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災害の緊急支援から復興まで。“早く、深く”被災地を支援。ピースウィンズ・ジャパンの活動とその思いを聞く。

Peace Winds Japan(ピースウィンズ・ジャパン)は、自然災害や紛争などにより、生活の危機にさらされた人々の支援や、殺処分の対象となった犬の保護など、さまざまな社会問題に取り組む特定非営利活動法人。1996年の設立以来、「必要な人々に必要な支援を」をモットーに、これまでに33の国と地域で支援活動を展開しています。今回はその第一線で活躍されているピースウィンズ・ジャパンの国内事業部次長の橋本笙子さん、国内事業部の西城幸江さん、コミュニケーション部の櫻井綾子さんにご登場いただき、それぞれの活動やその裏側の話をうかがいました。     まずピースウィンズ・ジャパンの活動で驚くのは、その活動規模の大きさ。災害支援では国内外と広範に展開し、被災直後の緊急支援から復興支援までを行っています。緊急支援については、ヘリコプターまでを配備し、緊急出動に備えています。最近では令和2年7月に熊本県と鹿児島県に大雨特別警報が発令された際に、医師や看護師、レスキュー隊など約30名と救助犬、ヘリ2機などからなる支援チームを現地に派遣し、河川が氾濫した球磨川川周辺の被災地支援を行いました。     また、新型コロナウイルス感染症への対応では、1月末時点で中国にスタッフを派遣し、国内に備蓄されていた医療資器材やマスク50万枚以上を武漢や上海などに届けたことに始まり、1-4月には国内の約1,300の医療・福祉・児童施設にマスク140万枚を配布。さらに長崎に停泊中のイタリア籍クルーズ船コスタ・アトランチカでコロナ感染が拡大した際には、長崎県からの要請を受け、医師・看護師を含むチームを現地に派遣しています。表立って報道されないことも多いですが様々な災害の現場でピースウィンズ・ジャパンの方々が活躍しています。     活動範囲の広さもさることながら、緊急支援に始まり、現地の復興・開発まで、長期に渡り、支援の手を差し伸べているのも、特筆したいポイント。とかく世間の目は次々に起こる新しい災害の方に行きがちですが、被災地の復旧・復興には相当な時間を要することもあります。その主たるものが東日本大震災。ピースウィンズ・ジャパンでは、緊急支援に始まり、今なお地域の復興支援を続けています。例えば宮城県南三陸町に地域の方々が交流できるコミュニティスペース「晴谷驛(ハレバレー)」を設置し、かごづくりなどの活動を通じて、地域の方が趣味ややりがいを見つけたり、そうした活動を通じて他の参加者の方と交流したりして心が晴れやかになるような環境づくりを行っています。なおフィアットもピースウィンズ・ジャパンの東北支援プロジェクトをサポートしています。     こうして様々な支援活動を“早く”、“深く”実行されているピースウィンズ・ジャパン。そうした最前線の裏側では人々がどのように動いているのか、うかがっていきます。     災害が起きたとき、現地に素早く救援チームを派遣されていますが、どの段階で支援を開始するのでしょうか? 橋本さん ピースウィンズ・ジャパンでは、関係団体と空飛ぶ捜索医療団「ARROWS(アローズ)」というプロジェクトを編成しています。空飛ぶ捜索医療団のメンバーたちは常時ネットワークで繋がっていて、災害が発生すると一斉に情報を共有します。被災規模が大きく、被災者がいる場合には、直ちに医師や災害救助犬など医療を中心としたレスキュー隊を派遣します。また台風の場合では、ある程度事前に予想ができますので災害接近の48-24時間ほど前からスタンバイし、現地の災害対策本部と連携して災害の状況を確認し、救援活動を開始します。災害の規模にもよりますが、初期の1週間から2週間くらいまではレスキュー隊の派遣が活動の中心となり、並行してスタッフを派遣し避難所の運営や物資支援を進めていきます。   災害では、時間の経過と共に活動内容が変化すると思いますが、その時々の状況に応じて支援の内容を変えていくのですか? 橋本さん そうです。緊急支援は子育てと同じで、災害の発生直後は0から100まで面倒を見るつもりで従事し、時間が経つにつれ、少しずつ手を離していきます。場合によっては、辛くても、被災された方々の背中を押してあげることも必要だと思っています。被災地の自立のために少しずつ背中を押しながら、我々は去っていかなければなりません。とはいえ、自助・共助・公助といっても、例えば高齢者の多い被災地では、自助や共助には限界がありますので、手を差し伸べることが必要だと思っています。     プロジェクトの終わりはどのように判断するのですか? 橋本さん 終わりの判断はもっとも難しいところですが、被災された方が元の生活を取り戻すために、軌道に乗るところまでは後押しを続けたいと思っています。2018年の西日本豪雨の支援はまだ続けていますし、東日本大震災の東北支援も続いています。海外でも紛争地域の現場などでは終わりが見えないことが多く、長いところでは10年以上活動を続けているところもあります。   スタッフの方々は、本当に立派なことをされていて敬服しますが、いち個人としての生活や人生設計もあるかと思います。そのあたりは両立できていらっしゃるのでしょうか。 橋本さん この業界は女性が多いので、結婚や出産などライフステージにより色々な転機があります。この仕事に就いているからできない、という職場であってはいけないと思っています。個人の生活も守られながら仕事ができる環境づくりは大切だと思っています。   西城さん 自分たちの心と体が健康でないと、人の支援を続けるのは難しいというのが根底にあると思います。緊急の状況で行く10日間と、切迫した状況が過ぎた後の10日間では被災者の気持ちはまったく違います。やはりある程度、大変さの波はありますね。     橋本さん 東日本大震災に対応しているときのことですが、震災から1ヶ月後の4月頃に自分が壊れていくのがわかりました。私自身、心が崩れていくのを感じたのです。幸いにも自分自身でわかったので軌道修正ができたのですが、当時は数々の修羅場をくぐり抜けてきた国際協力の団体のスタッフでさえ、精神的にバタバタと倒れていき、1年や2年復帰できないほどのダメージを負った人もいました。海外であれだけの経験を積んできたのにどうしたのだろうと思いましたが、その時思ったのは、海外の現場への対応は、当事者ではなかったということです。一方、東日本大震災では災害が当事者のこととして重くのしかかってくる。目の前で起こっていることや現地で聞く声がストレートに体に吸収されていきます。やることが目の前に無限にあり、やってもやっても不十分という状況の中で無力感を感じて、メンタルを崩していく人が多いと感じました。   そのようなときはどうするのですか? 橋本さん 私たちの組織の中には労働基準法で定められている範囲でメンタルを含めたケアをチームもありますが、極限の状況下ではそうした人たちのお世話になるというよりは、同じ職場のスタッフ同士のコミュニケーションだったり、仲間との信頼関係だったりが重要だと感じています。私は本部にいて、現場ではプロジェクトリーダーがひとりで活動することも多いのですが、被災者に対してだけでなく、現地のスタッフにも、“あなたは1人ではない”ということが感じることができるように、支え安心させてあげることが必要だと思っています。   西城さん 常に予算に余剰があるわけではありませんから、現場も限られた中で人員配置をしていかなければなりません。現場では災害に対する無力感と隣り合わせのなか、あれもこれもやらなければならなくなる。タフじゃないとやれないですし、家族もある程度タフじゃないと厳しいと感じるかもしれません。   先ほど予算のお話が出ましたが、活動資金は政府の援助がない場合は、企業や個人の方からの寄付金で成り立つものだと思います。櫻井さんは資金を集める側のお仕事を担当されていらっしゃいますが、具体的にどのような活動をされているか教えていただけますか? 櫻井さん 現場での支援活動が表の部分だとすると、私がいるのは裏側の部分。緊急事態が発生し、救援チームが出動するぞとなった時に、裏側ではその活動資金をどう集めるか、という動きが起こります。広報チームが寄付を集めるための広報活動を行い、私の属する支援者サービスチームは、支援者からの問合せに対する準備を行います。     寄付金を集めてプロジェクトを回す。大変なお仕事ですね。 櫻井さん […]

