく早起きして出掛けます。ライフスタイルが大きく変わりましたね。特に主人はスマホやスニーカーをクルマに合わせて赤にしたりとか、スマホのケースにマイアーニの包み紙からチョキチョキ切り出した『500』の姿を入れたりとか、もうビックリするくらい『500』の影響を受けています。ここまでハマるとは思ってなかったです(笑)」 ▲秀行さんが撮影されたお写真 秀行さん「人生、激変ですね(笑)。生活の中心といったら言い過ぎかもしれないけど、『500』がなければ今の生活が成り立たないようなところはあります。今では完全に趣味=『500』、です」 次のページ:【幸せを運んでくれるクルマ、家族みたいなクルマ】
愛知県名古屋市にある『チンクエチェント博物館』。館長の深津浩之(ふかつ・ひろゆき)さんは、『PUNTO』、『PUNTO EVO』と乗り継ぎ、現在は『500X』のオーナーです。チンクエチェント博物館 館長の深津さんのフィアット『500X』への想いについて、自動車ライター・嶋田智之さんがお話を伺いました。 気づいたら自分の趣味趣向がフィアット寄りに 日本にもフィアットのプロフェッショナルと呼べる方は何人かいらっしゃいますが、この方も間違いなくその内のひとり。世界でも数少ない『500』の私設ミュージアム『チンクエチェント博物館』の館長、深津浩之さんです。2001年のオープニングの頃から博物館の運営にたずさわり、以来、年に何度もイタリアへ渡って現地の新鮮な情報を仕入れてきたり、国内ではフィアットやイタリア車好きのためのイベントをプロデュースしたりと、フィアット好き、『500』好きにとって、何かと心強いアニキのような存在です。 ▲深津浩之さん ▲チンクエチェント博物館 実は深津さんご自身も、20年以上、フィアットを所有し続けているオーナーさんです。今回は現在所有している『500X』を中心に、フィアットへの想いをうかがってみました。 まずは深津さんとフィアットの出逢いからたずねてみようと思います。 「実は昔からフィアットが大好きだったとか、『500』に憧れていたとか、そういうのじゃないんです(笑)。きっかけらしいきっかけは、この博物館の代表である伊藤精朗(いとう・せいろう)さんとの出逢いですね。22〜23年ほど前ですけど、当時、伊藤さんはクルマのスペシャルショップやクラブもやっていたし、僕もその頃は別のイタリア車に乗っていて、その集まりの中で知人に紹介してもらったんですよ。僕は当時、普通のサラリーマンだったんですけど、お付き合いしてきた中で伊藤さんに『博物館をいっしょにやろうよ』って誘われて、ここのスタッフになって今に至る、っていう感じです」 ということは、イタリア車はお好きだったんですね? 「そういうわけでもなかったんです(笑)。クルマはもちろん好きでしたよ。でもそれまで乗ってきたのは日本車1台にドイツ車3台。僕は昔から多趣味で、何が何でもクルマがいちばんというわけでもなかったし。こういう仕事をしているとそう思われがちなんですけど、僕は昔も今も、少しもマニアじゃないんですよ」 今のようにフィアットに詳しくなったり好きになったのには、どんな経緯があったんですか? 「以前、前の会社に在籍したまま、博物館の開設の手伝いをしていたんですよ。そうしたらある日、伊藤さんが『ちょっと乗ってみなよ』って『Nuova 500(ヌォーヴァ チンクエチェント)』を貸してくれて、乗って帰ることになったんです。乗ってみての最初の正直な印象は『何だコレ……?』でした(笑)。ものすごく遅いし、操作系もかなり丁寧にやらないと綺麗に動いてくれないし。1kmも走らないうちに、やっぱり返すっていおうかな、と思ったぐらい(笑)。でも、せっかく貸してくれたんだからせめて2〜3日は乗ってみよう、と思い直したんですね。それで次の日も会社に乗っていったりとかして、ちゃんと乗ってみたんです。そうしたら3日ぐらいでどんどん慣れてきて、慣れたらどんどん楽しくなってきちゃって、1週間経つ頃にはめちゃめちゃ面白いと感じるようになって、結局、伊藤さんにお願いして3週間ぐらい借りていました」 それがリアルなフィアットとの出会いだったんですね? 「そうですね。