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アジアの将来を豊かなものに。アジア女子大学の活動とその思いを聞く。

自分だけでなく、みんなの幸せを求める時代をつくっていきたい。そうした想いからフィアットは「Share with FIAT」を合言葉に、社会貢献活動をサポート。人と人との想いをつなぎ、社会に笑顔をひろげる活動を行っています。そのShare with FIATのパートナーのひとつであるアジア女子大学(https://asian-university.org)では、アジアの優秀な女性に高等教育の機会を提供し、社会・政治問題に取り組むリーダーの輩出を掲げています。今回はアジア女子大学支援財団の理事を務められ、ゴールドマン・サックス証券の副会長という顔も持つキャシー松井さんに、アジア女子大学の取り組みについてうかがいました。   社会を変革する女性リーダーを   アジア女子大学は、2008年にバングラデシュ・チッタゴンに設立された国際大学。南アジアや東南アジアの教育機会に恵まれない優秀な女子生徒に高等教育の機会を提供し、地域社会やコミュニティのリーダー育成を目指しています。彼女たちの学費は100%近く奨学金で賄われ、大学卒業者がいない家庭の子女を優先的に入学させているのが特徴。彼女たちの出身国では今なお貧困問題や男女不平等な社会環境が残っており、アジア女子大学ではそうした問題に提起できるリーダーを育て上げ、地域の制度を変革しようというビジョンを描いているのです。実際に、政府や非営利団体のリーダーとなった数多くの卒業生を輩出しています。       今回インタビューに応じていただいたキャシー松井さんは、アジア女子大学支援財団の理事を務めると共に、アジア女子大学の日本支援財団代表という立場で生徒の奨学金を捻出するファンドレイジングイベントの実施や、企業や組織に協力を求めるなどの活動を行い、学校運営や学生たちの支援をされています。また、ゴールドマン・サックス証券の副会長を務められ、日本株ストラテジストとして国内外の機関投資家に日本株式の投資戦略を提案する仕事をされています。1999年には「ウーマン」と「エコノミクス」を組み合わせた「ウーマノミクス」というレポートを書き、世間で半数を占める女性という人材の活用が、働き手としても消費者としても経済発展をけん引することを提唱されています。働く女性が増え所得が増えれば、消費も盛り上がり、経済にもプラスになるということを提示した松井さんのレポートは、のちに安倍政権の打ち出した経済政策「アベノミクス」の第三の矢である成長戦略として、女性の雇用拡大を推進する方針の裏付けとされました。松井さんは投資の世界のスペシャリストであり、女性への教育という投資のリターンが大きいことを確信されています。松井さんの提唱するウーマノミクスとアジア女子大学のビジョンは同じ方向を向いているのです。       アジア女性大学の取り組みについて、ご紹介いただけますでしょうか?   「これまでさまざまな学者や有識者の研究、そして私自身もウーマノミクスで提唱しましたが、女性の活躍が社会の成長につながることは社会の共通認識となっています。女性が高等教育の機会を得ると、経済的に独立したり、自らビジネスを立ち上げたり、将来的に自分の子どもに教育機会を与えたりと好循環なサイクルを生み出しやすい。つまり社会へのリターンが大きいのです。現在、アジア女子大学では東南アジアや南アジア、中東など19カ国の生徒が学んでいますが、例えばアフガニスタンやバングラデシュではそもそも高等教育の機関が少ない。あったとしても“これを覚えなさい”、という一方的な教え方をしていて、本当の意味でのリーダーが育ちやすい環境とは言いづらいのが現状です。女性が運転できないという理不尽な制度が残る国もあります。そのような地域では、法律や制度そのものを変えるリーダーを育てないと、これからも同じ状況が続くことになります。そこで未来を担うアジアの優秀な女性たちに高等教育の機会を作り、社会を変革できる人材を育て上げるようという思いから、2008年にアジア女子大学はスタートしました」。         アジア女子大学ではリベラルアーツ教育を掲げサイエンス分野も充実させていますが、教育プログラムも社会で活躍する人材育成を視野に入れたものなのでしょうか?   「そうですね。特定の学問を専門に扱うことも大事ですが、リーダーとなる人材には、オールラウンドな知識が求められます。専門知識があることに加え、討論や英語でプレゼンテーションもできる。そういうスキルを備える必要があります。理系分野では先進国でも男性が圧倒的に多いのが実情ですが、ここも問題だと思うので、理系分野で活躍できる女子を増やしていきたいと考えています。環境関連のサイエンスとか、公衆衛生といった分野はこれから需要が拡大します。今のコロナ問題を見ても、途上国で公衆衛生の問題が挙がっていますので、このような問題に対して解決策を考え、政策を実行できる人材を育てることに注力しています。たとえば2017年には武田薬品工業の協力により公衆衛生学の新たな寄付基金教授職が設置され、同分野における研究者や医師、政策立案者の育成が期待されています」。           アジア女子大学の現在の状況と今後の取り組みについて教えていただけますか。   「全校生徒数は2008年の創立時には120人程度でしたが現在は約900人にまで増えています。生徒数は今後も増やしていくつもりで、将来的には3000人規模まで増やしたいと思っています。もちろんそうなると奨学金だけでは賄いきれませんので、学費を負担できる生徒も含め、より多様性のある教育環境を作りたいというのが長期ビジョンです。連動してキャンパスも新設する予定で、現在はチッタゴン市のビル内で講義を行なっていますが、バングラデシュ政府から提供いただいた56万平方メートル(東京ドーム約12個分)の土地に常設のキャンパスが建設されます。そこに大学院を創設する計画もあります」。         生徒たちの卒業後の進路について教えてください。   「彼女たちの約85%は出身地に戻り、地域のコミュニティに貢献する職などに就き、残りの15%は大学院に進学しています。進路の決定はもちろん自由です。通常のカリキュラムが修了するまでに5年かかりますが、生徒は1年生や2年生の段階からインターンシップを経験します。たとえばユニクロさんにもインターンシップの機会を提供していただいており、生徒は同社のバングラデシュのヘッドクォーターでプロジェクトを与えられ、インターンシップの最後に、日本の本社でプレゼンテーションを行うという実践的な経験を積ませてもらっています。生徒たちはインターンシップ先の企業に就職するケースもありますし、進学を選択する生徒もいます。進学先はオックスフォード大学やスタンフォード大学、コロンビア大学など一流校の合格率もかなり高いです。彼女たちはハングリー精神が非常に強いので、就職や進学にも非常に熱心に取り組んでいます。ほとんどの生徒が寮住まいで共通言語は英語になりますから、語学力も同時に上達するのです」。         松井さんご自身も、生徒さんたちの奨学金の資金調達を行ったり、武田薬品工業さんやユニクロさんと交渉されたりとチャレンジングなお仕事をされていると思いますが、そのような大きな目標やプロジェクトに取り組む原動力となっているものはなんですか?   「自分の両親は奈良県出身の農家で高校までしか出ていないのですが、子ども4人を育て、高等教育の機会も与えてくれました。アジア女子大学の学生と一緒で、自分たちが大学を経験した第一世代なのです。結果、小さな種を蒔いたら色々な花が咲くということを自分自身の目で見てきましたので、次の世代、特に教育環境に恵まれないコミュニティの女性たちにそのことを伝えたいと思っています。それともうひとつは、日本とアジアの距離を縮めたいという思いがあります。日本は例えばアメリカとの距離は縮めようとしていますが、ずっと近いはずの東南アジアとの繋がりは希薄に感じます。日本も自力で成長したわけではなく、アジアに依存している部分が多いにも関わらず、得ているものに対して与えるものが少ないように感じられます。その辺を踏まえ、個人的には日本とアジアの架け橋というか、パイプを太くしたいという思いもあります」         フィアットも女性のエンパワーメントには力を入れていますが、社会貢献を行う企業活動についてどのように感じられますか?   「アジア女子大学はフィアットにお世話になっています。フィアットのような、自社の利益だけでなく、様々なコミュニティと積極的に関わりを持ち、企業として社会活動に積極的に参画する企業がもっと日本に増えることを願っています。今のコロナ禍の状況で、企業の考えや体質が浮き彫りになった部分もあると思います。危機に直面したことで、従業員の扱いやサプライチェーンの管理、危機管理の対応などの問題がクローズアップされましたね。自社の利益だけを追求するのではなく、もっと幅広いSDGs(持続可能な開発目標)といったことを考えていかないと、投資家の目が厳しくなる一方だと思います。私は投資の世界で生きている人間なので、そうした組織の対応力に目がいきます。企業にとしてお金を寄付することはもちろん立派ではありますが、それで終わりというのではなく、組織として社会貢献活動に参加する。そのような企業が日本にもっと増えていくことを期待したいですね」。 […]