その後チンクエチェント博物館に転職することになったわけですけど、ここはもともとフィアットを好きな人たちが集まるところで、いろんな話をしたりクルマに触れさせてもらったり。博物館がオープンする前に伊藤さんといっしょにイタリアへ行って、フィアット本社でアーカイブを見せてもらったり、まだ昔の面影を残していたリンゴット(1923年から1982年に操業していた、屋上にテストコースを備えるフィアットの生産工場)に連れていってもらったり。いろいろな経験をさせてもらったんです。そんな中で、フィアットは単なる1メーカー、1ブランドじゃないんだな、って肌で感じるようになりました。フィアットって歴史も長いし、その歴史の中でイタリアという国のためにいろんなことをしてきているんですよね。ある意味、イタリアの象徴のような存在。それを実感するにつれて興味がどんどん湧いて、気づいたら自分の趣味趣向みたいなものがフィアット寄りになっていた、っていう感じです(笑)」 『PUNTO』、『PUNTO EVO』、その次が今の『500X』。 その流れで自家用車にもフィアットを選ぶようになったんですね? 「ファミリーカーを買い換えようっていうときに、自分はチンクエチェント博物館で働いているし、よし、フィアットにしよう、と。それで2代目『PUNTO(プント)』を買ったんです。イタリアで見てかっこいいと思ったので。どちらかといえば自分が乗るというよりは、妻がチャイルドシートをつけて乗っていたんですけどね。でも、それが自分の所有する初めてのフィアットでした。そこからは自家用車はほぼ全部フィアット。『PUNTO』のあとは『PUNTO EVO(プント エヴォ)』で、その次が今の『500X』です」 ▲『500X』 社用車として現行『Panda(パンダ)』にもお乗りですよね? 「まいにち乗っています。博物館のスタッフとして働きはじめた頃は、初代『Panda』に乗らせてもらっていました。途中で『チンクエチェント博物館のスタッフなんだから古い『500』に乗る方がいいよ』っていうことになって、『Nuova 500』に3年ぐらい、まいにち乗っていました。どちらもすごく楽しかったですね。『Nuova 500』は古いクルマだから大変な想いをしたこともあったけど、今ではいい想い出になっているんですよ。いろいろ勉強もさせてもらいました。今の『Panda』もすごく気に入っています」 ご自身で所有されてきたクルマはいかがでしたか? 「『PUNTO』はエンジンもしゅんしゅん回るし、小さいから走りが軽快だし、とってもフィアットらしいな、って思っていました。フィアットらしさって人それぞれなんでしょうけど、僕がイメージするフィアットだったんですよ。カタログ上のパワーは強力なわけではないんだけど、数値よりも明らかによく走るんですよね。ものすごく元気に走ってくれる。『PUNTO EVO』も同じようにフィアットらしくて気に入っていたんですけど、メーターが15万kmを越えて、もう乗り換える方がいいのかな、って考えたんですよ」 ▲『PUNTO EVO』 それで選んだのが今の『500X』ですね。なぜ『500X』を? 「そのときの候補が『500』『Panda』、それに『500X』の3択。その中で、『500』は妻が吹奏楽をやっていて道具一式を積み込むのが大変。『Panda』は僕が社用車で使っている。残された選択が『500X』だったんです。もちろんそれより前に試乗はしていて、よくできたクルマだってわかっていたので」 次のページ:【SUVだけどやっぱりフィアットだな、って感じます】
自動車専門誌『ル・ボラン(LE VOLANT)』が、東京・世田谷の二子玉川ライズで2023年3月18日・19日に開催した『EV:LIFE FUTAKOTAMAGAWA』。フィアットは、国内デビュー1周年を迎える『500e』で参加。EVでは現在唯一、ルーフが全開する『500e OPEN』の展示から、『500e』の魅力が体感できる試乗体験会まで、多くの人々が最新の『500』に触れた模様を報告します。 EV唯一のカブリオレ仕様『500e OPEN』をご紹介 数多くのショップやレストラン、さらには映画館まで備える『二子玉川ライズ』。