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自分らしさが選択できる社会のために。I LADY.の活動とその思いを聞く。

自分らしい人生を、自分で決められるように I LADY.は、女性が心身ともに“健康”に生きられる社会を目指す、ジョイセフによるプロジェクト。健康といっても色々な健康があるけれど、I LADY.が活動の中心としているのは、性と生殖に関する健康。日本は医学が進んでいる先進国ではあるけれど、「性」の問題についていえば、それを取り巻く社会環境や人々の意識には、“遅れている?”と感じる部分も。その背景には、性はデリケートな問題なのでメディアで取り上げられることが少なく、社会の関心が向きづらい事情もあるのでしょう。そこで女性のいのちと健康を守ることを掲げている国際協力NGOのジョイセフが立ち上がり、I LADY.という活動を通じて、性や生殖面における女性の健康や権利にフォーカスしているというわけです。今回はそのI LADY.をけん引するジョイセフの小野美智代さんに、お話をうかがいます。     日本では、10代の中絶より40代の中絶の方が多い。   「性と生殖」の健康というのがあまりピンと来なかったので、具体的にどういう問題があるのか聞いてみました。すると、出てきたのがこの例え。あまり報道されないことですが、40代の中絶は10代より多いそうです。どういうことかうかがいました。 「中絶というと若い子たちという印象が強いと思います。わたしも6年ほど前に臨床の現場で人工妊娠中絶を施す産婦人科医からこの話を聞いたときは驚きました。40代というと不妊治療の話は聞きますが、中絶の報道はあまりされていませんね。中絶の理由を聞くと、わたしはてっきり婚外交渉とかかと思ったら、実際には多くが夫の子。たとえば長男長女が大学生になっていて、もう恥ずかしくて産めないとか、世間体があるとか、経済的な理由、子どもが20歳まで現役で働いて養う自信がない……など。産めないならなぜ避妊しなかったのか?と聞くと、夫がしてくれなかったという答えが返って来ることが多いようです。もちろん、妊娠は女性と男性の両方に起因するものだけれど、女性は自分のことなのに人任せにしてしまう。I LADY.ではこうした問題に着目し、自分の体のことは自分で守るという判断や行動を広めようという活動を行なっています。こうした概念を表したセクシャル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR=性と生殖に関する健康と権利)という言葉がありますが、I LADY.の活動の軸はまさにこれにあたります。わたしたちは、Love Yourself(=自分を大切にすること)。Act Yourself(=自分から行動すること)。Decide Yourself(=自分らしい人生を、自分で決められること)。というキーメッセージを発信し、これを実践できる人を増やしたいと思っています。SRHRの知識や意識を持つことは、自分の人生をよりよく生きる力になるライフスキルだと思っていまして、その普及を目指しています」。     自分に関わる問題ではあっても、人に委ねてしまったり、社会の空気に飲まれてしまったり、 “自分”を周りに合わせてしまう人が多いなか、そこに自分の意思に向き合って自分で選んで決断しようと。自分をもっと大切にしようよと。そういう意識を広めているわけですね。 「日本では、世間の空気に流されることや、自分を出さないことやNOと言わないことが美徳とされているところがあると思います。遠慮という言葉もあります。それ自体を否定はしませんが、時には自分の権利を主張して、流されないようにすることも必要だと思います。まずは気持ちの上で、自分自身を大事にするという意識を大切にしていただきたいですね」。     そうした考えを広めるI LADY.の活動にとって、理想とする社会とはどのようなものでしょうか? 「自分の人生は自分で決める。そういう生き方をしている人を、わたしたちは“I LADY.に生きている”、”I LADY.な人”と呼んでいますが、いまI LADY.に生きるアクティビストは、著名人を含めて155人位います。自分なりの人生を実践している人が100人いるとすれば、その生き方は100通りあるということです。若者たちの自殺が多い日本。先進国で若者の自殺が多い国は珍しいのに、わが国では大人になりたくない若者が年々増えている。そうした時代だからこそ、わたしたちが理想とするのは、I LADY.に生きる人たちが溢れる社会。自分のライフスキルが備わった人たちが増えていくことが理想だと思います。自らの生き方を自分で決め、イキイキとしている方が増えれば、そこに触発されて、自分らしさ=自分の個性に向き合う人が増えていく。他人とは違う自分のことを肯定できるようになって、自己肯定感が高まれば、自然と元気になって生きることが楽しくなる。他者の個性を認め、尊重することが当たり前になると思います。多様性やダイバーシティという言葉をあちこちで聞くようになった今、真の意味でお互いを認め合い、元気を交換し合えるような輪が広まっていくことにも繋がると思うんです」。     最近のI LADY.の取り組みについて教えてください。 「I LADY.に生きているアクティビストを増やして、その方々を皆さまに紹介していくというのが私たちのひとつのミッションです。年を通じてジョイセフが大切にしている記念日がふたつあり、ひとつは3月の国際女性デー、もうひとつは10月の国際ガールズデーです。そこでイベントを開催しアクティビストに登壇してもらい、啓発活動を行なっています。また、ウェブサイトでインタビュー記事を発信したり、【パジャマでおしゃべり】というYouTube企画で対談したりして、彼らがどのようにI LADY.に生きてきたかを発信しています。直近では、9月26日の“世界避妊デー”に、参加無料のオンラインイベントを実施し、9月28日には安全な中絶/流産を選ぶ権利に目を向ける“インターナショナル・セーフ・アボーションデー”というのがあるのですが、それに合わせてアクティビストたちと安全な中絶について考える機会を設定しています。最近は新型コロナウウイルスの影響で実施できないリアルイベントが多いので、オンラインの活動にも力を注いでいます」。     小野さんご自身がそうした活動を取り組まれるようになったきかっけについて教えていただけますか。 「わたしは旧家の初孫で、女の子として生まれてきて、親族にがっかりされたんです。母は男の子を産まなければというプレッシャーを感じていました。結局男の子は生まれず2人姉妹なのですが。でも親族皆が可愛がってくれ、差別されたというわけではなく寵愛を受けて育ちました。一方で、わたしは物心ついた頃から祖父から、うちの跡取りだから婿を取るんだぞと言われ続け、その陰で嫁である母には男の子を産んでくれと言っていたことがわかりました。なぜ男の子じゃなければいけないのか。まだ性差やジェンダーという言葉がわかっていなかった頃に、わたしにはそういう意識が芽生えたのだと思います。ジョイセフに来るきっかけもジェンダーやSRHRに興味があったからです。以前は大学の職員をしたのですが、アジアに旅行した時、カンボジアで出会った友達が2年後に出産で亡くなってしまったのです。当時、出産で亡くなるという理由がわからず質問したのですが、明確な答えは返ってきませんでした。日本では病院で出産するのが一般的ですが、当時カンボジアでは自宅で出産するのが当たり前で、彼女は3日間陣痛で苦しみ、お腹の子とともに亡くなってしまったんです。それで大学でカンボジアの出産事情を調べた時に、ジョイセフに出会いました。ジョイセフが国連人口基金の世界人口白書を日本語訳しており、そこでカンボジアや途上国では多くの女性が出産で亡くなっている現実を知ることになりました。またそれが女性の平均寿命を短くしていることも。そこからこの分野に関心を持ち、ジョイセフに入りたいと思うようになり、3年半後に募集があったので入ったのです」     気持ちいいことを人に伝える   ジョイセフでは、世界に妊娠や出産で命を落とす女性がたくさんいるという現実に目を向け、「ホワイトリボンラン」というチャリティラン・イベントを国際女性デーに開催していますが、これは途上国で女性のいのちと健康を守る活動へのチャリティを行なうと同時に、日本の参加者の女性にも走るという機会を通じて健康を促進する活動だと思います。これもランニングを愛好されている小野さんご自身の体験から発展した活動なのですか? 「わたしが走ることになったのは、東日本大震災の時に出会ったある女性のひと言からでした。避難所で被災者の声をヒアリングし、困っていることがないか聞いて回っていた時に、67歳の女性からどこから来たの?と聞かれ、静岡県と伝えたら、静岡や中部地方は東海地震が起こると言われているけど、対策は取っているかと逆に聞かれたんです。その女性は津波で娘さんを亡くし、残された3人のお孫さんを育てていました。わたしは当時、37歳。亡くなられた娘さんと同い年だったんです。そんな偶然もあり、“あんた子供いるの?””と聞かれ、3歳の娘がいますと答えたら、何かあった時にその子を抱えて走れる、逃げられるくらいの体力をつけておきなさいと言われたんです。お嬢さんと3人の息子は、逃げている時に第二波が来て、7才の子は自力で屋根の上に登れた。5才の子も上がった。お母さんは2才の子を抱えていて7才の子に渡せた。でも自分の身体を上げることができず、体力がつきて第二波で流されてしまったんです。7才と5才の子供は、目の前でお母さんが流されていく姿を見ていたそうです。その話が衝撃的で……。今のわたしは娘を連れて逃げられないと思ったし、健康にも体力にも自信がない。もし明日地震がきたら自分も娘も助からないと本気で思いました。それでわたしはそのことを地元の友人に話し、一緒に運動することを始めたんです。週に1回のウォーキングから始まり、ジョギングをやるようになった。そうしたら明らかに運動する以前よりも健康になり、体力に自信もついて、風邪もひかなくなった。わたしでも変われたので、これを子育て中の母親たちに勧めたいと思い、HiPsというコミュニティを作りました。毎月、満月の日に集まって走って、参加費100円を被災地に寄付するのです。それをホワイトリボンランに移行したのは、わたしが二人目を出産して育休中のとき。国際女性デーが3月8日にあって、ちょうど満月ジョグの日でした。いつもやっている100円寄付を、ジョイセフを通じて途上国の女性を支援しようとtwitterやFacebookに投げかけたら、静岡だけでなく、それが全国に共感が生まれ連鎖した。自分が気持ちいいことを人に伝えたら、それが全国に広がった。いいことを共有するって、こういうことなんだって実感したのです」。     そのホワイトリボンランにはフィアットも出展し、写真を撮ってポストした参加者にミモザの花を配布したりしましたね。最後に今後の展望を教えていただけますか。 「フィアットにはすごくシンパシーを感じています。フィアットのお客さんって、自分のやりたいことを自分で選んでいる女性だと思いますが、ジョイセフのファン、支援者も同様で。ジョイセフは大きな国際組織でないのでそこまで知られていないと思うのですが、ファンの方は自分でこの小さな団体を選んで支援してくれているんです。女性がイキイキしている社会は、フィアットとジョイセフが共通して目指しているところなので、これからも連携して、一緒に活動できる機会を増やしたいです。一人ひとりがLove, Act, Decide yourselfするI […]

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シェルターに保護される行き場を失った動物たちと新しい家族をつなぐ、 動物保護団体アニマルレフュージ関西の思い

行き場を失った動物たちを保護し、愛情を持って迎えてくれる里親を探す活動を行っている動物保護団体のアニマルレフュージ関西(以下アーク(ARK:  Animal Refuge Kansai)。1990年設立以降、犬猫あわせて6,000頭以上の動物たちを保護し、新しい家族に譲渡してきました。アークを立ち上げたのは、英国人のひとりの女性、エリザベス・オリバーさん。なぜ来日し、アークを立ち上げたのか。30年の歩みとアークへの思いをインタビューさせていただきました。   NPO法人アニマルレフュージ関西代表理事 エリザベス・オリバー 旅先で訪れた日本が気に入り、1968年に日本へ。英語教師として生計を立てるかたわら個人で動物保護活動を開始。1990年動物保護団体「アニマルレフュージ関西」、通称「アーク(ARK: Animal Refuge Kansai)」を設立。1999年にNPO(特定非営利活動法人)団体として承認され、2016年には認定NPO法人として所轄庁の認定を受ける。また2012年、英国女王が国家と社会に貢献した個人に贈る勲章、大英帝国五等勲爵士を受勲     アークのはじまり、動物保護団体を立ち上げたオリバーさんが日本に来た理由は?   動物を愛し、共に生き、積極的に救いの手を差し伸べようとしている人のネットワークをつくることを目的に、1990年に設立されたアーク。そもそも、日本で活動を開始したきっかけはどのような理由だったのでしょうか。 「実は最初は日本に行くことは考えていませんでした。きっかけは大学を卒業後、旅先で出会った日本人の方です。イギリスからモスクワ、北京、香港と旅をしていたのですが、その旅の途中で日本人の方と知り合い『日本に来たら遊びに来てくださいね』と名刺をいただきました。香港でオーストラリアに行くか日本に行くか悩んでいたときに、ちょうど港から神戸行きの船が出航するタイミングで、思い切って船に乗り込んだのです。日本に到着後は名刺をいただいた方に会いに行きました。その方は驚いていましたがとても親切にしていただきましたね(笑)。しばらくは英語の教師をしながら日本に住みましたが、もっともっと日本語を覚えなければ!と思い直し、いったんイギリスへ戻って大学で1年間、日本語を学びました。」 旅先で出会った日本の雰囲気を気に入ったオリバーさんは、再び日本に戻り、英語教師で生計を立てて、日本に住むことに。 「空いた時間では動物保護団体で週に一度、ボランティアをするようになりました。また犬と猫もレスキューセンターから引き取り新しい家族を迎えました。しばらくして、自然豊かな能勢町にある、家を購入しました。その家の裏には牛小屋があったので、幼き頃から好きだった馬を2頭迎えました。馬は3歳半から乗っていて、7歳のときには自分の馬を飼っていたのでずっと馬も飼いたかったのです。」 7歳で馬を飼う際に、オリバーさんはお母様と「責任を貴方がとれるなら馬を飼いましょう」という大きな約束があったそうです。当時オリバーさんはきちんと約束を守り、自分のことよりも馬の世話を優先させました。『命』を預かる責任を7歳のときから十分に理解していたのです。     最初は個人から始めた動物保護の活動。そして団体へ   オリバーさんが能勢町に移り住んだことがアークのはじまりにつながります。 犬と猫と、馬2頭との暮らしと、ボランティア。最初は動物が好きという理由からボランティアに参加していたオリバーさんでしたが、だんだんと動物たちの窮状を知るにつれ、自身で何か動物たちの幸せのために手助けすることができないかと考えるようになっていきました。 「ボランティアをしていた団体にはかなりの数の犬、猫たちがいました。でもある一定期間を過ぎると安楽死の選択がなされていました。私自身は、安楽死は反対派ではありませんが、人がサポートすることで生活の質が保てるのであれば、何とかして命を守り、里親を見つけて新しい家族と出会ってほしいという思いが強くなっていきました。その想いを形にしたのが個人で始めたアークの前身です。英語教師を続けながら、自宅で保護した犬たちの世話をする生活が始まりました。サポートは友人やボランティアの人たちです。次第に動物たちが増えていき、個人ではお世話が難しくなってきたので、1990年、個人から団体に切り替えて活動するようになりました。」     阪神淡路大震災がアークの大きな転機に   1990年にアークを設立。そしてその5年後、アークに大きな転機が訪れます。それは1995年に起きた阪神淡路大震災です。 「神戸で震災があって、アークの活動は本当に大きく変わりました。震災で保護する動物が約600匹に増えて、1年間で3倍になりました。当時は寝食ともにしていた友人、ボランティアの方とともに避難所に行って動物を探す日々。朝5時に帰ってきて1時間仮眠をとって、6時に仕事を始めるような日が続きました。犬だけでなく、猫やうさぎ、鳥も預かりましたね。動物たちのお世話ができなくなった人たちの中には放棄したくない方もいましたので、アークでお預かりした子たちもいました。急激に増えた動物たちを保護し、良い環境でお世話するためには、動物たちが安心して過ごすための住まいとなるシェルターと、多くのスタッフが必要になることを痛感した出来事でした。」     アークの3つの活動拠点、すべては動物たちの幸せのために   1990年設立以来「今目の前にいる子たちのために何ができるのだろう?」と常に自問自答し、ひとつずつ問題を解決してきたオリバーさんに、改めて、今のアークの活動拠点、仕事について伺いました。 「現在アークは、大阪府の北西部、自然豊かな山間地区に位置する、能勢町と兵庫県の丹波篠山市に動物たちの保護シェルターを所有しています。能勢にある大阪アークは約1000坪の広さで犬と猫を、2014年に新しく作った篠山アークは約7000坪という広大な敷地を持ち、犬とウサギを保護しています。東京にも事務所があり、ここでは保護した動物たちを里親に出す前に、家庭で預かってお世話をする「フォスター制度」の手配や、里親会の開催、各種チャリティーイベントなどを開催し、アークの広報活動を行っています。 アークの活動は動物たちの保護をするだけでなく、治療をはじめ、人や他の動物たちとの触れ合い、トイレや散歩など総合的な社会化のトレーニングなどの心身のケアを行っています。同時に里親探し、望まれない犬や猫をなくすための不妊去勢手術の推奨を行っています。また保護するだけでは根本の問題は解決しないので、日本の動物福祉水準の向上のための啓蒙活動や、飼い主さんや子供たちへの教育、行政への働きかけなどさまざまな取り組みを行っています。 日本の動物福祉は歴史が浅く、動物関連の法律もまだまだ弱い。動物たちを守るためにはまだまだ改正が必要なのです。」     コロナ禍の現在。アークの取り組みや変わったこと   コロナ禍でさまざまなイベントが中止になっていますが、アークで変わったことはありますか? 「1年に一度、アークを卒業した犬たちが里親さんと共に集まる同窓会やイベントなどが中止になったことはとても残念なことですが、オンラインで開催されたイベントへ参加したり、インスタライブを配信するなど、初の試みをしました。今後も形を変えて発信を続けていきたいと思っています。 今もっとも深刻なのは、経済の問題です。コロナ禍で仕事を失った方が増えてきています。仕事が無くなり、家も引っ越しするなどで環境が変わったことで、動物たちを飼うことができなくなり手放すというケースです。これは今後も増えるだろうと考えています。また少し子猫が街に増えたという影響も。これは猫を捕獲して(Trap:トラップ)、避妊不妊去勢手術(Neuter:ニューター)を行い、元の場所に戻す(Return:リターン)というTNR活動がコロナ禍で自粛または縮小していることが影響していると思います。」     アークとフィアットとの関係   現在、保護している動物は約120頭。これらは専従のスタッフ約20名を中心に動物たちの世話や施設の維持をしています。それらの活動資金は全て寄付や会費でまかない、さらに多くのボランティアの方々がアークの活動を支えています。「Share with FIAT」を合言葉に、さまざまな社会貢献活動をサポートしているFIATもアークを応援するパートナーのひとつ。改めてアークとFIATの関係はどのようなものなのでしょうか。 […]