その中央を貫くガレリアと中央広場に、およそ15の国内外自動車メーカー&ブランドの“エレクトリックなクルマ”が一堂に会する『EV:LIFE FUTAKOTAMAGAWA』が開催されました。 本イベントを主催する自動車専門誌『ル・ボラン』は、環境意識の高まりに合わせて注目が集まりながらも、まだ少し距離があると思われがちなEV(電気自動車)をより身近に感じてもらうため、3年前から『EV:LIFE FUTAKOTAMAGAWA』を開催しています。 2023年の今年、フィアットは国内デビュー1周年を迎えるEV『500e(チンクエチェントイー)』とともに参加。思えば、週末のショッピングを楽しむ人々が行き交う中で、電気自動車だけでモーターショーが実現できるのは、新たな時代の到来という他にありません。 ▲『500e OPEN』 ここで、改めて『500e』をご紹介します。2022年4月5日に日本国内で発表されたコンパクトカーは、1957年の登場から環境に配慮し、小さい排気量、小さいサイズで開発された『Nuova 500』(愛称は、イタリア語で“500”を意味する“チンクエチェント”)の流れを汲む電気自動車です。現行の『500』とそっくりですが、EV化に伴ってすべてを一新。ボディも『500』の全長3,570㎜に対して60㎜長くなったものの、世界中で愛される『500』の可愛らしさは、新たなルックスで表現されました。 展示車両は、現在のEVで唯一ルーフが全開する『500e OPEN』。カブリオレ仕様は誰にとっても興味深かったようで、特に小さな子供たちから歓声が上がっていました。 特に女性に伝えたい『500e』の魅力 来場者の興味を引き続けたフィアット展示ブースでは、ノベルティグッズを提供するキャンペーンを実施。また、展示車両にフォーカスするコーナーでは、モータージャーナリストの竹岡圭氏と、フィアットブランドマネージャー、熊崎陽子氏による『500e』の紹介が行われました。 ▲キャンペーン参加者にプレゼントされたフィアットのノベルティグッズ ▲モータージャーナリスト 竹岡圭氏(左)と、フィアットブランドマネージャー 熊崎陽子氏(右) 「たくさんの方々に『500e』を気に入ってもらえたら」 こちらは、展示車両の紹介を終えた後、ミネラル グレーをまとった『500e OPEN』が常に誰かに触れられている姿を見守っていた熊崎氏の言葉です。 「二子玉川ライズがある世田谷の住宅街を、環境に優しい『500e』がきびきび走り回る姿をイメージしていただけるとうれしいですね。EVの場合、バッテリー切れが気になる方は少なくないと思いますが、航続距離は355㎞なので、『500e』が得意とする街中でのドライブを安心して楽しんでいただけます」 今回の展示車両に『500e OPEN』を選んだのは、次のような実績があるからだそうです。 「『500』にも『500C TWINAIR DOLCEVITA(チンクエチェントシー ツインエア ドルチェヴィータ)』というルーフが開くカブリオレモデルがありますが、ラインナップ全体では2割の支持率です。それが『500e』になると、カブリオレモデルの『500e OPEN』は5割の支持率となっています。私たちも予想しなかった結果ですが、EVであってもルーフが開く自由を求める方が少なくないのだなと実感しているところです」 『500e』の認知度向上に関して、熊崎氏からはもう一つ興味深い数字の話を聞きました。 「この可愛らしいデザインとコンパクトなボディサイズから、『500』は女性オーナー比率が5割に達しているんですね。ところが、まもなく発売1年を迎える『500e』は、男性オーナーが8割を超えています。もちろん、『500e』がお宅にあればご主人も奥様も運転されると思いますが、名義で調べていくとそのようなデータになります。この結果に鑑みると、女性はまだEVを遠巻きに見ていらっしゃるのではないかと。そこに近寄りがたい何かがあるなら、私たちは距離を詰めてもらえる努力を続けていきます。コンパクトで経済的なクルマであること。そしてまた『500e』は安全装備が充実していること。そうした情報は、このようなイベントや、4月から始まるデビュー1周年キャンペーンで、特に女性に伝えていきたいです」 次のページ:【EVである前に『500e』】