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ペットを家族に迎える前にこれだけはしてほしい! より幸せなペットライフを送る、たったひとつのコツ

ペットを家族に迎え入れようとするとき、あなたは何を見て決めていますか? 見た目の可愛さや、インスピレーションで決める方は少なくないでしょう。たしかに、心ときめくペットとの暮らしは素晴らしいものです。しかし、それだけで決めるのはちょっと待って。その前に少しだけペットのことを「知る」だけで、その後のペットライフが、もっと素晴らしいものに変わるはずです。 2020年7月3日にオンライン開催された「FIAT PICNIC 2020」では、月間1,000万人が利用する日本最大のペット総合メディア「PECO(ペコ)」の望月奈々海さんと、動物保護団体「アニマルレフュージ関西」(以下、アーク)の秋山晴奈さんと共に、「ペットを家族に迎え入れるにあたって」というテーマでトークセッションを開催。 これから新しくペットを家族に迎え入れようとしている人、また、今、大切なペットと暮らしている人に向けて、より幸せなペットライフを送るコツを伺ってきました。   聞き手:アキラ 100%     ゲスト紹介   はじめに、ゲストにご登場いただいたおふたりの活動をご紹介いただきたいと思います。よろしくお願いします!   動物好きに大人気! ペット総合メディア「PECO」   望月さん:PECOはですね、可愛い動物の動画や、動物との暮らしに役立つ情報を発信する、ペットの総合メディアです。動画は月間だいたい3億回くらい見ていただいているんですよ。 3億回! すごいですね。動画は毎日アップしているんですか? 望月さん:そうです。ちなみに、今はお家時間が増えたこともあり、4月は月間6億回再生まで伸びてきていて、国内No.1のペットメディアとなっています。     ユーザーの方にはどういった方が多いんですか? 望月さん:ユーザーの70%は女性ですが、年代は20代〜50代の方までと幅広くご利用いただいています。「動物の動画を見て幸せな気分になりたい」「動物と楽しい生活を送りたい」というモチベーションで見てくださっている方が多いですね。   ペットの引き取りから里親探しまでを行う動物保護団体「アーク」   秋山さん:私たちアークは、1990年に現在の代表、エリザベス・オリバーによって設立されました。主な活動は、さまざまな理由で飼育が難しくなった飼い主さんから動物を引き取り、里親探しをすること。不妊手術やマイクロチップの埋め込み、動物に応じた必要な処置を行い、その子の性格を把握してから里親募集にかけるようにしています。そのほかにも、劣悪な環境に置かれている動物のレスキューや、災害時の保護活動も行っています。     秋山さん:この子は、イタリアン・グレーハウンドの「ネモ」。この子も今、里親を募集している3歳の男の子です(編集部注:放送後、新しい家族が決まったそうです!)。すごくフレンドリーな子なんですよ。 望月さん:今日も現場に着いてすぐ、スタッフみなさんに挨拶してましたね。 秋山さん:そうなんです、今はちょっと緊張してるみたいですけどね(笑)。 アークでは、学校などに訪問する教育活動にも力を入れています。保護動物の現状や命の大切さを伝えるのはもちろん、小さなお子さんの場合、犬を見つけたときに「可愛い〜!」と急に触ってしまうことが多いので、その触り方だと怖がらせてしまうよ、というような、動物との接し方などの基本的なお話もさせていただいています。 秋山さん自身は、こういう活動を始めるきっかけとかってあったんですか? 秋山さん:私自身がアークに入ったきっかけは、SNSで劣悪な環境のブリーダーの元にいる動物の写真を見たことでした。私もずっと犬を飼っていたので、その写真にすごく衝撃を受けて……。何か手伝えることはないかとアークのボランティアを始めて、そこからスタッフになりました。     ペットを迎え入れるにあたり、心がけてほしいこと   犬や猫をはじめ、さまざまな動物がペットとして暮らしていますが、ペットを迎え入れるにあたっての心がけや、気をつけたほうがいいことがあれば教えてください。 望月さん:PECOのメディアとしての役割とも重なりますが、やっぱり「情報を知る」ことが一番大事だと思っています。「犬」とひと言で言っても、犬種によって特徴が全然違うんですよね。 そうなんですね。 望月さん:たとえば、私の実家ではノーフォークテリアという犬種の子を飼っているんですが、テリアは定期的に人が毛を間引いてあげないと毛が綺麗に保たれないんです。また、ボーダーコリーはとにかく元気なので、たくさん運動させてあげられる環境が必要です。そうなると、広い公園が近くにあったほうがいい、など、ライフスタイルにも密接に関わってきますよね。 たしかにそうですね。 望月さん:だから、同じ「犬を飼う」と言っても、どういう犬種の子なのか、その子はどんな特性を持っているかを事前に知っておいたほうがいいと思います。かかりやすい病気なども知ることができれば、何に気をつけてあげればいいかも分かると思うので。 見た目の可愛さとか第一印象だけで選んでしまいがちですが、事前に、その子がどういう性格なのか、どういう体質なのかを少しでも調べると全然違うかもしれませんね。 望月さん:そうですね。やっぱり一緒に生活していくことを考えると、今後の人生の中でどんな風にペットと暮らしたいかをイメージしてから迎え入れてほしいと思います。     秋山さん:アークにも、「ペットショップで一目惚れをして犬種の特性を知らずに飼ってしまい、半年後に40kgに成長してしまい飼えなくなったので手放す」というような、知識不足が原因の引き取りが絶えずあります。なので、今望月さんが仰ったような勉強は必ずしておいてほしいですね。 それって、知っておけば防げるケースですもんね……。 秋山さん:あとは、本当にペットを迎え入れられるのか、必ず家族で話し合ってほしいです。ほかの家族の同意を得られていない状態で飼っても、協力を得られません。今は、ペットの寿命も伸びていて、犬なら15〜20年ほど生きると言われています。それだけの年月をきちんと世話できるのか、そのとき家族の年齢はどうなっているか、ライフスタイルは変わっていないか、そういったことまで事前にシュミレーションをしていただきたいですね。 […]

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毎年恒例のイベント「FIAT PICNIC」が、史上初のオンライン配信で開催!

『FIAT 500』の誕生日である7月4日に配信された「FIAT PICNIC 2020」! 史上初めてオンライン配信での開催となった本イベントは、日本全国のフィアットファンはもちろん、イタリアファンや自動車ファン、そして出演者のファンなど、大変多くのみなさんにご覧いただき、大盛況となりました。今回は、その模様をダイジェストでご紹介します。   イタリアを感じるコンテンツが満載! 青空の下、毎年開催されてきた「FIAT PICNIC」。 今回12回目を迎えた本イベントが、史上初めてのオンライン配信で開催されました。 『FIAT 500』の誕生日である7月4日に開催された本イベントは、バースデーソングからスタート! 駐日イタリア大使であるジョルジョ・スタラーチェ大使閣下やFCAジャパン代表取締役社長兼CEOのポンタス・ヘグストロムからのメッセージも届き、序盤からお祝いムード満点! さらに、ミニチュアアーティスト・みすみともこさんが制作してくれた小さな小さなバースデーケーキも、お祝いムードに花を添えてくれました。 みすみさんからは「先日、友人と“500”いいよねぇと話していたばかりなんです。 なので、今回の作品がお届けできてとても嬉しいですし、運命を感じました。 バースデーケーキも、クイズのプレゼントのイタリアンジェラートや板チョコもすべて一点ものなので、手にした方は大切にしていただけると嬉しいです」とコメントをいただきました。   青空とそよ風を感じるバイオリンの音色にうっとり 「FIAT PICNIC 2020」の最初のコンテンツには、世界的バイオリニスト・古澤巌さんが登場。 本イベント3度目の参加となる古澤さんのライブに、観ているみなさんも、現場のスタッフも大満足。イタリア映画「ニューシネマパラダイス」のタイトル曲をはじめ、清々しさと爽快感、そしてノスタルジーを感じる素晴らしい楽曲を披露。 その音色は、オンラインを介しても変わらぬ感動をお届け! 「青空とそよ風を感じることができた」「涙が出た」「イタリアを感じた」「またイタリアに行きたくなった」など、たくさんのうれしい感想をいただきました。   豪華賞品がいっぱい!フィアットクイズ 「FIAT PICNIC 2020」では、正解者の中から抽選で200名様に豪華商品がドドーンと当たる「フィアットクイズ」を開催! フィアットの歴史やモデルに関する問題はもちろん、マニアックな問題、そして調べてもなかなか答えが見つからない問題まで幅広く出題。 初級編・中級編・上級編に分けて各3問ずつ出題されたクイズに、難しすぎるというコメントも。しかし、フィアットオーナーやフィアットファンからは大好評! 今回しか手に入らないアイテムやレア商品が当たるということもあり、番組中はもちろん、クイズ解答の締め切り間近まで、大変多くのご解答をいただきました。   ステイホームで大注目!吉川めいさんのヨガ対談は必見 フィアットがすべての女性を応援するプロジェクト「ciaoDonna」の一環として行われたHAPPY LIFE トークを「FIAT PICNIC 2020」内で配信。 ゲストに、日本人女性初のインド総本山KPJAYI公認アシュタンガヨガ・インストラクターである吉川めいさんをお迎えして、今日からできるヨガや呼吸法などをレクチャー。 そして、日々の心構えや心のあり方など、まいにちをよりハッピーに過ごすためのヒントをお話しいただきました。 女性のみなさんはもちろん、ステイホームの状況が続く中、運動不足やストレスでお悩みの方にとっても、見逃せないコンテンツとなりました。   大人気アーティストが初遭遇!話題満載の気になるトークに注目 フィアットのプロジェクト「#MyFirstFIAT」に出演中のVRアーティスト・せきぐちあいみさんと、2014年のカリカチュア世界王者である田中ラオウさんという、いま世界中から大注目のおふたりによるトークショーが奇跡の実現! アーティスト活動をはじめたきっかけやアートの魅力、自身の作品についてなど、注目の話題がいっぱい。 せきぐちあいみさんからは海外でパフォーマンスしたときのエピソード、また田中ラオウさんは似顔絵をうまく描くコツなど、興味深い話が続々。 なかでも「人物を描くとき、特に大切なのは髪の毛を含めた輪郭なんです」という田中ラオウさんの意外な言葉に、一同ビックリ! これからのおふたりの活躍にますます注目したくなる、楽しいトークが繰り広げられました。   動物好き必見!素敵なペットライフを過ごすためのヒントを紹介 フィアットオーナーやファンにも、動物好きは多いはず。そんなみなさんへ、ペットライフをより楽しく、より豊かに過ごすためのヒントをご紹介するコンテンツをご用意。 月間6億回の再生回数を誇る大人気ペット総合メディアPECO(ペコ)の望月奈々海さんと、動物保護団体アニマルレフュージ関西(ARK)の秋山晴奈さんが対談。 ペットを迎え入れる際の注意点やライフスタイルに合ったペット選び、ペットにまつわる現在の環境のことなど、様々な情報をご紹介。 […]

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VRアートで描く「和」の世界への想い。せきぐちあいみさん インタビュー

シンガーソングライター、イラストレーター、俳優、フォトアーティストなど、様々なシーンで活躍するフィアットオーナーと、フィアットとの出逢いを描くプロジェクト「#MyFirstFIAT」。その最新作に出演中のVRアーティスト・せきぐちあいみさんが、今回描いたのは「和」の世界。 伝統と革新の世界を愛するせきぐちさんが、今回描いたVRアート、そして愛車『500 TwinAir Lounge』への思いについて、お話を伺いました。   「和」の世界に込めた思い 先進技術を用いて描き出すVRアート。しかし、最新作の#MyFirstFIATでせきぐちあいみさんが制作した作品は、その真逆とも思える「和」の世界。「和」のモチーフを選んだ理由、そして本作品への思いについて、お話を伺いました。     「“和”って、とても抽象的。辞書で調べると“和やか” “協力し合う” “調和が取れている”という意味が出てくるんですけれど、それも含めて“和”って、私たちの心の中にあるイメージなんだと思うんです。日本人ならではの、素敵な感覚というか。私は、昔からある日本ならではの景観や伝統工芸を描くことで、そう言った“和”の世界を表現したいと思い、今回の作品を制作しました。日本にある伝統文化とか工芸品って、まったく古いものではないと感じています。 そもそも、古いとか新しいという感覚自体が、近年生まれた感覚で、ちっぽけなものさしだと思うんです。長い歴史の中で、古いものを守り続けたものではなく、その時々で変革を起こして新しいものを創り続けてきた最新作の積み重ねが、いまの伝統につながっていると感じています。なので、私はその素晴らしい伝統的なものを、VRというテクノロジーで描くことで、これまでにないアートを表現したいと思いました」。       VRで描く理想の世界 先進テクノロジーというイメージが強いVRアート。しかし、せきぐちさんの中では、アナログ的要素の強いものだと感じているとのこと。その理由について、お聞きしました。 「歴史を振り返ると、いつの時代も常に新しいものに挑戦し続けている。10年後、きっと私自身もいまは想像もしていないことに挑戦していると思います。変わらない良さの中で、いままでにない挑戦をしていくことで、より良いものを創っていけたらと感じています。 実は、そういうところって、フィアットと共通している部分だと思っています。昔から愛されている良さを守りながらも、新たな技術やデザイン性をドンドン取り入れている。クラシカルさと新しさが上手に融合していて、とても素敵だと思います」。     「また、私が使っているVRの機材にも、似たところがあると思っています。実は、最新のテクノロジーを採用しつつも、コントローラーをペンやブラシのように使って描いていくというアナログ的な要素が強いんです。パソコンに向かって、座って描いているというよりは、直感的にペンやブラシを使って描いているという感覚。そこは、人間の手描き感が活かせると思っているので、自然とか温かみのあるものを表現する方が面白いと感じています。 私は、今回描いた“和”の世界観は、VRとの相性がすごくいいと思っています。 VRって360度、全方向で別世界に連れて行ってくれるので、今後の目標としては、命とか温度とか、そういうものを感じてもらえるような作品を描いていきたいと思っています」。       VRで描く理想の世界 作品によって、幅広い世界観を描いているせきぐちさん。VRアートを制作する際、心掛けていることとは何か。そのポイントを尋ねました。 「VRアートって、絵を描くというよりは、世界を創っていくこと。その新たな表現方法で、みなさんをワクワクさせるとか、想像力を高めるとか、感性を刺激するとか。そういう作品になるよう意識しています。 今回制作した#MyFirstFIATの作品は、日本の伝統文化と最先端テクノロジーという両極端なものを融合しました。いま私が描きたい、みなさんの心に響かせたいという思いで制作しました。 何が古い、何が新しいということではなく、心がワクワクするものを描きたかったんです。日本の伝統文化とか美意識って、本当に素晴らしいですし、無条件に私たちの心が惹かれるものだと感じています。なので、そういった部分を取り入れながら、最新テクノロジーだからこそ描ける表現で、さらに奥行きを持たせるようにしました」。       改めて感じる500の魅力 #MyFirstFIAT第2弾ムービーの撮影で訪れた千葉県香取市・佐原市。小江戸としても知られるこの街の風景に、とても興味を持ったというせきぐちさん。一体、どのような点に惹かれたのか。この街の感想をお聞きしました。 「とにかく、すごく素敵なところでした。めちゃくちゃよかったですね。江戸情緒あふれる印象もあって、街全体で美しさを守っていこうという雰囲気を感じました。理想の場所というか、今回制作したVR作品の世界観にピッタリでした。場所も建物も、心からリラックスできる。日本建築の良さはしっかりと残しつつ、いまの時代にフィットした快適性もある。ここに住みたい!と思う場所でした。 また、改めて気づいたのですが、佐原のような風情を感じる街並みにも500はマッチする。どんな景色にもなじむことができるというのも、500の魅力のひとつだと感じました」。     「500がパートナーになってから、ドンドンかわいくなっていくというか、ドンドン好きになっていくという感覚がありますね。どこにいても、そこに500がいることで、その景色をより華やかにしてくれる。そんな印象を持っています。 また、500は乗り物とか機械という感じではなくて、もっと別の愛着が持てる存在。世の中には、かっこいいクルマや機能性に優れたクルマがたくさんあるけれど、それは500だけの特別な魅力だと感じています」。       いまから楽しみな500との遠出ドライブ せっかく500オーナーになったのに、まだ遠方へのドライブができていないというせきぐちさん。しかし、すでにドライブの目的地候補は決めているとのこと。せきぐちさんが楽しみにしているドライブスポットをお聞きしました。 「ぜひ行きたい場所は、山梨県にある“久保田一竹美術館”。何度か訪れたことがあるのですが、これまでは高速バスに乗って行っていました、なので、500といっしょに行けるのはとても楽しみですね。 ここは、世界中で愛されていた染色家・久保田一竹さんの美術館なのですが、展示されている染物を見ると、その深みや鮮やかさに“これが、人間の手で創り出したものなのか!”と思うくらい感動して。次回は、家族といっしょに訪れたいと思っています。また、近くにあるスポットも巡れるというのも、ドライブならではの醍醐味だと感じています」。     「あと、神奈川県の津久井湖にも行きたいですね。ここは、私が生まれ育った場所。アクセスも悪いし、昔は身近すぎて、その魅力に気づかなかったんですけれど、大人になってからその魅力を再認識。都心から日帰りで行けるし、自然の中でリフレッシュできる素敵なスポット。普段、デスクワークが多いので、本能的に自然を求めているのでしょうね(笑)。おすすめの場所なので、ぜひみなさんも行ってみてください」。   […]

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「500」と共に増え続けるスマイル 全国50,000人のお客さまにグラッツェ!

バースデイを機に念願の「500」 新たに迎えるマイカーの納車。ワクワク、ドキドキする瞬間ですね。自分が選んだクルマ、ボディカラー、足を運んだショールーム……。そうした巡り合わせのひとつひとつが、いい思い出として刻まれることと思います。「FIAT 500(チンクエチェント)」は、これまでに多くのお客さまに支えられ、たくさんの思い出を育んできました。そして2020年3月5日、累計登録台数はついに50,000台に達し、フィアット・アバルト三河で50,000台目の「500」が、オーナーとなる荒島さんファミリーに納車されました。荒島さんは50,000人目のお客さまとなったことを「びっくりです!」と驚きのご様子。     荒島節子さんは、数年前から「500」が気になっておられ、いつか乗ってみたいという想いを持たれていたようです。そして「500」を所有するご友人に内装を見せてもらうと、その気持ちはますます強くなったのだとか。そしてライフステージにおいて特別なお誕生日となる今年3月に合わせ、念願の「500」の購入を決意されたそう。納車式にはお嬢さまご夫婦と2人のお孫さんとご一緒にショールームを訪れ、ピカピカのボサノバ ホワイトの「500」との対面を果たしました。     そんな荒島さんを、フィアット・アバルト三河の中村昌弘部長はじめ、近藤龍太郎店長、加藤敦士店長代理が温かくお出迎え。FCAジャパンのスタッフもお祝いに駆けつけました。今回は50,000台目を記念するちょっぴり特別な納車式ということで、中村部長から荒島さんに記念パネルが贈られました。     あったかファミリーのメンバーに 荒島さんによると、「500」はご家族みんなで使うために購入されたそう。3世代が同居する荒島さんファミリーでは、ご家族でよくお出かけしたり、お食事を楽しまれたりしているそうです。「500」が納車されたら、まず静岡県藤枝の抹茶スイーツが有名なお店にアイスクリームを食べに行こうと、そんな計画もされているそうです。     お出かけ好きの荒島さんファミリーは、「500」にオプションのカーナビを装着されていました。「500」はApple CarPlayやAndroid Autoに対応しているためスマホのナビアプリも利用できますが、車載カーナビがあればスマホを持たないお母さまがひとりドライブをするときも安心ということで装着されたそうです。そんな荒島さんに、お嬢さまと旦那さまは納車&お誕生日のお祝いにキーケースをプレゼントされていました。仲睦まじいご家族の愛情にほっこり。お母さまはさっそくそのキーケースに「500」のキーを取り付けていました。     真っ白な床面のデリバリーエリアで、納車説明が行われました。納車説明では「500」に搭載される装備や各機能の操作方法などをサービスアドバイザーから聞くことができます。荒島さんとお嬢さまも説明に耳を傾け、少しずつオーナーとしての実感が湧いてきている様子。加藤店長代理から50,000台記念の花束を受け取り、いよいよ最初のドライブに出発です!     フィアット・アバルト三河の加藤店長代理によれば、このところ「500」のお客さまはますます広まりを見せているとのこと。「500」の女性比率は2019年には64%(FCAジャパン調べ)と過半数を超えていますが、販売の現場でも老若男女を問わず、様々なお客さまに興味を持っていただけていると実感されているそうです。国産車から乗り換えのケースも多く、そうした新たなフィアットオーナーさまをサポートすべく、同ショールームではクルマにあまり詳しくない方や、初めて輸入車に乗られるお客さまにも親切・丁寧な接客や、アフターサービスを心がけているとのこと。「クルマは買った後が大事という気持ちで接客しています」という頼もしいメッセージを聞くことができました。     ご家族やショールームの皆に祝福されながら、「500」との新生活をスタートされた荒島さん。まずは、ご家族でランチを楽しむためにレストランへと向かわれました。これからも温かいご家族と一緒に「500」でたくさんの楽しい思い出を作ってください! Grazie!     なお、フィアットでは「500/500C」の国内登録50,000台達成を記念して、特別キャンペーンを実施中。2020年4月末までのキャンペーン期間中にご成約すると、車両購入サポート50,000円+アクセサリークーポン50,000円の購入サポート特典が受けられます。キャンペーンの詳細はコチラ 500の詳細はコチラ 写真 小林俊樹 […]

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3月8日の国際女性デーとイタリアのミモザの日ってどんな日?楽しみ方も紹介

毎年3月8日は、国連が制定した「国際女性デー」です。そして、イタリアでは「ミモザの日」とも呼ばれています。この記事では、国際女性デーとミモザの日が何の日でどんな関連性があるのか、また、具体的な楽しみ方やイベントなどをご紹介します。   国際女性デーはニューヨークの女性労働者が参政権を求めてデモを行った日 国際女性デーは、1904年3月8日にアメリカのニューヨークの女性労働者が参政権を求めてデモを行った日です。このデモを受けて、1975年に国際女性デーが制定されました。現在は国連事務総長が加盟国に対して、女性が平等に社会参加できるような環境づくりを呼び掛ける日になっています。 国連だけでなく、途上国の女の子の支援プロジェクト「Because I am a girl 」などを実施している公益財団法人プラン・インターナショナル や民間企業などもイベントやシンポジウムを開催するなど、世界中で女性の社会参画を願った取り組みがなされる日なのです。   イタリアでは女性にミモザを贈る「ミモザの日」 女性の社会参画を願う日とされている3月8日の国際女性デーは、イタリアでは同時期にミモザの花が咲くことにちなんで、ミモザの日とも呼ばれています。3月あたりにはミモザの花が咲き乱れ、イタリアの街中の随所でミモザの花が飾られたり売られたりするようになるのだそうです。 このミモザの日には、男性が女性に敬意と感謝を込めて、ミモザの花を贈るのがならわし。パートナーだけではなく、母親や祖母、友人、仕事仲間など自分にとって大切な女性に贈るのだとか。女性たちは贈られたミモザを飾るだけでなく、仕事や家事、育児からつかの間離れて、お出かけや外食を楽しむのだといいます。 また、ミモザの花は「春を告げる花」としてイタリアだけでなく、ヨーロッパ全体で広く愛されています。例えば、フランスのマンドリュー・ラ・ナプールという街では、2月に「ミモザ祭り」が開催されるそうです。   ミモザはアカシアの総称で花言葉は「秘密の恋」 ミモザは、正式にはマメ科ネムノキ亜科アカシア属の総称で、和名は銀葉アカシアと言います。ヨーロッパで人気があるミモザは、実はもともとオーストラリアが原産で、国花にも指定されている花です。 ミモザの花言葉は「優雅、友情」で、黄色のミモザの花言葉は「秘密の恋」。花屋でミモザの切り花が買えるのは1~3月で、3月8日のミモザの日近辺は日本の花屋でも手軽に手に入れることができます。自分で手にいれても、イタリアの風習や花言葉を男性に教えて贈ってもらう、なんて楽しみ方もいいかもしれません。   リースやサラダでミモザの日を楽しもう ミモザは、花束として部屋に飾るだけでなく、リースにしても楽しめます。また、ミモザの彩りを再現したミモザサラダのつくり方も紹介するので、ぜひミモザの日を楽しんでみてください。   花束と麻紐を使うミモザリースのつくり方 ミモザリースは完成品を花屋で買える場合もありますが、花束と麻紐があれば簡単につくることもできます。 1.麻紐はミモザを適量で結べるくらいにカットして、ミモザの花の付け根で結びます。余った紐はカットし、茎の下のほうから生えている脇花もカットします。 2.茎を覆うように、カットした脇花を重ねて紐で結び、茎部分も紐で結んで固定します。 3.茎部分をアーチ状に曲げ、花がついた先端に被せるようにして輪をつくります。葉の位置やリース全体の形を確認しながら紐で結び、整えて完成です。   ミモザの花そっくりのミモザサラダのつくり方 ミモザの花を使用するわけではありませんが、ミモザの花に見た目がそっくりなサラダのつくり方を紹介します。簡単につくれるので、料理に自信がない方もぜひチャレンジしてみてください。 【材料】 ・ゆで卵          2個 ・ミニトマト        3個 ・ベビーリーフ       40g ・オリーブオイル     小さじ4 ・すりおろしニンニク   小さじ1/2 ・レモン汁        小さじ1/2 ・塩           ふたつまみ   【つくり方】 1.ミニトマトはヘタを取り除き、4等分に切る。 2.ゆで卵は白身と黄身に分けて、それぞれ粗めのザルに押し付けて裏ごしをする。 3.ボウルにAの調味料を入れて混ぜ合わせる。 4.器にベビーリーフ、ミニトマトを盛り付け、真ん中に裏ごししたゆで卵の白身と黄身をミモザの花に見えるように盛り付けます。最後にAのドレッシングをかけたら完成です。   ミモザにちなんだFIATの限定車のフェア開催 […]

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